受難曲の記事のご紹介+バッハのコラールについて~新しいリンクページのご案内【復活節後第1日曜日】
今度の日曜日(4月19日)は、復活節後第1日曜日。
カンタータは、
ライプツィヒ1年目の、BWV67、
ライプツィヒ2年目の、BWV42、
の2曲です。
ライプツィヒ2年目のカンタータは、復活節からコラール・カンタータではなくなっていますので、お気をつけください。
この日のカンタータは、復活節と深く関係する内容なので、復活節の記事の中で、まとめてご紹介しています。
先週の復活節の記事にのせた目次から、記事を選択してください。
* * * * * *
たまには、音楽のことを。
恒例、受難曲に関する記事のご紹介と、
それから、新しくリンクページを作りましたので、そのご案内です。
「バッハのコラールを聴いてみましょう」
☆ ☆ ☆
東京などでは、復活節の到来とともに一気に春が炸裂したかのようで、なんだかうきうきしてきますが、
(炸裂しすぎてちょっと暑くなりすぎたかと思うと、今日など急に冷え込みましたけど)
これも、寒い冬や受難週があってのこと。
先週の受難週には、マタイやヨハネの受難曲を、コンサートやCDで聴かれた方も大勢いらっしゃることと思います。
中には、ご自分で歌われた、という幸福な方も、いらっしゃることでしょう。
ほんとうは、「マタイ」のことでもきちっと書きたいのですが、わたしにはかんじんの「マタイ体験」がほとんどありませんし、何か書くにしても手も足も出ないというのが正直なところです。
幸い、いろいろな方が、ご自身の「マタイ体験」についてブログなどにお書きになっていらっしゃるので、今年もまた、その中で特に心を動かされた記事をご紹介させていただきたいと思います。
昨年に引き続き、rbhhさんの記事です。
昨年は、バッハの聖地、聖トーマス教会で「マタイ」をお聴きになったのですが、
今年は、さらに、マタイを歌うというかねてよりの大願を成就されたそうで、そのことをとてもいきいきと、感動的にお書きになっています。
この方の記事を読むと、初心に帰る、というか、ほんとうに、心から念じさえすれば、何ごともできないことなどないんじゃないか、と、思えてきて、勇気がわいてきます。
↓こちら↓
その1 その2
☆ ☆ ☆
わたしも、ちょっと気合いを入れて、記事を書きます。
バッハのコラールについて。
バッハの受難曲と言えば、すぐに、劇的なレチタティーボや合唱、心にしみいるようなアリアの数々が思い出されますが、全曲の要所要所に散りばめられた、4声のコラールの重要性を、けっして見逃してはならないと思います。
マタイ受難曲の場合、
1、レチタティーボや合唱で、わたしたちは、出来事を目の当たりにし、
2、続くアリアで、その出来事に対する個人的感情をかみしめ、
3、最後にコラールを聴いて、(あるいは歌って)
その出来事の客観的な意味を、聴いている者、歌っている者、全員で確認する、
という、プチ・カンタータというべきユニットが、延々と繰り返されることによって、全曲がなりたっています。
つまり、コラールがあってはじめて、受難曲は完結するわけで、コラールが無ければ、実に知りきれトンボ的な状態のまま、例えば、悲しいまま、不安なまま、救いの無いまま、なわけです。
オペラなどでは、それでも作品として成り立ちますが、受難曲がそれではちょっと困ってしまいます。
この点こそが、オペラと受難曲の決定的なちがいかもしれません。
当然、これは、バッハ自身の構想でもあり、実際バッハは、むしろ、他の合唱やアリアなどよりも気合を入れて、実に入念なコラール編曲を行っています。
例えば、マタイには、例の「血潮したたる」のコラールが、メロディーだけ借用したものも含めると何と5回も登場します。
まったく同じ賛美歌が何度も何度も繰り返し登場するわけですが、
マタイを聴いたことがある方はおわかりのように、これらのコラールは、その都度、それぞれの場面にふさわしい、まったく違った形で、実に効果的、感動的に歌われます。
(しかも、旋律自体は同じなので、統一感も図られています)
これは、もちろん、歌詞が違うということもありますが、それよりも何よりも、バッハがこのコラールに施した4声の編曲が、まったく異なるため、に他なりません。
このように、バッハを代表する超大作においても、コラールは極めて重要な意味を持っています。
