真夏の幻影、あるいは「夏の夜のオペラ」~BWV45、168【三位一体節後第9日曜日】

 今度の日曜日、8月9日は、三位一体節後第9日曜日。

 
 カンタータは、
 第1年巻、BWV105
 第2年巻、コラールカンタータのBWV94
 後期のBWV168


 BWV94は、フルートが大活躍する、まるで清々しい花園に遊ぶかのような名品。
 コラール・カンタータは、これから秋にかけて、フルート等木管楽器の活躍が顕著になります。よほどの名人がやってきて、バッハ先生、大いに張り切ったとみえます。

 BWV105は、第1年巻を代表する名曲中の名曲ですね。
 以前かなり細かく書きましたので、ごらんください。こちら
 歴史的録音の試聴もできます。こちら



 今回は、先週のBWV45と今週のBWV168を聞いてみました。

 どちらも後期のバッハならではの、円熟の筆致の作品ながら、ほとんど全集録音しかない、「知られざる名作」です。

 ちょっとだけ感想を書くつもりでしたが、止まらなくなったので、こうして改めて別記事にしました。



 BWV45は、たこすけさんの、「チンダル」が見えました、のコメントに誘われて聴いてみました。

 言われてみれば、バッハの音楽には、実に「チンダル」的な瞬間が多い。
 史上稀に見る「チンダル」作曲家でしょう。


 このBWV45の冒頭大合唱、
 思わず心が晴れやかになるような、おおらかで雄大なバッハお得意のフレーズが幾重にも積み重なる中、
 さらに力強い合唱が加わり、どんどん広がっていく。
 このカンタータはルードルシュタット歌詞集によるものなので、この合唱はコラールでなく、旧約聖書に基づく自由合唱。
 そのあたりも、独特ののびやかな広がりの秘密かもしれない。
 まさに、夏の力強く盛り上がる雲間から、巨大な光の柱が何本も射しこんでくる「大チンダル」そのもの。
 上記フレーズがさまざまな調性の間で徹底して展開される中間部の後、朗々とした冒頭部分が帰ってくるところなど、特にそう。

 この中間部など、後の交響曲やソナタの「展開部」そのもの。その後の「再現部」が、ほとんどリピートだというのが、交響曲なんかとちがうところか。でも、そのまま再現した方が効果的な場合もある。


▽ 西表で見た大チンダル

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 このカンタータは、前述のように、ルードシュタット歌詞集によるものなので、2部構成になっていますが、第2部を開くレチタティーボもまたすばらしい。
 厳密には、器楽伴奏付アリオーソになるのでしょうか、
 あの無伴奏Vnパルティータ3番のプレリュードを思わせる、弾けるようなストリングスにのって、バスが朗々と歌う、(今度は新約聖書のイエスの言葉)
 これも、まぶしいくらいに光あふれる音楽。


 これら、明るい楽章の後に、それぞれ短調のアリアが続きますが、
 一つは、バッハお得意のストリングスの舞曲風アリア、
 一つは、トラヴェルソと声楽、bcがしっとりとからみあう、室内楽風アリア、
 と、種類・性格はまったくことなるものの、いずれも、あふれる情感が涙となって滴り落ちるかのような名アリア。


 そして、このロマンあふれるカンタータを締めくくるコラールは、バッハお気に入りの近代的なメロディが印象的な、やはりロマン風なもの。
 このコラール、大好き。


 この曲の場合、全集盤以外にも、リヒターの録音があります。
 気宇壮大なロマン的曲想が、リヒターにぴったりな気がしますが、ここでのリヒターは昔に戻ったみたいに、やや切迫した感じ。
 むしろ、リリングやレオンハルトのどこかほわんとした演奏の方がわたしのイメージに合います。
 
 

 一方の、BWV168

 このカンタータは、実はとても重要な位置づけのカンタータ。
 偉大なコラール・カンタータ年巻に続くツィーグラー・シリーズも終了し、
 バッハ3年目の最初の作品、バッハのカンタータ創作後期の始まりとなる記念すべき作品。(・・・・な割には地味だけど)

 バスからソプラノまで、すべての声部が順番に活躍する豪華なソロ・カンタータ。
 その後の市当局への挑戦、長い長い戦いを宣言するかのような、やがて「マタイ」への道を踏み出すことを暗示するかのような、
 いかにもオペラティックな、実験的な作品になっています。

