バッハの源流への旅・その7~聖週間・幻のエレミヤ哀歌

 【幻のエレミヤ哀歌】


 聖週間、というと、真夜中の音楽、エレミヤ哀歌。
 クープランやシャルパンティエの、幻想的な美しさをたたえたルソン・デ・テネブル、
 さらにはトマス・タリスの名曲を思い浮かべる方も多いことでしょう。
(ほんとはクープランのことでも書きたかったのですが、わたしはバロック音楽に疎いので、
 どうがんばっても、美しい、とか、すばらしい、以外に、何も書くことが見つからず、ついに断念しました。ごめんなさい)

 エレミヤ哀歌は、バッハのカンタータにも、何回も登場します。
 これまでにも何度かご紹介してきましたが、その中でも最も重要な曲は、やはり、

 BWV46 「見つめて、考えなさい、これほどの痛みを」

 です。

 これは、BWV105とともに、第1年巻を代表する名品で、よほど調子がよかったのか、この2曲は、1723年の夏に、立て続けに作曲されました。
 涙がしたたるかのごとく切実に、エレミヤ哀歌が歌われるBWV46の冒頭合唱、
 これは、あのロ短調ミサのブロリアの中核、「世の罪を除きたもう者よ」(クイ・トリス)の原曲、と、いうだけでも、たいへんな音楽です。
 でもこれは、先ほど書いたように夏のカンタータなので、詳細はまたあらためて。

 結局、音楽史の中で引き継がれてきた素材が、バッハという海に流れ込んでいる、と、いうことが言いたいのです。


 
 そして、エレミヤ哀歌から、わたしが真っ先に思い浮かべるのは、
 その大河の源流、またまた出ました、ギョーム・デュファイの、あの名高いモテトゥス・シャンソンです。

 「コンスタンチノポリスの聖母教会の悲しみ」

 これは、宗教音楽ではありません。
 世俗音楽、一応ブルゴーニュ・シャンソンですが、他のお気楽なシャンソンとも一線を画しています。
 エレミヤ哀歌と嘆きの歌を素材にした格調高いモテトゥス・シャンソン、
 バッハと並び立つ音楽史上の巨人、ギョーム・デュファイが、
 コンスタンチノープル陥落という世界史に残る大事件を目の当たりにして、
 その悲しみと絶望の中から立ち上がるために書き上げた、
 力強い「人間の歌」です。


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 バッハは、神の都の滅亡の話から入魂のカンタータを作り上げ、さらにそれを大ミサに発展させましたが、
 デュファイは神の都の滅亡を、現実世界のものとして体験し、その中で生きたのです。

 エレミヤ哀歌は、250年の時を越えてつながり、
 さらにはるかな時を越えて、現代のわたしたちへとつながっている、
 と、いうことです。



 「聖母教会の悲しみ」のCDは、ロンドン中世アンサンブルの全集に含まれたものが、やはり定番ですが、有名曲だけあって、

 古くはマンロウの心の絶唱!から、(左)

 アンサンブル・ディファレンシャスの、リコーダーと声による、遠い幻影を垣間見るような浮遊感のある演奏まで、(右)

 名演にことかきません。


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 * 今回も、CDジャケットをクリックすると、曲目・演奏者の詳細等が
   見られるようにしました。
   (クリックして、拡大してください)


 でも、わたしにとっての最高の演奏は、
 アンサンブル・ジル・バンショワの永遠の名盤、
 「デュファイ&バンショワ・シャンソン集」に収録されているものです。
 
 初めてFMか何かで聴いたとき、あまりの美しさに衝撃を受けました。
 窓の外の夕焼け空いっぱいに、エレミヤ哀歌と嘆きの歌とが、からみ合ったり離れたりしながら、滔々とながれてゆくのが見えたように思えて、気がつくと、涙があふれて止まらなくなっていました。
 わたしの最も貴重な音楽体験のひとつ。
 そしてこれが、「音楽史をさかのぼる旅」に出発するきっかけにもなりました。


