バッハの源流への旅・その9~惑星の音階、天体の音楽

 「惑星の音階」について

 aostaさんの興味深い記事を読ませていただき、わたしも少し書いてみたくなりました。

 わたしの場合、いつもみたいに、ウンチク+曲紹介になってしまいますが、
 お許しください。
 
 

 宇宙に流れる音楽、宇宙を貫く音楽が存在する、
 あるいは、
 宇宙の森羅万象は音楽的である、
 という考え方の起源は、
 紀元前のアリストテレスやプラトン、さらには、ピタゴラスにまでさかのぼります。
(つまり、偉い人は口をそろえてそう言ってるわけです。例:プトレマイオス「ハルモシア論」他)


 宇宙のすべての事象は、数学的法則に基づいている、
 音楽は、それを知覚し得る最も明確な現象に他ならない。

 つまり、

 宇宙調和(天空和合)の原理=数学理論=音楽理論

 ということ。



 この考えを発展させたものが、 
 6世紀のボエティウスの「音楽教程」です。


 1、数学
   数学原理(=音楽原理)の学習

 2、幾何学
   実際に目に見えるものを原理に基づき、測定し、理解する。

 3、音楽
   目に見えぬが、聞えるものを原理に基づき、測定し、理解する。

 4、天文学
   目にも見えず、音にも聞えない、測定不可能な天体の世界(中世においては神の世界)
   の事象を、
   音楽の比例関係等によって、類推、把握する


 これによると、音楽は、人間が知覚し得る最高位の現象と位置づけられ、
 逆に言えば、たった一つの楽器の音の関係から、宇宙のすべてを類推できる、
 ということになります。


▽ ボエティウスの一弦琴の図
  一弦琴から、ピタゴラスの宇宙調和理論を説明している。

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 ボエティウスの「音楽教程」は、なんと、その後1千年の長きにわたって、中世の学問の根幹を成すこととなり、
 それは、そのままルネッサンスへと引き継がれていきます。

 ボエティウスが、古代とルネッサンスの架け橋の役割を担ったのですね。



 ケプラーなどの理論も、おそらくそこから派生したものなのでしょう。

 ケプラーは、古代や中世においては観測できなかった天体を、実際に観測し、
 その結果、実際に、妙なる神秘の音楽を感じ取ったのではないでしょうか。



 一方、こんな例もあります。


▽ ルネッサンス期
  ロバート・フラッドの「音楽の寺院」

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 フラッドは、宇宙を構成する音楽理論を、建築にびっしりと数字等を書き込むことで表現しようとしましたが、
 どうやら、これは失敗したようです。
 わけがわからん・・・・。



                              以上、参考文献:「中世音楽の精神史」 金澤正剛ほか
                                  図版:「西洋音楽史体系1」



 ところが、です。
 なんと・・・・!

 宇宙調和の原理=数学理論を、
 最高のレヴェルで、
 目に見える形=建築、
 音に聞える形=音楽、
 に結実させた作品があります。


 フィリッポ・ブルネルスキ設計・建築の、
 フィレンツェ、サンタ・マリア・デル・フィオーレ(花の聖母マリア)大聖堂・ドゥオーモと、
 またまた出ました、他ならぬギョーム・デュファイ作曲の、
 モテトゥス、「バラの花が先頃」です。


 40年近い年月をかけてようやく完成した、
 ルネッサンスの象徴である大聖堂。
 教皇自らが主催したその献堂式で、器楽とともに奏された新作モテトゥス。

 天の音楽が、ドームに響きわたった、と、書記官は記しています。
 

 この建物は、
 ドゥオーモを始めとする外観から内装にいたるまで、さまざまな部分が、最高の美を表わすと信じられていた比率で設計されていて、
 デュファイのモテトゥスも、テーマがそれとまったく同じ比率の長さで重なり合う、見事な対位法作品となっています。
 つまり、この2つの作品は、
 まったく同じ、ひとつの数学的調和を、
 建築と音楽とで、あらわしたものなわけです。