 しかし、さんざん、オペラ風な作品はNGと言われてるのに、なぜわざわざこういうの、書くのか・・・・。 


 まあ、いずれにしても、このBWV168
 低音部の逆巻くような3連音に乗って、キレの良いストリングスとバスが勇壮な音楽を展開する、まるでオペラの中の音楽そのものみたいなアリアから始まります。


 ところが、実は、このBWV168、妙なタイトルの多いバッハのカンタータに中でも、もっとも妙なタイトルのカンタータと言っていいもの。

 バッハ事典に載っているタイトルは、

 「務めの報告をいだせ、と轟く雷の言葉」

 ほとんどわけがわからないですが、以前カンタータ掲示板で教えていただいた内容によれば、直訳すると、勘定をしろ、とか、清算しろ、などという意味のようです。
 つまり、自分自身の行いの清算をしなさい、というようなことの例え話らしいのですが、
 ご存知のように、バッハのカンタータは、第1曲目のインチピトをそのままタイトルとして使用していますから、
 このドラマティックで力強いバス・アリアは、「勘定を払え、勘定を払え」と、繰り返し繰り返し歌っているわけです。
 しかも、雷のように轟きわたる声で。

 そのように、意味まで考えていくと、一般的にはちょっと微妙な気がしなくもないですが、いずれにしても、音楽は、全編、実にドラマチックな力作です。


 アリアやレチタティーボも、どれも、特徴的な魅力作ばかり。
 わたしは、特にこのBWV168の第3曲、
 短調だか長調だかよくわからない、(実際には嬰ヘ短調)調性の狭間をゆらゆらとさまようような、
 妙にうら寂しい響きを持ったオーボエの伴奏のバスアリアが好きです。
 バッハの夏のカンタータには、こういう曲、多いんです。
 まるで、クール・ジャズ。すばらしい。 

 第5曲のデュエットも、もちろん、いつものことながら、表情豊かで劇的。
 デュエットに関しては、ヘンデルもなかなかですが、やはり、バッハの独壇場。


 CD。
 やはりリリングも、いいですが、このような、後期の曲は、コープマンの演奏がなかなかおもしろい。



 さて、こうして、ロマンチックかつドラマチックな、「隠れた名曲」2曲を改めて聴いてみましたが、
 改めて、バッハのカンタータ、特に後期の作品は、そのままオペラにしてもおかしくないような、魅力的かつポピュラーな音楽が多い、ということを実感しました。

 現在、ヘンデル・イヤーということもあり、わたしも遅ればせながら、ヘンデルのオペラのあふれる魅力に取り付かれつつあるところですが、
 本物のオペラの楽しさを知ると、
 こうなると、歴史に「もしも」はありえないとは言うものの、もしも、もしもバッハがオペラを書いていたら、と、思わずにはいられません。


 ただ、オペラとなると、作曲の才能だけでなく、むしろプロデュース面での能力が大切で、ヘンデルもまさにその点で身を削るような苦労し続けた、ということは十分承知しています。

 以前も書きましたが、わたしはこれまで、音楽史上の定説みたいなものを鵜呑みにして、
 バッハは、その一部の難渋な音楽が象徴するように、地方都市の小さな社会とさえなかなか折り合いをつけることができなかった気難しい苦労人、
 ヘンデルは、やはりその陽気で明るい音楽が表すとおり、ヨーロッパ一の大都会ロンドンで大成功をおさめた底抜けに陽気な大スター、
 みたいに漠然ととらえていました。

 しかし、とんでもなかった。
 ヘンデルのことを知れば知るほど、ヘンデルが地上に自分の音楽を響かせるために行った、ある種社交的な戦いとも言える努力の壮絶さがわかってきた。

 これは、残念ながら、バッハにはちょっとムリと言わざるをえません。バッハには、オペラというジャンルはやはりふさわしくなかった。
 ヘンデルの血のにじむような努力を考えると、さっさと社会とある程度の距離を置いてしまい、自分の心の中の音楽の追求に没頭することができたバッハは、むしろ幸福だったのかもしれません。

