♪バッハ・カンタータ日記 〜カンタータのある生活〜

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zoom RSS 我らがトマスカントルの暴走・対位法の彼方にあるもの〜顕現節後第4日曜(BWV14他)

<<   作成日時 : 2007/01/26 01:04   >>

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 今度の日曜(1月28日)は、顕現節後第4日曜日。


 該当福音書章句は、イエスが湖で嵐を静める有名な物語。
 湖で船に乗っていたイエス一行は、突然の嵐に巻き込まれます。
 何事も無いかのように眠っているイエスに、弟子たちが助けを求めると、
 イエスは、「なぜ、恐れるのか。信仰の薄い者たちよ」と言い、それから風と波とをしかりつけ、嵐を静めます。

 該当書簡章句は、これまたよく知られる、隣人愛についての部分。
 ありとあらゆる律法、おきては、「自分を愛するように隣人を愛しなさい」というたった1つの言葉に集約される、ということ。
 つまり、愛を全うすることは、あらゆる律法を全うすることだ、と言ってるわけです。


 カンタータは初年度のBWV81と、
 現存する中では、バッハの最後の新作教会カンタータであるBWV14

 BWV81は、上記物語をテーマにした、まるでオペラようなカンタータ。
 この曲も、とてもおもしろいのですが、
 ここでは、やはり、BWV14についてお話しましょう。


 ライプツィヒのトマスカントル就任して、はじめの2〜3年の間は、ほとんど毎週傑作カンタータを作曲、上演し続けたバッハですが、
(その絶頂がコラール・カンタータ年巻 = 第2年巻に他なりません)
 ちょうどマタイ受難曲を作曲・上演した頃から、ほとんどカンタータを作曲しなくなってしまいます。
 必要なカンタータの年巻もそろいましたし、マタイで燃えつきてしまった、というのもあるのでしょうけれど、市当局との対立が激化し、批評家等からは時代遅れ、と言われ、すっかりいやになってしまった、というのが実のところのようです。

 バッハはもはや、トマス・カントルとしては、必要最小限の仕事しかしようとはせず、
 残された時間は、
 自作の編纂、推敲、出版、
 コーヒー店の学生オケとの演奏活動、
 そして、対位法の追究、
 のほとんど3点に費やされることになりました。

 ただ、まったくカンタータを作曲しなくなったわけではありません。
 時々、思い出したように、作曲するのですが、それはひとえに、コラール・カンタータ年巻を補完するためです。

 バッハは、コラール・カンタータ年巻を、1つの巨大な作品と考えており、以前何らかの事情で作曲できなかった祝祭日のカンタータについて折に触れて穴埋めして、なんとか年巻を完成させようという努力を、生涯にわたって続けたのです。
(ほんとに、自分のやりたいこと、興味あることしかやろうとしなかったんですね)

 そして、そのような補完コラール・カンタータのうち、現存する最後のものが、
 このBWV14に他なりません。

(このあたりの事情は、以前にもくわしくかきました。
 興味ある方は、「バッハの最後のカンタータは?その1」「コラールカンタータについて・その2」をどうぞご覧ください)


 さて、これらの補完コラール・カンタータは、後期のバッハの自在の境地と円熟の筆致が生み出した、かけがえのない傑作ばかりなのですが、
 このBWV14は、その中でもひときわ異彩を放つ傑作(=問題作?)です。

 BWV14 「もしこの時、神がわれらとともにいなければ」

 通称、「カンタータのフーガの技法」。
 その名の通り、冒頭合唱に超絶的な対位法技法が駆使されていることで知られています。


▽ カンディンスキー 「コンポジション[」

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 BWV14が作曲されたのは、1735年。
 1735年と言えば、ちょうどこれから、平均率第2巻やクラヴィーア練習曲集第3巻(ドイツ・オルガン・ミサ)などをとりまとめようという時期で、バッハの対位法追究への傾倒が急速に加速し出した頃です。
 新しい研究では、実は、あの「フーガの技法」も、この頃にはすでに着手されていたのでは、とされています。

 そのような時期にわざわざカンタータを作曲したものですから、
 このBWV14の冒頭合唱、ちょっととんでもない作品になってしまっています。

 そもそも、冒頭合唱の基本となっているのは、「反行フーガ」という技法。
 これは簡単に言うと、テーマに対し、それをちょうどさかさまにしたテーマが応答して、フーガをくりひろげるというもの。
 「フーガの技法」においても、徹底して展開されている超絶技法です。

 ここではくわしく書けませんが、細かく見ると、その他にも実jに様々な対位法技法がおしげもなく使用され、
 なにゆえに、こんなにややこしいものを、日常的な礼拝で歌わねばならないのか、と、ただもうあきれてしまうばかり。
 バッハも、いったいどういうつもりだったのか。
 歌わされる方としても、たまったものではなかったでしょう。

 でも、何も考えずに耳を傾ける分には、美しいアリアも含めて、実に格調高い、堂々たる作品として聴こえます。
 そのあたりはさすがにバッハ。

 いずれにしても、いろいろな意味で、必聴のカンタータ、と言えます。


▽ モンドリアン 「青、灰色、バラ色のコンポジション」

画像



 わたしは、音楽の対位法的側面に、特に強くひかれます。

 クラシック音楽の中でも、ほとんどバッハとルネッサンス以前の音楽だけに、のめりこんでいるのは、そのせいもあるのだと思います。

 ただ、わたしには、自分自身が、いったい対位法の何にそんなにもひかれているのか、実はまだよくわかっていません。
 つまり、対位法の何が、人の心を動かすのか、よくわからずにいるのです。

 メロディーを、重ねてくりかえすこと、
 さらに、逆さにしたり、引き伸ばしたり、縮めたり、分解したりして、それを重ねあわせてくりかえすことの、いったい何がそんなにすばらしいのか。

 たしかにパズル的なおもしろさ、すごさはありますが、もちろんそれだけのはずありません。

 宇宙の根源的な法則につながるのだ、などとということも、もっともらしく言われますが、そんなかんたんな一言ですましてしまいたくもありません。

 対位法の件については、現在考え中です。
 感覚的対象か、理論音対象か、という他にも、音楽の及ぼす作用が、先天的なものなのか・後天的なものなのか、ということもあります。
(宇宙人にバッハを聴かせたらどうなるかということですね)
 それらの問題にメロディ自体の問題をからませて、自分なりに納得できる答えを見つけようとしているのですが、なかなかうまくいきません。
(何を言ってるんだか・・・)

 バッハは長い対位法追究の果てに、その答えにたどりついたのでしょうか。

 わたしには、バッハのいくつかの作品、例えば、ロ短調ミサの中の何曲かなど、は、
 その答えを知っている人間でなければ到底書けないもののように思えるのですが。



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