♪バッハ・カンタータ日記 〜カンタータのある生活〜

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zoom RSS フーガとジャズは、親戚か?魂のインタープレイ【三位一体節後第21日曜日】

<<   作成日時 : 2008/10/10 20:15   >>

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 自転車を走らせていると、一角曲がるごとに、どこからか金木犀の香りが流れてきます。
 この連休は、いよいよパリーグCS、第1ステージ。
 今年は厳しい戦いが続きましたが、これからが本番。
 気持ちをスタートラインにもどして、がんばれ、ファイターズ!



 今度の日曜日(10月12日)は、三位一体節後第21日曜日。

 カンタータは、
 第1年巻のBWV109
 第2年巻(コラール・カンタータ)のBWV38
 後期のBWV98188
 の3曲です。

 同日の過去記事は、こちらこちら


 BWV188の、テノールの舞曲アリアを聴いてみました。
 まるで、小春日和の陽だまりに、さわやかな秋の風が踊るかのような音楽。
 金木犀の香りがよみがえってきます。
 聴いているだけで、何とも幸福な気分になれます。


 演奏は、今回は、コープマン盤を取り出して聴きました。
 全集の19巻。
 
 このあたりになると、後期の、全集でしか聴けないカンタータがぎっしりとつまっています。
 それほど知られて無い曲ばかりですが、わたしにとっては正に宝箱。

 コープマン独特の明朗な表現も、バッハ後期の自由な作風にぴったりです。
 BWV188もそうですが、オルガン独奏のシンフォニアなどがついた曲も多いので、
 これらのCDは、コープマン独奏の、何ともぜいたくな「知られざる協奏曲集」としても楽しめます。 


 BWV188の、美しいアリアについては、今年の春に、「お気に入りのアリア」シリーズとしてご紹介しています。

 こちら

 BWV188の作詞者(と思われる)ピカンダーについては、こちら



  *    *    *



 さて、今週のコラール・カンタータ、BWV38などにも、フギリア調の古風なモテット、3重唱のアリアなど、すばらしい対位法の極致ともいうべき楽章がありますが、
 今回のメインは、対位法とジャズのお話。


 先月のCD紹介の記事で、

 BACH COLTRANE

 というアルバムをご紹介しましたが、それを改めて聴いていて、ぼんやりと考えたことがあるので、少しだけ。

 先月の記事をご覧になった上で、お読みくださるとうれしいです。こちら


 その時にもちらっと書いた、わたしの持論、カンタータ=ジャズ説を、ほんのちょっとだけ推し進めてみました。



 すでに概略を書いたように、、
 このアルバムの第1曲目は、マンフレッド四重奏団が、フーガの技法の第1曲を楽譜どおりに全曲きちんと演奏して、そこに、アンベールさんがサックスのアドリブをかぶせます。

 すなわち、これは、他ならぬ大バッハ自身と、

 ジャズでいうところの
 「インタープレイ」
(=音楽的対話。単に、伴奏をつけたり、リズムを刻むのでなく、プレーヤーたちが、まったく異なる独立した存在(声部)として、よりそったり反発しあったりして影響し合い、音楽を形作っていく手法)

 をしようとしているのでしょう。
 
 いきなり、基本テーマの反行形で入っていくあたり、なかなか研究していて、意気込みや、真剣度も十分感じられて、なかなか好感が持てます。


 ところが、前回も書いたように、聴いていくうちに、(わたしの場合は)だんだんと、サックスの音がじゃまになってくる。
 もちろん、厳かな四重奏の上に、残響豊かなサックスが朗々と鳴っているので、音響面や雰囲気面では、なかなか、スピリチュアルな音楽として最高、と感じる方がいてもおかしくはないと思います。
 ただ、純粋に音楽面だけで見た場合は、やはりじゃまな気がする。

 それは、アンベールさんのアドリブが見当違い、というのではなく、
 ひとえに、バッハのフーガが最高度に完成されていて、まったく他のものがつけいるスキがないからに他なりません。
 もともと無茶をしようとしているわけです。