 ところが、です。
 わたしはこのCDを持ってません。
 ですから、先日のブルゴーニュ・シャンソンのCDの記事では、ブルゴーニュ・シャンソンの代表的な名盤であるこのCDを、ご紹介することができませんでした。

 まあ、このくやしさも、この前ご紹介した、カンティカ・シンフォニアの超名盤の登場によって幾分か薄まりはしましたが。
(でも残念ながら、このCDには、「聖母教会の悲しみ」は収録されていません)

 入手困難な理由は、フランスのハーモニック・レーベルがつぶれてしまった?ためです。
 もう何年も、中古店やインターネット上を探し回ってますが、よほどめぐり合わせが悪いのか、見つかりません。
 東京近辺の、どの図書館にもありません。
 まるで、そんなものは始めから存在してないかのようです。

 以前、スペインのカントゥスから、
 旧ハーモニック・レーベルの「マショー・モテトゥス・シャンソン集&ノートルダムミサ」(やはりアンサンブル・ジル・バンショワの歴史的名盤)がリリースされましたが、
(これもすごかった!)
 同時に旧ハーモニックの音源もかなり再発されました。
 そのとき代理店にまで問い合わせたところ、当然ブルゴーニュ・シャンソン集もリリースされ、すでに日本にも出荷済みとの返答だったので、大喜びで予約したのですが、なぜか未だに到着したという話は聞きません。

 これでは、バッハファンだと言いながら、リヒターのマタイやグールドのゴールドベルクを持っていないようなもので、かっこうがつきませんが、
 まあ、いつかは再会できるだろう、と信じています。
 このような思い出にありがちなことで、心の中で、何倍にも美化してしまってる可能性はありますが・・・・。


 かわりに、アンサンブル・ジル・バンショワがシャンソンを歌った、
 超名演をご紹介しましょう。
 まったく知られていませんが、わたしは、これは、例えて言うなら、
 クラシックの世界の、フルトヴェングラーの第9や、クナッパーツブッシュのパルシファルなどにも相当するような、歴史的価値を持つ演奏ではないか、と、思っています。


▽ J'en ay dueil(わたしは悲しい)
    アンサンブル・ジル・バンショワ
    (Virgin Classics)

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 アンサンブル・ジル・バンシヨワのめずらしいルネッサンス・シャンソン集、
 Amour Amours 収録。
 リリースのニュースを聞いたときは、
 え、アンサンブル・ジル・バンショワがルネッサンス?
 と、耳を疑いましたが、オケゲムなどは中世の香りを色濃く残しているので、OKでした。
 いや、それどころか、「わたしは悲しい」などは、
 ロンドン中世アンサンブルのオケゲム全集の演奏の倍とも思われるゆったりとしたテンポで、せつせつと歌い上げた超名演で、わたしの記憶の中の、幻の「聖母教会の悲しみ」の名演と並ぶものがあるとしたら、これだけかもしれません。



  *    *    *



 【つづき : エレミヤ哀歌との再会】 


 つけたしです。
 
 他のところに書かせていただいた原稿等をまとめ、以上のような記事を準備してから、
 昨日はでかけました。

 そして、いつものように仕事をさぼり、CDショップをぶらぶらしてたところ、
 あるCDが目に飛び込んできて、金縛りにあったかのように動けなくなってしまいました。

 そうです!

 アンサンブル・ジル・バンショワの、
 デュファイ&バンショワ・シャンソン集!

 5年以上探してきたCDを、ついに見つけることができたのです!
 
