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3月4日。好天。汗ばむほどの陽気。早くも春真っ盛り。 フライングでイースターのカンタータを聴きたくなるのを、ぐっとこらえて、 赤塚溜池公園(赤塚城址)の赤塚梅まつりへ。 のどかな春の一日を満喫。 公園内の、板橋区立郷土資料館では、江戸の砲術展を開催中。(3月25日まで) それと関連して、この日は、西洋流(高島流)砲術の演武がおこなわれました。 まず、砲術の概要から。 砲術について、展示を見て知ったことを、ちょっと、まとめてみました。 鉄砲伝来後、日本には、鉄砲の技術を極めようとする炮術家が無数に現れ、江戸開府で平和がもたらされてからも、炮術は、剣術と同様、武道の一つとして栄えました。 中でも最大勢力だった關流の場合、使用する鉄砲は金箔等で華麗に装飾され、秘伝書も美しい絵入り、どちらも美術品のよう。極めて様式化された武芸として独特の発展をとげたようです。 また、流派によっては、辺境の警備等をまかされるものもあり、いずれにしても、幕府や各藩にとってなくてはならない存在だったようです。 これら和流の場合、鉄砲は古い火縄銃。炮術のホウの字も原則的に「炮」です。 これに対して、長崎で西洋文明に触れると同時に、アヘン戦争等の列強侵略の実情に危機感を持った高島秋帆(しゅうはん)は、私費を投じて日本初の西洋式砲術を創始、 幕府に意見書を提出し、武州徳丸ヶ原(現東京都板橋区高島平・幕府直属の鷹狩場、炮術演習場だった)の大平原で、西洋式砲術の一大デモンストレーションを繰り広げます。 オランダ語の号令のもと、何台もの大砲と約50挺の最新の西洋式火打ち銃が火を吹きました。 門弟100人、騎兵を含む鉄砲隊が、整然と、しかし縦横無尽に演習を展開、 最後は秋帆自らが先頭に立ち、最新剣付ゲベール銃と大砲を斉射、 この演習は、幕府関係者、押しかけた大勢の見物人の度肝を抜き、西洋文明の圧倒的な優位性を明らかにしました。 この時の演習にちなみ、徳丸ヶ原は、後に高島平、となったそうです。 なお、この西洋流砲術が確立して初めて、ホウの字は「砲」になりました。 当時、諸外国の進出に対し、国内は急激に攘夷の方向に傾きつつあり、 蘭学を排斥しようとする保守勢力によって、秋帆は、いいがかりをつけられ、投獄されてしまいます。 もしかしたら、既存炮術流派の反発もあったのかもしれません。 しかし、幕府は、実際には、秋帆の意見書どおり、軍備の西洋化を急速に推し進めます。 秋帆は、10年もの長きにわたり、囚役生活を余儀なくされますが、 自由になると、こりもせずに上奏をくりかえしたりしたようです。 さて、今回の演武は、人数9人、銃も、旧式火縄銃によるものでしたが、 (火打ち式銃は、ほとんど現存してないらしい) オランダ語の号令によって、隊列が次々と前進しながら空砲を打つ演習は、迫力満点で恐ろしいほど。 実際の徳丸ヶ原大演習のすさまじさを、十分に想像させてくれるものでした。 ▽ 砲術隊入場。 小太鼓のリズムに合わせて、ここまでは、なんだかかわいかったのですが・・・・。 ▽ 撃ち方、はじめ!思った以上の轟音。 ▽ 一斉掃射。すさまじい迫力。 ▽ 演武終了。大拍手。 本物は、ほんとうにすごかったんだろうな。 こうして充実した展示を見て、演武を見てみると、 徳丸ヶ原の大演習の、あまりにもすさまじい衝撃が、第2のアヘン戦争を防いだ、と言っても過言ではないような気がしてきます。 この前の徳川家茂に続いて、 決して表舞台でハデに活躍したわけではないですが、明治維新の大切な支柱になったような人物を、また一人知ることができました。 ☆ 梅まつりの屋台で食べたもの ▽ 鹿フランク ▽ シャルビン(モンゴルのお好み焼き、餃子をつぶしてかりかりにした感じ) ▽ みそ田楽とこんにゃくのしょうゆ煮 その他、新潟県特産の山菜おこわ、巨大あんこもち他 ☆ そう言えば、ちょうど雛まつり。 郷土資料館の古民家の中には、美しい雛人形が飾られてました。 ▽ 大正時代の雛人形 ▽ よく見ると、めずらしい物語雛が。右下は舌切り雀。 顔が雀になっている。 ▽ 古今の雛人形。一番奥が、江戸時代のもの(?)。 |
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こんばんは。おじゃまいたします。 |
koh 2007/03/08 21:00 |
こんばんは。 |
Nora 2007/03/09 01:59 |
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