(バッハの作品はただでさえ完成度が高いのに、それが、晩年の前人未到の技法の投入された「フーガの技法」なのだから、なおさら)

 そして、この場合のバッハの作品は、単に、モノフォニーの音楽、例えば美しい歌としてとして完成されているのではなく、
 当然、フーガ、すなわち、いくつもの声部が互いに歌い交わすポリフォニーとして完成されているわけです。



 さて、ここで、いつも感じていることが、また、確かな実感として湧き上がってきました。

 バッハのフーガ、対位法音楽は、インタープレイなのではないか。

 バッハはいつも、、その巨大な人格によって、個人の精神の中で、インタープレイを試みているのではないか。

 それが、誰と誰の、あるいは、何と何のインタープレイなのかはわかりません。
 ただ、それは、あまりにも高度で、ものの見事に高次元で完成している・・・・。
 そしてその「対話」に触れて、わたしたちは感動する・・・・。



 ちょうどそのことを裏付けるかのように、「フーガの技法」オリジナルの原曲では、この後、アンベールさんががバッハと「対話」しようとして吹いた、基本テーマの反行形やら何やらが次々と登場し、すさまじい世界がどんどん広がっていく。
 
 ちょうど、このCDでも、中盤にまた、「フーガの技法」の第9曲が演奏されます。

 こちらは、即興が加えられず、そのまんま演奏されるのですが、続けて聴いてみると、原曲だけで、ジャズのインタープレイそのもののように感じられるのです。



 また、このCDには、その他にも、このことを裏付けるようなすばらしい例があります。

 あの有名な、コンチェルト BWV1056のラルゴ。
 あのせつなくなるくらい、美しく、かわいらしい音楽。

 始め、オルガンのロッシさんソロの、楽譜どおりの演奏。
 その次に、独奏器楽パートがごっそり取り除かれた、伴奏+通奏低音の上で、今度は、アンベールさんがアドリブを吹きます。
 これが実に味わい深くてすばらしい。

 こちらの方は、前述の絶対的完成の上にさらに1声部加えようとしたフーガの技法と異なり、見事な「インタープレイ」が成り立っています。

 だとすると、です。
 始めの原曲の方も、バッハが一人で作り上げた、「インタープレイ」と言えるのではないか、
 というわけ。

 このコンチェルトなどは極めて単純な例ですが、これをもっと複雑にしたのがフーガなどであり、その究極の作品が「フーガの技法」なんかなのではないか、と思うのです。

  

 中世やルネッサンス初期の巨人たちから、バッハへと連なる対位法音楽の山脈。
 フーガを始めとする、それらの対位法音楽を聴いて、なぜ、わたしたちは感動するのか。

 このブログでも問い続けてきた永遠のテーマですが、
 意外なところ、例えば今日書いたみたいに、ジャズなどの身近なところにこそ、その秘密があるのでは、と思う今日この頃です。

 「フーガの技法」などは難解だ、などとよく言われます。
 個人的には、フーガの技法や古いポリフォニー音楽の魅力に通じる鍵も、このあたりにあるような気がするのですが、どうでしょうか。



 ちょっと内容がしょぼい上に、尻切れトンボになってしまいましたが、今日はここまで。
 正直に申し上げると、以上、単なるその場の思い付きです。

 またいつか、掘り下げることにします。



 最後に、ちょっとつけたし。



 本家本元の、ジャズのインタープレイの究極の名盤も、ちょっとご紹介しておきましょう。

 パット・メセニーなども、インタープレイの鬼、といってよい人で、この前ご紹介したCDなど、インタープレイの極限の姿と言ってよいものです。

 と、いうわけで、あげだしたらきりがなく、それこそ山のようにあるのですが、

 真っ先に思い浮かぶのは、やはり、これ。


 テイルズ・オブ・アナザー

        ゲーリー・ピーコック(+キース・ジャレット、ジャック・ディジョネット)


画像



 そうです。ピーコック名義ですが、クレジットを見ておわかりのとおり、これは、あの「スタンダーズ・トリオ」。
 この3人が初めて顔を合わせ、いきなり、それまで誰もなしとげられなかったような驚愕の「インタープレイ」を見せた、記念碑的な1枚です。
 ここでの唯一無二の出会いが、後の、ジャズ史上に燦然と輝く、「スタンダーズ・トリオ」シリーズに発展したのは、みなさんご承知のとおり。



