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今度の日曜日、7月20日は、三位一体節後第9日曜日。 カンタータは、 第1年巻、BWV105、 第2年巻、コラールカンタータのBWV94、 後期のBWV168。 いずれも名作ばかり。特に、BWV105などを聴くと、夏本番、という気分になります。 関東地方も、そろそろ梅雨明けかな。 昨年、BWV105などについて、けっこう、というか、異様にくわしく記事を書いていますので、どうぞご覧ください。 ▽ 公園のユリノキ ▽ せみが鳴き始めた * * * ところで、最近、先日記事に書いた、レオンハルトのCDボックスがきっかけで、BWV27にはまっています。 近日リリース予定のヘレヴェッヘの新譜にもはいっているので、楽しみにしてるのですが、なかなかショップには並びません。 待ちきれずに他のいろいろなCDを聴きなおしているうちに、あらためてこの曲のすばらしさに感銘を受けましたので、今日はこの曲をご紹介したいと思います。 カンタータ第27番 「だれぞ知らん、我が終わりが近づくのを」 (BWV27) このカンタータ、三位一体節後第16日曜日用のもの。 まだまだ先のもので、今週のカンタータとは関係ないのですが、普遍的な内容を持つ名曲ですし、人気のあるヘレヴェッヘのCDもリリースされますので、まあ、解説がわり、ということで、書いてしまいます。 ところで、大バッハは、いろいろな意味で、最後の「職人作曲家」ですから、実際の生活や生き方が、ものの見事に、ストレートに作品に反映されている場合がよくあります。 作品にちょっと変なところがあるので調べて見ると、実生活でも、必ず何らかの変化が起こっている。(というより、「事件」を起こしていることが多い・笑) 従って、特にカンタータを聴くことは、バッハの生涯そのものに接することだと言えるわけですが、 このBWV27も、正に、その典型的作品です。 バッハの人と成り、作曲された時のバッハの日常生活の状況などと照らして、あれこれ想像しながら、曲の概要をみてみましょう。 この祭日の福音章句は、有名な、ナインの若者の甦りの物語。 この日のためのカンタータは、死そのものを直接のテーマとし、見つめる内容となります。 このBWV27もそうです。 早くして両親を亡くし、また最初の妻や子どもなど、かけがえのない家族を次々と失っているバッハは、誰よりも「死」というものに、真摯に向き合っている人でした。 そのためか、マリアの祝日などと同様に、この祭日のために、バッハは異様に気合を入れて、渾身の力でカンタータを書いており、 第1年巻のBWV95、第2年巻のBWV8、ともに名曲中の名曲として知られ、これまで記事にも書いてきましたが、 このBWV27も、それに決して劣らない、というか、見方によっては、それらをはるかに上回るような見事な作品ということができます。 なお、このあたりのカンタータは、内容的にとても重要なテーマを抱えているため、実は、ちょっとややこしい部分があります。 したがって、ここでは、歌詞などについては言及せず、単純に音楽的な側面のみ取り扱います。 つまり、始めから、この大作と正面からぶつかるのは避けることにします。御了承ください。 この曲が作曲されたのは、1726年、秋。ライプツィヒ就任後、4年目の秋です。 カンタータ創作においては、もう後期といってよい時期の作です。 ちょうど、ルードルシュタット詩歌選のシリーズが終了。 コラール・カンタータ、ツィーグラー・シリーズ・・・、など、 バッハ先生、トマスカントル就任後、全身全霊をこめて、まるでとりつかれたようにカンタータ年巻の整備に没頭してきましたが、これで、そろそろ一段落。 折りしも、ちょうどこの頃、生活面では、それまで実にさまざまなことで燻っていた市当局との対立が、表面化。 頑固で喧嘩っ早く、特に音楽的なことでは妥協を知らないのだから、しかたありません。 ついに前面対決が始まります。 