七夕の夜に、再び、天体の音楽=中世の音楽について。![]() 星も見えぬ東京に戻ってきました。 星が見えなくても、わたしたちは、音楽を聴くことができます! バッハの源流への旅、これから、いよいよ中世へと足を踏み入れていくことにします。 中世の音楽は、もちろん西洋音楽(広義のクラシック音楽)の一部ではありますが、 実は、まだまだヨーロッパ各地域の民族音楽としての側面がとても強いです。 従って、中世の音楽は、 クラシック音楽の延長として演奏してしまうと、 わけがわからず、また退屈きわまりないものになってしまい、 逆に、中世音楽専門グループの演奏によって初めて、その真価を発揮する、 と、いうことになります。 なお、このことは、あまり指摘されませんが、 この中世音楽の民族音楽性は、 中世音楽への道を切り開いた、かのデビット・マンロウが、 そのキャリアの中で、実際に中南米の民族音楽にどっぷりと親しんだことから天啓を受け、「発見」したものに他なりません。 わたしたちの前に広がっている、冒険とロマンにあふれる中世音楽の沃野は、 本来は幸福なリコーダー吹きであるはずだった青年が、その短い生涯をかけて、わたしたちに残してくれたプレゼントなのです。 この旅を始めるにあたって、あらためて、心からの感謝を捧げたいと思います。 と、いうわけで、 今では、いくつもの中世音楽グループが、それぞれ驚くほど個性豊かな演奏を聴かせてくれますが、 少し前までは、 アンサンブル・オルガヌム、 アンサンブル・ジル・バンショワ、 セクエンツィア、 が、その御三家とも言える、圧倒的な存在でした。 ここでは、その中でも最も聴きやすいセクエンツィアの名盤を実例としてたどりながら、中世音楽の歴史のおおまかなガイドラインを、ご紹介したいと思います。 言わば、今後の中世への旅の、道標になるようなものです。 ちょっと教科書みたいな内容になってしまうかもしれませんが、 今後登場すると思われる用語もなるべくたくさん紹介しますので、がまんして、おつきあいください。 あまり遡ってもキリがありませんので、初期ポリフォニーあたりから始めましょう。 音楽史の本には、よく、 10世紀後半になって、ようやく音楽史上初のポリフォニー(複声音楽)が誕生した、 と、いうようなことが書いてありますが、もちろんそんなはずはなく、 これは、正確には、 「10世紀後半になって、教会音楽を中心とする西洋音楽史上初めて、 ポリフォニーと確認できる音楽の記録が登場する」 と、いうことです。 いずれにしても、「最も古いポリフォニーの記録」は、10世紀ごろからちらちらと登場し始めます。 ▽ 「最も古いポリフォニーの記録」の一つ。 なんと、歌詞がそのまま上下しています。そして、明らかに二つに分かれている! 子どもの頃、作曲ごっこ、といって、こんなのを書いたような気が・・・・。 でも、あとで見ても、わからない。(笑) もちろん、この楽譜?も然り。 グレゴリオ聖歌等の単旋律音楽が、ポリフォニーに変容したのは、 以下の3つの要因によるものと思われます。 1、表現上の理由。 単旋律の段階から、 アレルヤを大きく引き伸ばして歌うセクエンツィア、 ヒルデガルトの聖歌、 等、単なるグレゴリオ聖歌ではない、宗教的感興をよりストレートに表現し得るような音楽は登場していたが、その次の段階として、副旋律がつけくわえられた。 2、内容上の理由。 聖歌の各節とともに、それを補足、説明するような歌詞がつけくわえられた。 聖歌の歌詞+補足歌詞、という単位がくりかえされる。 (トロープス) 3、音響上の理由。 残響の多い聖堂等で歌われるグレゴリア聖歌等は、もともと前の音が次の音にかぶさるため、もともとポリフォニー的性格を内包していた。そこから、より美しく響く音を、自然に重ねるようになった。 ☆ 上記のうち、ヒルデガルトの聖歌は、セクエンツィアのおはこ、 「シンフォニア」、「オルド・ヴィルトゥトゥム」等、すばらしいCDが出ています。(DHM) 以上のような要因が複雑に重なりあって、ポリフォニーの原型が形成され、それにともなって、記譜法も発達、 11世紀になると、スペインや南フランスの、どちらかというと地方の聖地を中心に、 いまわたしたちが聴くことのできるポリフォニーが、ほとんど同時に大発生します。 これが、いわゆる初期ポリフォニー。 音楽の源、素朴すぎるほど素朴だけど、清冽な泉のように美しい、原初のポリフォニーです。 ☆ 初期ポリフォニーには、いくつもの写本が、南ヨーロッパ各地に伝わっていますが、 そのうち、スペインのカリクトゥス写本には、セクエンツィアの名盤があります。 (DHM) ▽ 最初期のセクエンツィアとトロープスのネウマ譜。 さて、このように、南ヨーロッパの聖地に同時発生したポリフォニーですが、 その後、各聖地への巡礼の道を逆行するようにして、徐々に、当時の文化の中心、パリへと伝わっていきます。 折りしも、この頃の南ヨーロッパでは、教会音楽以外の、民衆レヴェルの宗教音楽もさかんになっていました。 聖母マリアの巡礼歌=カンティガ、 その他、もろもろのマリア崇拝の音楽、 各街々の典礼劇の音楽、等々です。 初期ポリフォニーは、これらの音楽が花開き始めた巡礼の道をたどっていったわけですから、 当然、それぞれがそれぞれに影響を与え合いました。 すなわち、 民衆歌の奔放さ、自由さが初期ポリフォニーに、 初期ポリフォニーの新しい技巧が民衆歌に。 それぞれが、新しい魅力を与えられ、より高度なものになっていきます。 つまり、カンティガ等の民衆の歌は、それ自体とびっきり魅力的ですが、 初期ポリフォニーをパリへ運ぶ媒体、という、音楽史上極めて重要な役割をも担った、 と、いうことですね。 ☆ 残念ながら、セクエンツィアのカンティガのCDは、知りません。 少なくとも、わたしは聴いたことがありません。 でも、そのかわり、マリア崇拝の音楽に、すばらしいCDがあります。 「ボルデスホルムのマリアの嘆き」(DHM) (少し後年の音楽になりますが) さて、当時、パリでは、ノートルダム大聖堂に象徴されるゴシック文化が全盛でした。 パリに集約された初期ポリフォニーは、ゴシック文化に吸収され、さらに加速度的に進化していきます。 宗教音楽とはまた別に、独自の発展をとげていた、 宮廷詩人、吟遊詩人の愛の歌、トルバドゥール等の影響も、これに加味されます。 ☆ トルバドゥールにも、セクエンツィアのすばらしいCDがあります。 「ダンテとトルバドゥール」(DHM) そして、いよいよ、世に言うノートルダム楽派、 史上最初の大作曲家、レオニヌス、ペロティヌスへとつながるわけですが・・・・、 少し長くなってしまいました。 ほんとは一息にデュファイまでいくはずだったのですが・・・・。 当面必要と思われるところまでは書いたので、とりあえず、今回はここまで。 ここまでを前半として、その後は、近いうちに後編として、まとめたいと思います。 |
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バッハの源流への旅・その10-2〜さらに中世へ・セクエンツィアの名盤でたどる今後の旅の道標(後編)
今後の中世音楽への旅の道標となる、駆け足中世音楽史。 (3分でわかる?中世音楽の流れ) 中途半端なままになっていて、申し訳ありませんでした。 その続き、後半を、おしまいまで一息に書いてしまいましょう。 ...続きを見る |
♪バッハ・カンタータ日記 〜カンタータの... 2007/08/12 12:39 |
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こんにちは。七夕の日の記事一つ一つ共鳴し、喜びを持って拝見させて戴きました。 実は私も、グレゴリアなどの単旋律の中世音楽の時代は、西洋音楽の歴史のスタートでは無かったんじゃないかな? と感じておりました。 |
fiore musicale 2007/07/09 13:10 |
追伸:一本の美しい絹糸のような音楽がその響きで2本になり3本、4本、5本。。。とどんどん止まる事を忘れたかのような横の響きと申しましょうか? |
fiore musicale 2007/07/09 13:11 |
すみません、もう一つ書き忘れていました^^;; |
fiore musicale 2007/07/09 13:22 |
fiore musicaleさん。いつも、あたたかいコメントをいただき、ありがとうございます。 |
Nora 2007/07/10 16:33 |
わたしも、追伸です。 |
Nora 2007/07/10 16:36 |
そのように仰っていただけて恐縮です^^; |
fiore musicale 2007/07/11 22:31 |
>11世紀になると、スペインや南フランスの、どちらかというと地方の聖地を |
aosta 2007/09/27 12:57 |
aostaさん、こんばんは。 |
Nora 2007/09/27 22:02 |
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