♪バッハ・カンタータ日記 〜カンタータのある生活〜

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zoom RSS CK年巻(第2年巻)最後の大山嶺への登攀開始!+2月のアルバム・1〜さよならHMV他【復活節前9】

<<   作成日時 : 2011/02/19 00:32   >>

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▽ いよいよ、頂上間近!


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 まず、ちょっとした雑感から。


 先週、バッハという人物が、単なる信仰の人、堅物という枠組みではくくりきれない人物であり、
 その代表作であるカンタータも、決して、大勢の方のイメージ通りのいわゆる「宗教曲」、真摯極まりない、厳格な音楽ばかりではない、
 ということを書いたばかりですが、

 ちょうどカンタータ掲示板に、
 ”「アポロンとディオニュソス」とバッハ”というようなテーマの投稿があったので、
 本題に入る前に、それらのことと関連して、ふだんからわたしが漠然と感じていることを、ちょっとメモしておくことにします。

 
 バッハは確かに敬虔なキリスト教徒でしたが、当時の一般市民にとって、それは食事をするのと同じようにごくごく当たり前のことであり、もちろん、市民全体が禁欲的だったはずもなく、カントルという職務にあって教会音楽の仕事をしていたからといって、バッハが特別禁欲的だったわけでもなかったのではないか、と、わたしは思っています。

 そして、「宗教曲」であるはずのカンタータを聴けば聴くほど、その思いは確信に近づいてゆく。
 宗教的=禁欲的という図式自体が、現代の我々の固定観念なのではないか、と。


 仮に、アポロン的=秩序、ディオニュソス的=秩序の破壊、精神の開放、とするならば、
(ニーチェの概念についてはよく知りませんが)
 そもそも、バッハの音楽で、わたしが最もディオニュソス的なものを感じるのは、本来禁欲的な音楽というイメージの強い宗教音楽の最高峰ともたたえられる、あの「マタイ受難曲」です。
 あの、熱病ともみまごう情熱に取りつかれて、一気呵成に作曲されたかのような、巨大な奔流のごとき超大作は、すさまじいエネルギーのいつ果てるともしれぬ収斂と爆発のくりかえしがあまりにも強烈すぎて、わたしのようなキリスト教徒でない人間には、ちょっとついていけないほどです。

 また一方で、これまで何度もくりかえし書いてきたように、バッハのカンタータには、市当局の頭を悩ませ、ついには激怒させたような、とびっきり華やかなコンチェルト楽章や喜びが炸裂するかのような舞曲楽章、ドラマチックで表情過多な楽章などが山ほど登場します。
 歌詞などをよく見ると、「現世のよくないさまざまなこと」の象徴としてそれらの音楽を使っていることがありますが、
 どうやら、これは、市当局の目をごまかして、それらの「華美な音楽」を教会で演奏するためのバッハの方便である場合も多いような気がします。
 なぜなら、バッハは、日々の教会での演奏と並行して精力的に開催していた、コーヒーハウスの学生オケの演奏会にて、自信作、自分の最良の音楽として、心から楽しんでそれらの音楽を演奏していたからです。
 結局は、一般市民にもそれらの音楽を聴いてもらいたい、という気持ちも大きかったのではないでしょうか。
 そして、教会でそれらの演奏を繰り返したからと言って、教会当局の意向には反しているかも知れませんが、=バッハが不信心、ということではあり得ない。


 以上は、最もかんたんでわかりやすい事例ですが、これらのことからも、(初期の真摯極まりないカンタータに深く親しまれてらっしゃる方からはお叱りをうけるかもしれませんが)
 わたしにとってのバッハは、「禁欲的」とはほど遠い人物であり、
 だからこそわたしは、バッハを深く愛しているのかもしれません。



 さて、本題にはいります。


 しばしお休みがありましたが、2月20日は、復活節前第9日曜日。
 ライプツィ ヒ2年目のバッハのコラールカンタータは、受難週&イースターに備えたもっと長いお休みの前に、ついに、前人未到とも言える最後の大山嶺の連なりに到達することになります。


 バッハは、これまで1年間にわたって追及し続けてきた、コラールの音楽的展開の総決算を行うかのように、この最後の数曲のコラール・カンタータに、実にさまざまな、しかも究極とも言えるコラール編曲の奥義を惜しげもなく投入します。

 ついにこれが頂上かと思いきや、(BWV92
 少し先に、さらに高峰が続いていて愕然とする。(BWV126
 そのくりかえしの後、もはや、ここがほんとうの最後の最後、最高峰にちがいない、と確信して、(BWV127
 あたりを見渡してみると・・・・、
 はるか彼方に、燦然とかがやくあけの明星が見える。(BWV1)

 ・・・・という、何ともすさまじい世界。

 これはもう、至高のコラール編曲百科!