それと連動するかのように、作品面では、 市当局との取り決めで、「華美な音曲」がきつく禁止されているにもかかわらず、 ソロや独奏楽器の重視、 コンチェルトや器楽楽章の導入、 形式の自由化、拡大、 さらには、極端ともいえる対位法技法の追究、あるいは逆に当世風ホモフォニー様式の先取、 などの特徴が顕著になっていき、 いよいよ、後期バッハならではの、自由闊達な筆致による、豊潤としか言いようが無い傑作、中には教会カンタータなのにもかかわらず、オペラとしか思えないような作品までもが、次々と生み出されていくことになります。 つまり、これは、バッハが、ついに芸術上のキバをむき出しにして、あの「マタイ」へ向けて、具体的に力強い第一歩を踏み出した、ということ。 そして、このBWV27こそ、上記のような各特徴が随所に見え始めた、そのエポックメイキングとも言える作品の一つに他ならないのです。 このBWV27。 何よりも、美しく、感動的。 さらにその上、(あまり指摘されませんが) 以上のようなさまざまな意味でも、とても重要な作品だと、わたしは思います。 それでは、各楽章について見ていきます。 冒頭大合唱 魂を根底から揺さぶるような、「大いなる揺りかご」のリズム。 大きく次々と折り重なる、大地に平伏す様をあらわす下降音型、 「マタイ」を正しく予告する、泰然としたテンポのフルオーケストラの伴奏に乗って、 いつものように、精緻極まりない編曲の施されたコラールが、歌われます。 しかし、この曲の場合は、それだけではない。 あたかも、これから後のカンタータを予告するかのように、 コラール各節の間には、なんと、ソプラノからバスまで、レチタティーヴォ風のモノローグが順番に挟み込まれ、 さらに2本のオーボエ、バッハお得意の愛のオーボエによるリトルネッロまでもが加えられて、 実に多層的で壮大な世界が展開されます。 そして、この多層的世界こそ、マタイのもっとも重要な特徴であることは、言うまでもありません。 この重厚な大合唱が終わると、厳しい色調の 第2曲レチタティーボを経た後、一転して夢のように美しいアリアが歌われます。 第3曲 アルト・アリア 何よりも、キラキラときらめく高音を主体としたオルガン+オーボエ・ダ・カッチャ、という、めずらしい組み合わせのオブリガートが魅力のアリア。 このデュエットが、明るく澄み切った天上の世界をイメージさせます。 正に、天上のデュエット。 あまり他に見ない組み合わせなので、どうしたかと思ったら、 ここにも、バッハの個人的な都合が・・・・。 バッハ先生、オルガニストとしてデビューしたフリーデマンの特訓のために、わざわざ、始めチェンバロだったのを、オルガンに書き換えたらしい。 やりたい放題・・・・。 ちょうどこの頃から、オルガンがオブリガートのアリア、オルガン独奏の協奏曲楽章がやたら見られるようにまります。 まったく、「巨人の星」か・・・・。 でも、そのような、極めて自分勝手な都合によって、 わたしたちは、それまで聴いたことがない、この世のものとも思えぬような、美しい響きの音楽を聴くことができるわけだから、ほんとうにおもしろい。 ちょっとわき道にそれますが、このエピソードからもわかるように、バッハは、基本的に、楽器に無頓着な面がありました。この時期の作曲家は多かれ少なかれ同じですが、バッハは特にそうでした。 もちろん、楽器の取り扱いについても天才的で、色彩の魔術師、と言ってもいいくらいですし、(誰もそんなこと言ってませんが) こだわる時には徹底的にこだわり、楽器そのものにまで象徴性を持たせ、想像を超えるような効果を生み出したりもしたので、反論も多々あるでしょうが、 少なくともわたしには、もうあきれてしまうほど無頓着なところがあったように感じられます。 ちょうどこの少し前から、カンタータに、オルガンと同様に、vcp(スパッラ?・笑)が多用されているのも、たまたまライプツィヒに名人が滞在していたからでしょうし、ある時期のコラール・カンタータに、毎週毎週やたらフルートが登場するのも、同じような理由からです。 とにかく、その場にあるものは何でも使いますし、再演の場合など、その場の状況に応じていくらでも変更します。 わたしたちが、同じ曲でも、CDによっては、さまざまなオーケストレーションや異なる楽器のオブリガートを楽しめるのはそのためですし、 (始めはかなりとまどいましたが) バッハもお気に入りでやたら再演の多い名作ソロ・カンタータ、BWV82などは、SからBまでの全部のソロの版、さらに、オーボエ版、フルート版、と、実にバラエティに富んだ演奏を楽しむことができるわけです。 