▽ フィリッポ・ブルネルスキ設計、
  フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ(花の聖母マリア)大聖堂ドゥオーモ。(左)
  デュファイ作曲、「バラの花が先頃」楽譜。(右)

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 「ばらの花が先頃」は、デュファイ絶頂期の大傑作。
 その評判は、ヨーロッパ中にとどろきわたり、その後の音楽の行方を決定付けました。

 有名作品だけに、ヒリヤード・アンサンブルの決定盤をはじめ、古くから、名盤にことかきませんが、
 ブルゴーニュ・シャンソンのところで御紹介した
 カンティカ・シンフォニカの、最新録音が、空前絶後の奇跡の美演。


▽ CD情報はこちら。(↓画像をクリックしてください↓)

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 モテトゥス集




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 シャンソン集(おまけ)




 


 ちなみに、わたしは、この曲のタイトルを、しばらくの間、
 「ばらの花が咲き頃」だとばかり思ってました。
 そちらの方が、この曲の美しさには、よりふさわしい気がする・・・・。



 さて、この「源流の旅」、
 これから、いよいよ中世へとさかのぼっいきたいと思っていますが、
 aostaさんの書かれた「天空の音階」の記事を読ませていただいたおかげで、
 これからご紹介していく中世の音楽のバックボーンとなる考え方を、自分なりにまとめ、
 それとともに、最後に残されていたデュファイの名作をご紹介することができました。
 心から、感謝いたします。



 さて、現代に生きる私たちですが、
 美しい星空を眺め、耳をすますと、
 音楽が聴こえてくるような気がしますね。
 ケプラーも、実際に音楽を聴いたのでは。

 わたしの場合、聴こえてくるのは、やはり、バッハでしょうか。

 バッハは、それまでの音楽のすべての要素が流れ込んだ巨大な海。
 音楽の数学的な側面を、総括した音楽家でもあります。

 バッハの晩年の作品、特に最後のロ短調ミサは、音楽の数学的原理や符号を、極限まで追求した作品です。

 バッハが、まるでこじつけのような数学にこだわればこだわるほど、
 音楽がこの世のものならぬ光のようなものを帯びてくる、という、
 この恐るべき事実。

 これについては、またあらためて。(今いろいろ考え中)



 と、いうわけで、
 ある意味、人類が、星の音楽、天体の音楽を求め続けた、試行錯誤の繰り返しが、
 中世の音楽の歴史だ、と言えるのですが、
 それが、ついに、デュファイ、さらにはバッハによって、ある程度現実の音楽として、世界に鳴り響くにいたった、
 と、いうのは、またちょっと、ロマン風すぎる考え方でしょうか。


 そんな中世の音楽の数々を、今後は順番に、ご紹介していけたら、と思っています。



▽ ギョーム・デュファイ
  (墓碑に彫られた彫像)

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この記事へのコメント

fiore musicale
2007年06月22日 16:23
普遍の音楽の世界は数学的で、宇宙の果てしない世界を感じます。
それは、バッハから中世にさかのぼる程感じてなりません。
グレゴリオ聖歌集の誕生から、ヒルデガルト聖歌、そしてそれに続く吟遊詩人達の音楽とそのロマンは拡がって行きます。
今日の日記は、今まで知らなかった事ばかりでした。有難う御座いました。
2007年06月22日 16:57
Noraさん、こんにちは。
トラックバック、ありがとうございました。
こちらからも送らせていただきました。

武久源三さんがセクエンツィアのライナーノーツに書いていらしたことと重複するのですが、「ムジカ(音楽)」の序階という考え方があったのですね。
古代ギリシャの思想から始まる天体の運動の調和、天体の音楽としてのムジカ・ムンダーナを最上位に、人間の肉体や精神の調和としてのムジカ・フマーナ。
そして実際の音として聞こえる音楽、楽器などを道具とするムジカ・インストルメンターリス、という三つの音楽の概念です。

