バーチャル大江戸散歩 Vol.3~「富士塚」 バーチャル富士登山の跡を訪ねる

 「熙代照覧」の江戸散歩、記事を書くのが意外とたいへんなので、ちょっとお休み。

 今回は、「富士塚」、江戸時代のバーチャル富士登山について。



▽ 屋根と富士山。
  「熙代照覧」の舞台、江戸駿河町から見た富士山。もちろん、北斎画。
  三井呉服店(今の三越)は、熙代照覧にも出てきます。

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 少し前、いつもお世話になっているtonaさんが、
 「大江戸事情シリーズ」について書いてらっしゃったので、(「こちら」)
 さっそく何冊か読ませていただきました。

 みんな興味深いものでしたが、中でも、「大江戸テクノロジー事情」は、
 わたしの好きなからくりや時計、錠前、さらには暦や和算まで、
 江戸の意外と進んだ生活のことがたくさん書かれていて、特に興味深かったのですが、
 その中に、富士塚のことも書かれていました。



 現代社会においても、山を神聖視する傾向は、少なからずあります。
 わたしも、子どもの頃からよく行って親しんできた浅間山や、岩手山などを見ると、今でも厳粛な気分になり、何だか涙がこぼれそうになってしまいます。

 昔になればなるほど、このような傾向がさらに強かったのは当然で、
 この本の中でも紹介されていますが、どのように登山が困難な高峰でも、初登頂だと思って頂上に到達すると、必ず山伏の錫杖などが発見されたりしたそうです。
 登山は、ただのスポーツではなく、信仰の要素が強かったのですね。
 


▽ 波と富士山。あまりにも有名な、駿河湾越しに見る富士。

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 そんな山岳信仰のメッカは、なんと言っても、日本を代表する名山、富士山です。

 tonaさんは最近富士山の写真もご紹介してくださりましたが、(「こちら」)
 その美しい姿を見ると、思わず納得してしまいます。


 特に江戸の人々にとって、富士山は、心から崇拝する特別な山でした。
 なにしろ、江戸からは、ほとんどどこからでも、その美しい姿を拝むことができたのですから。

 したがって、観光好き、旅行好きで、わたしたちが考えるよりずっと自由に旅行をしていた江戸時代の人にとって、富士山登山は、お伊勢詣りとともに、一生に一度体験したい、体験すべきビック・イヴェントでもありました。


 そこで、富士登山を目的とする組織、「富士講」が発達して、
 ベテランガイド、「先達」を中心に、富士登山をするのが大流行しました。
 それは、何よりの娯楽であるとともに、信仰の旅でもありました。
 この二つが完全にいっしょになっているところが、江戸のおおらかなところです。
(落語で有名な、大山講などとおなじですね。)



▽ 江ノ島と富士山。

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 ただ、実際には、富士山は、日本一の高峰、
 富士登山は、そんなにかんたんにできるものではありません。
 達成するには、もちろん、多くの危険や困難がともないました。

 それならば、ということで、
 今度は、富士講が中心になって、身近なところに、ミニチュアの富士山をつくり、そこにお詣り(登山)することが、江戸中で爆発的に流行しました。

 それが、「富士塚」です。


 富士塚がはたしていくつくらい作られたのかは定かでないようですが、
 現在でも、実は、都内を中心に、40ほど残されています。


 ミニチュアといっても、
 ちゃんと山は富士山の溶岩を使って造られ、
 岩の間をぬって、1合目から9合目までまがりくねった道が続きます。
(中道が作られているのもあるそうです) 
 登山口には鳥居、山頂には祠があり、その間、合目石やさまざまな石造物も置かれています。
 中には、洞窟や八海(富士五湖)まで備えているものも。
 往時には、土産物屋がズラット並んでいたところもあったそうです。 
 


 江戸時代の人は、身近ななんでもないようなことを最大限に利用して、とことん生活を楽しんでしまう天才だったようで、それこそが豊かで楽しい生活の原動力だったようですが、
 そういう意味では、この富士塚など、その最たるものと言えるでしょう。



 さて、この本を読み、そう言えば、実家の方に、この富士塚があったな、と思い出しました。

 子どもの頃、神社の裏山に登り、秘密基地をつくったり、虫採りをしたりして、遊んだのですが、今思えば、あれが富士山だったわけです。

 なつかしくなり、ひさしぶりに訪れてみました。



▽ 富士塚のある、練馬区浅間神社。
  社殿は、実は拝殿で、壁が吹き抜けになっている。
  その裏にある富士塚が御神体。

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 入り口。
 なんと、国指定の重要有形民俗文化財に指定されたそうで、立ち入り禁止。
 昔はやりたい放題だったぞ。

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 登山口。クリックして、さらに拡大して見てください。
 山は、ごつごつした溶岩でできています。
 登り口に、すでに、サルかかっぱみたいな石造がいて、何か拝んでます。
 頂上あたりに、鳥居が見える。

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 山頂を望む。
 この写真の方が、頂上の鳥居と祠がよくわかる。

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 全貌を横から見る。
 どう見ても、ただの神社の裏山。

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 すぐ近くの武蔵稲荷。

▽ 門

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▽ めずらしい形の社殿。デザインが美しい。

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 となりのとなりの駅の金剛院。
 すぐそばの山手通り工事現場では、豊島区が、村落の発掘調査をしている。

▽ こちらも変わった形の本堂。

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▽ 入口にあるお不動様。
  庶民に親しまれ、参拝者が絶えない。新しいが、見事な仏像。

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この記事へのコメント

tona
2007年11月27日 10:28
先週富士塚の1つ、千駄ヶ谷にある鳩森八幡神社のに登りました。
コーラスをやっている千駄ヶ谷社会教育会館の前にあるのです。
Noraさんがご紹介くださったのより規模が小さいのですが、立ち入ることが出来るのです。小さい頃遊ばれていたそうですが、現在は入れなくて残念でしたね。写真で鳥居が確認できます。お陰様で富士講のこともよくわかりました。
武蔵稲荷の社殿のデザイン確かにいい感じです。
妻入りですね。
図説「歴史散歩事典」山川出版社に神社建築の成立などが載っていますがどの造りになるのかわかりません。
金剛院の平入りで塔が印象的です。
ありがとうござました。
2007年11月27日 23:16
 tonaさん、コメント、ありがとうございます。
 おお。千駄ヶ谷富士塚、登られましたか。
 これは、震災後に復旧されたものなので、実際に登れるようですね。そのように地元に大切にされているので、江戸時代の様子がもっともよくわかる富士塚、ということで、「大江戸テクノロジー事情」にも紹介されてました。

 それにしても、江古田富士塚、久しぶりに訪れたら、何と国指定の文化財になっていたので、びっくりしてしまいました。
 そのような貴重な史跡で、子どもの頃、さまざまな狼藉を働いたかと思うと、真っ青になってしまいます。
 もっともそのような子どもがたくさんいたから、立ち入り禁止になってしまったのでしょうね。

> 図説「歴史散歩事典」山川出版社

 これはまた、おもしろそうな本をご紹介していただきました。
 神社やお寺の建築については、それほどくわしくありません。でも、ほんとうに千差万別で、興味深いので、わたしもちょっと調べてみたいと思います。
2007年11月28日 20:00
28日の記事のコメント欄がありませんよ。tonaより
2007年11月28日 22:10
 tonaさん、どうもありがとうございます。
 設定が変わっていたようなので、なおしておきました。
 いつまでも不慣れなもので。(笑)

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