きらめく夏の、名作カンタータ・たまにはきちんと曲目解説~三位一体節後第6日曜(BWV170、9)

 今日、7月15日は、三位一体節後第6日曜日。

 カンタータは、BWV170
 後期を代表する名作2曲です。

 実際の天候は、梅雨明けもまだ、
 そればかりか、台風までやってきて、たいへんなことになってしまっています。
 みなさん、十分に気をつけましょう。
 また、被害に合われた方には、心からお見舞い申し上げます。


 しかし、カンタータの世界では、きらめく夏を先取りするような、とびっきり美しいカンタータが並びました。
 カンタータ・ファンにとっては、なんとも、ぜいたくな祭日です。


 2曲とも、名曲中の名曲なので、たまにはライナーノート風に、きちっと曲目解説でもしてみましょう。



▽ 先週旅行した、北海道。
  ファーム富田の花畑から、雄大な十勝連峰(ちょっと煙も出てます)を望む。

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 BWV170 「満ち足りた安らぎ、魂のよろこび」



 タイトルからしていかにも幸福なこのカンタータ、
 コラール・カンタータ年巻完成後のバッハが、熟練と自在の筆致で生み出した後期カンタータを代表する一曲。(1726年7月完成、初演)

 編成は、アルトのためのソロ、つまり、合唱なしのソロ・カンタータ、
 オブルガート楽器は、オルガン、(そのほかにオーボエダモーレ)、
 長短長の3楽章をレチタティーボでつなぐ、コンチェルト風の構成、
 などなど、後期カンタータの典型的特長を示しています。

 (参考:ソロ・カンタータのすすめ後期カンタータの特徴


 <第1曲・アリア>

 冒頭から、微光とも微風ともつかない神々しくも清々しい3連音が繰り返され、(3は、神、天の数字)
 その響き、リズムが全曲を支配します。
 まさに、天上のパストラル、というべき音楽。
 天の情景の美しさと、この曲が書かれた夏の始まりのさわやかさが渾然一体となって、
 タイトルどおりの「魂のやすらぎ」を実感することができます。

 対旋律の働きによって、たまに和声が揺らぎ、ふっと影がさすような瞬間も訪れますが、
 光はすぐに取り戻され、天の園の美しさをより際立たせる結果となります。
 そのストリングスとオーボエダモーレの伴奏に乗って、
 アルトが、揺ぎ無いやすらぎへの憧れを、切々と歌います。

 この曲を聴くと、これまでに見てきた様々な美しい情景が思い浮かびます。
 逆に、旅などで、美しい景色に接すると、心のなかで、この曲や、BWV180の冒頭合唱などのが、必ず響いてきます。

 (参考:美しい長調のアリア等)


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 さて、気持ちよくアリアを聴いていると、一転して、
 罪のはびこる現世を激しく嘆くレチタティーボになります。
 そして、それに導かれるのが、


 <第3曲・アリア>

 オルガンが、bcでなく、オブリガート楽器として登場。しかも、ペダルを一切排除して、ピコピコとさびしい高音部のみ。(後年のフルート稿もあり)
 逆にVnとVaのユニゾンが、bcに相当する役割を担いますが、もちろん中高音楽器であるため、低音部の安定感に欠け、
 この、純粋なバセットヒェンではないものの、それに順ずるような響きは、
 もうそれだけで、例えようも無いくらい、孤独感、寂寥感を感じさせるものです。

 これらの器楽に、これまたさびしげなアルトがめんめんとからみますが、
 バッハお得意の超絶対位法が全開で駆使されたその音楽は、もはやこの世のものとは思えません。
 歌詞は、現世の苦悩を歌うものですが、
 超越的な神秘感は、第1曲よりも、さらに顕著かもしれません。

 心からの救いをもとめるかのような中間部との対比も見事。

 バッハの短調アリアは、わたしがいちいち書くまでも無く、そのほとんどが傑作ですが、
 これは、その中でも、まちがいなく最高峰の一つだと思います。

 音楽の捧げものや、フーガの技法など、バッハ晩年特有の唯一無二の世界は、
 この曲から始まる、と言ってよいかもしれません。
 それらの世界を好む方は、まず真っ先に聴くべき音楽でしょう。


 その後、再び天の国を求めるレチタティーボがあり、
 全曲の結論であるアリアが力強く歌われます。


 <第5曲・アリア>

 行進曲風のこのアリア、輝かしい力にあふれていて、
 音楽的にはもちろんすばらしいのですが、

 歌詞を見ると、こういう結論になるの?って思ってしまいます。
 例えクリスチャンの方だとしても、現代に力強く生きる方々からすると、さすがに抵抗があるのでは。

 わたしは、以前はこの曲も大好きでしたが、力の限り歌われている歌詞を見たとたん、少しひいてしまいました。
 わたしは何度も言うように、極めてお気楽な、何でもあり、の音楽ファンですが、
 これは、さすがにちょっとついていけないかも。

