♪バッハ・カンタータ日記 〜カンタータのある生活〜

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zoom RSS 三位一体節後第1日曜日+きちんと曲目解説〜年巻の始まり。この機会に用途不明テキストカンタータの名作を

<<   作成日時 : 2008/05/24 01:25   >>

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 「カンタータ年巻」の始まりにあたってのごあいさつ。
+暦の区切りのこの機会に、用途不明の傑作テキストカンタータの数々をご紹介。
 (BWV97、117、192)




▽ 東京国立博物館のユリノキの巨木。
  写真だとわかりにくいですが、博物館の壮大な建物を覆い隠すかのような巨体全体に、
  オレンジ色のチューリップみたいな満開の花を咲かせていました。 

画像




 みなさん、こんにちは。 



 教会暦も、ちょうど一区切り。
 先週で、大きな祝祭日もひととおり終わり、前半終了、
 これからは後半、祭日名も、三位一体節後第〇日曜日、というふうになります。


 実は、バッハのカンタータファンにとって、この区切りは、それ以上に、大きな意味を持つものでもあります。

 というのも、バッハは、ちょうど今の季節にライプツィヒにやってきて、カンタータの作曲、上演を始めたので、
 バッハのカンタータの「年巻」(=1年分のセット)が、始まるのが、ちょうど、この時期からなのです。
(バッハのカンタータ年巻としては、初年度の第1年巻、2年目の第2年巻のみ存在。
 よく3年分存在すると言われるカンタータの残りの1年分は、初期から晩年にいたる様々な時期のカンタータです)


 これまで何度も書いてきましたが、
 バッハは、カンタータの年巻を、ひとつの大きな「作品」と考えていたようです。
 これを「作品」と考えた場合、「カンタータ年巻」は、あのロ短調ミサにも比肩し得る、バッハ最大最高の大芸術、と言ってもよいと思います。
 まるまる1年間、四季折々の表情で、わたしたちの生活全体を、包みこんでくれる大芸術。


 これまで、教会暦にそって、カンタータを聴き、
 生活の中で、季節感あふれるバッハの音楽を楽しんでいきましょう、と、お誘いしてきました。

 教会暦は12月の待降節から始まりますが、
 教会暦にそったカンタータ鑑賞を始めるには、今がちょうど、それに次ぐ、チャンスでもあります。
 特に、「カンタータ年巻」をまとめてじっくり鑑賞していくには、絶好のチャンス。
 この機会に、バッハ最大の作品、「カンタータ年巻」全曲を聴きとおしてみるのもいいかもしれません。

 今後も、可能なかぎり、毎週、カンタータのお知らせを続けていき、気が向いたら内容についても書いていきたいと思いますので、よろしかったら、ぜひおつきあいください。



 と、いうわけで、

 今度の日曜日(5月25日)は、三位一体節後第1日曜日。


 カンタータは、

 第1年巻のBWV75
 第2年巻のBWV20
 後期のBWV39

 の3曲です。



 カンタータ年巻開始に関連し、バッハの Overture (管弦楽組曲)にも焦点を当てた昨年の記事は、こちら

 BWV20を含む、コラール・カンタータ年巻開始の4曲に関する特集参考記事は、こちら

 ちなみに、過去の、年巻開始のごあいさつは、こちら



  *    *    *



 さて、今日は、先週ちらっとお知らせしたとおり、今週のカンタータとは別に、ちょうど今のような暦の区切りでないと、なかなかご紹介しにくいカンタータを、何曲か、ご紹介したいと思います。

 題して、
 「たまにはきちんと曲目解説・用途不明のテキスト・カンタータ編」

 副題、
 「これを読めば、テキスト・カンタータとは何か、がわかる。
    〜至高の実例、怒涛の3曲同時ご紹介、付。(BWV117、192、97)」
 
 


 前述のように、バッハは、カンタータの年巻を、ひとつの巨大な作品と考えていました。

 特に、トマスカントル就任2年目、1724〜25年のシーズンに、徹底して「コラール・カンタータ」(☆)の手法を貫いて作曲し続けた「コラール・カンタータ年巻」(第2年巻)については、その傾向が顕著です。
 そのシーズンに、バッハはほとんど毎週毎週、新作のコラール・カンタータを作曲・上演し続けたのですが、何らかの理由でやむをえず穴を開けてしまった祝祭日のための曲を、後年、カンタータをほとんど作曲しなくなってからも、あるいは、作曲したとしてもまったく自由な手法によるようになってからも、生涯にわたって、徹底して「コラール・カンタータ」の手法により作曲し、年巻を補完しようとし続けました。
 つまり、この「コラール・カンタータ年巻」こそ、バッハの生涯の全盛期が刻印されていると同時にバッハが生涯にわたって完成させようとし続けた、そんな生涯最大最高の作品、ある意味、音楽史上空前の大作というべものなのですね。

