NEC古楽レクチャー Vol.24「ヨハネ受難曲」第1日・作品と資料について(ゲスト:小林義武先生)

 尊敬する小林義武先生が、ゲスト講師だ、と聴いて、とるものもとりあえず、行ってまいりました。
 当然、最前列の席。


 小林先生は、科学的な鑑定によって、バッハの楽譜の成立年代を特定する研究の、世界的な権威。
 ご本人もおっしゃっていましたが、
 この研究は、泉(=ドイツ語では資料の意味もある)を探求することによって、小川(バッハ)そのものの姿を知る、というもの。
 バッハの作品、さらには人間そのものを明らかにしていく重要な研究に他なりません。


 バッハの場合、楽譜の成立年代特定には、主に、次の3つの方法が有効です。


 1、紙のすかし模様の鑑定

画像 これは、ヴァイス5番というすかし模様。
 紙の専門家ヴァイス氏と
 小林先生が協力して、カタログを作成。
 実際にカタログを見せていただきましたが、
 
 ヴァイス1・・盾を持った兵士のような絵
 ヴァイス2・・1が変形したもの
        腰ミノを着けた女性に見える
 ヴァイス3・・さらに変形して、
        ほとんどフラダンスする女性
 ヴァイス4・・口を開けて飛び上がるシカ
   ・
   ・
   ・

 という感じで、
 何とヴァイス130番台まである。


 2、バッハ自身の筆跡鑑定

画像


 これは、最晩年の筆跡の乱れ。
 上のト音記号は一応書けてますが、下のは、完全にくずれてしまってます。


 3、コピスト(写譜者)の筆跡鑑定

画像
 主要コピストの一人、
 マイスナー君の筆跡の変化。

 始めは、バッハの筆跡とまったく異なりますが、
 おしまいにはほとんど見分けがつかないほど
 似かよってしまい、
 余計な混乱が生じてしまいました。

 現在、コピスト筆跡カタログ出版の準備中とのこと。
















 以上の3つの鑑定を併用することによって、楽譜の書かれた年代を絞り込んでいき、最終的にその作品の成立年代を特定するわけです。


 地道にこの鑑定をくりかえした結果、
 小林先生は、これまで伝えられてきたバッハ晩年の姿のコペルニクス的転回を実現しました。

 すなわち、バッハの代表作とも言える2作品、フーガの技法とロ短調ミサ曲の成立年代が、実は、従来考えられていたのとまったく逆であった、という発見です。

 今ではよく知られるようになりましたが、
 これまで白鳥の歌とされていたフーガの技法は、実は、おどろくほど早い時点ですでに大部分が作曲されていて、
 バッハが最後の力をふりしぼってまとめあげようとしたのは、まさしく、ロ短調ミサの方だったわけですね。

 これは、
 バッハがその生涯の最後に取り組んだのが、単に対位法の総決算ではなく、
 対位法から信仰にいたるバッハの人生そのものの総決算、ミサ・トータのとりまとめだった、ということ、
 さらには、その仕事は、フーガの技法のように志半ばで未完に終わったのではなく、堂々と成し遂げられ、バッハは、愛する神への心からの感謝の中、その生涯を終えたのだ、と、いうことをもあらわすものです。

 つまり、バッハという人間そのものを根底から見直すような、大発見だった、ということ。


 
 この日は、実際に、楽譜等の貴重な資料をもとに、
 ヨハネ受難曲の各稿のちがいについてご説明していただきました。


 ご存知のように、バッハは生涯にわたって、ヨハネ受難曲をくりかえし上演し続けました。
(過度な表現を含むとして、市当局からの妨害があったにもかかわらずです)
 従って、ヨハネには、わかっているだけで、4種類の稿が存在し、その他、途中までバッハ自身の手による総譜があります。

 第1稿と第4稿はだいたい同じ(それでも楽器編成や歌詞などだいぶちがう)なのですが、
 第2稿と第3稿は、一般的にわたしたちが聴くヨハネとはだいぶ異なる音楽になっています。

 ここでは細かく書かないようにしますが、
 大まかには知っていた事実も、その根拠となる資料等を実際に参照して説明していただくと、
 その変更の理由や、その時のバッハの気持ちみたいなものまでが手に取るようにわかり、
 とても密度の濃い、収穫のあるレクチャーを聞かせていただきました。

 それにしても、わたしたちは、かんたんに第〇稿などと言ってますが、
 膨大な断片を、ここまでまとめあげた、小林先生ほかの研究者の方々の苦労たるや、
 想像を絶するものだったにちがいない、と、あらためて思いました。