バッハは、何よりも、コラールを大事にした作曲家でした。
実祭に、バッハの生涯をながめてみると、その生涯は常にコラールとともにあった、と言っても過言ではないことがわかります。
バッハは、ノイマイスター・コラール集などの初期コラール集からオルゲルビュッヒラインにいたる一連のコラール編曲によって、先人の手法を統合し、自分自身の作曲技法を確立させました。
壮年期以降のカンタータ作曲において、コラール・カンタータ年巻を頂点に、徹底してコラールにこだわったことは、もはや改めて書くまでもありません。
「偉大な」受難曲やオラトリオにおいても、コラールがとてつもなく重要な役割を持っているのは、先ほど書いたとおり。
また、失われたマルコ受難曲にいたっては、実はコラール受難曲と言っていいような、コラールを連ねた作品だったのではないか、とも言われています。
さらに、晩年の、前人未踏の対位法追求の端緒を飾るのは、恐ろしくて誰も近寄らない、クラヴィーア練習曲集第3巻のコラール編曲群ですし、
バッハがその生涯の最後に行った、自作の編纂作業のうち、ロ短調ミサとともに重要なのは、ライプツィヒ・コラール集(17(8)のコラール)やシュープラー・コラール集などです。
そもそも、バッハのBWV番号1000を超える膨大な作品のうち、最も数が多いのは、多くのコラールを含む教会カンタータ、
そして、2番目に多いのが、チェンバロやオルガンなどの鍵盤曲でも、室内楽曲でもなく、
実は、「4声コラール」と呼ばれる作品群なのです。
この「4声のコラール」、以前も書いたように、
バッハの死後、カール・フィリップ、キルンベルガー、エマニエルが、次々と後を引き継ぎながら、
バッハの全生涯にわたるカンタータ他の宗教曲の中から、単純な4声コラールだけを抜き出し、編纂し、出版したもので、全部で400曲近くにおよぶ膨大な集成です。
既存のカンタータ等の中に原典があるものを除く、出典不明の186曲に、BWV番号がつけられています。(BWV253~438)
(つまり、半数近くの曲は、失われた何らかの作品から抜き出された可能性もあるということ。
それだけの失われたカンタータがあった!?と思うと夢がふくらむ)
オルガンコラールなどとは異なり、全曲、単純にコラールそのものに4声の肉付けをしただけのものなので、ほとんど単独に聴かれることも無く、従ってほとんどCDも無く、そもそもほとんど知られてもいません。
よほどバッハを聴きこんだ方でも、「あれ、BWV300番台、400番台の曲って何だっけ?」という方、多いのでは?
「4声のコラール集の夕べ」なんていう演奏会を企画しても、お客さんの動員は期待できないでしょう。
少なくともわたしは行きません。
まあ、カンタータの最後によくある4声コラールが、ずらっと400曲並んでいる、と、お考えくださればいいのですが、
でも、このコラール集成、これこそが、バッハの全生涯をカヴァーしていると想像される、ほとんど唯一の作品群。
単純がゆえにバッハの恐るべき作曲技法がストレートに刻印されており、インベンションなど以上に、バッハのエッセンス、というべきもの。
つまりバッハの根源、ひいてはバッハそのもの、といっていいような作品集なのです。
バッハがこんなにも、コラールにこだわり続けたのは、もちろん信仰上の理由もあるでしょうけれど、
やはり、コラールが、当時の聴衆にとって最も身近な、誰もが知っている「歌」であった、ということも見逃せないと思います。
以前の記事にも書いたように、バッハは、一般の社会にその身を置いて、聴衆といっしょに、高らかに音楽を奏でたかった。
そしてそのために、バッハは、生涯を通じて、ありとあらゆる技法を駆使し、コラールを展開しつくした。
中世やルネッサンス初期の大作曲家は、工芸職人によく例えられます。
彼らにとっての「作曲」は、現在わたしたちが一般的に考えているものとまったく異なっていた。
彼らの「作曲」とは、美しいメロディを作ったり、それに美しい和音をつけたりすることではなく、
まわりにある素材をかたっぱしから使い、超絶技法を用いて、時には象徴的な意味合いを持たせ、時には数学的秩序を加えて、一つのミクロコスモスといっても良い作品をつくりあげていく、というものでした。
そして、すでに周囲の「作曲」の状況が現在とほぼ同様になりつつあったにもかかわらず、なぜかバッハは、「作曲」というものに対して、中世やルネッサンスの作曲家に限りなく近い認識を持っていた節があります。