 ところが、です。
 この後年になっての補完時には、かつて、1曲のコラールから見事に全曲を構成してみせた歌詞作者(ピカンダーと並ぶバッハ最大のパートナー。それが誰であるかはバッハ最大のなぞの一つ)は、もう、存在していませんでした。
 そこで、バッハは、どうしたか。
 なんと、バッハは、もう歌詞を用意することさえやめてしまって、
 コラールの全詩節を、そのままカンタータの歌詞にする、という、かなり乱暴な手段をとりました。
 つまり、既存のコラールに、そのまま曲をつけたのです。

 このようなカンタータを、特に、
 「テキスト・カンタータ」(=コラールの全詩節をそのままテキストとするカンタータ、の略です)
 と、呼んでいます。


 この場合、歌詞はコラールですから、当然さまざまな制約が生じるはずなのに、(レチタティーボなどもつけにくい)
 実際には、どの曲も、晩年のバッハの自由な心と、円熟しつくした作曲技法とがそのまま投影された、正に、自在の境地の神品、というべきものになっています。

 逆に、歌詞がコラールそのものであるがゆえに、(当然ドイツ語ではありますが、)まるでミサなどのラテン語作品にもつながるような、広々と拡散した印象の、普遍的な音楽になっている、と言えるのかもしれません。

 そして、もちろん、あのバッハの後期作品ですから、後期ならではの精緻極まりない、複雑な要素が多々見られるにもかかわらず、なぜかすべてがさらっとして、すきっとして、そしてのびのびしている。

 どの曲もみな、大傑作。
 奇跡のような作品群です。


 1724〜25年のシーズンに、バッハがコラール・カンタータを作曲しなかった理由のほとんどは、本人が不在だったり、そのシーズンに当該祝祭日がなかったり、と、ほんとうに、たまたまの偶然ばかりなのですが
 その偶然のおかげで、晩年、カンタータににまったく関心を示さなくなってしまった後の、かけがえのない貴重なカンタータを聴くことができるわけです。


(注☆) コラール・カンタータ

 音楽についても、歌詞についても、ひとつのコラールを徹底して掘り下げ、あらゆる作曲技法を駆使することによって発展させて、全曲を構成する、という手法によって作曲されたカンタータ。

 コラールカンタータ年巻(第2年巻)にも、実に様々なタイプの曲が含まれますが、
 この、たった1曲のコラールから全曲のすべてがなりたっている、という1点のみは、何があっても頑なに守られています。

 コラールカンタータについての詳細は、こちら

 なお、テキスト・カンタータを含む晩年のカンタータについては、こちらをご参照ください。



 と、いうわけで、
 テキスト・カンタータは、ピカンダー・カンタータルードシュタット詩歌シリーズなどと並ぶ、後期〜晩年のバッハを代表する、何物にも変えがたい、宝物のようなカンタータなわけですが、
 実は、一つ、大きな問題があります。

 バッハの教会カンタータは、たいてい歌詞などから用途を特定することが可能なのですが、
 テキスト・カンタータに関しては、前述のように、歌詞=ただのコラールであるため、何のために使用したカンタータか、特定しにくい場合が多いのです。

 したがって演奏される機会もほとんど無く、
 たいへんな名曲であるにもかかわらず知られてもおらず、
 当然CDも全集盤くらいしかない、
 ということになります。

 とっても残念。
 そもそも、カンタータがあまり一般的でないこと自体、たまらなく残念なのに、その中でも特別に残念。
 バッハ晩年の手による人類の至宝といってもよい音楽なのに、ほとんど聴くこともできない。
 こんなことがあっていいでしょうか。

 かくいうわたしも、教会暦にしたがってカンタータを聴いてきたこともあり、これらの作品を聴くのは、一番後回しになってしまいました。

 BWV117など、ようやく最近、S君さんのコメントをきっかけに再発見し、そのあまりのすばらしさに、今ごろになってどっぷりとはまっている有様です。

 このカンタータ日記においても、暦ごとにカンタータをご紹介しているため、これまで、これらのカンタータには、ほとんど触れる機会ことがありませんでした。
 今後も、なかなか触れるチャンスは無いかもしれません。


