ヘンデルの喜び~音楽と建築、再び。目白バ・ロック音楽祭・その1

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 目白周辺で、2週間にわたって繰広げられる、音楽と建築のコラボレーション、

 目白バロック音楽祭
 (今年から、「バ・ロック」の間の「・」が、小さなハートマークになったとのこと)

 毎年行きそびれてましたが、今年はちゃんと行ってきました。
 


 今年も、アントネッロのルネッサンスものや、先日も記事にしたスパッラの無伴奏チェロなど、魅力的な公演が目白押し?でしたが、わたしがまず行ったのは、これ。



 人生の喜びを知るヘンデルのヴァイオリン・ソナタ

        デュオ・リクレアツィオン・ダルカディア
        (松永綾子:ヴァイオリン、渡辺孝:チェンバロ)

 

 会場は、池袋の自由学園明日館(みょうにちかん)講堂。

 この地域は歴史的建造物が目白押しですが(また・・・・)、その中でも、この自由学園は、屈指の名建築。
 フランク・ロイド・ライトの、日本に現存する数少ない完全な遺功の一つで、
 ライトと愛弟子・遠藤新の精神が、全体像から、中に置かれている椅子の一つ一つにいたるまで、くまなく行き渡っている大傑作。
 重要文化財の貴重な文化遺産だが、ホールや喫茶室、集会場として、実際に幅広く利用されているところが、またすばらしい。
 
 

 こちらは、有名なホールの方。
 まわりにビルや、よけいな(失礼)カンバンは増えましたが、建物自体は美しいまま。 

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 演奏会が行われたのは、道をはさんで反対側にある講堂。
 こちらは、遠藤新単独の設計。ライトの基本路線を踏襲しながら、独自の美意識を結実させている。
 こちらに入るのは初めて。

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 講堂1階席(左)と2階席

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 リクレアツィオン・ダルカディアは、現在、ヨーロッパのトップ古楽アンサンブル等でそれぞれ幅広く活躍する日本人アーティストたちのユニット。

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 今回は、そのうち、
 ヴァイオリンの松永綾子さんと、
 チェンバロの渡辺孝さんが、
 デュオ・リクレアツィオン・ダルカディアとして、来日し、
 演奏を聴かせてくださいました。
 (写真は、パンフより)





 プログラムは、
 ヘンデルのヴァイオリン・ソナタを中心に、
 若きヘンデルが、アルプスを越えて憧れのイタリアに出かけていった時に、彼の地で大活躍していた、
 マンチーニ、
 ポルポラ、
 アレッサンドロ・スカルラッティ、
 などの超売れっ子オペラ作曲家たちの器楽曲を取り混ぜた、バラエティに富んだもの。
 ということは、ヘンデルがこれらの曲を書いたのは、あの、イタリアン・ソロ・カンタータを書いた頃のことなのでしょうか。よくはわかりませんが。

 いずれにしても、どの音楽も、オペラにそのままつながるような、喜びにあふれた、明るく輝かしい音楽ばかりです。 

 ヘンデルのヴァイオリン・ソナタ。
 どの曲も、ヘンデルならではの、気品にあふれた、伸びやかな旋律がたまりません。
 メロディーを聴くだけで、なんだか元気が出てくるような気がします。
 ヘンデルはリコーダー・ソナタをよく聴きますが、ヘンデル特有の伸びやかさ、大きさは、ヴァイオリンにこそふさわしい気もします。

 他の作曲家に関しては、マンチーニは感傷的な旋律が、ポルポラは技巧的なフレーズが印象的でした。
 これはどちらもオペラの大事な要素なので、この日の曲がたまたまそのような曲だったのかも。



 それらのまぶしい歌の数々を、松永さんのヴァイオリンが、ほんとうにはじけるように生き生きと歌い、
(スキップするようなヴァイオリン!)
 渡辺さんの流れるように自然なチェンバロが、それに柔らかくからみます。
 息もぴったりで、二人ともさすが。
 これだけの水準の演奏は、そう簡単には聴けないような気がします。
 あっという間の、とても楽しい2時間を過ごすことができました。



