♪バッハ・カンタータ日記 〜カンタータのある生活〜

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zoom RSS 「松島瑞巌寺と伊達政宗」展〜平成の出開帳で観る秘仏その1+コレド福徳の森【三位一体節後24】

<<   作成日時 : 2016/11/06 18:14   >>

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 遅ればせながら、日本ハムファイターズ、10年ぶりの日本一、おめでとうございます。

 札幌での3戦は、ファイターズがいずれも逆転勝利する結果になりましたが、正に頂上決戦の名にふさわしい、日本シリーズ史上に残るような名勝負だったのではないでしょうか。
 広島に戻っての第6戦も、途中まではどちらに転んでもおかしくないような戦いでした。
 しかし、広島にとって悪夢の8回表。
 「死せる孔明生ける仲達を走らす」という言葉がありますが、超一流の軍団が文字通り何ものかの影(打席に立つはずの無い大谷の影)に怯えて総崩れになる光景を、わたしは初めて見た気がします。
 ほんとうに野球は怖い。

 10年前の2006年と言えば、このブログを始めた年。ちょうど秋に開始したので、その直後からいきなり毎週のようにファイターズの応援を書きまくっているのを懐かしく見返しました。
 あの頃は、ガッツさんも幸雄さんも、それに新庄選手もいた。
 こうして改めて当時の記事を見ると、遥か大昔のように感じられます。ファイターズ、強豪チームのようですが、日本一というのはそれほど困難だということ。
 広島も、まだまだチャンスはこれから。また、日本一の舞台で戦いましょう。


 それから、ボブ・ディラン。

 この前の記事を書いた直後に、ようやくノーベル賞について正式にコメントをしたようです。誰かにおこられ、さすがに反省したか?
 何はともあれ、本人は意外と喜んでいるのではないでしょうか。
 いずれにしても、これで一安心。まあ、めでたし、めでたし。
 


 さて、いよいよ秋も深まってまいりましたが、カンタータの暦も一足早く晩秋の気配が濃厚に。

 今日(11月6日、三位一体節後第24日曜日)のカンタータは、

 第1年巻のBWW60、

 第2年巻(コラールカンタータ)のBWV26、

 以上の2曲です。


 過去記事は、こちら↓


 <三位一体節後第24日曜>
      世紀末バッハ・暦の終わりに(BWV60、26)
       「いちょうの実」+三位一体節後第24日曜



 今週は、この秋東京で観た全国の秘仏の記事、第1弾。



 昨年、松島の瑞巌寺を訪れた。
 この時本堂は修復工事中だったけれど、そのような時期ならではのさまざまなものを観ることができたことは、実に貴重な体験となった。(こちらの記事)
 今回、修復工事中だった本堂が晴れて完成し、その記念の展覧会が開催されたので行ってきた。


 本堂大修理完成記念、政宗生誕450年記念、東日本大震災復興祈念

 特別展 松島瑞巌寺と伊達政宗

  @ 三井記念美術館 〜11月13日(日)


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 実際訪れたばかりの寺院だったので、とても楽しみにしていたのだが、現地では見ることができなかったさらに貴重なもの(本堂そのもの以外だけど)をたくさん観ることができた。


 中でも、五大堂の五大明王像
 三十三年に一度だけ公開される秘仏中の秘仏、しかも、東北にありながら、あの東寺にある空海の元祖五大明王に次ぐくらい古い五大明王だという。
 まさかこの目で観る日が来るとは夢にも思わなかった。
 昨年五大堂にお参りした時も、固く閉ざされた扉に向かい、一度でいいから観てみたいものだ、と心の中でつぶやきつつ手を合わせたものだが、まさか翌年にこのような機会を得るとは・・・・!

 この五大明王、それほど大きなものではないが、とにかく濃密というか、エネルギーがぎっしりと詰まった感じ。実際驚いたことに内刳がなされていないそうで、そのせいか、樹木のパワーがそのまま残されている?
 造形的には、さすがに古風で素朴。特に立像はいかにも古代風なバランスだが、中尊の不動明王や大威徳明王などの坐像は意外と端正でまとまった印象も受ける。
 そして何よりも、五大明王に必要なものすべてをこつこつ丁寧に造った作者の気持ちがビシビシ伝わってくる。これは全体的に言えることだが、例えば膝頭やくるぶしなどの細部には、現代の彫刻にも通じるような細かい写実性さえ見られる。
 しかも色彩豊か。力強い原色の迫力。
 正に、かつての東北一の霊場、現在では日本を代表する観光地でもある天下の松島を守るにふさわしい仏像群と言えよう。