 そこで。

 暦の区切りのちょうど良い機会なので、それらのテキスト・カンタータの名曲のいくつかを、ここでご紹介しておこう、と、いうわけです。

 みなさん、聴きなれない曲ばかりだと思いますし、CDもなかなか無いですが、
 ぜひ記憶にとどめていただき、機会があったら、きっとお聴きになってみてください。

 すべて、折り紙付の大名曲です。
 保障します。もっともわたしの保証など何の役にも立ちはしませんが。



▽ ユリノキの花。

画像




 カンタータ第117番 「至高の善なる者に、賛美と栄光あれ」 BWV117


 現時点でバッハの最後の教会カンタータは、ヨハネの祝日のオラトリオとも言うべき名作中の名作、BWV30ですが、
 そのBWV30とも並ぶような、規模、曲の雰囲気、ともによく似た、大傑作です。

 こんな名曲が、こんなところに埋もれていたとは。

 以前何度か聴いたことはあるはずなのですが、特に印象に残っていませんでした。
 今回、S君さんのコメントをきっかけに改めて聴いてみて、びっくり。こんなに良い曲だったとは・・・・!
 わたしはこれまで何を聴いていたんだ。(これは、いつもは、S君さんお得意のせりふ・笑)


 この「テキスト・カンタータ」、もとになるのは、シュッツの同名の名コラール。
 つまり、その全節に、そのまま音楽をつけたもの。


 冒頭合唱の、木管主体の明るい響きを聴いたとたん、たちまち、どこまでも晴れやかな、スカーーーーッとした清々しい気分になります。

 以下、全曲にわたって、木管が活躍。
 この曲、バッハの木管セレナーデ、とも言ってもいい音楽なのです。


 この冒頭合唱の後、魅力的なアリアとレチタティーボが続きますが、どの曲も、コラールの各節の最後リフレインの部分を明るく強調。
 したがって、バッハお得意のロ短調で始まる、いつものしっとりとさびしげなバス・アリア(第6曲)も、最後には、力強く確固とした歌になり、
 レチタティーボ(第2曲)も、途中から明朗な舞曲調になります。
 S君さんは、レチタティーボでさえ、がまんできずに楽しげに踊りだす、とおっしゃっていますが、まさにその通り。

 その明るく楽しい音楽のクライマックスは、第7曲のアルト・アリア

 まばゆいばかりの舞曲アリア。
 このブログをいつも読んでくださっている方は、なんだまたか、と思われるかもしれませんが、ここでのバッハは、一味ちがいます。
 
 いつもは、必ずメロディー以上に雄弁な対旋律が、ここでは、何と、ほとんど沈黙し、主旋律をなぞるか、多少の装飾を加えるのみ。
 あのバッハの曲なのに、ですよ。
 あくまでも単なる伴奏にとどまり、バッハ先生、どうしたことか、無条件に明るいメロディーを、ただただ陽気に歌い続けるばかり。
 ストレートな直球勝負。

 カンタータ掲示板には、モーツァルト、さらにはそれよりも後の音楽を思わせる、とお書きになった方もいらしゃいましたが、この対旋律の伴奏化も、その大きな原因でしょう。

 ま、まぶしい。まぶしすぎる。(わたしには)


 その他の特徴としては、雰囲気のちがう曲を交互に配列して多様性を持たせ、(前記のように同一曲の中でも感じを変えたりもしている)
 歌詞がただのコラールであることから来る単調化を避けようとしています。

 ただ、さりげなく、多くの曲に、コラールに基づく素材を使用し、音楽面での「コラールカンタータ」ならではの統一もきちんと図っており、
 バッハ先生、いつもながら、なかなか心にくい。

 その統一の最後の駄目押しとして、終曲には、冒頭のあの明るく澄み切った音楽がそのまま回帰し、
 この曲の突き抜けた明るさを決定的なものにして、全曲を閉じます。


 この、一見何でもないような音楽には、やはり、一見まったく何でもないようなレオンハルトの演奏を。

 いつもの、レオンハルトの、ひどくそっけないようでいて、実はあらゆるものを超越してしまっている、言わば、ポッカーン、と突き抜けたような演奏こそが、この曲にはふさわしい。

 ちょっと聴くと、ほんとうに何でもない曲であり、演奏ですが、聴けば聴くほど、その悲しいくらいに明るい美しさが、ひしひしひしひしと、胸に迫ってくる曲であり、演奏。
 一点の曇りも無い青空が、心の中いっぱいに広がっていくかのようです。


 それにしても、このようにかけがえのない価値を持っていながら、なかなか気がつきにくい音楽について、共通の認識を持って語り合える、というのは、何て幸せなことなのでしょう!