 それから、インタープレイと言えば、魂のインタープレイとも言うべき大傑作が、先週ご紹介したアルバムにもありました。

 サントラ 「ナビィの恋」のラストの、マイケル・ナイマン&登川誠仁の共演です。

 誠仁大先生の、もはや付け加えるものなど何も無いような、堂々たる、島唄 「下千鳥」に、
 ナイマンが、心からにじみ出たような美しいモノローグをかぶせている。
 このかぶせ方が、実に、神がかった、としか言いようもないほどすごい。
 ナイマンのそれまでのすべての経験を投入したかのような、超一流の職人仕事。

 これが映画の終わりで流れてきた時は、映画のあまりのすごさと相俟って、涙が噴き出しました。

 最近特に、島唄にさまざまな楽器をかぶせたような癒し系ミュージックはよくありますが、そんな単なる雰囲気だけの音楽とは一線を隔した、
 正に、まったく異なる魂と魂のぶつかりあい、
 最高度の「インタープレイ」だと思います。


 ところで、この曲、タイトルは、「RAFUTI」。(ラフティ)
 ナイマン先生、沖縄と言えば、すぐラフティを思い浮かべるほど、大好物だということです。
 でも、だからって・・・・。
 


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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
Noraさん、こんばんは。
まず日本ハムがクライマックス・シリーズを突破したそうで、
おめでとうございます!

それから、自分はインタープレイどころかジャズをほとんど
聴かないので偉そうなことは言えませんが、バッハの音楽は
すごく今日性があると思います。それはたとえばグールドの
演奏などに端的に表れていると思います。
今日性といっても、今日聴いても古くさく感じないというだ
けでなく、今日というバッハの時代から見た未来、すなわち
明るい今日、広がっていく今日、混乱した今日をすべて包摂
している未来につながっていく音楽というか、言葉ではうま
く表現できないのですが…。
バッハの音楽の奥の深さに改めて感嘆している最近です。
アルトゥール
2008/10/12 21:35
> 日本ハムがクライマックス・シリーズを突破したそうで、おめでとうございます!

 アルトゥールさん、ありがとうございます!
 来週はまた、2ndステージで西武と雌雄を決しないとなりませんが、まあ、ほっとしました。
 ファイターズは、ここ数年、毎年CSに進出してるので、何よりも、大試合慣れしているところが、強みなのかもしれません。

 この記事を書いたのは、アルトゥールさんの最近の「フーガの技法」の記事を読んで、どうして自分はフーガなどが好きなのだろう、と思ったのがきっかけでもあります。 
 アルトゥールさんがおっしゃったことと関連するかどうかわかりませんが、わたしは、バッハの音楽から、他の作曲家以上に普遍性を感じます。
 ちょっと奇抜な例えですが、一番宇宙人にも通用しそうなのが、バッハの音楽なのではないでしょうか。
Nora
2008/10/13 00:45
またまたこんな刺激的な記事を・・・(笑)どうもありがとうございます。
「思いつき」とおっしゃっていますが、僕は共感するところが多々あります。
オルガンでの独奏であれ、複数でのアンサンブルであれ、各声部間での生き生きとした対話がなりたっていてこそ、バッハだ、というようなことでしょうか。
ぜひまた掘り下げてください。
たこすけ
URL
2008/10/13 18:11
 たこすけさん、どうも。
 いつも読んでくださってありがとうございます。

> 生き生きとした対話がなりたっていてこそ、

 おっしゃるとおりだと思います。
 しかも、バッハの場合、仲睦まじい対話だけでなく、激しくぶつかりあうような会話がけっこうあります。
 アンサンブルというと、ふつうは美しく響きあうイメージですが、
 中世や原始ルネッサンスのポリフォニーは、まったく異質のものがぶつかり合うことにより、調和を超えたすさまじい世界が立ち上がるようなところがあり、バッハも、時代を超えて、一部それを引き継いでいるような気がするのです。