 かなり長い間、五大尊の前にいて、見入ってしまった。次にお会いできる機会が果たしてあるかどうかを考えると、立ち去りづらいものがあった。  


 このように、秘仏の五大明王像、期待に違わぬ迫力だったのだが、さらにびっくりしたのが、御前立の不動明王三尊像
 解説には鎌倉仏となっていたが、単に写実的な仏像ではない。こんな平安仏はこれまであまり見たことが無い。
 自由で躍動感あふれる造形、生き生きとした、というか、まるで生きているような表情。まるで、現代彫刻そのもののような完成度。しかも、仏像としての凛とした佇まいも決して損なわれていない。

 前述の通り、わたしが行った時には五大堂の扉は固く閉ざされていたが、こちらの御前立は普段拝観することができるのだろうか。
 五大尊がムリでも、もしチャンスがあったら御前立だけでも拝観する価値があると思う。


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 その他の展示についても、かんたんに。
 この展覧会、思いのほか充実していて、瑞巌寺のエッセンスがそのまままるっとやってきたような、正に「平成の出開帳」だった。

 瑞巌寺の前身は、天台宗寺院・延福寺(例によって円仁創建と伝えられる)と考えられており、それが鎌倉時代に時頼によって禅宗寺院・円福寺にあらためられ、その後戦国時代に衰退していたものを、伊達政宗が瑞巌寺として再興した。
 そのように瑞巌寺は意外と長い歴史を有する寺院なのだが、今回の展示は、その歴史の中でのそれぞれの姿、平安時代の姿、鎌倉時代の姿もありありと浮かび上がるような展示となっていた。頼朝が生前所蔵していて、頼朝死後に政子がその菩提を弔うために寄進したと伝えられる、水晶五輪仏舎利塔というのもあった。(政子の寄進状付)真贋はともかく、鎌倉とも深いつながりがあったことがわかって感激してしまった。

 しかし、何よりも、タイトルにもあるように政宗の寺としての姿が、最も濃厚で、それを強烈に体感することができた。
 人物像というのは、誰かの書いた記録等を読むより、その人物に深く係る文物を実際に幅広く観た方が、イメージがストレートに伝わってきて、しかもそれが実像により近かったりするものだが、今回の膨大な展示から立ち現れる政宗像というのは、おしゃれで風流をひたすら愛する人物。四方に細かく気配りしながら乱世の波をうまくかいくぐっていった柔らかな人?というイメージ。
 手紙の類も、例の小田原遅参の折に、「許してもらえたから安心するように。思わぬ歓待も受けてしまった」というような内容を家来に伝えたものとか、そういうものばかりだった。
 この小田原遅参の手紙は、ほんとうにほっとして喜んでいる気持ちが文面だけではなく字や行間にもにじみ出ている。

 小田原遅参の翌年には、今度は一揆関与の疑いをかけられ上洛するのだが、その時の手紙には、またまた許されたばかりか厚遇を受けて恐縮しているという内容とともに、(展示されていた要約からは省かれていたが)屋敷普請に「左京殿」を連れて帰る旨がうれしそうに書かれていた。
 この左京殿というのは絵師の狩野左京で、以降、仙台藩がらみのさまざまな美術に深くかかわることになる。
 左京が描いた本堂障壁画はこの展覧会にもたくさん出ていた。
 妙にのびやかにデフォルメされた、うまいんだかへたなんだかよくわからないような、ある意味現代風な鳥やら動物やらを描く人、独特な味がある。
 瑞巌寺にとってもう一人の重要な絵師は、長谷川等胤。こちらはその名の通り等伯の弟子で、左京と競い合って本堂を荘厳した。正統的で精緻な大作ぞろい。等伯の魂は仙台でも生き続けたのだ。
 金の雲の合間に見え隠れする古代中国の建築物が美しかった。仙台・松島旅行で観た、な伊達家関連の様々な豪華絢爛な霊廟そのものを思わせる。