(ただ、レオンハルト盤は、終曲に、第4曲の単純な4声コラールがくりかえされます。
 カンタータ掲示板で、これは、旧全集版を使用したためである旨、教えていただきましたが、これはこれで、いいな。)



 カンタータ第192番 「いざや諸人、神に感謝せよ」 BWV192


 テキスト・カンタータは、バッハのカンタータという巨大な山の中でも、その「奥の院」とでも言うべき作品群ですが、
 このBWV190番台のBWV192は、その中でも、最奥のさらに奥深くに、決して誰の目にも触れることの無くひっそりと湧き出ずる泉のようなカンタータ。

 はるばるここまで訪れる人は、ほんとうに少ない? 


 これもやはり何でもないような音楽なのですが、
 まったくまじりけのない、どこまでも純粋な音楽。
 何物にもとらわれない自由の境地が産み出した、幽玄の極み、神品です。

 淡く透明な光を放つ、あるいはもはや光そのものと言ってもいいような、「天のコンテェルト」。
 3楽章の構成も、コンチェルトそのものです。


 コンチェルトというと、宗教曲からはかけはなれてるようなイメージがありますが、
 このコンチェルトも、れっきとしたコラール・カンタータ。
 BWV117もそうでしたが、このコンチェルトでさえも、たった一曲のコラール、つまり賛美歌から、のびやかな枝を伸ばし、瑞々しい葉をしげらせ、美しい花を咲かせたものなのです。
 これが、よく「植物」にたとえられるコラール・カンタータ(この場合、テキスト・カンタータ)の神髄。


 きらめく分散和音に全編を彩られた、冒頭大合唱
 澄んだ合唱フルート×2、オーボエ×2の豪華管楽器陣が、明るくのびやかな合唱の周囲で、絶えず明滅を繰り返しながら歌い交わします。

 やわらかな微光をおびた風を思わせる、どこまでも透き通った弦+管のオブリガートに包まれて、ソプラノとバスが親密な対話を繰広げる第2曲

 コラール旋律から派生したジークのリズムのオブリガートに乗って、コラールが高らかに歌われる、
 まるであのBWV147のコラールをさらに舞曲化したような終結コラール


 こうして聴いて見ると、まさにコンチェルトそのもの。
 こんなにステキなコンチェルトが、こんなところに、大切に大切にしまいこまれていたとは・・・・!
  

 ただ、この曲についても、よくあるように、テノール・パートが欠落しています。
 ただ、楽想そのものが、すでに微動だにしない美の極致とも言える完成度を獲得しているので、それほど気にはならない。


 また、実は、この曲、後期のバッハ作品らしく、第1曲、第2曲に、二重対位法をはじめとする高度な対位法技法がふんだんに投入されております。
 二重対位法というのは、混同されがちですが、単なる二重フーガとは異なり、なんでこんなことが必要なんだ、と思うような非常にややこしいもの。
 でも、その技法を思う存分使用した結果であるこの曲は、まったくそれを感じさせない自由さ、自然さを獲得しているばかりか、得も言われぬ格調のようなものがある。

 バッハがなぜ、あんなにも、音楽言語や数学的要素、対位法技法などにこだわったのか、常人にはほとんど理解しがたい部分がありますが、それらにこだわることによって、(実に不思議なことに)最高の結果が導き出されている最高の例、ということができます。


 CDは、リリングの名盤。
 このような純粋な音楽には、やはりどこまでも純粋な、リリングの演奏がふさわしい。



 カンタータ第97番 「我がなすすべての業」 BWV97


 さて、テキスト・カンタータの中の最高傑作と言うべき名品が、このBWV97です。
 つまり、バッハの全カンタータの最高傑作の一つ、と言ってもよい、ということ。

 このようなレベルの曲になると、もはや細かい理屈はいらないでしょう。

 もとになるコラールは、フレーミングの同名コラール。
 すなわち、メロディーは、あの名高い「インスブルックよ、さようなら」の美しい旋律。

 全曲、このコラールの詩を使用していますが、メロディーがそのまま登場するのは、両端楽章のみです。

 この両端楽章における、あの名旋律の最高とも言える展開。

 そして、その両端楽章にはさまれた、正にアリアの花園と呼ぶにふさわしい、夢のように美しいアリアの連なり。
 (何と、5曲)