夜空の星の煌めきに音楽を感じるときの喜びは、このムジカ・ムンダーナとムジカ・フマーナとが互いに呼び合い共振しているからなのでしょうか。
2007年06月23日 12:27
 fiore musicaleさん、こんにちは。
 さっそくおつきあいいただいてありがとうございます。
 吟遊詩人や宮廷歌人、巡礼者などの、おどろくほど豊かな音楽!
 早くそこまでたどりつきたいのですが、まだまだ道は遠いです。
 なぜか、また、デュファイを書いてしまいました。(笑)
2007年06月23日 18:04
 aostaさん。こんにちは。

> 夜空の星の煌めきに音楽を感じるときの喜びは、このムジカ・ムンダーナとムジカ・フマーナとが互いに呼び合い共振しているからなのでしょうか。

 これはまた、うっとりするほど美しい表現ですね!

 「3つの音楽」の概念は、記事でご紹介したボエティウスの音楽論の核心をなす考え方で、武久さんはそれを引用なさったのでしょう。
 最終的にこの中の musica mundana を追究するための手順として、上記の課程が構築され、中世の学問の基本となった、ということのようです。
2007年06月23日 18:10
 以下はひとり言です。

 aostaさんがご自分の記事に引用なさった、
 「実際にあるべくもない音・音楽を記すことはいかなる意味をもつのであろうか」という文章には、とてもひきつけられました。

 絵画や詩、文学は、何らかの具体的な事象を表現しようとする、ある意味、再現芸術と言うべきものです。
 ところが、音楽はどうでしょう。鳥の声など、自然の音の模倣から、音楽は始まったと言われますが、そのような段階はすぐに終わり、その後人類は、何千年もかけて、いったい何を表現しようとしてきたのでしょうか。
 そう考えると、そもそも、あらゆる音楽は、「実際にあるべくもない」ものを表現しようとしているのではないか、
 逆に言えば、始めから、本能的に、我々が知覚できない musica mundana を表現しようとしているものなのではないか。
 そんなことを、ぼんやりと、考えてしまいました。
2007年06月23日 18:13
 でも、もし、そうだとすると、宇宙人が我々の音楽を聴いても、やはり同じように感動する、ということになります。
 はたしてどうなんでしょうね。想像はふくらみます。

 でも、まあ、こんなややこしいことを言わなくても、音楽は十分に美しく、
 おそらく音楽を演奏する方々は、みんな無意識に、musica mundana に迫っているのでしょうね。
2007年06月23日 18:16
 さて、「実際に鳴るべくもない音楽」ということでは、真っ先に、やはり、フーガの技法を思い出します。
 フーガの老大家が晩年に没頭した、あらゆるフーガのパターンを並べただけの単なる学術的譜例集だと、誰もが信じて疑わなかったこの曲集を、実際に音として響かせたのは、若くして亡くなってしまった天才音楽学者、ウォルフガング・グレーザーです。
 その結果は、みなさんご存知の通り。

 ルネッサンスの「フーガの技法」といわれるオケゲムのミサ「プロラティオーヌム」にいたっては、もっとひどく、何百年もの間、アクロバティックなパズル的試みにすぎない、と思い込まれてきました。
 それが、実際に演奏してみると・・・・!

 aostaさん、聴いてみたくなったでしょう。(笑)
 まだ、お聴きになってなかったら、ぜひ。
 このページから試聴できます。(→右UPL欄→)
 (小さな声で)楽譜つきです。
fiore musicale
2007年06月23日 22:02
Noraさん いつもご丁寧なレス有難う御座います。こちらに御邪魔させて戴くのが、楽しい日課となりました。
そしてaostaさんのブログも拝見させて頂きました。Noraさんが 仰るように素晴らしい御記述に心躍りました。aostaさん どうぞよろしくお願いします。m(_ _)mペコリ 