 さて、この日は、小林先生が用意してくださった貴重な資料の数々を見ることができたほか、 鈴木雅明さんご自身のチェンバロ、雄人さんのオルガン(オブリガート担当)、コンサートに出演される歌手の方々の歌唱で、
 実際に、めずらしいバージョンの実演も聴くことができました。

 第2稿のコラール付バス・アリア、
(ヴァイマールの受難曲?から転用され、のちに削除された幻の楽曲。
 これが、また、対位法的に見事な上に、陶然とするほど美しい!)
 有名なバスのアリオーソ(第19曲)の、第3稿、第4稿、それぞれのバージョン、
などなど。


 このバスのアリオーソは、ヨハネでも最も美しい音楽の一つとして知られてますが、
 第1稿では、伴奏が、2本のヴィオラ・ダモーレ+リュート、という、まさに、この世のものとも思えぬ、妙なる響きの音楽でした。
 それが、第4稿では、2本の弱音器付Vn+チェンバロ(あるいはオルガン)に変更されてしまったのですが、そのかわり、コントラ・ファゴット(バッソ・グロッソ)、という楽器の補強が付け加えられました。
 3メートルを超える巨大楽器で、巨大さの割には、「何とも言えず静かでやさしい音」がする、とのこと。ううん。聴いてみたい。

 バッハ・コレギウム・ジャパンの今年の受難曲は、
 ヨハネ第4稿をとりあげるそうで、コンサートには、この楽器も登場予定とのこと。
(今頃はもう終わってしまったか)
 

 それにしても、あらためて思い知らされましたが、やはり鈴木さんのチェンバロはすさまじい!
 何気なくさらりとひくフレーズが、なんて生き生きしてるんでしょう。
 もっと、鍵盤に力を入れてくれればいいのに。
 曲もすばらしかったし、わたしは、受難曲は、これを聴けただけでもう十分です。



 さて、話が白熱して、予定時間もだいぶオーバーしてしまったのですが、
 最後に少し質問タイムをとってくれました。
 ところが、カンタータについては、聞きたいことが山ほどあるのに、ヨハネについては何ひとつ思いつきませんでした。無念。


 最後に。
 滑舌が良く、話が流暢な鈴木さんに比べて、小林先生は、一言一言かみしめるように静かに話をされますし、
 風貌もいかにも学者然として、どちらかというとクールな印象の方です。
 でも、鈴木さんたちの演奏を聴いている時の小林先生の表情はとても幸福そうで、ご自分が舞台にいらっしゃることなど忘れてしまっているかのようでした。
 
 その音楽を見つめる純粋な瞳を見て、この人は本物だ、と、確信しました。
 一生、ついてゆきます。(勝手に)



 * ここにのせた資料は、すべて、このレクチャーで配布してくださった
   小林先生のプログラム用の特別寄稿、
   「《ヨハネ受難曲》BWV245の第4稿とその成立史 -資料から読み取れるもの-」
   にのっていたもの。
   また、この記事の内容についても、一部同資料を参照。



 * 当日の資料詳細は、こちら



そのほかの「記事目次」

「全体記事目次」

カンタータ日記・奥の院

浅田真央さん情報・最新版

宮沢賢治記事目次

カンタータ日記・大阪モダン建築図鑑

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この記事へのコメント

2007年04月09日 22:42
こんばんわ。すごいレクチャーですね。超豪華メンバー。
僕も小林先生は大好きです。何といっても、安易に結論を出さずにじっくりと実証的な研究を積み重ねていく姿勢に非常に惹かれます。素晴らしい。研究者の鏡ですね。
こういう研究者が日本から生まれたというだけで、誇らしげに思えてきます(笑)。

こういう貴重な記事をまとめていただいて、嬉しく思います。
これからもよろしくおねがいします(笑)。



2007年04月10日 19:28
 たこすけさん。こんばんは。
 こんなことを言ってくださる方がいらっしゃるとは・・・・!
 小林先生、実績のわりに明らかに地味なので、まるで自分のことみたいにうれしいです。(涙)
 でも、あらためてこの記事を読み返してみると、単に小林先生のご紹介みたいなもので、当日のレクチャーの内容についてはほとんどふれてないことに気づきました。(笑)
 ごめんなさい。

 当日の内容は、
 まず、ヨハネのバラバラだった楽譜が実際にはどのような方法で4つの稿に整理されたか、ということから始まり、その4つの稿の具体的な違い、さらには、その変更理由を徹底的に検証することによって、市当局から自分の芸術を守ろうとしたバッハの死闘?を浮き彫りにする、という、ハードかつとてもおもしろい内容のものでした。
 これはちょっと、かんたんには書けませんね。
 いつか自分なりにまとめられたら、書いてみたいと思います。
2007年04月10日 19:52
 なお、本文を読み返して、気がついたことがあったので、補足させていただきます。
 小林先生の話し方が、鈴木さんにくらべて流暢でない、というようなことを言ってますが、
 小林先生は、留学後、そのままゲッティンゲンのバッハ研究所に入られて、延べ25年以上もドイツにいらっしゃった方なので、もしかしたら、ドイツ語だったらものすごく流暢なのかもしれないです。

