♪バッハ・カンタータ日記 〜カンタータのある生活〜

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zoom RSS クリスマスとバッハその1〜クリスマス・オラトリオ、マニフィカト〜天才ヘンゲルブロック

<<   作成日時 : 2006/12/08 22:10   >>

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 今日は、ジョン・レノンが亡くなった日。
 街中でHappy Xmasが流れ、クリスマスも、もう目の前です。


 待降節の記事「アドヴェント・クランツ」のところに書いたとおり、クリスマスまで、バッハのライプツィヒのカンタータはありません。
 カンタータのお知らせもお休みにして、それまでの間、バッハのクリスマスの音楽の予習をしていきたいと思います。


 バッハのクリスマスの音楽で、真っ先に思い浮かぶのは、なんと言っても、
 クリスマス・オラトリオBWV248です。

 一度でも聴いたことがある方は、街の装いがクリスマスらしくなってくるのを見ただけで、
 あの始まりのティンパニの3連打が頭に鳴り響き、心がウキウキしてくるんではないでしょうか。

 これは厳密には、前半の第3部までがクリスマス用。
 後半はその後に続く新年の祭日用のものです。教会暦では、新年まで含めてクリスマス期間なのですね。

 以前、コメントで書きましたが、これはほとんど全曲が世俗カンタータ等からのパロディ。
 中には、若い相棒ピカンダーとグルになって、始めから、転用を前提にして作曲したのではないか、と疑われる曲まであるようです。
 まったく依頼主の立場が無いですが、それだけバッハもこの曲に力を入れていた、ということ。
 以前も書いたとおり、バッハにとって、パロディというのは、決して手抜きなどではなく、後世に自作を託すための、「偉大なる再創造」なのです。

 レチタティーボやコラール以外で、新たに作曲されたのがはっきりしているのは、
 第2部冒頭のシンフォニア(有名な羊飼いの野営の場面)
 第3部第8曲(全曲では第31曲)のアルト・アリア(マリアのモノローグ)
 の2曲だけ。

 でも、さすがに、この時期(1733年)のバッハが渾身の力を込めて書き下ろしただけあって、
 この2曲はまさに全曲の白眉。
 お忙しい方は、この2曲を聴くだけで、クリスマスの喜びに全身を包まれることでしょう。

 その他、深い英知の投影された新作のレチタティーボやコラール、
 はちきれんばかりに生き生きとした世俗カンタータ起源の合唱やアリアなど、どの曲も聴き応え十分。
 それらがまったく無理なく一つにまとまって、
 まさに、どなたにでもおすすめできる名作中の名作です。


 さて、クリスマス・オラトリオは、みなさんおなじみだと思いますので、これで終わりにしますが、
 バッハには、カンタータ以外に、もう1曲、とっておきのクリスマス用声楽曲があります。

 それは、あの有名な「マニフィカト」のクリスマス・バージョン BWV243a
(こちらの方が原曲、オリジナルです)
 
 クリスマスオラトリオは大人気の名作ですが、このBWV243aも、けっしてひけをとるものではありません。
 後に徹底的に推敲され、研ぎ澄まされたかのような究極の完成度を誇るBWV243ですが、それに対して、こちらは、原型の、やや素朴なオーケストレーション。でもその鄙びた感じがクリスマスにぴったり。
(調性も、BWV243の輝かしいニ長調に対し、しなやかな変ホ長調)

 しかも、クリスマスならではの挿入曲が4曲もついています。
 この4曲が、とびっきり魅力的。そのままクリスマス劇の音楽に使えそうです。
(実際、初演時には、聖劇が上演されたのではないか、という説もあるようです)
 バッハもお気に入りだったらしく、後にカンタータ等に再利用しています。

 それに、この曲は、なんと言ってもお手軽なのが高ポイント。
 とにかく1曲1曲が短くて、クリスマスは忙しくてカンタータなど聴いている場合ではない、という方でもだいじょうぶ。
 まだお聴きになっていない方は、ぜひ聴いてみてください。