 ヘンデルは、あくまでも自分の生きる世界のために音楽を書き、それに対して、バッハは、言わば未来の我々のために、普遍的な音楽を書こうとしました。
 現代における、この二人の位置づけの微妙な差異みたいなものは、正にこの一点からくるものであり、二人がともに、我々のような凡人には優越などつけられるはずもないレヴェルの超一級の天才であったことは、言うまでもないでしょう。
 このような天才が、ほとんど同時にほとんど同じ場所に誕生した、ということは、実に驚嘆すべきことだ、とあらためて感じいるばかりです。


 ・・・・ちょっと長々と書いてしまいましたが、
 となると、いくら望んだところで、「バッハのオペラ」を聴く、ということは、
 つまりはハナからありえない、もともとムリな願いだった、と言えるわけです。
  
 それならば、せめて、このようなカンタータを聴いて、
 束の間の真夏の幻影、あるいは「真夏の夜の夢」に身を任せるように、
 「バッハのオペラ」を楽しもうではありませんか。



  ☆    ☆    ☆



 以上、「チンダル」や「インチピト」など、ちょっとかわいい?ゴロの言葉を使ってみたくて、書いてみました。

 

 チンダルは、正式には、「チンダル現象」。

 「チンダル」だけだと、この現象を発見したジョン・チンダルというイギリス人科学者を呼び捨てにしてることになりますが、まあ、そう言い慣れてるので。
 ジョン・チンダルは、「天使の梯子」などと呼ばれ、超自然的な事象とも思われていた光の通路が見える現象が、単なるほこり等のせいだということを、科学的につきとめてしまった、ちょっと無粋な人。


▽ この夏の大チンダル

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 「インチピト」は、声楽曲などの歌い出しの冒頭語句のこと。
(REIKOさんのこちらの記事で初めて知った)

 つまり、現在使用されているバッハのカンタータの呼び名のすべては、
(厳密には、BWV11「復活節オラトリオ」やBWV198「哀悼頌歌」などは除く)
 タイトルではなくインチピトということになる。
 したがって、
 オペラのアリアなどでも同様のことはあるようだが、
 インチピトによってある程度イメージを抱いて曲を聴き始めると、いきなり180度異なる内容だったりして愕然としたりすることが、カンタータの場合、特に多い。



そのほかの「記事目次」

「全体記事目次」

カンタータ日記・奥の院

浅田真央さん情報・最新版

宮沢賢治記事目次

カンタータ日記・大阪モダン建築図鑑

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この記事へのコメント

koh
2009年08月08日 15:46
「インチピト」出ましたね。バッハやヘンデルのカンタータの世界では、もっと一般的に使われてもいい言葉だと思います。

バッハとヘンデルの位置づけの、微妙な差異を較べて楽しめるとは、考えてみるとわたしたちは幸せな世界に生きているものです。
2009年08月09日 17:32
 kohさん、こんにちは。

 あはは。インチピト、自然だったでしょう。
 書くとなるとけっこう緊張して、何度か書き直しました。
 誰も気づいてくれないと悲しいので、最後にちょっと書いちゃいましたが。

 考えてみれば、ロンドンの超上流層と、ライプツィヒの一般市民が、それぞれ聴いていた最高の音楽を、同時に楽しめるので、ほんとうに幸せですね。みんなでこの幸せを共有しましょう。
2009年08月09日 21:13
出た~!「インチピト」!
今年のブログ界、局所的流行語大賞か!?(爆)

「チンダル現象」という言葉は、初めて知りました。
「天使の梯子」って呼んでましたが・・・そうですか、ホコリのせいでああなるんですか。
見た目はすごく神々しいのに。(^ ^;)
確かにバッハは大チンダル作曲家ですね。
ロ短調ミサの「グロリア」や「マニフィカト ニ長調」は、チンダル係数100%ですよ♪

カンタータ105番は私も大好きです。
特に後半のテノールのアリアが。
この曲、行進風のリズムやホルンが助奏に付いたりする点、ジュリオ・チェーザレの「Va tacito」と似ています。
「Va tacito」でヘンデルのオペラに目覚めたんですが、こういうテンポや曲調が、私のツボなんですよ。
2009年08月11日 01:03
 REIKOさん、
 試しに「インチピト」でぐぐってみたら、最近の記事では、REIKOさんとわたしの記事ぐらいしかないような気が・・・・。
 局所的にもほどがありますね。(笑)
 意外と便利なので、今後とも、使わせていただきます。さりげなく。