この点は、晩年のバッハの音楽が、極端な抽象化をたどる萌芽と言えるのかもしれず、 わたしが、バッハの音楽に限っては、どんな楽器のどんな演奏で楽しんでもよい、と、自信を持って言い得る力強い根拠にもなっています。 バッハ自身、自分の作品が、どのような形で演奏されてもびくともしないことを、直感的に感じていたのかもしれませんね。 (ただ、ロ短調ミサ曲など、いくつかのスペシャル×2な作品は別なような気がします. ロ短調ミサ曲などでバッハが行ったパロディは、楽器変更等も含めて、他に選択の余地の無い、究極の編曲、 偉大なる再創造なのだから。 でも、それはまた別な話) 長くなってしまった。先を急ぎます。 アリアの明るい気分をそのままひきつぐかのような、美しくも力強いストリングスに彩られた 第4曲レチタティーボが、次の極めてドラマティックなアリアを導きます。 第5曲 バス・アリア 前アリアとはまったく異なるタイプのアリア。 一応アリアとなってますが、レチタティーボ的な内容をも併せ持った大作。 ゆっくりとした部分と、ドラマティックな激しいリズムのレチタティーボ的部分とがめまぐるしく交錯する、まるで一幕のオペラを見るかのような、極めて劇的な構成。 その点、このアリアも、マタイを予告するようなもの。 しかも、始めのゆっくりとした部分の旋律、「マタイ」終曲のあの子守唄の旋律に告示している。 第6曲 終曲・コラール めずらしく、自作のコラール編曲ではなく、他の作曲家の編曲をそのまま、使用しています。 前半に力を入れすぎて、力つきたか。わたしも力つきてきました。 だけど、明朗で堂々とした五声部編曲は、この大曲をしめくくるのにふさわしい。 CDは、 前述の、孤高の境地のレオンハルト盤、 魂のカンタータ・ツアーの、炎のドキュメント、ガーディナー盤、 が、双璧。 リヒター盤も、曲が曲だけに、マタイ名盤の縮図をみるようでおもしろい。 さて、BWV27については、こんな感じですが、 この他にも、例えば、少しずれてしまいましたが、先々週のカンタータ、BWV107なども、通常からすると、おやっと思う不思議な点があり、なかなか興味深いものがあります。 昨年の記事に少し書きましたので、ぜひ、ごらんになってください。 このように、カンタータは、くわしく見てみると、バッハという音楽史にそびえる巨人の、あまりに人間くさい素顔が、浮き彫りになってきます。 BWV27の1曲だけでも、バッハがぐっと身近になる。 カンタータ、ほんとうにおもしろい。 |
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ヘレヴェッヘの27番他、入荷したみたいですね。発送済みとの案内がきました。連休明けに受け取る手はずをしました。楽しみですねー。いつもながら詳しいレポート。ありがとうございます。明日の朝、27番をレオンハルトで聴いてみます。 |
S君 2008/07/18 20:17 |
出ましたか。ショップにも並んでるかな。 |
Nora 2008/07/19 23:44 |
そうですか、マーラーの3番ですか。吉野さんはあちこちの指揮者から引っ張りだこで、アーノンクール指揮のFl、Hpのための協奏曲でも弾いていましたね。あと、クレーメルトのデュオアルバムがあります。 |
S君 2008/07/21 22:15 |
Noraさん、こんばんは。おじゃまいたします。 |
koh 2008/07/21 22:47 |
S君さん、こんばんは。 |
Nora 2008/07/22 23:25 |
kohさん、こんばんは。 |
Nora 2008/07/22 23:39 |
Noraさん、こんばんは。 |
S君 2008/07/24 22:00 |
>ゆっくりとした部分と、ドラマティックな激しいリズムのレチタティーボ的部分とがめまぐるしく交錯する、まるで一幕のオペラを見るかのような、極めて劇的な構成。 |
S君 2008/07/24 22:06 |
そうですか。ついに、お聴きになりましたか。 |
Nora 2008/07/26 00:25 |
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