♪バッハ・カンタータ日記 〜カンタータのある生活〜

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zoom RSS 「教会」コンチェルト・バッハの最高の協奏曲は・・・・? 〜復活節後第1日曜(BWV42ほか)

<<   作成日時 : 2007/04/14 00:30   >>

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 クリスマスに、「バッハの最高のクリスマス音楽は・・・・」というのをやったので、その第2弾、復活節編。
 「バッハの最高の協奏曲は・・・・?」



 復活節の記事の中で、(もちろんそれ以前も)
 わたしは、バッハの未知の協奏曲でも聴くつもりで、カンタータを聴いてみませんか?
 と、いうような、ある意味無責任なことを、くりかえし書いてきました。

 また、前回の記事では、
 クラシック音楽の、わたしがあまりくわしくない部分について、いつも参考にさせていただいているアルトゥールさんから、とても考えさせられるコメントをいただき、それに対して必要以上に力説したりもしました。


 でも、やはり、
 カンタータ(宗教音楽)ということで、どうしてもとっつきにくい、という方や、
 逆に、宗教音楽を、そんないいかげんな気持ちで聴いてしまっていいのか、と思われる方は、かなりいらっしゃることと思います。

 そこで、まずは、ちょっとマジメな話から。


 あれから、
 わたし自身、クリスチャンでもないのに、宗教曲であるカンタータになぜ感動するのか、
 ということについて、じっくり考えてみました。

 そして、現時点での答えとしてたどりついたのが、
 カンタータでバッハが表現しようとしているキリスト教の教義、内容ではなく、
 やはり、音楽そのもの、
 さらには、あれだけの芸術を生み出すほど強くゆるぎない、バッハの信仰そのもの、
 つまり、バッハの信仰を貫く「人間としての姿」に、わたしは心を動かされるんだろう、ということです。

 わたしは、仏教徒でもありませんが、お寺が大好きです。
 美しい仏像や、仏像が立ち並ぶ立体曼荼羅や、壮大な伽藍を見たりすると、
 とても感動します。
 でも、仏教上のその仏像の位置づけや、曼荼羅や伽藍配置の意味するところなど、理解してるのか、については、まったく自信がありません。
 それならなぜ、感動するのか、というと、やはり、仏像や建物そのものの美しさ、作り上げた人々の信仰の深さに感動するのだ、と思うのです。

 海外旅行に行っても同じです。
 ヒンドゥーやイスラムの教義はもちろんわかりませんが、
 遺跡などをみると、やはり心から感動します。

 つまり、バッハの宗教曲において、
 バッハの言わんとしている教義は100%理解できなくても、
 バッハの信仰を貫こうとする人間としての姿には、感動できる、と、いうことです。


 ただ、ここで、さらに、むずかしい問題に突き当たってしまいます。

 ルターの教義においては、
 信仰しよう、信仰を貫こう、と努力する行為自体、否定されていたからです。
 つまり、信仰自体、神から与えられるものであり、人間はただ神に身をまかせればよい、
 ということ。

 「マタイ受難曲」においても、人間は自らの無力を嘆き悲しみますが、「努力」はしません。
 それでも、絶対的な救いが、突然もたらされます。

 わたしは、どちらかというと、
 同じ救いがもたらされるにしても、
 努力を重ね、これ以上はもうどうしようもない、というところまで努力した末に、ようやく救いがもたらされる、というパターンの方がしっくりときますので、
(これが、以前から書いているトールキンの「ロード・オブ・ザ・リング」的な救い、です)
 ちょっと困ってしまいます。


 これで、ばれてしまいましたが、結局、いろいろとカンタータのことを書きながら、一番フラフラして悩んでいるのは、実は、わたし自身、なのです。
 でも、まあ、とりあえず、今後もカンタータは聴き続けていきます。
 わたしは、「音楽」が好きなのです。


  *    *    *


 さて、というわけで、
 カンタータ、というものを、もう一度見つめなおしていただく材料になれば、と、思い、
 すでに一度取り上げた曲ではありますが、

 復活節後第1日曜日のカンタータ、

 BWV42 「この安息日の夕べに」

 を再度ご紹介いたします。
(ちょうど、今度の日曜(4月15日)のカンタータです)


▽ 春の夕べの道

画像



 この曲の構成は以下のとおり。


 第1曲 シンフォニア(器楽)

 第2曲 テノール・レチタティーボ

 第3曲 アルト・アリア

 第4曲 コラール(ソプラノ、テノールデュエット)

 第5曲 バス・レチタティーボ

 第6曲 バス・アリア

 第7曲 4声コラール


 このうち、
 第1曲は、器楽によるコンチェルト風シンンフォニア、というか、コンチェルトそのものと言った方がいいような楽章。
 独奏楽器は、2本のオーボエ、それからファゴット!
 これらの楽器の奏でる美しい旋律のからみと、それらをやわらかく包み込むようなストリングスの響きが、何とも幸福。
 まぶしいくらいに明るい、まさに、春のよろこびあふれる音楽。