バッハが、最後の、そして最大の職人作曲家と呼ばれる所以です。
この点については、バッハ自身も認識していて、
誰でも、私と同じように訓練すれば、私と同じように(作品が)書けるようになる、
というようなことを言っています。
インヴェンションや、平均律、オルゲルビュッヒライン、さらにはフーガの技法などは、そのような考えから書かれたものに他なりません。
ただ、ここで絶対にまちがえてはいけないのは、中世ルネッサンス期の作曲家やバッハは、超絶技法そのものをひけらかすために、そのような作曲技法を用いていたわけではなく、
(音楽史の流れの中では、極端に技巧偏重に傾いたアルス・スブティリオールの時代もありましたが)
あくまでも、技法については、すぐれた作品を完成させるための一手段としてとらえていた、ということです。
それを聴くわたしたちにしても、もちろん、作品の中にアクロバティックな技法を見つけて、技法そのものに感動するわけではなく、そうした技法を積み重ねた結果としての作品に感動するわけです。
もちろん、やはり、大切なのは、作品。作品ありき。
ですから、極端なことを言えば、このような技法など、ほんとはどうでもいいのです。
知識など無くても、バッハの作品の背後に張り巡らされている技法的なことに気がつかなくても、もちろんバッハの音楽に感動することはできるのです。
わたしは、「音楽がわかる」「わからない」と言う言い方は、好きではありません。
わたし自身、意識的に使わないようにしてきました。
音楽は感じるものだからです。
よく、音楽に関して、時には演奏にまで、「わかる、わからない」という言葉が乱用されているのを見ますが、まったくのナンセンスです。
ある演奏家の演奏を聴いて、心を動かされた、あるいはつまらなかったとして、それは、それを聴いた方の極めて個別的な領域の問題、つまり、その演奏が「わかった」かどうかではなく、「感動した」かどうか、ということでしょう。
このことは、音楽作品そのもの、音楽全般に関して言えることです。
それならば、なぜバッハは、超絶技法にこだわったか、という疑問が残ります。
これについては、まったく不思議なことなのですが、どうやら、バッハが技法にこだわればこだわるほど、その音楽の感動が増す、という明らかなる事実があるようのです。
このことは、わたしにとっても永遠のテーマなのですが、そもそも音楽とは何か、という根源的な問いかけにも繋がることのような気がします。
従って、本来、まったく必要の無いことかもしれませんが、
バッハの場合、バッハがその作品に盛り込んださまざまな技法を知ることは、より深く作品を味わうための一つのきっかけになることが、多々あるのです。
だから、わたしがいつも、細かく技法的なことについて書くのは、バッハがそのように特殊な作曲家であることを踏まえて、作品を味わっていただくためのヒントになったら、という気持ちからです。
ちょっと脱線してしまいましたが、以上のようなことから、バッハがちょっと特殊な作曲家であることは、わかっていただけたのではないかと思います。
そして、この最後の職人作曲家、バッハが、作曲する上で最も大切にしていた素材が、コラールに他ならない、というわけです。
コラールこそ、バッハの音楽、あの見上げるばかりに壮大な工芸作品の数々の、最も重要な材料である宝石の原石とでもいうべきものなのですね。
つまり、コラールを覚えて、そしてその編曲を聞いて、コラールの世界に親しむことは、バッハ自身の作曲技法の秘密そのものに迫ることであり、つまり、バッハを聞く至福、醍醐味を味わうことに他なりません。
さらに言えば、それに、前述のように、バッハの教会カンタータは、その大部分がコラールを含み、またそれだけでなく、コラールを徹底して展開したものですから、コラールを聴いておぼえると、カンタータが何倍も楽しく聴けることはまちがいありません。
見事な工芸作品を目の前にして、その材料のことなど何も知らなくても、その美しさを味わうことはできますが、その材料のことを少しでも知っていれば、またちがった視点でその作品を鑑賞することができる、ということ。
以上のように、
バッハの音楽において、そのような重要な意味を持つコラールですが、
なかなかとっついにくいのも事実。
でも、だいじょうぶ。