 瑞巌寺ではたまたま出張中でお会いできなかった政宗公(伊達政宗甲冑椅像)にもようやくお会いできた。


 仏像以外で最も印象に残ったのが、本堂欄間彫刻花鳥図
 左甚五郎の「実在」のモデルの一人と言われる「天下無双の匠人」、刑部左衛門国次による作品。この人は、あの大崎神社を手がけた人でもある。
 これまで左甚五郎作と伝えられる彫刻は全国のいたるところでたくさん観てきたが、その中でも実際に刑部左衛門国次によるこの作品は、これはとびぬけて鮮烈!最もすごいと言っていいと思う。
 鶏は鶏、霊獣は霊獣、木々は木々、花は花、葉は葉、それ以外の何ものでも無い。
 しかも青々とした葉は青々とした葉に、紅葉した葉は、少し乾燥しつつも色鮮やかな葉に、ほんとうに見えるのだ。
 しかも、デザインが圧倒的!
 限られた空間にそれらがびっしりと配置され、今にも飛び出してきそう、というか、空間が枠を飛び越えて無限に広がっているかのような錯覚にも陥る。

 本来巨大な本堂の欄間に高く掲げられているこれらの花鳥図を目の前でじっくりと観られるのは、この展覧会ならではの至福の体験!
 瑞巌寺を訪れた時は、青龍殿(宝物館)で、本堂修復中につき取り外されて展示されていたやはり刑部左衛門国次による鮮やかな本堂唐戸彫刻を目の前で観ることができたが、それとともに忘れられないかけがえのない体験となった。


 このように、普段絶対に観ることのできないものを目の前で心ゆくまで観ることができるこの展覧会。
 来週末、11月13日(日)までです。
 この機会にぜひ!


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 ここでは、その時に訪れた、日本橋の新しい顔をご紹介。



 COREDO室町が完成(一部工事中)


 COREDO室町、コレド室町2、コレド室町3の、3つの巨大高層ビルから成る複合施設。

 写真左の手前の建物は、コレド室町。(そのとなり(写真向かって左の建物)は、YUITO)

 三井記念美術館のある中央通りからCOREDO室町とYUITOの間をのぞくと、驚いたことに緑に囲まれた真っ赤な鳥居が見える。

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 中央通りから一本中に入ると、細い通り沿いにさまざまな和を感じさせる飲食店、雑貨店等が並ぶ。木目を感じさせる外装、提灯を思わせる街灯のデザインが全体の雰囲気を高めている。 

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 その突き当り、高層建築が林立するパティオのような空間、普通は公園等の緑地が整備されるところに、神社が整備されている。


 福徳の森福徳神社(芽吹神社)


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 再開発で整備された寺社としては、真っ先に大阪の堂島薬師堂(こちらの記事)が思い浮かぶ。
 こちらはあれほど斬新ではなく、古き良き神社の姿を、現代の都心の都市空間のど真ん中に素直に再現したものだが、すでに見事に憩いの空間としての位置づけを担いだしている。

 決して新しい神社ではなく、何と貞観年間からある由緒正しい神社で、源義家や徳川家康も参詣したという。

 基本的にお稲荷様だが、天穂日命、大己貴命、少名彦命、事代主命、三穂津媛命を相殿に祀り、江戸時代前後には、太田道灌、弁財天、徳川家康(東照大権現)を合祀。
 正にお江戸の鎮守様。

 都市化に従って、古くからの敷地は失われ、近年ではビルの屋上や商店の一角などを転々とする「放浪の古社」として知られていたが、ここにようやく安住の地を得たことになる。


 
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 都心に突如出現した鎮守の森。

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 広場をはさんだ向かいには、もう一つの神社が。


 薬祖神社


 こちらも、大阪の薬の町・道修町の少彦名神社を思い出す。(記事、こちら
 祭神は、大阪と同じ少彦名命にコンビの大己貴命を合わせて祀る。

 このあたりも、製薬会社が多いのだという。

 
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 このあたりをひっくるめて、福徳の森


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 この地下には、商業施設が広がっている。

 近未来的な立体的にぎわい空間を目指している。


 地下街で食事。


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 地上に出てみると、装いは一変。

 提灯?が並ぶ商店街の先に、光に浮かぶ鎮守の森が。

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 日本橋の地下街で行われていたライブ。


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 開発の進みゆく日本橋の真ん中に、奈良時代創建の神社が憩いの場として息づくように、その地下には、お江戸の日本橋が存在する。

 おなじみ、熈代勝覧


 今回目についたシーン。

 お茶屋さんの前でポワーンとしている花屋と、2階でポワーンとしている客。
 平和、の一言。これこそ熈ける御代の象徴か。

 左、猿回し。

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 日本橋周辺は様々なイベントが目白押し!


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