♪バッハ・カンタータ日記 〜カンタータのある生活〜

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zoom RSS 日本一の「仏師」の光を浴びる〜快慶展 @奈良国立博物館 − 運慶展が開幕した今こそ快慶を見直す

<<   作成日時 : 2017/10/12 15:54   >>

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 秋。ついに運慶展が始まって、空前の運慶ブーム到来?の今、あえて初夏の快慶展をふりかえる!
 (これは、今年の春に奈良で開催された快慶展の記事です。ほんとうは、記事の作成が遅れただけ)

 

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 特別展 快慶

  奈良国立博物館


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 今年の初夏、輝く季節の記憶。


 このブログを始めた頃から、なぜか、初夏の昇天節の頃になると、奈良に仏像を観に行くことが多くなった。

 今年の初夏も、また緑輝く奈良へ。
 これまでの総決算のような仏像展を観に行った。
 (その時の旅行の記事、前編後編


 快慶を特別愛するわたしは、本ブログを書きはじめてから、これまで10年以上に渡って、様々な寺院を訪ね、あるいは各地の展覧会等にコツコツと足を運び、膨大な数の快慶仏の一つ一つをこの目に焼き付け、その絶対無二の世界を五感で「体験」してきた。
 そんな、10年以上の年月が、何だかばからしくなってしまうような、快慶のすべてが文字通り奇跡のように一堂に会したスーパー展覧会だった。

 いや、実際には、これまでの年月は、もちろん決してばからしいものではなかった。
 それぞれの仏像を観た思い出、感動があざやかによみがえってきて、この展覧会は、それらの仏像の美しさ、すごさを改めて再確認する唯一無二の機会となった。
 いずれにしても、快慶ファンにとっては、そんな特別な、正に夢の一大イベントだった。



 全部で3回、展覧会を観た。


 1回目は、奈良に行って真っ先に会場に向かい、全体を俯瞰。

 土曜日の午後一番だったので、かなり混んではいたが、すでにお会いしている仏像とは、再会の喜びをかみしめ、新しく観る仏像、ずっと観たかったいくつかの仏像については、これまた大いなる喜びをもってじっくりと時間をかけて拝観。
 その他の貴重な資料等についても大枠を把握する。
 創造をはるかに上回る内容、さらにはこの期に及んで改めて思い知らされた快慶の天才ぶりにくらくらする。


 この日はその後、例によって伽藍復興工事中ならではのアイデアあふれる特別公開中の興福寺を訪れ、たっぷり閉門時間まで昔なじみの仏像たちと再会。
 はじめは、それから後はゆっくりと奈良の夕食を楽しみ、ホテルに帰るつもりだったのだが・・・・、

 土曜日の特別展が午後7時までであることを思い出し(仏像館はさらに遅くまで午後8時まで)、せっかくだから改めて観てみよう、ということで、再入場。(パスポートなので同日ならOK)
 2回目。
 何とほんのまばらにしか観覧者がいない、内覧会どころかほとんど貸切とも言える状態で、快慶の生涯にわたる主要作品のすべてを独り占め!
 天才快慶の珠玉の仏像一体一体と、気がすむまで一対一の対話を楽しむことができた。
 おそらく生涯でもこの機会だけと思われる、生涯忘れることができないであろう究極の至福体験となった。
 7時になって快慶展が終わった後は、仏像館へ。
 こちらも懐かしの仏像たちとたわむる。


 そして、3回目は翌日。

 午前中はこれまたたっぷりと時間をかけて、東大寺を散策、
 展覧会には絶対に入りきらない快慶の代表作にして究極作、金剛力士像等を観た後、
 帰る前にもう一度、ということで、2枚目のパスポートを利用して改めて入場。