コラールは基本的に賛美歌で、当然、宗教的な意味を持っていますが、決して、こわがることはありません。
信仰が当然のこととして社会全体に浸透していた時代においては、コラールこそが「歌」でした。
親しみやすいメロディのものがほとんどですし、もとはと言えば、当時のヒットソング、恋の歌や民謡などのメロディをそのまま使ったものも多いのです。
というわけで、みなさん、バッハのコラールを聴いてみましょう。
バッハのコラールに親しみましょう。
それこそがバッハの音楽への近道でもあります。
☆ ☆ ☆
そして、ここで、ようやく本題に入るのですが、
チェロ修行中の元ロック少年のたこすけさんが、バッハのコラールに興味を持たれて、
原則的に、すべてのパートをチェロ一本で多重録音するという、ちょっと普通では考えられない手段によって、ご自分のブログに、バッハのコラール編曲の録音を次々とアップなさっています。
これまで、さまざまなバッハ等の演奏へのリンクページ、「ルネッサンス&バロック音楽倉庫(演奏の部屋)」からリンクさせていただいていましたが、数が増えて、ページに収まらなくなってきましたので、
新たに「バッハのコラールを聴いてみましょう」というページを作り、バラバラだったのを曲集ごとにまとめて、リンクさせていただくことにしました。
ぜひお聴きになって、バッハのコラール編曲をお楽しみください。
↓こちらのページから↓
「バッハのコラールを聴いてみましょう」
ちなみに、冒頭に例としてあげた、マタイ受難曲の有名な受難コラールについても、全5種類を聴き比べることもできます。
和声付けのちがいだけで、同じコラールがどんなにちがって聴こえるか、
神業のようなバッハの編曲のエッセンスを、実際に体験してみてください。
なお、このページは、トップページ右下のリンクコーナーからも行けるようにしたいと思います。
もうすでに、「耳で聴くコラール図鑑」として、かなりのまとまった量に達していますが、たこすけさん次第で、順次新しい演奏が加わっていくと思いますので、たまにのぞいてみてください。
カンタータは、
ライプツィヒ1年目の、BWV67、
ライプツィヒ2年目の、BWV42、
の2曲です。
ライプツィヒ2年目のカンタータは、復活節からコラール・カンタータではなくなっていますので、お気をつけください。
この日のカンタータは、復活節と深く関係する内容なので、復活節の記事の中で、まとめてご紹介しています。
先週の復活節の記事にのせた目次から、記事を選択してください。
* * * * * *
たまには、音楽のことを。
恒例、受難曲に関する記事のご紹介と、
それから、新しくリンクページを作りましたので、そのご案内です。
「バッハのコラールを聴いてみましょう」
☆ ☆ ☆
東京などでは、復活節の到来とともに一気に春が炸裂したかのようで、なんだかうきうきしてきますが、
(炸裂しすぎてちょっと暑くなりすぎたかと思うと、今日など急に冷え込みましたけど)
これも、寒い冬や受難週があってのこと。
先週の受難週には、マタイやヨハネの受難曲を、コンサートやCDで聴かれた方も大勢いらっしゃることと思います。
中には、ご自分で歌われた、という幸福な方も、いらっしゃることでしょう。
ほんとうは、「マタイ」のことでもきちっと書きたいのですが、わたしにはかんじんの「マタイ体験」がほとんどありませんし、何か書くにしても手も足も出ないというのが正直なところです。
幸い、いろいろな方が、ご自身の「マタイ体験」についてブログなどにお書きになっていらっしゃるので、今年もまた、その中で特に心を動かされた記事をご紹介させていただきたいと思います。
昨年に引き続き、rbhhさんの記事です。
昨年は、バッハの聖地、聖トーマス教会で「マタイ」をお聴きになったのですが、
今年は、さらに、マタイを歌うというかねてよりの大願を成就されたそうで、そのことをとてもいきいきと、感動的にお書きになっています。
この方の記事を読むと、初心に帰る、というか、ほんとうに、心から念じさえすれば、何ごともできないことなどないんじゃないか、と、思えてきて、勇気がわいてきます。
↓こちら↓
その1 その2
☆ ☆ ☆
わたしも、ちょっと気合いを入れて、記事を書きます。
バッハのコラールについて。
バッハの受難曲と言えば、すぐに、劇的なレチタティーボや合唱、心にしみいるようなアリアの数々が思い出されますが、全曲の要所要所に散りばめられた、4声のコラールの重要性を、けっして見逃してはならないと思います。