 しかも、当然のことながら、学術的で宗教思想的な面に偏っただけの、頭でっかちの曲では決してありません。
 技法への徹底したこだわりが、空前絶後の音楽美にまで直結、昇華するという円熟期以降のバッハによく見られる奇跡が、すでに始まっています。
 
 これらのカンタータは、
 復活節の春の大爆発の気配をようやく感じ始めながらも、それでもまだまだ冬まっただ中、
 ちょうど今の季節ならではの、雪解けを待つ凛とした気配に満ち満ちたカンタータでもあるのです。
 

 折りしも今週は、東京でも、突然の大雪が降りました。
 過去記事を見ても、いつもこれらの曲の頃には、東京にも雪が降りつもるようです。
 まだまだ寒さは厳しく、春は遠いかもしれませんが、来るべき春へ思いを馳せながら、バッハの書いた特別な音楽に耳を傾け、バッハという巨人のピークを体験しましょう!
 
 今週以降、これらの曲の一番の核心とも言える、コラールの取り扱いを中心に、各曲の聴きどころを、かんたんにメモしていきたいと思います。


 と、いうわけで、

 コラール・カンタータ、ラスト3+1、

 始めに登場するのが、BWV92


 カンタータ第92番 「われは神の御胸の思いに」 BWV92
 

 9楽章からなる、この時期にしては異例の長さを誇る、ただでさえ気合いの入ったカンタータながら、何とそのうちの5曲が、コラール編曲。しかもその他の自由楽章についても、コラールカンタータなので歌詞は当然として、音楽もコラールから派生している可能性があるとのこと。
 ちょっとそのへんになるとややこしくてよくわかりませんが、まあ、とにかくたいへんな作品ということ。

 まさに、コラール編曲図鑑というべき1曲。


 そのもとになっているのは、出ました、ゲールハルトの同名のコラールです。
 まぎらわしいですが、メロディは、「マタイ」やこの前ご紹介したばかりのBWV111等にも登場する似た名前のコラール、「わが神の御心のままに」と同じ。
 このコラール&旋律の登場からも、バッハの気合がわかる。

 (以下、☆印は、そのコラールがそのまま登場するコラール楽曲。)


 冒頭大合唱。(☆)
 これまで何度もくりかえし書かれてきた協奏曲的楽章(ロ短調!)だが、特別華やかな器楽のリトルネッロにのって、コラールが特別入念に展開される。
 
 第2曲。(☆)
 トロープス(レチタティーヴォ)付コラール。これも、コラールカンタータ年巻を通じて追究してきたバッハお得意の手法。

 第3曲、世界の崩れ行く様を音楽的に表現したテノールの短調アリア
 第6曲、吹き荒れる嵐を表現したバスの長調アリア
 (いずれも激しい動きの音楽)
 にはさまれて、
 第4曲、(☆)まったく対照的な、平和な気分に満ちあふれた、器楽トリオのオブリガート付のアルト独唱のコラールが、静かでおだやかな光、しかしどっしりと落ち着いて揺るぎない光を放つ。
 「シュープラー・コラール集タイプ」のコラール編曲の名品。

 再び、第7曲トロープス付コラール。(☆)
 これは、この形式の総決算。(その1。その2は、次週BWV126の中で登場します)
 コラールは合唱で歌われ、トロープスはソロが全員で担当、
 Bから、T、A、Sと、受け継がれるごとに、どんどん音は高くなってゆき、

 そして、その頂点で、第8曲ソプラノの歌う二長調の舞曲アリア、バッハお得意の夢のように美しいパストラーレが炸裂します。

 最後に、それまで展開の限りをつくされてきたコラールが、ついにそのままの姿で簡潔に歌われ、おしまい。

 実に、大充実の、究極のコラール・カンタータです。


 CDは、リリング全集盤を聴きました。
 聴きどころの第8曲、パストラーレ。
 のどかでやすらぎに満ちたピチカートにのって、のびやかに歌われるオジェーの歌が、天国的な美しさ!