 前日に図録等を観てチェックしたところを再確認したほか、すべての仏像と再会を約して、今一度、快慶の代表作が一堂に会している中に包まれている幸福に浸った。


 子供の頃、遊園地の恐竜博に連れて行ってもらったことがある。
 始めから終わりまでわくわくし通しで、何度も何度もくりかえし入場し、まるでバカみたいに果てしなくぐるぐる回っていたことがあった。
 快慶展を観ていたら、なぜかすっかり忘れていたその時の気分が鮮明に蘇ってきた。
 巨大な会場を巡ってゆくと次々と現れる快慶の代表作!
 考えてみれば、快慶の生涯における最も重要な仕事の一つは、重源とのコンビで行った、大仏再建のための勧進所の仏像造営、言わばテーマパーク造りだったのだ。
 と、いうわけで、仏像展にはあまりふさわしくない感想かもしれないが、何回観ても楽しかった。楽しくて楽しくてしかたなかった。
 正に一期一会の「夢の展覧会」を、心の底から堪能してきた。



 なお、展覧会の詳細については、今回観たそれぞれの仏像(すなわち快慶の代表的な仏像のほとんど)の、一体一体すべてについて、別途詳細記事を書いているので、いつの日かアップできたらと思う。
 (当初この記事はそれも含めてアップしようと考えていたので、こんなにも遅くなってしまった)


 ここでは以下の2点だけを特に記しておきたい。
 
 まずは、初めて観た清水寺奥之院の秘仏本尊・二十七面千手観音坐像。(但し、快慶作という確証は無し)
 一本一本の手がこんなにも激しくバラバラに運動し、しかもそのすべての手の所作がこんなにも気高くしなやかな千手観音を、わたしは他に知らない。
 そしてそれらの手は、夢見るように美しい顔や体躯(あの三宝院弥勒菩薩像を彷彿とさせる!)と見事に一つになって、自然で完璧な調和を形作っている。
 ダイナミックな躍動感と研ぎ澄まされた精緻さとが、高次元の美の中に陶然と溶け合っている。
 その美しさは、どこからどう観ても変わることは無い。
 わたしにとってかけがえのない千手観音(しかもとびっきりレベルの高い!)がまた一つ増えた。

 もう一つは、やはり、快慶の三尺阿弥陀の全貌を俯瞰する見事な展示。
 快慶がその生涯に渡って追求し続けた三尺阿弥陀仏(安阿弥様阿弥陀如来)の代表作をずらりと並べ、その変遷をたどるもので、その後の日本の仏像の「カタチ」を決定づけたとも言える快慶の代名詞・三尺阿弥陀尊が、いかに究極の完成へと深化を遂げていったか、その劇的な流れを体感することができる圧巻の展示だった
 快慶が最後にたどり着いたのが、最晩年の光林寺像(これも初めて観た仏像)。
 物理的な壮麗さでは東大寺俊乗院像等に一歩譲るものの、その表情、体躯、衣の襞の一つ一つまで、つまり像全体がこの世のものならぬ霊的な光を湛えている。
 三尺(約90センチ)。ほんの小さな、誰もが気軽に参拝できるフォルムの中に、広大無辺の大宇宙が凝縮し、さらには結晶化している!
 特にこの像は、実際にコーナーの中でも特に小さい像なのだが、すぐ近くで観るととてつもなく大きな存在に感じられ、慄然とした。

 ここで気をつけなくてはならないのは、快慶の場合、(これは三尺阿弥陀だけでなく全般的に言えることだが)若い頃や壮年期に皇室や大寺院がらみの仕事が集中しているということだ。
 これらの作品は、当然豪華な装飾をふんだんに施している上に保存状態も良く、ちょっと見、見栄えがする。とんでもなく見栄えがする。もちろんこれらの作品も、(圧倒的に!)すばらしいのだが、それにまどわされてはならない。
 快慶は、より幅広い対象を相手に三尺阿弥陀を造り続けた晩年にいたるまで、自らの技法を進化させることを決して止めなかった。快慶の究極の到達点は、一見何でもないような阿弥陀仏にこそあるのだ。それを見落としてはならない。
 三尺阿弥陀変遷の展示は、そのことを改めて確信させてくれた。