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 なお、わたしは、このような曲を聴いていると、どうしてもバッハと比較してしまうのですが、
 ヘンデルはともかく、やはりその他の作曲家は、何だか装飾的な部分、飾りの部分が、圧倒的に多いな、というのが、率直な第一印象です。もっともそれが、オペラ作曲家としては必要な魅力なのですが。
 そしてさらに聴いていると、今度は、何だか逆に、バッハに比べて何か根本的なものが足りないような気がしてくる。
 音の線が足りないのです。すなわち対位法的な線です。

 つまり、バッハの音楽は、華美な飾りをすべて切り捨ててしまい、逆にその代わりに、ややこしい数学的ともいえる対位法の要素を加えている。
 これは、人気がでないわけです。
 すごいけど。
 もちろんわたしは、そんなバッハが大好きだけど。



▽ 休憩中のひとコマ。個性的なデザインの窓から、講堂内部をのぞく。
  この白髪の方は、調律師さん。

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この記事へのコメント

koh
2008年06月18日 21:47
Noraさん、こんばんは。おじゃまいたします。
目白バ・ロックおいでになりましたか。わたしは残念ながら今年は行けませんでした。

ヘンデルのソロソナタは偽作があったり、真作でも楽譜の出版者が勝手に楽器の指定をしたりして、わかりにくいことが多いです。
これらソロソナタの楽譜の出版は1730年頃と言われていますが、実際にいつ作曲されたかはわかっていないようです。
でも、21歳から25歳頃まで滞在したイタリアの影響が強く表れているように思えます。
2008年06月19日 00:50
 kohさん、こんばんは。
 ヘンデルだったので、実は、もしかしたら、kohさん来てらっしゃるかな、などと思っていました。(笑)
 今回のデュオの渡辺孝さんは、なかなかステキなチェンバロを聴かせてくださいましたが、昨年は、kohさんがお聴きになったガッティの伴奏をなさったようですね。
 そうですか。ヘンデルのソナタには、そのような問題があるのですか。
 記事を書くにあたり、ちょっと調べたのですが、何を見てもはっきりしたことが書いてなくて、どういうこと?と思っていました。
 わたしは聴いていて、何となく、あのイタリアン・ソロ・カンタータと同じような世界を、感じました。
 いろいろとややこしい作品みたいですが、やはり、ヘンデルはいいですね。
2008年06月24日 08:37
バ・ロック音楽祭なるものも、目白の建築も初めてです。
自由学園の教育思想は読んだことがありますが、まさか建物がこんな素晴らしいものとは思いもしませんでした。
内部も素敵ですね。
こんな中ヘンデルの音楽をお聴きになったのですね。
いつもただ聴いているだけなので考察が大変新鮮に入ってきます。
いつもNoraさんのあとについて楽しませていただいています。
ご紹介ありがとうございました。
2008年06月25日 00:28
 tonaさん、こんばんは。
 ここは、目白というよりも、池袋駅から5分くらいのところにあります。
 雑多な街並みから少しだけ入ったところに、このような落ち着いた施設があるのだから、驚きです。
 羽仁夫妻が自由学園創設にあたり、校舎の設計を、帝国ホテル設計のため日本にいたライトに頼んでみたところ、教育理念に共鳴したライトがそれを受けてしまった、というたいへん貴重な建物だそうです。
 自由学園の本体は、すぐに東久留米に移転しましたが、そちらの校舎も、弟子の遠藤新設計による、とてもよく似たすばらしい建物とのこと。機会があれば見学したいものです。
 この池袋の明日館は、内部を見学しながらお茶も飲め、またすぐ近くには羽仁夫妻の婦人之友社がありました。
 バラの季節は花がきれいなようですが、この時は、緑の芝生だけでした。
S君
2008年06月25日 22:58
>今度は、何だか逆に、バッハに比べて何か根本的なものが足りないような気がしてくる。音の線が足りないのです。すなわち対位法的な線です。

そうですね。ポリフォニー音楽全盛はルネッサンスですが、それ以後、音楽はモンテヴェルディを経てポリフォニー的要素がどんどん後退していったわけですね。ブクステフーデの声楽曲はかなりホモフォニー的要素が多いですね。先日、バッハのおじさんたち、ミヒャエル・バッハや、クリストフ・バッハを聴きましたが、彼らはすでにかなりホモフォニーに傾斜しています。その中で出現したポリフォニスト大バッハは、いわば突然変異なのでしょうかね。