 
 なお、復活節前第9日曜日の、第2年巻(コラール・カンタータ)BWV92以外の曲は、以下のとおり。


 第1年巻のBWV144、 
 後期(1927年)のBWV84

 BWV84は、ソプラノのソロカンタータとして知られる、華やかな雰囲気の中にも、凛とした佇いのみなぎる、そう、ちょうど梅の花みたいな名曲ですね。


 過去記事は、こちら↓


 <復活節前第9日曜>

    復活節前第9日曜(BWV84他)
    復活節前第9日曜(BWV92、144)



▽ 飲み屋街の雪だるま


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 2月は、けっこういろいろなところに出かけているので、恒例「2月のアルバム」も、数回に分けてちょこちょこ書いていきます。
 まずは、日常的なさまざまなことから。



 新聞小説 等伯


 まだ、毎朝、読んでおります。

 平穏だが満ち足りた、婿入り先の長谷川家での生活。
 胸の奥深くに隠していた、芸術家としての京への憧れに逆らいきれず、密かに武家である実家の兄の政治的策略に関わろうとしている等伯。

 その葛藤のせいで仕事の仏画制作もゆきづまり、いらいらした毎日を送る中、
 狭い庭いっぱいに花を咲かせる八重桜の古木を、夢中で描いているまだ幼い久蔵を見て、久蔵の天性の才能に驚くとともに、忘れていた幸福を、しばし思い出す。

 いきなり、ラストのクライマックスへの伏線か。
 この後も、久蔵+桜のシーンはくりかえし登場。
 智積院を訪れたことがある人なら、胸に迫るものがあるシーン。

 今のところ、きちんと的をはずさずに物語が進んでいて、今後がますます楽しみ。



 2月8日(火)


 さよなら、HMV池袋

 もうどれくらい前のことだろう。
 EVの扉が開いて、初めてそのフロアに足を踏み入れた時のことは今でも忘れない。
 思わず、おおおっと言って、立ち尽くしたものだ。

 まばゆい昼光色系の蛍光灯に照らされた、見渡す限りに続くCD売り場。
 はるか向こうは遠くかすんで見えない。(ちょっと大げさ) 
 しかも、手前には、壁で仕切られ、ぐっとシックな雰囲気に統一された、それだけでかなり大きめなCD売り場と言ってよいくらいの広さの、クラシックコーナーとジャズコーナーが並んでいる。

 さすが外資系メガCDショップ。
 それまでは、アキバの石丸か、六本木WAVEでCDを購入していたが、これで「遠征」する必要も無くなった、と喜んだものだ。
 事実、欲しいCDはたいてい手に入った。特に古楽系の輸入盤の充実度は日本一だったにちがいない。

 ここ数年、CD業界の不振にともなって、当初は広々としたワンフロアまるごとをしめていたCD売り場も次第に縮小されていき、ABC靴店が入り、無印良品が入り、どんどん歯抜け状態になっていったが、それでも、クラシックコーナーだけは昔のまんま、常変わらずそこにあった。
(品揃えは少し前からあまりいいとは言えなくなっていたが)

 それが、1月、突然の「改装」のお知らせ。
 ついにクラシック売り場が、改装の時を迎えた。

 そして、リニューアル・オープンのこの日、2月8日。
 半ば覚悟はしていたが、行ってみて、愕然とした。
 それまで、クラシックコーナーだったスペースに、HMVの全部、CDはもちろん、映画やお笑いなどのDVDにいたるまでのすべてが押し込まれ、クラシック&ジャズは、一番奥の小さな棚3つ分だけ、
 入ってすぐの、一番目立つ壁一面は、韓流がらみのわたしにはまったくなじみの無いCDでしめられている、というありさま。

 終わった・・・・。

 さよなら、HMV。もうショップに来ることはほとんど無いだろう。
 ネットではこれからも、お世話になるけど。

 実際、ネット展開が途方もなく充実しているので、少しも困るわけではないのだ。
 大部分の顧客がすでにそういう状態になったことを踏まえての、きちんとした戦略的な展望に立脚した、確信的縮小だということもわかっている。
 ただ、
 まったく思いがけないニューリリースCDがずらっと並んでるのを見かけた時のときめきだとか、
 ずっと探し続けていたCDが何気なく棚に埋もれているのを発見した時の喜びだとか、
 そういうCDショップならではの楽しみにどっぷりと浸かってきた世代としては、やはりたまらなくさびしい。

 それに、アントレ、どこで買えばいいんだろ。
 クラシックにけっこうくわしかった店員さんたち、どこ行ったんだろ。
 そしてあの膨大なCDは?ネット販売にまわされるのか?