 清水寺奥之院の秘仏本尊・千手観音坐像、光林寺の三尺阿弥陀立像、
 これらの仏像に新たに巡り合えたことは、何物にも替えがたい大収穫だった。


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 今回の一泊二日の奈良滞在において、快慶展の合間には、特別公開実施中の興福寺を訪れ、春に根津美術館で観た梵天・帝釈天以外の定慶の主な作品のほとんどを観た。
 わたしは、快慶と並ぶ慶派の一匹オオカミ、定慶のことも、快慶に迫るくらいに好きだ。
 今回の旅では、「快慶の作品のほとんどすべて」を観た上に、「定慶の作品のほとんどすべて」をも観たことになる。
 さらにはこの少し前、GWに行った京博、それから今回の奈良博の仏像館で、今年新たに国宝となった、快慶の愛弟子・行快の不動明王像・降三世明王像を合わせて観ることができた。
 こうして幸運にも、快慶周辺の仏師の作品を一気にまるっと拝観することができたわけだ。


 そして、いよいよ・・・・!
 秋を迎え、今度は東京国立博物館で運慶展が始まった。
 運慶展を観る前に、こんなにも充実した快慶の展覧会を観ることができたのは、この上無く有意義で意味のある、かけがえの無い体験だったような気がする。
 THE BEST OF 快慶の後で、THE BEST OF 運慶。
 生涯に一度、あるか無いかの体験だと思う。



 ついに、運慶展にのぞむ。


 これまでもこのブログにおいて繰り返し書いてきたし、この記事の冒頭にも書いたので、しつこいようで恐縮だが、わたしは快慶が大好きで、個人的には運慶よりもずっと快慶の方が好きだ。

 運慶には内面をも鋭く表現する写実性があるということは言い尽くされてきたことだが、運慶は(そして快慶も)仏師であり仏像を造る芸術家。仏像にとって重要なのはやはり「内面」などよりも超絶性だと思う。
 どうも運慶には、「芸術」に取り衝かれて妙な方向に突っ走ってしまったようなイメージがあって、その作品を観ていると息苦しくなってくる。もちろん快慶も完全に何かに取り衝かれて生涯ひた走り続けたわけたが、そのベクトルが仏師として理想的な方向だったように思えるのだ。
 快慶は、まごうことなく、「仏」というこの世のものではない対象に迫ろうとしている。
 誰も見たことが無いものを、「写実」し、この世界に現そうとしている。

 だから、快慶の仏像を観ると、心が晴れやかになる。
 快慶の仏像は基本的にエンターティンメント性にあふれ、観ただけでわくわくするし(さすが勧進所で名をとどろかせた快慶)、
 その一方で、1メートルにも満たない何気ない阿弥陀像や地蔵像にただならぬ深遠さを感じ、世界の果てまで覗き見てしまったかのような思いを味わうこともある。
 快慶の仏像を観ると、心がどこまでもすかっと広がるような気分になるのだ。
 
 運慶の「真作と言われている」作品がほんの数えるほどしか残されておらず、快慶の作品は日本中に膨大な数が現存しているという事実も、このことと少なからず関係しているのかもしれない。
 また、現状ではもはやあまり大きな声では言いにくいことだが、わたしは今でもまだ、肖像彫刻の最高傑作と言われるあの重源像も快慶が造ったものなんじゃないか、と密かに疑っている。
 この像こそ、何百年も前に亡くなった重源その人の内面をもリアルに感じさせる、迫真性に満ちた作品。この作品の解説には、「重源像の作者として真っ先に考えられるのは快慶だが、作風は運慶のものに近い」というようなことが必ず書いてある。天才快慶の作風が、対象が仏であるか、人間であるかによって変化しているという可能性は考えないのだろうか。


 今回の展覧会においても、そんな「仏師・快慶」の超絶性ともいうべき唯一無二の特性を、改めて心の底から思い知らされ、わたしの「快慶愛」はますます深く大きなものとなった。