マタイ受難曲の場合、
1、レチタティーボや合唱で、わたしたちは、出来事を目の当たりにし、
2、続くアリアで、その出来事に対する個人的感情をかみしめ、
3、最後にコラールを聴いて、(あるいは歌って)
その出来事の客観的な意味を、聴いている者、歌っている者、全員で確認する、
という、プチ・カンタータというべきユニットが、延々と繰り返されることによって、全曲がなりたっています。
つまり、コラールがあってはじめて、受難曲は完結するわけで、コラールが無ければ、実に知りきれトンボ的な状態のまま、例えば、悲しいまま、不安なまま、救いの無いまま、なわけです。
オペラなどでは、それでも作品として成り立ちますが、受難曲がそれではちょっと困ってしまいます。
この点こそが、オペラと受難曲の決定的なちがいかもしれません。
当然、これは、バッハ自身の構想でもあり、実際バッハは、むしろ、他の合唱やアリアなどよりも気合を入れて、実に入念なコラール編曲を行っています。
例えば、マタイには、例の「血潮したたる」のコラールが、メロディーだけ借用したものも含めると何と5回も登場します。
まったく同じ賛美歌が何度も何度も繰り返し登場するわけですが、
マタイを聴いたことがある方はおわかりのように、これらのコラールは、その都度、それぞれの場面にふさわしい、まったく違った形で、実に効果的、感動的に歌われます。
(しかも、旋律自体は同じなので、統一感も図られています)
これは、もちろん、歌詞が違うということもありますが、それよりも何よりも、バッハがこのコラールに施した4声の編曲が、まったく異なるため、に他なりません。
このように、バッハを代表する超大作においても、コラールは極めて重要な意味を持っています。
バッハは、何よりも、コラールを大事にした作曲家でした。
実祭に、バッハの生涯をながめてみると、その生涯は常にコラールとともにあった、と言っても過言ではないことがわかります。
バッハは、ノイマイスター・コラール集などの初期コラール集からオルゲルビュッヒラインにいたる一連のコラール編曲によって、先人の手法を統合し、自分自身の作曲技法を確立させました。
壮年期以降のカンタータ作曲において、コラール・カンタータ年巻を頂点に、徹底してコラールにこだわったことは、もはや改めて書くまでもありません。
「偉大な」受難曲やオラトリオにおいても、コラールがとてつもなく重要な役割を持っているのは、先ほど書いたとおり。
また、失われたマルコ受難曲にいたっては、実はコラール受難曲と言っていいような、コラールを連ねた作品だったのではないか、とも言われています。
さらに、晩年の、前人未踏の対位法追求の端緒を飾るのは、恐ろしくて誰も近寄らない、クラヴィーア練習曲集第3巻のコラール編曲群ですし、
バッハがその生涯の最後に行った、自作の編纂作業のうち、ロ短調ミサとともに重要なのは、ライプツィヒ・コラール集(17(8)のコラール)やシュープラー・コラール集などです。
そもそも、バッハのBWV番号1000を超える膨大な作品のうち、最も数が多いのは、多くのコラールを含む教会カンタータ、
そして、2番目に多いのが、チェンバロやオルガンなどの鍵盤曲でも、室内楽曲でもなく、
実は、「4声コラール」と呼ばれる作品群なのです。
この「4声のコラール」、以前も書いたように、
バッハの死後、カール・フィリップ、キルンベルガー、エマニエルが、次々と後を引き継ぎながら、
バッハの全生涯にわたるカンタータ他の宗教曲の中から、単純な4声コラールだけを抜き出し、編纂し、出版したもので、全部で400曲近くにおよぶ膨大な集成です。
既存のカンタータ等の中に原典があるものを除く、出典不明の186曲に、BWV番号がつけられています。(BWV253~438)
(つまり、半数近くの曲は、失われた何らかの作品から抜き出された可能性もあるということ。
それだけの失われたカンタータがあった!?と思うと夢がふくらむ)
オルガンコラールなどとは異なり、全曲、単純にコラールそのものに4声の肉付けをしただけのものなので、ほとんど単独に聴かれることも無く、従ってほとんどCDも無く、そもそもほとんど知られてもいません。
よほどバッハを聴きこんだ方でも、「あれ、BWV300番台、400番台の曲って何だっけ?」という方、多いのでは?