 第3曲アルト・アリアは、
 一転して、
 春の女神が、野原全体を静かに春色に染めてゆくのをあらわすかのような、
 あるいは、楽しかった春の野に、春の夕べの帳が、ゆっくりとおりてくるのを見るかのような、しっとりとした春の情感あふれる音楽。
 その心にしみわたるような響きは、
 あの、結婚カンタータ BWV202や、
 あるいは、復活節オラトリオ BWV249などの、
 美しいアリアの数々を彷彿とさせます。

 そして、さらに第5曲バス・アリア
 これも、よろこびいっぱい。にぎやかだった春の饗宴を楽しく締めくくるかのような音楽です。


 さて、もうお気づきのことと思いますが、
 実は、この曲の、以上の主要な3つの楽章を抜き出すと、急・緩・急の、りっぱなコンチェルトができあがります。
 しかも、バッハの他のどのコンチェルトと比べても、勝るとも劣らないステキなコンチェルト。
 「まだだれも聴いたことの無い」とびっきりステキなコンチェルト。

 これは単にこじつけなんかじゃありません。
 このカンタータの楽譜の状態から、少なくとも、第1曲と第3曲については、ケーテン時代、(あるいはそれ以前)のコンチェルトからのパロディであることは、ほぼまちがいないと推定されるのです。

 もちろん原曲は失われた幻のコンチェルトですから、CDなどありません。
 このコンチェルトを聴くには、BWV42を聴くよりほかないのです。

 そして、そのような目的でBWV42を聴いたとしても、バッハはきっと許してくれるでしょう。
 世俗的な器楽曲を流用したのはバッハ自身です。

 それに、宮廷等の一部特権階級のための音楽だった協奏曲や世俗カンタータ等の自信作を、一般市民にも聴いてもらいたかったからこそ、バッハはこのようなパロディを多用した、という見方もあるのでは、と、わたしは考えています。


 BWV42は、もちろんカンタータですが、カンタータ、という呼称は、わたしたちがやむを得ずに使っている、特定の目的を持った機会音楽の総称、であり、
 バッハ自身は、というと、自作をカンタータと呼んだことは一度もなく、実に様々なタイトルをつけています。
 このBWV42の楽譜には、バッハ自身の手によって、「教会コンチェルト」というタイトルが、はっきりと書かれています。

 バッハは、もっと幅広い意味でコンチェルトという言葉を使っているのですが、
 この「教会コンチェルト」という呼び名は、このBWV42にこそ、ふさわしい。

 信仰の人、バッハにとって、教会と実生活の区別はありえません。
 たまたま教会という場所で演奏する音楽だから、「教会」という言葉がついてますが、
 これは、ブランデンブルクなどとなんら変わらない、コンチェルト、なのです。



 バッハの最高のコンチェルトは・・・・?
 という掲題の質問に対しては、
 わたしは、さんざん迷った末に、「教会コンチェルト」BWV42、と答えると思います。
 それほど、この曲は魅力的。


画像



 このBWV42は典型的な例のひとつですが、
 これまで何度も書いてきたように、バッハのカンタータの山の中には、
 たくさんの、あまりにも魅力的な、未知の協奏曲や器楽曲が埋もれています。
 原曲不明のものがほとんどですが、チェンバロ(オーボエ)コンチェルトBWV1059のように、
カンタータから復元され、正式に作品番号をつけられた曲もあります。
「カンタータの山の宝さがし」参照)

 また、先日、復活節の記事に書いたように、
 BWV134や、66などは、
 あのブランデンブルクをそのまま声楽曲にしたような魅力的な世俗カンタータのパロディなのですが、
 これらの世俗カンタータのCDはほとんどありませんので、これらを聴くには、実際問題として、教会カンタータ版を聴くしかないのが現状です。


 たとえ、宗教曲、ということに抵抗があっても、
 自分だけの、お気に入りの協奏曲や世俗曲を見つける
 というただそれだけのためにカンタータを聴く、というのも、けっしてまちがいではない、と思いますし、価値があることのような気がします。



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2007/04/19 11:25

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コメント(7件)