カンティカ・シンフォニカのは存じませんでした。もし購入出来るのでしたら聴いてみたいです。 私はつい最近デュファイの世俗曲全集が出たので、
それを買ってしまいました。演奏は、ロンドン中世アンサンブル ティモシー・ディビス ですが^^; どうなのでしょうね。
2007年06月24日 11:09
 fiore musicaleさん。おはようございます。
 ロンドン中世アンサンブルの全集盤、実は以前書いたことがあるのですが、
(→右UPL欄→)
 永遠のスタンダード、というべきすばらしいCDだと思います。
 演奏がきちっとしていて、曲数も多いので、一気に聴きとおす、というわけにはいかないと思いますが、いつも身近において、ゆっくりと聴き進めていくに足るような、そんなセットではないでしょうか。
fiore musicale
2007年06月24日 13:26
すみません。ここのページ拝見させていただいていたのに、うっかりしていました。 シャンソニエ・コルディフォルムに気がとられてしまって、申し訳ありませんでした。 ハート型のシャンソン集は、もう心躍りながら購入しまして、タワレコさんに感謝でした。それで同感されてる方がいらっしゃったので
嬉しくて、最後までちゃんと読んで無かったかも知れません(汗)
そして少しジャケットが違うように思っていました。
有難う御座います。ゆっくり聴くことにします。買って良かったです♪
2007年06月26日 07:53
Noraさん、おはようございます。
オケゲムのミサ「プロラツィオーヌム」、聞かせていただきました!

夢みるように美しい音が天からゆるゆる降りてくるような、また反対に天に向かって立ち上る香気のような夢幻の音楽ですね。

>対位法的要素が複雑になればなるほど、なぜか「叙情性」が増してゆく

対位法というと私も数学的秩序、方法からくるイメージで堅苦しく考えがちでしたが、この数学的な秩序とは、むしろ宇宙の成り立ちの初めからの約束なのかもしれませんね。
気も遠くなるような過去から現代、そして未来に向かって矢のように美しく貫いているもの」それがムジカムンダーナではあるまいか。
30秒で現実に引き戻されてそんなことを考えてしまいました。
2007年06月26日 08:01
fiore musicaleさん、おはようございます。

私のブログまでお運びいただきましてありがとうございました。
Noraさん、fiore musicaleさんのコメントを拝見するにつけ、付け焼刃の私などとても追いつけないほど深く音楽に入っていかれていることにいつも感動しておりました。
Noraさんがアップされる記事の密度の濃さ、またお二人のコメントには、毎回圧倒されています。
 こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。m(_ _)m m(_ _)m
2007年06月28日 09:49
 aostaさん。ていねいにコメントしていただき、恐縮です。

> 夢みるように美しい音が天からゆるゆる降りてくるような、また反対に天に向かって立ち上る香気のような夢幻の音楽ですね。

 音楽をそのまま文字にしたような文章ですね。
 わたしも、こんな文章が書けたらどんなにいいことでしょう。

 オケゲムは、他にはレクイエムがおすすめです。
 ぜひお聴きになってみてください。
 デュファイの幻のレクイエムが発見されてない以上、最も古いレクイエム。
 そして、最も純粋な美しさあふれるレクイエムだと思います。
2007年06月28日 09:53
 ところで。
 先日は、なぜかわたしの方が取り乱して、aostaさんをかえって不安にさせるようなコメントを、してしまいました。申し訳ありません。
(aostaさんの文章があまりにも緊迫していたせいでもあります。何もあんなところで、文章力を発揮しなくても・・・・)

 あのような記事はどんどん書くべきだと思うのですが、今回の場合、相手と実際に接触があったので、必要以上に心配してしまったのです。
 でも、よく考えたら、相手も数で勝負、なのでしょうから、aostaさんがおっしゃるように、そんなに神経質になることはないですね。

 さぞ、心細い思いをされたことと思います。ほんとうにごめんなさい。
 でも、気をつけていさえすれば、絶対にだいじょうぶです!

 なお、これは例によって独り言の反省文ですので、ほっておいてくださいますように。
 m(_~_)m m(_~_)m m(_~_)m

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  • 惑星の音階

    Excerpt: ルネッサンスの大天文学者として知られるケプラーは、時代の先駆者であると同時に、中世的な宇宙観、音楽観の継承者でもありました。 Weblog: 消えがてのうた racked: 2007-06-22 06:45

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