 これで、この周辺では、タワレコ池袋店が最後の砦となってしまったが、
 頼りないようでいて、これがなかなかしぶといところがある。

 2フロアまるごとのタワレコと、その上のフロアのイシバシ楽器が一つになって、いまだにけっこうディープな空間を形成していて、実に味わい深い。
 また、さらにその上の最上階、今ムラサキスポーツがはいってるところでは、ちょっと前まで、よく東京中の中古CD店が大終結して、中古CDバザーをやってたし。
 誰が書いてるのか知らないけど、あいかわらず手書きPOPもすごいし、ショップ内にかかってるCDもしぶい。

 ここも最近改装があってひやっとしたが、何と、クラシック&ジャズ&ワールドミュージックの売り場が、大幅に増殖していた!
 これが残りを占めているJポップコーナーの縮小のせいだということは明白ではあるが、
 頼もしい限り。
 とはいえ、だいじょうぶか?と、逆に心配にもなるけど、応援してます、頑張れタワレコ。



 2月11日、12日


 フィギュア欧州選手権&全米選手権、ペア&ダンス、EX、CS観戦


 先月、男女のフリーをCSで観戦し、記事にも書いたフィギュア・スケートの欧州選手権&全米選手権ですが、
 少し遅れて、そのペアとアイスダンス、エキシビションが放送されたので、また夢中になって観ました。

 やはりおもしろい!さすがフィギュアの本場、有名選手、有力選手以外にも、個性的な選手が続々登場。
 シーズンも佳境に入ったこともあり、完成度の高い見応えある演技を見せてくれます。

 来るべきISU世界選手権の予習にもなるので、近いうちにまた、「奥の院」にかんたんな記事を書こうと思います。
 
 ちょうど今週末は、世界選手権の前哨戦、ISU四大陸フィギュアスケート選手権が開催されています。

 アメリカ大陸から、あの人も、またあの人もやってくる!
 迎え撃つ日本勢も大充実、例年に無い豪華な大会!
 熱戦がほんとうに楽しみ。

 しばらく、フィギュアから目が離せません。 



 今日は、前半が長かったので、とりあえずこんなところで。



 おまけ、「アルバム」なのに写真が少ないので、銀座点描

  
▽ 何と、銀座4丁目の交差点から、あれが見える。
 
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▽ 画廊で見かけた、立体交差観覧車の模型

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▽ 新しく風景に加わったものがあれば、消え去ってしまったものも。

 ここにあったのは、旧歌舞伎座。
 完全に姿が無くなってしまった。右、北西側から。こんなに広かったのだ。

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▽ ショーウィンドウはもう春一色だけど。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
読み応えのある記事でありがとうございます。
Noraさんの「マタイ」論が興味深いですね。
シンプルな一つのコラール旋律から恐るべき豊かな音楽世界を創り上げてしまう人、ひとたびオルガンの前に座れば延々とアドリブで弾き続けることができるような人が”禁欲的”であるとはとても思えませんね。
たこすけ
URL
2011/02/21 23:25
Noraさんこんにちは、ごぶさたしております。

熱いバッハ論ありがとうございます、全面的に賛同します。キリスト教の中には禁欲的な教派もありますが、ルター派は世の中の現実を認める傾向にあり、資本主義の推進力とさえ言われますから。ただ、バッハがヴァイオリンやチェロの部伴奏曲にかけた情熱は、音楽的な意味で求道者の生き方を感じます。それはマタイを書き上げた情熱とも通じるものでしょう。いろいろなスタイルで書ける人であった、というところが天与の才であったのでしょうか。
かげっち
2011/02/23 12:40
 たこすけさん、
 いずれにしても、バッハという人は、知れば知るほど熱い人だったように思えてきますね。
 カンタータ=宗教曲、というと、どうしてもまじめな音楽、とかまえてしまうところがあると思いますが、(もちろん実際そういう部分はあるのですが)聴いてみると、情熱あふれる普通の音楽なんだよ、ということが言いたいだけなのです。
 バッハの場合、「世俗曲も宗教曲的な側面を持つ」ということが言われつくされていますが、キリスト教社会にいたバッハにとってそんなことはあたりまえで、むしろ、宗教曲も普通の曲と何ら変わらないのだ、と言った方がいいような気がします。
Nora
2011/02/24 21:40
 かげっちさん、

> ヴァイオリンやチェロの無伴奏曲にかけた情熱は、音楽的な意味で求道者の生き方を感じます。

 すっごく求道的ですよね。
 晩年の対位法追及も、そういう意味で、求道的ということになるのでしょうね。
 そしてその求道的な姿勢も、ちょっと限度を超えてるところがとても面白いと思います。
 
Nora
2011/02/24 21:49

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