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zoom RSS 「甦る永福寺」展と隠れ里の古社。リアルな頼朝・伝説の頼朝〜続・鎌倉に頼朝自身の遺構をたずねる

<<   作成日時 : 2018/02/22 12:39   >>

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 平等院??

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 厳島神社??

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 いえいえ、

 源頼朝創建の大寺院、永福寺二階堂です。



 少し遅くなってしまいましたが、昨年末に鎌倉に行った記事。


 久しぶりに、○○自身による遺構をたずねるシリーズ。

 歴史上の偉人に関しては(特に中世以前の場合は)、業績が大きくて有名な割には、 直接関った遺構が現代にまでそれほど残されていないような場合が多い。

 日本史上最大級のビックネーム、源頼朝もその代表的な一人。 
 源頼朝に関しては、これまで、数度にわたって奈良東大寺に関する記事を書いてきたほか、2014年に「善光寺&表参道に頼朝伝説を訪ねる」(3回シリーズ)、翌2015年には「幻の永福寺二階堂ほか、鎌倉幕府開府当時の鎌倉バーチャル散策ガイド〜鎌倉に頼朝自身の遺構をたずねる 」、さらに2016年初夏には、「頼朝ゆかりの海の社、森戸大明神」という記事を書きました。

 今回は、その鎌倉編の続き、ということになります。

 昨年の5月に開館したばかりの鎌倉歴史文化交流館。
 その記念すべき第1回目の企画展として、昨年末に「甦る永福寺―史跡永福寺跡整備記念―」が開催されました。
 前回のこのシリーズの記事でちょうど永福寺跡を訪れたところだったので、最終日ギリギリセーフでこの企画展に行ってまいりました。
 実際に発掘された貴重な出土品や古文書を始めとする関連資料、湘南工科大学による最先端CGを駆使した「VR永福寺」等、最新の研究成果によって、頼朝が創建した大寺院・永福寺(これまでに見てきた、頼朝が復興に尽力した東大寺や善光寺ではない、頼朝自身が直接創建)の実態に接し、現状で可能な限りの「永福寺体験」をすることができました。
 少し前だと、幻の大寺院・永福寺がここまで我々の前に姿を現すことなど考えられなかったが、正に夢のよう。
 付近の谷戸の奥には、銭洗弁天をはじめ、頼朝が創建に係った伝説の残る古社が多いので、それらを久しぶりに訪ね、さらには源氏山公園の頼朝様にご挨拶、政子の寿福寺がゴール、という頼朝づくしのコース。

 部分的にちょっと険しいハイキング的なところもありましたが、好天、絶好の「鎌倉日和」にも恵まれ、とても印象深い鎌倉散策となりました。


 東大寺鎌倉復興に関する記事 こちらこちら

 「善光寺&表参道に頼朝伝説を訪ねる」(3回シリーズ) 

 「幻の永福寺二階堂ほか、鎌倉幕府開府当時の鎌倉バーチャル散策ガイド〜鎌倉に頼朝自身の遺構をたずねる 」

 「頼朝ゆかりの海の社、森戸大明神」



 まずは何よりも、企画展のレポート。


 大充実の企画展の内容を通じて幻の永福寺の姿に迫ります。


 企画展 「甦る永福寺―史跡永福寺跡整備記念―」


  鎌倉歴史文化交流館


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 展覧会の内容からダイナミックに浮かび上がる永福寺のあらまし。


 永福寺


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 奥州を平定し、武家による全国支配を確立させた頼朝が、現在の二階堂の地に創建した、往時の鎌倉を象徴する壮麗な大寺院。
 頼朝自身が鎌倉に建立した三大寺院の一つ。(残りの二つは鶴岡八幡宮寺、勝長寿院)

 中央に巨大な二階堂(これが二階堂の地名の由来)、左右に阿弥陀堂、薬師堂が配され、それらの堂は実際に人が通れる回廊(複廊)で結ばれていた。
 その前面には様々な島を配した広大な池と橋。
 その池に向かって、建築群の両端から、途中に中門を設けた寝殿造り風翼廊が延び、先端の池上には釣殿までが置かれるという壮麗さ。

 「武士らしい」と言われる質実剛健な鎌倉寺院のイメージを100パーセント覆す、正に究極の平安極楽浄土庭園。
 平泉の大長寿院二階大堂を観てその壮麗さに打たれた頼朝が、それに倣って造ったとされているが、平泉ではむしろ無量光院や毛越寺、さらには京都の平等院(あるいは最勝光院)に近く、それらをさらに徹底したような、現世に立ち現れた極楽浄土ともいうべき姿。