 いずれにしても、25年もの間、ひとつの研究に没頭された、ということ。
 そして、記事に書いたように、ヨハネ1曲だけみても、膨大な時間と手間が費やされているのに、小林先生を始めとするバッハ研究者の方々は、他の曲やすべてのカンタータについて、同様の作業、検証を行なっているわけで、
 わたしたちがお気楽にいろいろな音楽を楽しめるのは、作曲家や、演奏家はもちろんですが、このような研究者の方々の努力の、長い長い積み重ねのおかげでもあるんだ、いうことを、あらためて実感しました。
2007年04月11日 13:16
こんにちわ。

>こんなことを言ってくださる方がいらっしゃるとは・・・・!
>小林先生、実績のわりに明らかに地味なので、まるで自分のことみたいにうれしいです。(涙)
 
喜んでいただいて嬉しいですが、そんなにマイナーなのでしょうか?逆に心配になってしまいますね(笑)。

元の記事に
>その変更の理由や、その時のバッハの気持ちみたいなものまでが手に取るようにわかり、
とありましたが、この「バッハの気持ち」という表現に非常に惹かれています。「バッハ」という言葉と「気持ち」という言葉がなんとなく直結しないような・・・(笑)。
私も「バッハの気持ち」が知りたいですね。

考えてみると、300年もの前の人の考えや行動を明らかにして、想いを同じくしようというのですから、すごいことですね。


2007年04月11日 21:59
> そんなにマイナーなのでしょうか?逆に心配になってしまいますね。

 ちょっと言いすぎだったかもしれません。
 小林先生について、たこすけさんがコメントしてくださったのが、うれしくて。
 でも、やはり、実績の大きさからすると、まだまだマイナーなような気がしますね。

 「バッハの気持ち」についてですが、 
 バッハとはもう長いつきあいなので、わたしの中でも、少なくとも会社の上司や親戚のおじさんなどと同程度には、こういう人だ、というイメージが確立してしまっています。
 まあ、いつもの思い込みにちがいないですが。(笑)
2013年02月08日 16:06
旅の者様

 貴重な情報満載のブログ拝見させていただきました。じつはこちらでご紹介されている
 「《ヨハネ受難曲》BWV245の第4稿とその成立史 -資料から読み取れるもの-」
 をぜひ読みたいのですが,何らかの形で送っていただけないでしょうか? 先月逝去されたとの知らせを聞き,直接お願いするすべがなくなってしまいました。もしもお許しいただけますならば,上記FBから指図いただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
2013年02月10日 10:24
横から失礼します。
小林先生、亡くなられていたのですか。
確かにwikiでは書かれていましたが、大学のHPなど見ても情報がないので今だに信じられない思いです。
本当だとすると非常にショックです・・・。
2013年02月11日 10:25
私も非常に残念に思います。心のある学者だったと思います。資料のコピーの件,Nora 他関係の方々に重ねてお願い申し上げます。ご指定の方法でかまいません。BCJにも問い合わせましたが,目下多忙のようで3月末以降に対応可能と言われています。
2013年02月13日 09:41
 Cantanoさん、
 旅行中で不在だったため、お返事が遅れて大変失礼いたしました。申し訳ありません。
 小林先生がご逝去されたとのこと、まったく知りませんでした。教えてくださって、ありがとうございます。わたしも残念でなりません。心からご冥福をお祈りしたいと思います。

 なお、わたしはFB等利用したことがありませんので、このページの記事部分の最後に、当日の資料を貼り付けたページへのリンクを、付け足させていただきました。どうぞご参照ください。
2013年02月13日 09:43
 たこすけさん、
 わたしも、公的な確認ができないのでカンタータ掲示板の方には書けないでいるのですが、ほんとうにショックです。つい先日も、カンタータ掲示板で、ロ短調ミサのご質問に対して最高の参考資料として小林先生の著書をお奨めしたばかりでした。
 先生がどれほど多くのものを与えてくださったか、はかりしれません。

 この記事のレクチャーで、鈴木さんはじめBCJのメンバーのバッハ演奏を、ほんとうに幸せそうに聴いていらした先生の横顔が今もはっきりと思い出されます。
 この時に、結局一番大切なのは、音楽への愛なのだ、ということを、どんな言葉よりも強く教えていただいた気がします。

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