 それが、この曲のすべて、です。


 冒頭大合唱、音楽が進むにつれ、じわじわと心が満たされていくような、最高のフランス風序曲が、あの「インスブルック」のコラールを導き出します。
 そして、くりひろげられるのが、何と、あの「インスブルック」による、世にも美しく、のびのびとしながらも精緻きわまりない大フーガ。
 「インスブルック」を使用した曲は多いですが、最高の編曲ではないでしょうか。


 その後に続くアリア&レチタティーボは、正に百花繚乱!

 ソプラノからバス、デュエットまで。器楽のオブリガートも、バッハお得意のVnソロ、2本のオーボエから、ストリングス、bcのみまで、曲調、調性も実にさまざま、

 実にバラエティに富んだ、バッハの最高とも言えるアリアが綿々と続き、ほんとうに、果てしなく続く花園に遊ぶ思いです。


 その中でも、最高最美なのが、何と言っても、第4曲、Vnソロがオブリガートのテノール・アリア

 昔、まだカンタータなどほとんど聴いたことが無かった頃、パールマン&バトルのソプラノ・アリア集を聴きました。
 そこに並ぶ錚々たる名アリアの中でも、最も美しく、印象に残った曲のひとつがこれでした。
 こんな美しい音楽がこの世に存在するのか、と感動し、さぞや有名な曲なんだろうな、と、思いました。
 でも、誰に聞いても、こんな曲は知らないし、調べようとしても、どこにも何も書いてない。
 いったい、これは、どういうこと?
 ということで、これが、カンタータ探求の旅の一つのきっかけにもなりました。

 原曲は、テノールですが、もちろん、原曲も美しい。

 特に、このアリアのオブリガート、これは、バッハが書いた最も美しいオブリガート旋律ではないでしょうか。
 またか、とお思いでしょうし、おそらくもっと美しいオブリガートがあるにちがいありませんが、
 今はホントにそう思うのだから、しかたない。


 それにしても、これらのアリアも、すべて一つのコラールの歌詞につけられた音楽なのだから、驚き。


 そして、アリアの後は、お決まりの終結コラール
 もう一度、「インスブルック」を高らかに斉唱。

 実に見事な4声編曲が施されていますが、自由な動きを持ち、からまりあいながら高く高く舞い上がる弦の伴奏付。つまり、計7声の、堂々たる「インスブルック」です。


 おおぜいの、歌、器楽のソロが必要なこの曲には、東欧を代表するすばらしい歌手、奏者のそろった、リリング盤。



 うーん。こうして書いてみると、この3曲、ほんとうに、すごい。
 これらテキスト・カンタータが、束になってきたら、あのロ短調ミサもかなわないかもしれない。

 と、いいつつ、冷静に考えてみると、決してそんなことはないのだけれど、
 まあ、それほど、すごい曲だ、ということ。
 


▽ すべてはたった一つの種子から

画像




 なお、テキスト・カンタータには、その他もちろん、用途のはっきりしているものもあります。
 これらも、当然のごとく大名曲ばかり。
 先週の三位一体節のBWV129などもそうで、昨年の記事に概要については書きましたが、
 これらの曲については、また、当該祝祭日の記事で、触れていきたいと思います。



 おしまい。
 つかれた。



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コメント(7件)

内 容 ニックネーム/日時
>この曲、バッハの木管セレナーデ、とも言ってもいい音楽

まさに言い得て妙ですね。117番は私にとっても大きな収穫でした。それにしてもNoraさんのこのブログは本当に勉強になります。これからも皆さんの良き指針になってくださいね。

さてカンタータは結構聴いてきたようでいて、初めて聴くような曲もまれにあります。そんな時の新鮮な感動は何ものにも替えがたいですね。どんな名曲カンタータであっても聴き過ぎれば感動が薄れてくるものです。いっそのこと、記憶を消すマシーンがあって、今まで聴いてきたカンタータの記憶を消去できたら良いのに…。そうしたら聴くカンタータのすべてが新鮮に、そして感動的に響くことでしょう(笑)。

