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zoom RSS 「宮沢賢治 秩父路をゆく」展+桶川宿〜埼玉での賢治の足跡をたずねる・プロローグ

<<   作成日時 : 2016/09/14 19:38   >>

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 「今博物館へ行って知り合ひになつた鉱物たちの広重の空や水とさよならをしてきました。
 又、ニコライの円屋根よ。大使館の桜よ。みんな さようーなら。」



 宮沢賢治が初めて東京を訪れたのは、大正5年の春、盛岡高等農林学校の修学旅行の時だったが、それからほとんど間を置くことなく、その年の秋に、賢治は地質学の調査旅行に参加、再上京する。
 その際保坂嘉内宛てに、上のようなことをびっしりと書き連ねた手紙を、ほんのわずかな旅行中にもかかわらず何通も出している。
 あいかわらず・・・・、としか言いようが無い。
 賢治さんは、学生時代から、賢治さん。



▽ 桶川駅のホームから。
  桶川の街にさりげなく溶け込む賢治さん。

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 今日は、宮沢賢治がらみの記事。

 賢治生誕100年を記念して、春に続いて、この秋も賢治関連の企画を続けたいと思います。



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 9月3日(土)


 埼玉来訪100年記念 テーマ展

 宮沢賢治 秩父路を行く

  −二十歳の旅・地質旅行のルートをたどるー

  @ さいたま文学館 すでに終了


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 博多にある辰野金吾設計の赤レンガ建築(赤煉瓦文化館=福岡市文学館)を訪れた時、なぜかそこに埼玉で開催される本展覧会のポスターがどーんと貼ってあり、それによって初めて知ることができた展覧会。

 わたしが「宮沢賢治ゆかりの地を訪ねる」という明確な目的を持って、一番最初に岩手を訪れたのは、はるか昔、大学2年生の夏休みの9月上旬のこと、ちょうど今頃の季節だった。
 花巻温泉と花巻にしばらく滞在。一通り賢治の足跡をたどった後、賢治の生家におじゃまして、当時まだお元気だった清六さんと話をし、仏壇に線香を上げ、墓まいりもさせてもらった。
 その後、岩手山に登り、小岩井農場で憩い、賢治と心を通わすことができたような気になったものだ。
 (余談だが、その後東京に帰ってから、生まれて初めて朝比奈さんのブルックナーを聴いた)

 一方、宮沢賢治も、折しも岩手高等農林学校(現岩手大学)2年生の二十歳の時、しかも9月上旬に、岩手からはるばる上京、驚いたことに何と上野や御茶ノ水を訪れ、トーハク、当時の帝室博物館も見学している。(この年の春に続いて2度目の上京)
 単なる偶然だが、一方的なファンの立場からすると、同じ青春時代の同じ季節に、賢治の方もわたしの好きな場所を訪れてくれたのかと思うと、何とも感慨深いものがある。
 この時の賢治の上京は、実は、学校の地質学・土壌学の課外研修旅行で(帝室博物館には、現在の科学博物館の管轄にあたるような物も展示されていたのだ)、その後何日かかけて、地質学研究のメッカだった秩父地方を中心に埼玉県各地を精力的に回り、採集活動等を行っているのだが、むしろそちらの方がこの旅行のメインだった。

 この展覧会は、この旅をモチーフにした賢治自身の短歌等の作品、賢治が旅先から保坂嘉内にあてた手紙、賢治が採集した岩石標本、その他ありとあらゆる資料(旅館の主の日記までを含む)に基づき、この時の旅の詳細工程を推定、推理し、可能な限り再現しよう、というもの。
 秩父・小鹿野町等を中心にした賢治の足取りを、当時の絵ハガキ、絵地図等のビジュアル、列車の時刻表等の資料を交えながら細かく紹介していて、あたかも青年賢治とともに大正の秩父路を旅しているような気分を味わえ、楽しかった。

 展示内容のすべてがきっちりとまとめられた図録もすばらしい。
 これだけでも価値がある。
 と、いうか、帰ってからこの図録を見ていて気が付いたのだが、手紙等を始めとする賢治に係る展示物は(賢治の生涯や盛岡高等農林学校時代の賢治の生活等を紹介する展示物も含め)基本的にすべて複製だったので、この図録があれば、はるばる桶川まで足を運ぶ必要は無かったのでは?という気も??