 でもこれは、宗教上のギャップ、というよりも、
 むしろ、時代のギャップ、と言った方がいいのかもしれません。
 解釈のしかたもあるのでしょう。
 いろいろと御意見もうかがいたいところです。



 名曲だけに、CDはたくさんありますが、
 ベイカー、マリナーのゆったりとした古い録音と、
 コジェナー、ゲーベルのきびきびとした最新録音を愛聴しています。
 一般的には、カウンターテナーのショル、ヘレヴェッヘの夢見るように美しい録音でしょうか。



  *    *    *



 さて、BWV170に気合を入れすぎて、長くなってしまいました。
 (ほんとは、つかれてしまった。わたしも、今度から、こういうのは、1度に1曲にします。)

 でも、

 BWV9 「我らに救いがくるのは」

 も名曲なので、かんたんにふれておきましょう。


 1724年のこの時期、バッハ夫妻は、ケーテンに里帰り中?で、
 第2年巻の「コラールカンタータ」はありません。
 でもそのおかげで、わたしたちは、例によってずうっと後に年巻補完目的で作曲された、
 この、BWV9という、晩年(少し気が早い?)の名作「コラールカンタータ」を聴くことができるわけです。(1732年前後)

 この曲は、他の同種の曲のように、コラールの全詩節にそのまま曲をつけたテキストカンタータではありません。つまり、第2年巻で書いていたのと同じ、純正のコラール・カンタータ。
 (この点については、来週のカンタータにからめて不思議な点がありますので、
  再度、来週書きたいと思います)

 でも、音楽自体は、とびっきり自由なもので、
 対位法好きにはたまらない、冒頭のフーガ、第5曲のすさまじい4重カノンなど、後期ならでは、の魅力がいっぱいです。

 もちろん1724年の時点でも、高度な対位法作品をかくことはできたでしょけれど、このような超絶技法の曲を、わざわざカンタータに利用する自由さが、「後期ならでは」なのだと思います。


 特に、第5曲、デュエットのカノンは、正に神品。
 解説等には、よく2重カノンと書いてあります。
 確かにテーマは2つ。
 でも、声楽と器楽が、まったく異なるテーマに基づいてそれぞれカノンをくりひろげ、それがなんと同時に進行します。
 だから、単純な2重カノンでもありません。
 その上、それに、思いっきり自由な通奏低音が加わる。
 (これはBWV9全体について言えることですが、
 厳格な書法の割に、まるでジャズを思わせるくらい自由な通奏低音も大きな魅力です。
 もちろん、演奏にもよりますが)

 でも、文章にすると、こんなにややこしい曲なのに、何も考えずにぼんやり聴いていると、ただひたすらのどかで愛らしい、良い曲です。
 ほんとうに、後期のバッハは、すばらしい!
  


▽ 美瑛。どこまでも続く満開のじゃがいも畑。

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 さて、めずらしく「きちんとした解説」を書こうと試みました。

 譜例等をだしながらおもいっきりくわしくしてもよいのですが、
 まあ、とりあえずは、こんなものでしょうか。

 今後は、カンタータのお知らせも2年目に入っていくので、
 このような記事も増やしていきたいと思ってます。
 読む方はさらに減ってしまうもしれませんが、いつか、何かの参考にはなるでしょう。
 (ほんとは、こういう方が、意外と楽なのです)
 


そのほかの「記事目次」

「全体記事目次」

カンタータ日記・奥の院

浅田真央さん情報・最新版

宮沢賢治記事目次

カンタータ日記・大阪モダン建築図鑑

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この記事へのコメント

2007年07月20日 06:28
おはようございます。

BWV170、最初のアリア。
穏やかで神秘的といっても良いアルトの響きに、心が優しく包み込まれていくような曲です。
可憐な花が咲き乱れ、風に揺れている夏の花野の様子が浮かんできました。
夢を見ているようなオーボエ・ダモーレの音色と相まって、うっとり目を閉じてミツバチの羽音に耳を澄ませていたくなるような、のどかでまさに"天上のパストラル”のイメージ。


レスタティヴォに続く3曲目のアリア。

>逆にVnとVaのユニゾンが、bcに相当する役割を担いますが

なるほど。
耳ダンボにして聴き入りました。
通常の通奏低音の安定性というか支えがないというだけで、雰囲気はこんなにも侘しく、せつせつと迫る物になるのでしょうか。
(もちろん、それだけではないのでしょうが)
第一曲めの、たゆたう光を感じるようなアルトの響きがまだ耳の中で鳴っています。
2007年07月20日 06:29
だからでしょうか、この3曲目のアリアの、毅然として辺りを払うような寂寥感は、開放された魂に、いっそう冷たくさびしい風を送ってきます。
暗くて深い冷たい場所。
それは一度「天上の至福」に身をゆだねた聞き手にとって一転する「涙の場所」でもあるのでしょうか。


