源流への旅11 古すぎて斬新!トロープスレチタティーボ~三位一体節後第5日曜(BWV93他)

 この頃、記事の中にリヒターの名前が登場することが多くなってきました。
 実際、わたしも、リヒターを聴く機会が増えています。
 リヒター=夏、というイメージがあるのです。

 今週のカンタータ、BWV93の冒頭合唱も、リヒターの雄大な表現を聴くと、
 夏空に湧き起こる入道雲などが思い浮かんで、
 「さあ、夏だ!」という気持ちになります。
 もう少ししたら、梅雨明け。
 夏はやはり、ロマンの季節です。


 BWV93 「尊き御神の統べしらすままにまつろい」
 (何度書いても、ものものしいタイトルですが、みなさん、怖がらずに聴いてみましょう)

 * わたしは、曲のタイトルを書くとき、なるべくわかりやすい口語体に直して書いてますが、
   これはあまりすごいので、一般的に表記されている文語体のままにしました。


 このBWV93で、バッハは早くも「コラールカンタータ」の究極型に到達しました。
 たった一つのコラール、その一粒の種子から、仰ぎ見るようにおいしげるな巨木のような全曲が構成されている、そんなイメージの、名品中の名品です。

 できれば、聴く前に、しっかりとコラールのメロディーを覚えておきましょう。
 冒頭合唱や終結コラール、後年シュープラーコラール集に編纂されたコラール付デュエットなどはもちろんのこと、
 そのほかのレチタティ-ボやアリアのすみずみにいたるまで、
 つまりこの曲のあらゆる部分に、コラールの歌詞やメロディーが、びっしりと織り込まれているのがよくわかるでしょう。
 まさに、作品に触れて、思わず息をのむような、第一級の工芸品。

 コラールをおぼえておけば、コラールが登場するたびに、すぐにわかりますが、一方、他の部分とのつながりも、ものすごく自然、まったく無理なく一つの音楽になっている、
 そんなすさまじい音楽です。
 その意味では、
 工芸品ありながら、それを通り越して、何となく有機的、植物的、しかも、大木。
 その恐るべき職人技を、ぜひ体験してください。

 聴けば聴くほど、実に様々な発見があるはずです。



 ここでは、特に、レチタティーボの例を、ちょっと説明しておきましょう。
 さきほど書いたとおり、レチタティーボまでもがコラールを素材にして構成されています。

 聴いた方はおわかりのように、
 コラールの一節+補足部分、がセットになって、ずっと続いていく、
 という形式です。

 解説等にはよく、トロープス・レチタティーボと書いてありますが、
 まあ、形の上では、まさにそのとおり。



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 ちょうど前回の記事で書いたところですが、
 トロープスは、グレゴリオ聖歌を補足する形で発生した、原初ポリフォニーのひとつ、と言われているものです。
 デュファイよりもずっと上流、グレゴリオ聖歌から枝分かれしたばかりの音楽、ということになります。
(音楽史では、いまだに、史上初めてのポリフォニーとされていて、その点は、完全にまゆつばですが)


 バッハがどの程度までトロープスを意識していたか、また、このような形式の楽曲が当時他に無かったかどうか、わたしはよく知りません。
 でも、結果的に、このレチタティーボは、
 「ものすごく古いと同時に、斬新な試み」と言ってよいものになっています。
 思えば、バッハが考えた、コラールを使用して、カンタータ年巻を作ろう、ということ自体、少なからず同じような意味合いを持っているわけですが。

 当時の聴衆は、よく知っている古いコラールが、美しい装飾等を加えられ、内容的にも音楽的にも驚くほど豊かな形になって響くのを目の当たりにしたことでしょう。

 思えば、原初のトロープスも、グレゴリオ聖歌をそのように歌いたい、響かせたいという気持ちから、発生したものだったはずです。

(このトロープス・レチタティーボ、この後のコラールカンタータに、何度も登場することになりますので、ぜひ覚えておいてください)



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 本物のトロープスを聴けるCDについては、アンサンブル・ジル・バンショワや同系のディスカントゥス、
 さらに、アンサンブル・オルガヌム、セクエンティアなど、中世の専門グループに、良いものが何枚かあります。

 初期ポリフォニーの最も重要な写本の一つ、
 スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラのカルクトゥス写本は、
 ちょうどCD1枚分くらいのボリュームなので、昔から名盤にめぐまれてますが、
 セクエンティアのものが、たいへん聴きやすい。

