わたしの漢詩入門・その4~秋色の空。第1印象・杜牧から李白へ+書の名宝展【三位一体節後第18日曜日】

画像




 今日(9月21日)は、三位一体節後第18日曜日。
 テーマは、また、隣人への愛のたいせつさ、というようなことです。

 カンタータは、
 第2年巻(「コラール・カンタータ)の、BWV96
 後期4年目のアルトのためのソロ・カンタータ(コンチェルト付)、BWV169
 の2曲です。

 同日の過去記事はこちら


 この頃、ようやく秋らしくなってまいりました。
 大型台風も東海上に去り、昨日の午後は東京でも、ひさしぶりに清々しい青空が広がりました。


 バッハの第2年巻(コラール・カンタータ)創作も、秋に入ってついにピークを迎え、誰も踏み入れたことのないような高みに到達してしまったようです。

 この数週間にお知らせしてきた、BWV99114、そして今週のBWV96など、
 まったく目立たない曲ばかりですが、さすがにバッハ絶頂期の作品。
 どれもみな、凛とした美しさをたたえ、超然とした気配にあふれる名品です。
 これらの曲に使用されているフルートを始めとする木管楽器の清らかな響きも、そうした音楽の美しさ、特徴を際立たせている。

 そう、ちょうど、どこまでも澄みわたる、秋の青空のような音楽。

 暑く長かった夏も終わり、どこかせつなさに心とらわれながらも、ふと感じる秋の風、見上げる秋空に、何とも言え清々しい気分になる。

 そんな今の季節にまさにうってつけの音楽だと思います。
 この機会に、ぜひ。

 演奏は、この種のコラールカンタータに関しては、断然、BCJ。

 前田りり子さんのフルート等も絶品。



▽ 秋の夕暮れに煙る薄紫のサルスベリの花。

画像




  *    *    *



 さて、そんなわけで、
 空の色もカンタータも、やっと秋めいてきたわけですが、
 清々しい秋の気配を感じるようになると、真っ先に心に浮かぶ漢詩があります。

 今のところ、わたしの一番のお気に入り、杜牧先生の有名な詩。



画像




  長安秋望  杜牧

     長安の秋望

 楼倚霜樹外  楼は倚る、霜樹の外

 鏡天無一毫  鏡天、一毫も無し

 南山与秋色  南山と秋色と

 気勢両相高  気勢、両つながら相高し



 実際に目に見える南山と、秋の気配とが、雲一つ無いなく澄みわたった空に、高らかに並び立っている、

 という、

 正に秋の透き通った空に、思わず吸い込まれていってしまうかのような、気宇壮大でさわやかな詩です。



 前述の秋のコラール・カンタータの数々も、雰囲気がちょうどぴったり。
 秋の空がどうのこうの、なんて、もちろんまったく歌っていませんが。
 秋の気配は洋の東西を問わず、等しく訪れるようです。

 みなさんも、ぜひ、合わせて鑑賞しましょう。(なんだ、そりゃ)



 ところで、この詩を読むと、連鎖的につい思い出す詩があります。

 今度は、李白大先生の、やっぱり有名な詩ですが、

 杜牧先生もすごかったですが、李白大先生は、さすがに次元がちがう。



画像


 

  独坐敬亭山  李白

      独(ひと)り敬亭山に坐す

 衆鳥高飛盡  衆鳥 高く飛んで尽き

 孤雲独去閑  孤雲(こうん) 独り去って閑なり

 相看両不厭  相看て 両(ふた)つながら厭(いと)わざるは
 
 只有敬亭山  只敬亭山有るのみ



 すごいですねー。

 さっきの杜牧の詩は、山と秋色、つまり自然の事象、気配が並び立つ様を詠んで、十分壮大でしたが、
 この李白の詩では、広い宇宙の中で、山と向き合って屹立しているのは、自分自身である、と言い切っている。

 すさまじいスケールです。
 宇宙の大きさ、その中での孤独がひしひしひしひしと伝わってくる。

 こうして並べてみると、ちょっと見似たような詩でありながら、
 両者の個性が実に鮮明に浮き彫りになります。

 すなわち、
 杜牧が、どこか地に足がついていて、わたしたちと同じ視点で、しみじみと美しい情景を歌っているのに対して、
 李白は、そのようなあらゆるものをはるかに飛び越えて、超然としていて、スケールがケタちがい。