 そして、ついに、東京で運慶展が始まった。

 快慶(およびその周辺の仏師たち)のまぶしさ、神々しさを前身に浴びてくらくらになった頭&目で、いよいよ、今度はトーハクにおいて運慶展を観ることになる。
 これだけの数の「本物の運慶」が一堂に会しているのを人類が体験するのは、恐らく初めてのことだと思う。
 果たしてわたしの心がどのように動くのか、楽しみでもある。



 * 10月中に2度運慶展を訪れました。

   秋の運慶展の記事、こちら



 
 旅行の最終日には、東大寺も訪れた。

 何よりも、南大門に行きたかったのだ。
 快慶展の出口のところにあった「君も快慶マスターだ!」看板ではないけれど、やはり、南大門の金剛力士像だけは観ないと、わたしの中の快慶展が完結しないように思えたのだ。
 その後は、大仏殿周辺に点在する、快慶展で観た珠玉の仏像たちの現在の棲家を巡り、最後にもう一度快慶展を観て、帰路についた。



 以下、撮影可能な周辺の看やポスター、チラシ等で、展覧会の仏像をふりかえる。
 


 ちらしギャリー


 まずは、表(裏?)が快慶展、裏(表?)が運慶展の、すべての仏像ファン永久保存版のすさまじいちらし。

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 縦に二つ折りのロングバージョン。

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 美しい英語版ちらし

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 看板ギャリー


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 会場


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 展覧会の流れに沿って、


 初期作品

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 醍醐寺三宝院弥勒菩薩の記事、こちらこちら


 東大寺再興

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 高野山の快慶仏の記事、こちら

 東大寺鎌倉期復興をテーマにした以前の展覧会、頼朝と重源展の記事、こちら

 鎌倉期復興の慶派渾身の東大寺仏像群の記事、こちら


 霊像再生

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 三尺阿弥陀像

 鑿をふるうたび、阿弥陀様が出現する。

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 快慶の阿弥陀如来立像等に関する記事、こちらなど。


 (参考)


 トーハクの安阿弥様三尺阿弥陀仏

  鎌倉時代、左足外側に「安阿弥陀」の墨書。


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 トーハクの三尺阿弥陀の記事、こちらこちら



 展覧会の最後にこんなような看板(若干うろおぼえ)が待ち構えていた。


 特別展「快慶」の他に、

 1、安部文殊院、文殊菩薩渡海五尊像

 2、浄土寺、阿弥陀三尊像

 3、東大寺、南大門の金剛力士像、

 を見れば、

 君も快慶マスターだ!



 東大寺南大門・仁王像

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 金網越しに光を浴びて浮かぶその姿は、あまりの巨大さ、豪壮さゆえに、まるでCGみたいに、文字通りこの世のものとも思えぬ光景に見える。

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 南大門仁王像の記事、こちらこちら


 安部文殊院・文殊渡海五尊像

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 安部文殊院・文殊渡海五尊像の記事、こちら等。


 この快慶展を観たことによって、
 わたしの快慶行脚、後はほとんど、浄土寺阿弥陀三尊像と高野山光臺院の阿弥陀三尊像を残すのみとなった。
 今回の展覧会の三尺阿弥陀の展示を観たことによって、東大寺俊乗堂像の物理的な壮麗さと最晩年の霊的な光を併せ持つと思われる高野山光臺院像に会うことが、ますます楽しみになった。



 お楽しみコーナー


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 図録とクリアファイル


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  ☆    ☆    ☆



 今度の日曜日(10月16日、三位一体節後第18日曜日)のカンタータは、

 第2年巻(コラール・カンタータ)は、先週に続いて、2年目のこの時期ならではの、清々しいフルートの響きが美しいBWV96、
 後期4年目、魅力的なコンチェルト付、アルトのためのソロ・カンタータ、BWV169、
 の2曲。


 過去記事は、こちら。↓


 <三位一体節後第18日曜>

    三位一体節後第18日曜(BWV96他)
    わたしの漢詩入門・その4〜秋色の空。第1印象・杜牧から李白へ(BWV96他)
    豊穣の秋〜バッハとヘンデル、とっておきの新譜2枚





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