5曲めのアリア。
Noraさんのコメントにこっぴり怖気づいて、まだ聴けません。
また手元にありますブリリアントには分厚い解説書がついていますが、すべてドイツ語なので判読不可能です。

>わたしは、以前はこの曲も大好きでしたが、力の限り歌われている歌詞を見たとたん、少しひいてしまいました

うう~ん・・・
歌詞はやっぱり意味を知りたい。
でも、というところで、足踏みをしています。
2007年07月21日 13:35
 aostaさん。おはようございます。
 また、音楽にぴったりの、美しい言葉を添えていただきました。とてもうれしいです。ありがとうございます。
 今回は、特に印象深い言葉が並んでますね。これから先、この第1曲アリアを聴く度に、まちがいなくわたしの耳には、ミツバチの羽音が聞えてくることでしょう。(笑)
 少しでも多くの方がこの曲を聴いて、ミツバチの羽音を感じてほしいものだ、と、心から思います。

 そう言えば、北海道の花畑も、ハチだらけでした。
 はじめ怖かったのですが、ハチはもちろん、わたしたちのことなど見向きもしないのですぐに慣れました。
 ハチがいることなど、写真やテレビを見ているだけでは、想像さえできなかった。やはり何ごとも、直にふれなければ、ダメですね。
2007年07月21日 14:04
 歌詞は、こちらをごらんください。(→右URL→)
 このサイトには、全教会カンタータの他、他の作曲家の宗教曲や歌曲などの、とてもわかりやすい日本語訳が掲載されています。
 トップページに入口を作っておきましたので、(左側のリンクのコーナー)今後もぜひご参照ください。

 この歌詞は、信仰の厚い方からすると、それほどおかしくはない内容で、きちんとした解釈ができるのかもしれません。でも、初めて見たときは、やはりちょっと抵抗がありました。わたし自身は、例えどのような状況になろうとも、こう思いたくないからです。

 この曲は人気曲で、CDもたくさんあります。
 ドイツ語がわかる方は当然歌詞がわかるわけで、若く美しい一流のトップ・アーティストたちが、やはり美しい声で、力いっぱい、このような歌詞を歌ってるのを聴いて、どんな風に感じるんだろうな、とか思ってしまいます。

 いつも、気軽にカンタータを聴きましょう、とか言ってますが、
 実は、バッハの場合、けっこうこのようなことが多くて、困ってしまうこともあるのです。
2009年05月26日 22:18
こんばんわ。
今回BWV638をやりましたが、記事の中で、同じコラールを使っている曲で僕の好きな曲といことでBWV9を紹介しました。こちらのページにリンクさせていただきます。いつもすいません。

(ちなみに、これで「小曲集」からは19曲になります。BWV626とBWV622が抜けていました)



2009年05月27日 02:08
 たこすけさん、
 9番、いいですよね。
 170番はけっこう良く知られているので、この記事では、ほんとは9番についてしっかり書きたかったのですが、170番のことを書き出したら止まらなくなり、本文に書いたように力つきて、9番に関してはいいかげんになってしまいました。いつかきちんと書きたいと思ってます。

> 「小曲集」からは19曲になります。

 たいへん失礼しました。BWV626は、以前のページにはあるのですが、拾い忘れです。
 BWV622は、わざわざそのページにコメントして、新しいページを作る、とおことわりしておきながら、いざ新ページを作ったらそれで安心してしまい、かんじんのその新曲にはリンクし忘れたみたい。
 と、ぐたぐた言い訳してますが、直しておきます。今日はもう眠いので、あした以降。
 それにしても、19曲ですか、もうすぐほんとに半分になっちゃいますね。すごい。

 ところで、オーティス・レディングのライブ・イン・ヨーロッパ、
 買ってしまいました。この人は、とんでもなくかっこいいですね。
 近々、何か書くかもしれません。(何を?・笑)
2009年05月28日 22:02
おお、ぜひ。
Noraさんがどうオーティスを書くのか、非常に楽しみです。
プレッシャーをかけるわけではありませんが(笑)
2009年05月30日 22:10
 たこすけさん、
 何か書こうにも、オーティス・レディングのCDを聴くのは、ほとんど初めてだったので・・・・。
 でも、とにかく圧倒的だったので、どこかで紹介だけでもしたいと思います。よいCDを教えてくださって、ありがとうございます。

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