「4声のコラール集の夕べ」なんていう演奏会を企画しても、お客さんの動員は期待できないでしょう。
少なくともわたしは行きません。
まあ、カンタータの最後によくある4声コラールが、ずらっと400曲並んでいる、と、お考えくださればいいのですが、
でも、このコラール集成、これこそが、バッハの全生涯をカヴァーしていると想像される、ほとんど唯一の作品群。
単純がゆえにバッハの恐るべき作曲技法がストレートに刻印されており、インベンションなど以上に、バッハのエッセンス、というべきもの。
つまりバッハの根源、ひいてはバッハそのもの、といっていいような作品集なのです。
バッハがこんなにも、コラールにこだわり続けたのは、もちろん信仰上の理由もあるでしょうけれど、
やはり、コラールが、当時の聴衆にとって最も身近な、誰もが知っている「歌」であった、ということも見逃せないと思います。
以前の記事にも書いたように、バッハは、一般の社会にその身を置いて、聴衆といっしょに、高らかに音楽を奏でたかった。
そしてそのために、バッハは、生涯を通じて、ありとあらゆる技法を駆使し、コラールを展開しつくした。
中世やルネッサンス初期の大作曲家は、工芸職人によく例えられます。
彼らにとっての「作曲」は、現在わたしたちが一般的に考えているものとまったく異なっていた。
彼らの「作曲」とは、美しいメロディを作ったり、それに美しい和音をつけたりすることではなく、
まわりにある素材をかたっぱしから使い、超絶技法を用いて、時には象徴的な意味合いを持たせ、時には数学的秩序を加えて、一つのミクロコスモスといっても良い作品をつくりあげていく、というものでした。
そして、すでに周囲の「作曲」の状況が現在とほぼ同様になりつつあったにもかかわらず、なぜかバッハは、「作曲」というものに対して、中世やルネッサンスの作曲家に限りなく近い認識を持っていた節があります。
バッハが、最後の、そして最大の職人作曲家と呼ばれる所以です。
この点については、バッハ自身も認識していて、
誰でも、私と同じように訓練すれば、私と同じように(作品が)書けるようになる、
というようなことを言っています。
インヴェンションや、平均律、オルゲルビュッヒライン、さらにはフーガの技法などは、そのような考えから書かれたものに他なりません。
ただ、ここで絶対にまちがえてはいけないのは、中世ルネッサンス期の作曲家やバッハは、超絶技法そのものをひけらかすために、そのような作曲技法を用いていたわけではなく、
(音楽史の流れの中では、極端に技巧偏重に傾いたアルス・スブティリオールの時代もありましたが)
あくまでも、技法については、すぐれた作品を完成させるための一手段としてとらえていた、ということです。
それを聴くわたしたちにしても、もちろん、作品の中にアクロバティックな技法を見つけて、技法そのものに感動するわけではなく、そうした技法を積み重ねた結果としての作品に感動するわけです。
もちろん、やはり、大切なのは、作品。作品ありき。
ですから、極端なことを言えば、このような技法など、ほんとはどうでもいいのです。
知識など無くても、バッハの作品の背後に張り巡らされている技法的なことに気がつかなくても、もちろんバッハの音楽に感動することはできるのです。
わたしは、「音楽がわかる」「わからない」と言う言い方は、好きではありません。
わたし自身、意識的に使わないようにしてきました。
音楽は感じるものだからです。
よく、音楽に関して、時には演奏にまで、「わかる、わからない」という言葉が乱用されているのを見ますが、まったくのナンセンスです。
ある演奏家の演奏を聴いて、心を動かされた、あるいはつまらなかったとして、それは、それを聴いた方の極めて個別的な領域の問題、つまり、その演奏が「わかった」かどうかではなく、「感動した」かどうか、ということでしょう。
このことは、音楽作品そのもの、音楽全般に関して言えることです。
それならば、なぜバッハは、超絶技法にこだわったか、という疑問が残ります。
これについては、まったく不思議なことなのですが、どうやら、バッハが技法にこだわればこだわるほど、その音楽の感動が増す、という明らかなる事実があるようのです。
このことは、わたしにとっても永遠のテーマなのですが、そもそも音楽とは何か、という根源的な問いかけにも繋がることのような気がします。
従って、本来、まったく必要の無いことかもしれませんが、
バッハの場合、バッハがその作品に盛り込んださまざまな技法を知ることは、より深く作品を味わうための一つのきっかけになることが、多々あるのです。