 BWV105のテノールアリア、いいですよね。
 いつだったか、真夏のある日、入道雲がものすごく湧き上がっている日に、ある教会の演奏会で聴いて、あまりのすばらしさに気を失いそうになりました。
 決して、あまりの暑さに意識を失いそうになったわけではありません。

 行進曲調+hn、tpなどの金管という組み合わせ、バッハの場合もけっこうありそうなので注意して聴いてみることにします。
 ちなみにわたしのツボは「中庸」です。
  
かげっち
2009年08月12日 14:03
旧約聖書には父祖ヤコブが夢で「天使が梯子を上り下りしている」のを見たという記事があります。気象現象としての「天使の梯子」を高い山から見ると、遠くの雲の切れ間から差し込む光が地上にまで達する様子が、まるで神の光が誰かの上に差し込んでいるように見えるそうです。そんな情景を想像しながら聴いてみましょうか。
2009年08月12日 21:23
「星」への想いをハガキに込めた作品を募集中(依頼)

Nora様

「越前大野感性はがき展」のPR担当スタッフの佐々木と申します。Nora様が以前「Google」に投稿された宇宙のイラストを拝見し、コメントした次第です。投稿記事に無関係のコメントですみません。

当展は、福井県内にある大野市が主催する文化事業(公募展)です。ハガキ大のサイズに、自由な発想と手法で作った作品を応募してもらうというコンクールです。現在「星」をテーマに作品を募集しており、「星」にまつわる多くの人の想い(感動、夢、思い出等)が込められた作品(メッセージ)が、一枚でも多く届くことを期待しています。

この案内は、当展の趣旨に共感してもらえそうな方にのみ送っています。いきなりの申し出で恐縮ですが、「感性はがき展」の作品作りにチャレンジしていただけないでしょうか。Nora様のように日々、感性を閃かせている方にこそ応募していただきたく存じます。また、当コンクールの存在をご友人やお仲間の方々に告知し、応募を呼びかけていただけたら幸いです。差し支えなければ、ブログのネタとしてご活用ください。募集要項については、公式HPをご覧ください。

※このカキコミがご迷惑の場合は無視してください。長文をお許しください。
2009年08月15日 00:46
 かげっちさん、
 バッハお得意の音楽象徴の一つに、「ヤコブの梯子」音型というべきものがあります。正にかげっちさんがおっしゃるとおりの、天使が上下に飛び回っている様子をあらわしたもので、オルガン曲をはじめ、さまざまな曲で登場しますが、どちらかというと、それよりもこのBWV168のように、雄大な作品の方が、よりチンダルっぽいのがおもしろいですね。
2009年08月15日 01:16
 佐々木さん、コメント、ありがとうございます。
 HP拝見いたしました。なかなか夢のある企画だと思います。

> 以前「Google」に投稿されたイラスト

 わたしは、投稿などは一切していないので、わたしがこのブログのために描いた絵が検索にひっかかったのではないかと思います。
 というわけで、わたしは基本的に投稿等はしないことにしているので、残念ながらご希望にそえかねますが、公募展の成功を、陰ながら応援させていただきます。
かげっち
2009年08月17日 15:40
話を戻せば、映画館で銀幕に向かう光の筋が見えるのも、水の中を通る光の道が見えるのも、コロイドの中を光が通過する時のチンダル現象です。宇宙空間を通ってくる太陽や月の光の通り道が見えないのは、宇宙空間に塵などが浮いていないからです。空が青いのは大気中の塵などで太陽光が散乱されるからです。こういう物理現象の共通点解明すること、決して無粋とは思いませんよ(笑)
バッハの「ヤコブの梯子音型」は一段一段を細かく見た感じで、梯子全体の素描ではないかもしれませんね。
2009年08月18日 12:18
> バッハの「ヤコブの梯子音型」は一段一段を細かく見た感じで

 そのとおりですね。
 天使が上下に飛び回るようなイメージで、これはこれで、キラキラと美しい感じです。

 そう言えば、水中は、チンダル現象だらけですね。
 栄養に富んだ海ほど、チンダル現象がよく見られる、ということになります。
 何本もの光の柱の中を、大小さまざま、色とりどりの魚たちが泳ぎまわる様子は、すばらしいものです。

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