 離れ離れになってしまって、ずっと探し続けた恋人に、やっとめぐり合えたような気分。

 目に涙を浮かべ、震える手でCDを差し出すわたし。
 きっと店員さんも、びっくりしたでしょう。


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 * 夢にまで見たCDジャケット。


 でも、こんなこと、あるんですね。
 ちょうどこのCDのことを書いて、記事をアップする寸前に、CDを見つけるなんて。
 あんまり偶然だったので、前の記事もそのままにしておくことにしました。


 でも、そのCDですが、何だかこわくて、まだ聴いてません。
 もう少しあたたかくなってから、
 そう、もう少し緑が増えて、風が香るようなさわやかな季節になったら、
 ゆっくりと聴いてみたいとと思います。
 その感想等は、また、ご報告します。



  *    *    *



 さて、この「源流の旅」シリーズ、
 旅と言いながら、いつまでもデュファイ周辺をウロウロしています。

 実は、わたしが一番好きで、良く聴くのは、もう少しさかのぼったあたり、つまり、

 グレゴリオ聖歌からポリフォニーが生み出された頃の音楽、
(シャルトルやアテキーヌ、サンチアゴなどの初期ポリフォニー。ただこれらが初めてのポリフォニーだという音楽史上の通説はあやしいものですが)

 それから、そのポリフォニーを巡礼や吟遊詩人たちが各地に広めていった頃の音楽、
(カンティガや、トルバドゥール。「モンセラートの朱い本」の美しさ!)

 などです。

 ただ、これらはもちろん、作曲者がAnonymousなので、
 最も好きな作曲家、ということになると、どうしても、やはりギョーム・デュファイということになります。
(他には、バンショワやオケゲムはもちろんですが、少し前のフィリップ・ヴィトリくらいでしょうか。あと、一応マショーも)

 ほんとうは、これからどんどん源流へとさかのぼっていきたいんですが、
 そんなもの、誰も読みたくないのでは、という気も・・・・。

 それともしばらく、人気のジョスカン・ルブロワットでもやって、お茶を濁すか。



  *    *    *



 最後に、もうずいぶんたってしまいましたが、
 去る3月21日は、われらがJ.S.バッハ氏の誕生日でした。

 わたしはすっかり忘れていて、まるで家族の誕生日を忘れてしまったみたいなうしろめたい気持ちでいたのですが、
 あるブログを拝見させていただいたところ、
 暦等の関係で、バッハが生まれた時代(+地域)の3月21日は、
 現代の4月3日に相当すると考えてもよいとか。

 一応探し続けてきたCDを発見したこともあったので、
 昨日は、一人でケーキを食べてお祝いしました。

 J.S.バッハさん、お誕生日おめでとうございます。(遅ればせながら)
 心からの、愛と感謝をこめて。



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この記事へのコメント

2007年04月07日 16:01
コンスタンチノープル陥落。

拮抗していた東西の勢力バランスが一気に崩れたとき。
教会のみならず、キリスト教世界全体が震撼した歴史的瞬間。
その衝撃の前に、神を失い、ハイマートロスの嘆きのうちに編纂された「エレミア哀歌」の慟哭を見た、デュファイが書き上げた『コンスタンチノポリスの聖母教会の悲しみ』。
Noraさんの文章を読んでいるだけで、胸が痛くなるような想いがしてきました。

私が知っているのはクープランの「ルソン・デ・テネブル」のみです。
祈りと哀しみがたゆたうように美しい曲。私が好きな曲です。

でも彼は、デュファイは、切実な真実の肉の痛みとして、このコンスタンチノープル陥落にエレミアの涙を実体験したに違いない。
完膚なきままに打ちのめされたエレミアとデュファイ。
二人の間で交感されたであろう思いの深さを考えてみたいと思いました。
2007年04月07日 16:12
長年捜し求めて逢うことの叶わなかった幻の恋人との再会。
こんな不思議な偶然があるんでしょうか。
涙ながらにCDを差し出されたというNoraさんのお気持ち、いかばかりであったことでしょう。
しかも、時はこの「聖週間」に・・・

>でも、そのCDですが、何だかこわくて、まだ聴いてません。
 もう少しあたたかくなってから、
 そう、もう少し緑が増えて、風が香るようなさわやかな季節になったら
 ゆっくりと聴いてみたいとと思います。