 でも、静かで快適な展示室で、集中して臨場感たっぷりに「賢治との埼玉の旅」を楽しめたのはよかったし、展覧会後、駅の反対側の中山道まで足をのばし、桶川宿の様々な建築に親しむことができたのは、何よりの貴重な体験となった。こんなことでも無ければ、桶川、なかなか来ないだろう。


 なお、小鹿野町を中心とした埼玉県の各地に、この時の地質旅行を記念する賢治の歌碑や詩碑が驚くほどたくさんあることを、今回初めて知った。
 (小鹿野町では、先日、賢治来訪100年&生誕120年を記念して、「デクノボーまつり」等のイベントまで開催された)
 いつになるかはわからないが、機会があったら、展覧会の内容に基づき、「賢治の足跡をたずねる」シリーズ、埼玉・秩父編を、ぜひやってみたいと思う。
 学生時代の岩手旅行が今でも大切な記憶としてわたしの心に焼きついているように、賢治にとっても、高だか一週間程度の研修旅行かもしれないが、多感な学生時代のこの旅行がその生涯に大きな影響をおよぼしているかもしれない。
 それを確かめることができれば、と思う。


 と、いうわけで、今回の記事は、一応そのプロローグということにしておきます。



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 関連企画、サイダーセット。

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 関連する講座や上映会。

 以前、「ほほ−っ」は観たことがあったような気がする。

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 蕎麦屋に行くと必ず最も高価な天ぷらそばと当時はさらにそれよりも高価だったサイダーをセットでたのみ、
 何かあると突然ほほほーっと叫んで飛びあがり、駆けだす賢治先生。
 生徒たち、かなり困っていたのでは?



 桶川駅の西口は、近代的なデッキがそのまま大きな商業施設につながっており、その他にも高層住宅等が立っている。
 商業施設の背後は、大きな公園(駅西口公園)になっていて、その中にさいたま文学館がある。

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 反対側、東口は、JR高崎線に沿って中山道が伸びている。
 駅前からは中山道に向かってまっすぐに昔ながらの商店街が続く。

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 中山道

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 商店街が中山道に出たあたりが、中山道の江戸から6番目の宿場町、

 桶川宿

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 お助け蔵 (島村家住宅土蔵・江戸時代生活用具史料館)

 桶川宿を代表する古建築、島村家住宅土蔵(国登録有形文化財)を何気なく訪れたら、ちょうど月に一度の公開日(毎月第1土曜日PM)で、ボランティアの方がていねいに蔵の内部を案内してくれた。(ボランティアの方々がコツコツと土蔵の整備もなさったとのこと)
 蔵の3階に上がったのは、もしかしたら初めてかも。

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 内部。何本も張り巡らされた巨大な松の木の梁と、複雑な梯子状の階段。

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 ありとあらゆるものがごちゃごちゃと置かれていて、実際の古い蔵をそのままのぞかせてもらっているような展示。

 紅花染めのご当地雛祭りと江戸末期(ペリー来航後)にはやったという外国人雛祭り。

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 江戸時代の百科事典。
 ボランティアの方は、何でも載ってるんですよ、とおっしゃっていたが、ほんとうに何でも載っていそう。

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 先代の当主の方(つまり島村家のご隠居さん)がちょうどいらっしゃっていて、隣接して新たに建築されている3階建て母屋の外部階段の最上階に案内してくださり、漆喰を塗り直したばかりだという大屋根を目の前で観ることができた。

 青空の下、輝く大屋根。
 ラッキーだった。

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 庭には、銀木犀の巨木がある。

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 重厚な矢部家住宅

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 モダン建築も多し。

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 このあたりはうどんがおいしい所でもある。
 楽しみにしていたうどん屋さんは休み。
 その他、なぜかインドカレー屋多し。

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 桶川と賢治は直接関係無いかもしれないけれど、紅花を通じて桶川と東北(この場合山形だけど)とは密接に結びついている。

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