でも聞き込んではじめてわかるものもあるので一概には言えないでしょうが。今日は192番を聴きました。これは何度か聴いたことがあります。でもNoraさんの解説を読んで聴くと、さらに曲の深みが見えてきて感謝でした。
S君
2008/05/26 19:33
「バッハ・ミーツ・グバイトゥーリナ」という新譜CDをミュージックバードで聴きました。バッハのVN協奏曲No1,2番の後に、グバイトゥーリナのVN協奏曲が入っています。演奏はムター他。

前半のバッハにとても感銘を受けました。ムターの洗練度はすごいレベルに達しましたね。古楽派全盛の中にあって、しっかりモダンのレゾンデートルを主張しています。しっとりとぬれたような情緒があるのですが、かといって変にロマンティックなわけではなく、非常にすっきりとまとまっている。その辺の感覚的洗練のされ具合は、凄みが感じられるほど。

後半のグバイトゥーリナには期待していませんでした。また変な曲かなと思って聴き始めたら、これがまたとても聴きやすくて、しかもかつて聴いたこともないような響きの連続で、まるで「宇宙的」な音楽でした。どのように宇宙的かと言えば、たとえば冒頭で砂金状の天の河がさらさら流れるような響きがあったりとか。途中も宇宙的な茫漠たる巨大な音群が飛び交います。クライマックではそれまで無調なのに突如、調性が沸き上がって感動的に(たぶん?)終わります。まあ、万人にお勧めの曲ではないですが(笑)
S君
2008/05/26 19:56
追加 それにしてもムターは偉いです。現代曲への目配りをいつも忘れていません。
S君
2008/05/26 22:01
 S君さん、こんばんは。

> いっそのこと、記憶を消すマシーンがあって、

 あはは。わたしは何でもすぐに忘れてしまうので、それに近い状況かもしれません。117番も、絶対に何度か聴いたことがあるはずなのにほとんど記憶にありませんでした。
 今回の記事は、カンタータ掲示板でみなさんといろいろ話し合ったことを、自分なりにまとめてみただけなので、ほとんどみなさんからの受け売りと言っていいような気がします。
 117番も、192番も、みなさんからそのよさを教えていただいた曲です。S君さん始め、みなさんには、ほんとうに感謝しています。
 ただ、97番は、記事にも書いたように、147番などをのぞけば、わたしがほとんど始めて聴いた(感銘をうけた)カンタータなのです。
 記事を書いていて、そのあたりがとても興味深く感じられました。
Nora
2008/05/27 00:20
 ムター、よさそうですね。
 諏訪内さん、バティアシュヴィリさん、と聴いてきたので、これもぜひ聴いてみたいものです。
 グバイドゥーリナ???いったいどこの人なんでしょう。(笑)
 調べてみたら、ムター自身が委嘱したようですね。
 「バッハ・ミーツ・・」というタイトルがついているからには、ムター自身、何か関連付けて考えているのかもしれませんね。
 いずれにしても楽しみです。
Nora
2008/05/27 00:26
こんばんわ。
こちらの記事、かなり印象的だったのですが、あらためて見てみると、もう4年以上前の記事なんですね。
今日、たまたま聴いていたメンデルスゾーンの『讃歌』からコラールを通じてBWV192につながり、こちらのページを拝見させていただきました。
そして偶然、今日は「宗教改革記念日」でした(^^)。
そんなことをブログで書いたのですが、いつものようにリンクさせていただきました。
いつもありがとうございますm(__)m
たこすけ
URL
2012/11/01 00:24
 たこすけさん、どうも。
 お返事が遅くなってしまい、すみません。

 たこすけさんの記事を拝見しましたが、1曲のコラールがいろいろなところにつながってほんとうにおもしろいですね。おっしゃるように、次々と新しい発見があります。
 BWV192と、たこすけさんの記事に出てきたBWV252(BWV250、BWV251とセット)を改めて聴いてみましたが、どちらも後期ならではの、スケールの大きい、突き抜けた明るさを感じさせる名曲だと思います。
 まったく目立たない曲ばかりですが、こういう曲を聴いていると、バッハのすごさ、バッハを聴く喜びがじわじわと感じられます。
 バッハのことを、堅苦しいイメージだと思ってる方に、ぜひ聴いてほしいですね。 まあ、宗教曲で、もとになってるのはコラールなので、それだけ考えるとまちがいなく堅苦しいんですけど。(笑)
 おかげさまで、わたしも、さまざまな曲の魅力を再発見することができます。
 ありがとうございます。
Nora
2012/11/06 13:05

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