だから、わたしがいつも、細かく技法的なことについて書くのは、バッハがそのように特殊な作曲家であることを踏まえて、作品を味わっていただくためのヒントになったら、という気持ちからです。
ちょっと脱線してしまいましたが、以上のようなことから、バッハがちょっと特殊な作曲家であることは、わかっていただけたのではないかと思います。
そして、この最後の職人作曲家、バッハが、作曲する上で最も大切にしていた素材が、コラールに他ならない、というわけです。
コラールこそ、バッハの音楽、あの見上げるばかりに壮大な工芸作品の数々の、最も重要な材料である宝石の原石とでもいうべきものなのですね。
つまり、コラールを覚えて、そしてその編曲を聞いて、コラールの世界に親しむことは、バッハ自身の作曲技法の秘密そのものに迫ることであり、つまり、バッハを聞く至福、醍醐味を味わうことに他なりません。
さらに言えば、それに、前述のように、バッハの教会カンタータは、その大部分がコラールを含み、またそれだけでなく、コラールを徹底して展開したものですから、コラールを聴いておぼえると、カンタータが何倍も楽しく聴けることはまちがいありません。
見事な工芸作品を目の前にして、その材料のことなど何も知らなくても、その美しさを味わうことはできますが、その材料のことを少しでも知っていれば、またちがった視点でその作品を鑑賞することができる、ということ。
以上のように、
バッハの音楽において、そのような重要な意味を持つコラールですが、
なかなかとっついにくいのも事実。
でも、だいじょうぶ。
コラールは基本的に賛美歌で、当然、宗教的な意味を持っていますが、決して、こわがることはありません。
信仰が当然のこととして社会全体に浸透していた時代においては、コラールこそが「歌」でした。
親しみやすいメロディのものがほとんどですし、もとはと言えば、当時のヒットソング、恋の歌や民謡などのメロディをそのまま使ったものも多いのです。
というわけで、みなさん、バッハのコラールを聴いてみましょう。
バッハのコラールに親しみましょう。
それこそがバッハの音楽への近道でもあります。
☆ ☆ ☆
そして、ここで、ようやく本題に入るのですが、
チェロ修行中の元ロック少年のたこすけさんが、バッハのコラールに興味を持たれて、
原則的に、すべてのパートをチェロ一本で多重録音するという、ちょっと普通では考えられない手段によって、ご自分のブログに、バッハのコラール編曲の録音を次々とアップなさっています。
これまで、さまざまなバッハ等の演奏へのリンクページ、「ルネッサンス&バロック音楽倉庫(演奏の部屋)」からリンクさせていただいていましたが、数が増えて、ページに収まらなくなってきましたので、
新たに「バッハのコラールを聴いてみましょう」というページを作り、バラバラだったのを曲集ごとにまとめて、リンクさせていただくことにしました。
ぜひお聴きになって、バッハのコラール編曲をお楽しみください。
↓こちらのページから↓
「バッハのコラールを聴いてみましょう」
ちなみに、冒頭に例としてあげた、マタイ受難曲の有名な受難コラールについても、全5種類を聴き比べることもできます。
和声付けのちがいだけで、同じコラールがどんなにちがって聴こえるか、
神業のようなバッハの編曲のエッセンスを、実際に体験してみてください。
なお、このページは、トップページ右下のリンクコーナーからも行けるようにしたいと思います。
もうすでに、「耳で聴くコラール図鑑」として、かなりのまとまった量に達していますが、たこすけさん次第で、順次新しい演奏が加わっていくと思いますので、たまにのぞいてみてください。
この記事へのコメント
非常に読み応えのある記事をまとめていただき、また本当にへたくそでもうしわけない演奏にリンクをはっていただくページまで作っていただき、もう恥ずかしいやら嬉しいやら、バッハの視線が恐い(笑)やら、少々複雑な心境でもありますが、ありがとうございます。
せめてもう少しまともな録音ができるようにがんばりたいと思います。
記事の内容、非常に豊富な内容で、自分も色々と思うことがあるのですがちょっとまとまりません。
ひとつ、この間、ふと体験したことを。
一本前のNoraさんの記事に触発されてBWV66をこの間よく聴いていたのですが、僕が持っているアーノンクール・レオンハルトの全集だと一枚のCDに64番・65番・66番と入っているので、聴くともなしになんとなく64番を流していたのですが・・・まさに聞き流していた先日、最後のコラールがはじまった瞬間、「あ、このメロディー、弾いたことがある」と思いました。BWV227「イエスわが喜び」のコラールだったのですね。その瞬間の気持ち、なんと表現したらよいのか・・・「バッハの生演奏に当時教会でじかに触れた人たちが感じた驚きや感動とはまさにこんな感じだったんじゃないかな」などと思いました。