 それまでの浄土庭園は、一般的に自身の極楽往生や親族の供養を目的として造られるのが常だったが、この永福寺は、「敵だった源義経、藤原泰衡をはじめ、戦いで死んだ数万の人々の鎮魂、そして世界中の苦しみの救済のために」(吾妻鏡による)、さらには池禅尼等命を助けてくれた者の恩に報いるために(保暦間記による)、建立された。
 自らが滅ぼした一族の怨霊を鎮めるためにも必要だったのだろうとは想像されるが、いずれにしても、平和を願う頼朝の気持ちに偽りは無いと思う。

 ただ、そこは頼朝のこと、寝殿造りを加味した住宅性の高い独特の威容は、幕府というまったく新しい政権の権威を高らかに示すものであり、頼朝の死後、頼家や実朝の代になると、実際に花見、酒宴、詠歌、蹴鞠などの華やかな行事が、境内で盛んに行われたという。

 
 立ち並ぶ三つの堂は、屋根の連なりがかなり印象的だったようで、玉で造ったような瓦を葺いた屋根(海道記)、鳳凰が翼を広げたような屋根(東関紀行)など、様々な文献に記録が残っている。
 また、その内部は、かの平泉金色堂を彷彿とさせるような螺鈿細工や金銅製品で荘厳され、運慶による仏像が安置されていた可能性が高い。
 現存していたら、たいへんなことになっていただろう。



 以上のような「幻の大寺院」永福寺を、これまでに無いくらいリアルなものとして感じることができるかけがえの無い展示会が、今回の特別展だった。

 1981年(昭和五十六年)以来ほぼ四十年に渡って行われてきた大規模発掘調査の成果。
 上記寺院の概要も、この調査によって始めて明らかになったと言ってよい。



 復元図のすぐ近くに実際の瓦や柱が並べられていて、想像力を無限にかきたてられる。

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 さらに、永福寺を五感そのもので体感。


 VR永福寺 (湘南工科大学による最先端VR)


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 これが想像していたよりずっとすごかった。

 肝心の建物そのものがいかにもCGっぽいのはやむを得ないとして、山や木々は鮮やかな緑に輝き、空や水面はあくまでも青く、自分が実際にその仮想空間にいる感覚はものすごく強かった。
 池の畔に移動した時など、落ちないか怖くなってしまったほど。

 CG以外の何ものでもない仮想建築ではあったけれど、今振り返ってみれば、自分は確かに幻の永福寺の回廊に立っていたいたのだという「記憶」は強烈に脳裏に刻まれている。
 本物の永福寺に立つことが現実的にはおそらく永遠に不可能である以上、この「記憶」は貴重、ほんとうにかけがえにないもので、わたしはこの思い出を大切にしたい。

 マシンをはずした時、自分がまったく予想してもいなかった方向(待っている行列の人の真向かい)を向いていたので、驚いた。


 みんな左のようなニンジャマスクを着用。かなり怪しい。
 
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 順番待ちの部屋で上映されていた映像作品。

 基本的にこのグレードのCGの中に入ってゆく。

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 今回訪れた鎌倉歴史文化交流館は、鎌倉駅のすぐ西側の閑静な住宅地にある。

 いつも観光客等で大賑わいの鎌倉駅周辺だが、一歩中に入り込んだこのあたりは、歴史的な建築物を有するような超豪邸等も立ち並ぶお邸町。


 静かな谷戸の道を奥に進んでゆく。

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 旧古我邸の前を通る。

 鬱蒼とした、いかにもミステリーに登場しそうな佇まいで知られていたこの洋館も、今ではリユースされ、おしゃれなレストラン。
 この日は貸切で結婚式をやっていた。

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 そうした豪邸の中でも最も由緒深く、また豪壮なものの一つを文化施設としてリユースしたのが、鎌倉歴史文化交流館。

 この周辺は無量寺ヶ谷という谷戸で、江戸時代には刀工政宗の後裔の屋敷があったところ。
 大正時代には、岩崎小弥太が母のために設けた別荘があった。
 その後、2004年になって、フォスター+パートナーズの設計によって、「Kamakura House」という個人用住宅が建設されたが、2014年にそれを鎌倉市が取得。(所有者が土地・建物を、整備費用も含め市に寄贈)
 住宅建築をそのまま再利用する形で、当初の意匠をなるべく残しながら最低限の改修を行い、昨年、鎌倉歴史文化交流館としてオープンするに至った。
 以前からその存在は知っていて気にはなっていたが、その中に誰もが入って行けると言うのは、何とうれしいことだろう。