2008年06月26日 22:12
 S君さん、こんばんは。
 ヘンデルなどはそれほどでもないのですが、同時代の流行の先端を行っていた作曲家の音楽を聴くと、バッハの特異性が特に強く感じられる気がします。
 もしかして、当時の人たちは、わたしたちが思っている以上に、変わったおじさんだな、と思っていたかも。
 この前のBWV117などをはじめ、バッハにもホモフォニーの音楽はたくさんありますが、何だかちょっとちがいますもんね。
 何がちがうかはよくわかりませんが。
S君
2008年06月27日 20:37
>バッハにもホモフォニーの音楽はたくさんありますが、何だかちょっとちがいますもんね。

バッハの場合、無伴奏チェロ組曲を見ても、1声部だけでもポリフォニーが成り立つような旋律作りをしているからなんでしょうね。たとえば、ラシド、という動きと、ミレドという動きがドッキングして、ラミシレド、という一本の線の中に2声があると…。まあ、これは単純すぎる説明ですが、簡単に言えばこういうことなんでしょう。それで、バッハの旋律はうねうねと曲折が多く、それが得も言われる陰影を含むのでしょうね。

※今日は通勤の帰りオルゲルビュッヒラインを聴いて心にしみました。
S君
2008年06月28日 08:22
ポリフォニーの喜び、というのがあるのだと思います。単旋律のテーマが立ち上がり、それに対位旋律がからむときなど、それはたとえば、二次元の絵画が突如、立体的な三次元に変化する場面に立ち会うような感動の瞬間です。さらにそこに第三声部、第四声部が加わる時など、それはまさに、不思議な多次元世界が、目の前に展開していくようですね。

もちろん、ポリフォニーだから何でも良いというわけではありません。デュファイもそうですが、大バッハもポリフォニックな発想の中に、豊かな和声の喜びがあり、そこが凄いですね。
S君
2008年06月28日 08:36
いつか娘に、「音楽の捧げもの」の逆行カノンの仕組みを教えて、これがどんなに凄い曲かを説明したのですが、娘は「フーン」という感じで驚かないんです。「要するに、曲を最初と最後から逆にと同時にスタートさせるんでしょ、それが何か?」とでも言わんばかりの感じ(笑)。

僕らがびっくりすのは、それが素晴らしい深い陰影に満ちた音楽になる、ということですよね。そこからしてもう凄いというか、ミラクルと言わざるを得ないのですが。…ヘンデルの良さを書くべきところが、バッハ賛になっちゃってすみません。ヘンデルと言えば最近手に入れたCD、アイムが振ったル・コンセール・ダストレイの Le Dixit Dominusが素晴らしかったですね。
2008年06月28日 23:13
> いつか娘に、「音楽の捧げもの」の逆行カノンの仕組みを教えて、これがどんなに凄い曲かを説明したのですが、

 あはは。これ、わたしも、まわり中にやってめいわくがられました。反応は、ほとんど、「それで?」というもの。(笑)クラシックに多少詳しい方でもそうです。
 このようなブログなどをやってるのも、まわりがほとんど相手をしてくれないから、というのもあります。

 そういうアクロバットは確かにすごいかもしれないけど、それが何になるの?というのがほとんどの方の感想だと思います。
 でも、バッハの場合、驚くべきなのは、S君さんもおっしゃるように、そのようにバッハが対位法や音楽言語などにこだわればこだわるほど、その音楽自体が魅力や輝きや美しさを増す、ということだと思います。
 これは実際に聴いて体験しなければ、絶対に味わえないバッハの醍醐味だと思いますので、少しでも多くの方に体験していただきたいですね!
2008年06月28日 23:28
> バッハの旋律はうねうねと曲折が多く、

 はは。これもすごくわかりますねー。
 「得も言われぬ陰影」というのは、さすが、するどい表現ですね。おっしゃる通りだと思います。
 無伴奏曲などは、始めから多声的な効果をねらってるので、旋律は1本であっても、ホモフォニーではなく、ポリフォニーと言ってしまってもいいと思いますが、
 例えば後期などの、初めからホモフォニーに徹している曲も、なんだか「うねうね」とくせがあるものが多いです。
 わたしなどは、これがたまりませんが、この点に関しては、好みが別れるのでしょうね。
 ううん。こうして考えると、やはり、同時代の他の作曲家に比べると、かなり異質ですね。

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