さらに思うに、自分は”旋律”という角度のみで、しかし教会に集う人たちにとっては歌詞の内容もまさに一体となってとらえられるわけで、そういう意味では自分が感じたものの何倍の感動を教会で毎週感じられたのではないかなと思いました。
一言で言うと、かなりうらやましい(笑)。
いつもながら、勝手にリンクさせていただき、申し訳ありません。
アンサンブルの演奏と違い、たこすけさんの演奏は、各声部をじっくり試行錯誤しながら演奏なさっているせいか、曲の特徴がとてもよくわかるため、少しでも多くの方に聴いていただけたら、と思ったのですが、かなりおおげさになってしまった。
でも、こうしてまとめてみると、ものすごい量を録音なさっているのがわかり、素直に感動してしまいました。オルゲルビュッヒラインなんか、もう3分の1は、録音しているのでは。わたしもこんなに1曲1曲と向き合ったのは初めての経験なので、ほんとに感謝しています。
わたしがカンタータを聴き始めた頃、聴き取れるコラールは、それこそ、マタイの「血潮したたる」ぐらいでしたが、もういたるところに、それこそ様々な形で登場するので、その度に涙がちょちょぎれる思いでした。
この記事の文章は、あれこれ書きたいことを一息に書き飛ばしたので、まったくまとまりが無いものになってしまいました。
言い訳というわけではないですが、しばらくの間旅に出るため、時間が無かったのです。
また戻ってきたら、よろしく。
「血潮」の編曲は不思議です。たとえば全体がほとんどイ短調で書かれていても、最初と最後の和音だけハ長調になっていたり(悲嘆は絶望で終わらないことを暗示したかった?)。
>Noraさま ×Vhoral ○Choral
>たこすけさま 検索したサイトの中に、たこすけさまのページも含まれていたことに気づいていませんでした(恥)勉強になりました。同じ楽器で四声弾くならばやはりチェロですね。これをオーボエでやったら鵞鳥小屋です。
>Noraさま バッハは「平均律」とコラール群により12の調性からなる古典音楽の礎を築きましたが、結果的にそうなっただけであって、コラールは日毎礼拝に集う市民のことを思って書いただけだった、というところが彼の凄さだと理解しています。讃美を市民の口に取り戻すにはドイツ語と平易な旋律が条件だったのでしょう。私が知る日本の某教会(メンバー数百人)では、毎年のテーマ曲、子どものための新曲、イースターやクリスマスのための曲、誕生した子たちそれぞれへの献呈曲などを新しく書き下ろす作者が複数います(遠方からもネット配信されたり)。多くは現代風の音楽ですが演歌風讃美歌もあります(爆)。バッハの時にもこんなふうに音楽が身近で誕生し、用いられ、愛されて財産になったのかと思います。
しばらく出かけていたので、お返事ができず、失礼いたしました。
バッハとコラールについて、さまざまな角度から書いてくださり、ありがとうございました。
> バッハの時にもこんなふうに音楽が身近で誕生し、用いられ、愛されて財産になったのかと思います。
バッハににもお気に入りのコラールというのが何曲かあって、それらは、使用頻度も多いですし、カンタータやオルガン・コラールの編曲にもやたら気合が入っています。それらの曲は、たいていは、バッハの音楽を聴く市民にとっても人気のある曲だったようですね。
一つの同じ歌で演奏する側と聴く側が一つになるというのは、音楽の最も根本的な側面であって、時代や場所が変わっても変わらないのでしょうね。
市民の立場でコラールの歌詞を歌い、信仰の感情を総括して告白する、といった発想はカトリックの教義からは出てこないわけで(一般人はローマ教皇の体制にぶら下がっていればよい、歌うとしても定型的な式文のみ)、私たちが今日バッハやメンデルスゾーンやブラームスの音楽を楽しめるのもルターのおかげと言えますね。カルヴァンはカンタータのような要素を礼拝に持ち込むことを廃したとはいえ、それでも旧約聖書の詩編(これも元来は歌われたはず)に旋律を付けたコラールを歌うことは奨励したようです。
耳学問ですがドイツ語に「礼拝を歌う」という言い回しがあるそうです。
お子様OKのコンサートで、抜粋とは言え、「ヨハネ」ですか。
お子様方、だいじょうぶでしょうか。
冒頭合唱の時点で、何人か泣くと見た。
同じ日の「四季」も聴きます(Vivaldi)
泣いてしまう子どもの方がかわいそう、ということですね。
今頃は、コンサートでしょうか。
新しい記事に書いたとおり、わたしは初日からはりきりすぎて、早くも力尽きてしまいました。