内 容 ニックネーム/日時
Noraさま
初めまして。Nackyと申します。
小林義武さんを検索していたら辿り着いてしまいました。
もの凄いものを発見してしまったという心境です。
それにしても、バッハのカンタータ作曲に匹敵する壮大な計画ですね。
私もクリスチャンではありませんが、バッハからは、いつも「こんなに美しいもの」を自分と同じ人間が創り上げたという事実を思い知らされては、勇気をいただいております。
BWV35から復元されたチェンバロ協奏曲は私が最も好きな器楽曲の1つです。また、BWV198も名曲中の名曲ですね。これを元に復元された「マルコ受難曲」を私が若い頃に所属していた「横浜合唱協会」が2000年の8月6日に池袋の東京芸術劇場において、トーマスカントール(ビラー氏)の指揮で演奏しています(国内では初演です)。
それでは、このプロジェクト、完遂まで応援させていただきます。

Nacky
2007/04/17 02:09
 はじめまして。
 炎のトマスカントル・バッハ氏の気持ちを少しでもわかりたい、と思って、一応毎週やってますが、わたしは、ただ聴いたり書いたりしてるだけなので、お気楽なものです。
(しかも、あちこちに書いたものをまとめてるだけ、というウワサも・・・・)
 ほんとは演奏をしなければ、と思うのですが、自分では歌も楽器もダメなので。
 でも、そのうちご紹介したいのですが、実際に演奏にチャレンジしてる団体もあり、頭がさがります。
 もし、何かお気づきの点があったら、何でもコメントしてくださるとうれしいです。
Nora
2007/04/17 16:08
こんにちは。

バッハの音楽が、なぜかくも人の心を揺り動かすのか・・・
Noraさんの洞察に100%の賛同をさせていただきたいと思います。
バッハにとって教会と実生活、信仰と音楽との間には何の乖離もなかったことが、その音楽を聴けば聴くほど真実に思えてきます。
さらに言えば、ひと息の呼吸のなかにさえも、バッハは信仰の喜びに輝いていたのではないかとさえ思ってしまいます。
その全身全霊の神への深い思いは、キリスト教という枠を超えて、私たちを包んでくれます。
aosta
2007/04/19 11:22
たまたま私は、クリスチャンではありますが、たとえそうでなかったとしても、涙は溢れ、また喜びに満たされる事でしょう。

>ルターの教義においては、
 信仰しよう、信仰を貫こう、と努力する行為自体、否定されていたからです。
 つまり、信仰自体、神から与えられるものであり、人間はただ神に身をまかせればよい、
 ということ。

カトリックとプロテスタントの「信仰」解釈における違いは、私など理解の出来るところではありませんが、全てを超越する大いなる存在としての神の前では、私たち人間など所詮小さな力なき者でしかありません。
その事をバッハの音楽は教えてくれるような気がします。
バッハの音楽によって出会う神は深遠で限りなく、暖かく慈愛に満ちています。

私はカトリックの環境の中で育ち、現在はプロテスタント教会に通うものですが、私の中ではカトリックもプロテスタントもないのです。
バッハがプロテスタントであったことも然り。
ただひたすらに神へと向かうその音楽。それだけで十分な気がしています。
aosta
2007/04/19 11:23
BWV42
>この曲の、以上の主要な3つの楽章を抜き出すと、急・緩・急の、りっぱなコンチェルトができあがります。

ええっ!
言われてみれば「目からうろこ」のご指摘でした。
「まだだれも聴いたことの無い」とびっきりステキなコンチェルト」
何だか急に胸がドキドキしてきてしまいました。
そんな風に聴く事が出来ようとは、今まで考えてもみませんでした。

このBWV42は私も大好きな曲です。
晴れやかに明るく、踊るような喜びに満ちた、まさしく復活の春のカンタータ!そして「コンチェルト」なのですね。
何だか思いがけずもすばらしい贈り物をいただいたような気持ちがしています。
さあこれから、初めての「教会コンチェルト」BWV42、聴いて見ましょう!!




aosta
2007/04/19 12:14
 aostaさん、こんばんは。

> ただひたすらに神へと向かうその音楽。それだけで十分な気がしています。

 わたしはいつも、物事をややこしく考えて、壁にぶつかってしまうことが、よくあります。そんな時に、このような真摯な言葉に触れると、見通しがよくなり、そんなに難しく考えることはないんだということに、あらためて気づかされます。
 これからも、率直な感想を、ぜひお聞かせください。
Nora
2007/04/20 00:40
 BWV42が、コンチェルトのパロディだ、ということは、かなり信憑性のあることなのですが、(と、急に饒舌になる)
 なんと、「カンタータの名演を聴いてみましょう」の記事等でご紹介してきた名作、BWV82についても、同様の説があります。
(わたし自身は、これについては、疑問ですが)
 もしそうだとすると、2本のオーボエ、あるいはオーボエとVnのためのコンチェルト、といったところでしょうか。
 いずれにしても、これがほんとだと、バッハに限らず、あらゆるコンチェルトの中でも、最高レヴェルの作品、ということになってしまいます。
 そのようなことを考えながら、あらためてBWV82を聴いてみても、おもしろいですね。
Nora
2007/04/20 00:55

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