 ディスカントゥスには、前回少しふれた「星の野にて」などの、夢のように美しいCDがありました。
 アンサンブル・ジル・バンショワのもっともスタンダードなものは、ヴァージン・クラシックスの2枚組廉価シリーズで現役(のはず)です。
(タイトルは確か、そのものズバリ、「フランスの初期ポリフォニー」)

 グレゴリオ聖歌を聴いてみたいけれど、CD1枚分聴くのはどうも、という方には、お奨めです。



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 たったひとつ声部が増えただけで、音楽がどれだけ豊かに広がったか。
 生まれたばかりの、新しい音楽の息吹を、実際に耳にすることができます。
 これが、バッハにつながる大河の源流、清冽な泉です。
 そして、バッハは、自分の最高傑作のカンタータ年巻に、そのトロープスの手法を応用しました。
 はるか遠い源流ですが、そのままつながっているこの不思議!
 バッハのはるか彼方を見渡す視点。
 大きな心。
 ほんとうにおもしろい。



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 この日のもう1曲のカンタータは、BWV88

 この曲にも、また、エレミア書が登場。
 壮大な海辺の情景描写が見事な、後期の傑作です。
 はたして、バッハは、何度海を見たことがあったのでしょうか。


 もう1曲、BWV97も、この日のカンタータだという説があるようですが、
 これは、本来コラールカンタータ年巻を補完する後期のテキストカンタータ。
 この祭日には、今日ご紹介したBWV93という立派過ぎるくらい立派なコラールカンタータが存在してるので、はたしてどうでしょうか。

 ただ、いずれにしても、この曲は、
 すばらしいヴァイオリンコンチェルト風テノールアリア、
 名曲「インスブルック」で知られるコラールの使用など、
 テキストカンタータの最高峰ともいえる大名曲なので、
 近いうちに記事にしたいと思います。
 


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この記事へのコメント

2007年07月11日 13:57
Noraさん、こんにちは。

BWV93、昨夜から何回か繰り返して聴いていました。
例によってブリリアントですが(笑)

聴くたびに新しい旋律が聴こえてきます。
聴くたびにその旋律は親しく、深いものになっていきます。
まるで縫い目のない完全な細工物のように、精緻でありながら無理のない自然な、そして完全な音楽・・・

すっかり脱力してしまい88番以下を聴く気力がありません。
と言うか。
今日の私は、この一曲で十分すぎるほど満たされています。
2007年07月12日 21:31
 93番、すごいでしょう!これが、全盛期のバッハです!
(って、なぜ、わたしが、えばる?)

 でも、aostaさんにこんな風に書いていただけると、これを読んだ方も、ちょっと聴いてみるか、という気持ちになってくださるような気がします。ほんとにありがとう。

> すっかり脱力してしまい88番以下を聴く気力がありません。

 いいのです。わたしも、くわしく書く気力がまったくありませんでした。(笑)
 むしろ、1曲だけ聴いた方がよいと思います。88番は、また今度聴けばよいのです。
 1曲だけ集中して聴いて、このように感想を書いたりして、この季節、この時期に、その曲を聴いたことを心に焼き付ける。
 そうすることによって、93番という数字が、aostaさんの心に、確かなものとして残ることでしょう。
2008年10月13日 17:58
こんばんわ。またリンクさせていただきました。
いつもすいません。
川端先生の本に、バッハがこのコラールをかなり気に入っていてかなりの曲で使っているとありましたが、この93番こそ、全面展開している曲なのですね。
じっくりかみしめたいと思います。
2008年10月13日 23:26
 たこすけさん、こんばんは。こちらからもまたリンクさせていただきました。
 オルゲルビュッヒライン、だいぶ増えてきて、わたしもうれしいです。
 でも、チェロだけで、こんなにできるものなのでしょうか。(笑)

 本文にも書きましたが、このコラールは、ものすごくよく知られていたものなので、
 このカンタータを聴いた当時の聴衆は、おなじみの賛美歌の全曲が、実にさまざまな形で、立体的に、きわめて壮麗に展開されるのを目の当たりにして、
さぞや驚嘆したことでしょう。(勝手な想像)
 「コラール・カンタータ」は、多かれ少なかれ、そのようなところがあります。

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