 そして、異質なものがぶつかりあってつくり上げられる芸術と言えば、やっぱり真っ先にジャズのインタープレイが思い浮かんだので、ちょっと書いてみました。
Nora
2008/10/13 23:12
>ひとえに、バッハのフーガが最高度に完成されていて、まったく他のものがつけいるスキがないからに他なりません。
  △
フーガではないのですが、CDの10曲目に収録されている「幻想曲BWV542」。。。。
何が起こるのかと思って最後まで注意深く耳を傾けていましたが、(聞き違いでなければ)結局何も起こらずに原曲そのままの演奏でした。
そして、このCDのコンセプトから厳選されたこの1曲の偉大さを改めて思い知らされた感じです。
「あ〜、そうかぁ。。。。 このままでいいじゃないか。」

誰かが、「幻想曲」はロックそのものだと何かに書いてあるのを見たことがあります。
Nacky
2008/10/14 18:11
 Nackyさん、こんばんは。
 BWV542、すごいですよねー。
 確かにこの曲など、手を加える余地がまったく無いと思います。おっしゃるように、このような曲はこのような曲できちんとそのまま演奏していて、他の演奏とまったく違和感がないところがこのCDのユニークなところだなのではないでしょうか。
 これらの比較的初期のオルガン曲などは、バッハの即興演奏の片鱗を伝えているとも言われてますが、バッハの即興演奏、できることならほんとうに聴いてみたいですね。それこそ、ロックそのものであり、ジャズそのものだったのではないでしょうか。

 ところで、オルガンを受け持っているロッシさん、わたしは初めて聴いたのですが、ファンタジーに富んだなかなかよい演奏ですね。
 あの雄大なフーガが付いていないのが残念なほどです。
Nora
2008/10/14 22:32
Noraさん、こんばんは。ご無沙汰しております。
『BACH COLTRANE』 Noraさんの記事をみて興味を持ち購入しました。なかなか盛りだくさんの内容ですが、Noraさんの記事を読みながら聴いて『フムフム、そうかそうか』と楽しんでいます。私もブログに書こうと思っていますが、Noraさん以上の“分析”は出来そうもないので、中途半端なCD紹介記事になるだろうな。
いずれにしろ、とても興味深いCDご紹介ありがとうございました。
ちなみに、今度はアンサンブル、ヘット・コレクティーフの『音楽の捧げもの』購入しようと思っています。
garjyu
2008/10/19 19:12
 garjyuさん、こんばんは。
 gayjyuさんもお買いになりましたか。
 このCDは、クラシック、あるいはジャズのアルバムとしてみた場合は、それほどずばぬけているわけではなく、これ以上の演奏もたくさんあるとは思いますが、それぞれの立場に立つアーティストが、バッハとコルトレーンの作品に等しく誠実に取り組んでいる姿勢がとても好感が持てました。
 それにしても、この取り合わせはすごいですよね。ありそうで無かった、というか。誰も怖がってやらなかった、というか。
 garjyuさんの感想を楽しみにしております。
Nora
2008/10/19 21:35
はじめまして。aotakoともうします。

わー、ジャズとバッハとECM。ドツボにハマる組合せです。なんとなく息が荒くなります。ここ何年か、新盤を仕入れることをやめていましたが、おすすめを辿っていこうと思います。
考えてみれば、空気の振動にすぎない音が音として、文字や言葉や絵によらず、宇宙や神を描く。それを僕らが感じ、読み、語る。。。神秘ですね。

飛び込み、失礼しました。
aotako
2014/09/16 11:53
 aotakoさん、はじめまして。
 古い記事ですが、読んでくださってありがとうございます。
 カンタータを始めとするバッハの音楽のフォーマットや構造は、驚くほどジャズに近い場合があります。このような視点から、バッハの音楽を聴き直してみると、新しい発見があり、とてもおもしろいです。
 ECMでも、キース・ジャレットなどがバッハの室内楽やクラヴィーア曲を演奏していますが、まったく違和感のない堂々とした名演ばかりですよね。
Nora
2014/09/16 21:37

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