画像



 ずっと録音にめぐまれませんでしたが、少し前に、ヘンゲルブロック盤とヘレヴェッヘ盤が立て続けにリリースされて、いっぺんに欲求不満が解消されました。

 ヘレヴェッヘはいまや押しも押されもせぬバッハのスペシャリストとして、みなさんご存知だと思います。
 ヘンゲルブロックは、日本ではそれほど知られていませんが、ヨーロッパではヘレヴェッヘと肩を並べる人気の古楽系指揮者。
 実演命、の天才型。演劇等の舞台をからめた演奏が多いのも、知名度が低い原因かもしれません。
 だけど、古楽系ではめずらしい、ほかならぬバッハの国、ドイツの指揮者。
(今どうしてることやら、実はよく知りません)

 カンタータの録音がほとんどありませんので、これまでご紹介できませんでしたが、やっと登場させることができました。


▽ トーマス・ヘンゲルブロック(かなり阿部ちゃん似)

画像



 カンタータの録音は無くても、ロ短調ミサのCDがあります。
 これは、レオンハルトのものを別にすると、考えうる最高の演奏、
 あの超絶的な音楽を、日常的に楽しむことができる、わたしのかけがえのない愛聴盤です。
(これも、ロ短調ミサによる前衛バレエ?のライブ録音)


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コメント(3件)

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Noraさま、こんばんは。
>バッハにとって、パロディというのは、決して手抜きなどではなく、後世に自作を託すための、「偉大なる再創造」なのです。

この文章にはまったく共感いたしました。
連想いたしましたのが、和歌の「本歌取り」。
元々の定義は違うかも知れませんが、一つの作品からさらに豊かですばらしいイメージを再創造する、と言う点では共通点があるような気がしています。
もちろん、「本歌取り」の場合、皆がその元の歌を知っている、と言う大前提があるのですが、バッハの「パロディ」においてはどうなのでしょうか・・・
人気のあったカンタータの転用ともなれば、やはり皆に親しまれ、誰もがその曲を知っていることを前提に、作曲されたものになるのかしら?

お勧めのヘンゲルブロック「ロ短調ミサ」大いに聴いてみたくなりました。
ヘレヴェッヘについてはモーツァルトの「レクイエム」を発注中なのですが、半月も過ぎて、まだ届きません(哀)
彼の「マタイ」は私の宝物です。

aosta
2006/12/08 23:10
> 人気のあったカンタータの転用ともなれば、やはり皆に親しまれ、誰もがその曲を知っていることを前提に、作曲されたものになるのかしら?

 バッハの場合、むしろ逆で、忘れ去られる運命にある曲たちを、何とか後世に残そうとした、と言った方が近いです。
 教会カンタータも、世俗カンタータも、どんなに苦労して作曲した自信作であったとしても、機会音楽にすぎません。つまり、その時だけの音楽。
 特に晩年のバッハは、自作の編纂、推敲に没頭するようになります。
 自信作を選りすぐり、徹底的に磨きぬいて、普遍的なラテン語のミサ曲等に(ある意味宗派さえ超えて)編み直し、後世に託そうとしたのですね。
 ロ短調ミサは当然として、カンタータの1曲1曲にいたるまで、散逸した楽譜が必死に集められ、こんな遠い島国で熱心に歌われ、聴かれていることを知ったら、バッハはどんなに喜ぶことでしょう。
Nora
2006/12/09 03:14
 続きです。
 とても興味深いのですが、aostaさんが例に出された「本歌取り」については、むしろ「コラール・カンタータ」に近いのではないか、と思います。
 くわしくは目次から「コラール・カンタータについて」を見ていただきたいのですが、バッハは一時期、徹底して、1曲のコラールを素材にそれを発展させて全曲を(音楽も歌詞も)構成する、という作曲手法をとり続けました。
 当時の人たちはコラールをとてもよく知っていたそうです。メロディーや歌詞の一部を聴いただけで、ある特定のイメージが想起できたわけで、
 コラールが、言葉や音楽よりインパクトのある、第3の言語として機能していたわけです。
 現代のわたしたちも、マタイ受難曲の「血潮したたる」のコラールくらいなら知っています。
 明るく楽しいカンタータの途中でも、対旋律や通奏低音でそのメロディーが聞えればはっとして襟を正します。
 バッハはそのような効果を多用したんですね。
Nora
2006/12/10 18:37

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