▽ 秋空いっぱいに広がった鳳凰の形?の雲
  江戸総鎮守神田明神上空。

画像



 
 ただし、スケールが大きいからといって、李白の方が好きだ、とか、優れている、と言っているわけではありません。

 事実、わたしは、杜牧の、厳しい時代や境遇にありながら、いつも微笑みを絶やさずに美しいものを追い求め続ける叙情性のようなものが大好きです。

 李白がバッハなら、杜牧はモーツァルトか、あるいは印象派の詩人、と言ったところでしょうか。

 わたしは音楽では、モーツァルトより、断然バッハですが。


   
 まあ、実際にはそんなに単純なものでもないのですが、このような感じで、詩を比べてみると、教科書などでしか知らなかったそれぞれの詩人の個性などが、だんだんと身近になってきて、おもしろい。

 次回は、この調子で、杜牧と、今度は王維大先生を比べてみたいと思います。
 (はたしていつになるか?)



 ところで、漢詩と言えば、先週末、

 江戸東京博物館で開催されていた、

 北京故宮博物院 書の名宝展

 に行ってまいりました。


画像



 残念ながら、すでに終わってしまいましたが、いつもながら、滑り込みでセーフ。
 突然の大雨とそれにも負けないすさまじい混雑で、えらい目にあいましたが、行ってよかった!

 わたしは書のことなど何も知りません。
 予備知識ゼロの状態で行ったので、もう何が何だかわけがわからなかったにもかかわらず、
 展示されている作品のあまりの迫力、すさまじさに、ただただ圧倒された。

 今はまだ、とてもじゃないけれど、くわしい記事が書ける状態ではありませんが、いつかきっとチャレンジしてみたいと思います。


 漢詩の書もたくさんありました。
 漢詩を視覚で味わうという楽しみもあるのだ、というのを初めて知りました。


 取り合えず、
 現在この世に存在するありとあらゆる漢字の源泉ともいうべき王義之の文字を、最も精巧に伝えると言われる、
 欄亭序(八柱第3本・伝馮承素摸)
 と、それから、
 そこから流れ出した書という芸術が、長い年月を経た後でついにたどりついた、まるで音楽のような作品、
 朱耷(八大山人)の行書抄録欄亭序軸
 とが、同じ部屋に並んでいるのを、この目で見ることができて、心から感動。
 (何と、同じ文章なのです)


 正に、ポスターのキャッチ・コピー、(by 莫山先生)

 「ああ、すごい、すごい」

 以外、今は言葉が無い。



▽ 江戸博に新しくできた洋食屋、レトロ亭。

画像




そのほかの「記事目次」

「全体記事目次」

カンタータ日記・奥の院

浅田真央さん情報・最新版

宮沢賢治記事目次

カンタータ日記・大阪モダン建築図鑑

画像





この記事へのコメント

my
2008年09月24日 11:18
 Noraさん、おはようございます。李白、いやぁ、いいですね。< 独り敬亭山に坐す > ― 衆鳥 高く飛んで尽き・・・独り去って閑なり ― 後は忘れてしまいました。五言絶句ですら忘れてしまうんですから、脳の方は相当ガタがきている証拠ですね。李白は科挙の試験にパスをしなかった唯一の漢詩人ですね。詩仙と謳われ、詩聖といわれた杜甫と並んで双璧を占めており、李白について語りだしたら、ブログにはとても書ききれません。玄宗皇帝に仕えなかったからこそ、才能が更に開花したんだと私は信じています。そして、神が李白の身体に入り込んだということも・・・ムハンマド ( モハメッド ) と同じように・・・
杜牧と李白、二首とも秋を感じさせる素晴らしい五言絶句ですね。私も又、少しの間、漢詩を楽しんでしまいそうです。
 秋気澄むこの頃、毎日をお元気にお過ごしください。失礼致しました。
 
2008年09月24日 22:26
 myさん、こんばんは。
 今日もよい天気で、思わずここにあげた詩などを口にしたくなりました。
 でも、わたしも、おぼえたはずなのに、片っ端から忘れていきます。困ったものです。

> 玄宗皇帝に仕えなかったからこそ、才能が更に開花したんだと私は信じています。

 李白は、結局、誰にも仕えなかったのですか。
 でも、李白が誰かに仕えて仕事をしているところなど、なかなか想像できないですね。
 おっしゃるとおり、その自由さが、詩のスケールの秘密なのかもしれません。
 本人も、はじめは仕官して偉くなりたかったのかもしれませんが、結局、試験にパスしなくてよかったのかも。

この記事へのトラックバック

過去ログ

テーマ別記事