このお気持ちもわかるような気がします。
そう。
こわいんですよね。
あまりにも信じがたい偶然。偶然とは思えない偶然。
むしろ、バンショワのCDの方がNoraさんに恋焦がれて、向こうか逢いにやってきた、とでもいうような。
2007年04月08日 11:53
 デュファイの「コンスタンチノポリスの聖母教会の悲しみ」、
 長年積み重なった思いから、本文では、アンサンブル・ジル・バンショワ盤を別格あつかいしていますが、
 aostaさんがお持ちのロンドン中世アンサンブルの演奏も、格調の高い、すばらしい演奏です。
 実際聴いてみたら、こちらの方がよいかも。(笑)
 あー、怖い・・・・。
2007年04月08日 12:33
> 私が知っているのはクープランの「ルソン・デ・テネブル」のみです。祈りと哀しみがたゆたうように美しい曲。私が好きな曲です。

 もし興味がおありなら、ほかには、やはり、イギリスのトマス・タリスのものが、音楽史上の最高のエレミヤ哀歌、と言われています。
(わたしには、ちょっと美しすぎますが)
 タリス・スコラーズの決定的名盤が、けっこう入手しやすいはずです。

 これもまた、英国国教会の成立という世界史上の大事件に翻弄された、
 熱心なカトリック教徒だった(と推定される)タリスが、
(彼はなんと、エリザベス朝の宮廷音楽家でした)
 大きな悲しみとともに、ほとんど自身の信仰のためだけに書いた、涙の音楽です。
 さて、記事に書いたように、バッハも、自身の代表作、ロ短調ミサの中核のひとつに、エレミヤ哀歌ゆかりの音楽を置いています。
 これもまさに、涙したたるような音楽です。
 バッハははたして、何を悲しみ、それをどのように克服したのでしょうね。
March Hare
2008年01月17日 05:10
初めまして。
私、ハーモニックのこのCDもってますけど、それほど貴重だったのですね。
ハーモニックではAblitzerによるブクステフーデのオルガン全集の最終巻(第6巻)が結局出なかったような。
2008年01月17日 19:50
 March Hareさん、初めまして。よろしくお願いいたします。
 一時はどこにでもあったのですっかり油断していたのですが、ハーモニックがつぶれた後、なぜかこのCDだけは中古店等にもあまり出回らなかったようです。みなさん、あまり手離さなかったのかもしれません。
 ブクステフーデ、よさそうですね。ハーモニックは、ほんとに魅力的な音源の宝庫でした。第6巻がどうなったか、ちょっとわかりません。リリース済みのものはけっこうスペイン・カントゥスから復刻されたようですが、未録音だったものは難しいかもしれませんね。
2008年01月18日 09:19
 ほんとだ。
 6巻だけジャケットの感じがちがいますが、ちゃんとハーモニックレーベルのマークがついてます。
 ということは、CDも存在しているのでしょうね。

 いずれにしても、インターネットの時代になって、日本のCDショップに実際に流通する輸入盤は、以前に比べて、ほんの一部にすぎない、というのは聞いたことあります。
March Hare
2008年01月23日 22:54
うちにあるハーモニックの、Ensemble Gilles BinchoisのCDを発掘してみました。
Ecole de Notre-Dame de Paris H/CD 8611
Ecole de Notre-Dame de Paris H/CD 9349
Guillaume de Machaut H/CD 8825
Guillaume Dufay et Guilles Binchois H/CD 8719
Les Tons de la Musique H/CD 8827
いや、あらためて貴重な録音が多いですね。

2008年01月24日 21:09
 March Hareさん、こんばんは。
 ううん・・・・、こうして見ると、ほんとうにすごいラインナップですね。
 しかも、ノートルダム楽派とマショーについては、他レーベルから、続編をリリースして、(ほぼ)全集を完成させました。いずれも、不滅の名盤だと思います。
 さらに、その他に、ヴァージンレーベルの名盤もあるのだから、すごい!

 ところで、March HareさんのリストのCD、シャンソン集以外のものも、最近はだんだんと見かけなくなってきました。ほんとうに、貴重になってきてしまいましたね。

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