 谷戸の森の中に道が続いている。

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 個人宅!をそのまま生かした展示室。

 設計は、ノーマン・フォスター率いるフォスター+パートナーズ。
 建物を観るだけでも価値がある。
 外部もすごいが内部もすごい。内部まで普通に見ることができるとは、何とありがたいんだろう。今回は展示をメインに観たので詳しく写真等撮っていないが、いずれ改めて訪れ、記事にしたい。

 本館と別館からなり、本館は、ガレージ、ゲストルーム、リビング、寝室の順で部屋が並び、別館には、会議室等があった。
 どちらも奥に行くに従って窓が大きく明るくなる。

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 裏庭がまたお楽しみ。

 背後の大きな崖を利用した瑞泉寺ばりのやぐらをあしらった庭園。
 崖の上には散策路が続いており、古くからある神社跡等がある。

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 眺めも最高。建物の全容がながめられる他、驚くほど近くに海が。

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 鎌倉歴史文化交流館付近の谷戸の奥には、ちょうど頼朝が創建に係った伝説の残る古社が点在している。
 実際に頼朝が創建した永福寺に関する展示を観た後、せっかくなのでそれらの古社を訪ねることにする。


 まず、佐助稲荷神社へ。


 佐助トンネル

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 谷戸を奥へと進んでゆく。

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 佐助稲荷

 伏見稲荷を思い起こさせる果てしなく続く赤鳥居の列。
 深い山の中に入り込んでゆくところが、いかにも隠れ里の古社の趣。

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 お次は有名な銭洗弁天へ。


 銭洗弁天への近道

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 銭洗弁天

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 常ににぎやかで、ロウソクの灯りや線香の香りが絶えること無い境内。

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 真冬の陽はすでに傾き始めていたが、

 頼朝公の足跡をたどってきた今回の旅、せっかくなので、源氏山の頼朝公ご本人に御挨拶してゆくことに。


源氏山公園


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 夕暮れが迫り、人気も少なくなった広場の真ん中に、その人はいた。

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 頼朝の鎌倉入り800年記念事業の一環として、1980年に造られた。
 わたしが子どもの頃には無かったので、新しいイメージがあるが、すでに40年に渡り、鎌倉の街を見守り続けていることになる。(見えないけど)

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 眼下に鎌倉の街を見下ろしているとかっこいいのだが・・・・、

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 その前には広がるのはただの広場で、その先は木々によって完全に視界を遮られてしまっている。(冬枯れの木でも、視界は良くない)


 紅葉の中に佇む頼朝公。

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 はじめは、化粧坂から街へ下りようと思っていたが、今にも陽が暮れそうなので、寿福寺裏に下りる近道を行くことにした。


 この道、近道は近道なのだが、とても険しい。


 いくつか難所があるのだが、最後の難所(その3)がすごい。

 この崖を下らねばならない。
 柵や木の根は無い。この水路の刻まれた岩棚の先は、ほとんど直滑降。

 
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 無事崖を下りた後、振り返る。

 雨の日などには、ほとんど滝のように水が流れ落ちている。

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 突然、寿福寺裏の静かな人里に出る。

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 寿福寺

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 岩窟不動のある岩窟小路を抜け、小町通りへ。

 岩窟小路は、鎌倉市川喜多映画記念館の分れ道がおもしろい。
 長い塀の内側が川喜多映画記念館。
 内部は様々な植物が植えられた遊歩道になっていて、しばしの間、外の道路か内側の遊歩道かどちらか好きな方を歩くことができる。
 外の道も長い塀が趣のある美しい道だが、小町通りがすぐそこで車がひっきりなしに通るので、内側がオススメ。

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 例えようも無くゆるい顔出し看板。

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 小町通りでは、カレーの名店・キャラウェイでかちかちに凍ったおみやげカレー購入。

 おみやげルーは、並ばずに買えるのがうれしい。

 小町通りの雑踏を早々に切り上げ、2016年の春に美しく生まれ変わったばかりの段葛を通って、鎌倉駅へ。

 この日の全行程終了。



 なお、今回鎌倉歴史文化交流館で観た企画展は、「史跡永福寺跡整備記念」となっている。
 あの池跡に水が引かれ、とりあえず美しい史跡公園として整備されたようだ。
 来年、春が訪れて少し暖かくなったら、ぜひ再訪して、この「鎌倉に頼朝自身の遺構を訪ねる」シリーズの最終回としたい。





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