今さら?の言葉の壁・新旧名盤聴比べ~9つのドイツ語アリア2・バッハファンのヘンデル入門ラストスパート

 今日から、日本シリーズが始まった。
 ジャイアンツ、やっぱり強い。分厚い壁みたいだ。最後の最後に追い詰めましたが、あと一歩力およばず。
 くやしいので、今回は、記事もちょっと八つ当たりぎみ。



 9つのドイツ語アリア集 HWV202~210



 昨日の続き。かんじんのCDのご紹介。


 
 前回、生粋の「ドイツ人」ヘンデルの作品として、この珠玉のアリア集が残されていることは、なんて幸運&幸福なことだ、というようなことをだらだらと書いたわけですが、
 そのアリア集に、かのアーリーン・オジェーの名盤が残されているのは、これまたなんと、幸運&幸福なことでしょう。

 オジェーの歌が良いのは当然として、この稀代のカンタータ唄いを迎えての、地味ですが当時の東独を代表する独シャルプラッテンの重鎮アーティストたちが繰り広げるこの演奏は、「わしらがこれをやらんで誰がやるんじゃ」という気概にあふれています。

 そして、気概にあふれてはいるんですが、オジェーの歌ともども、演奏そのものは実にしみじみとして美しい。
 一言で言えば、あのカンタータ全集の名演の数々に連なるような演奏で、前の記事に書いた、バッハとの関連うんぬん、というのは、この極上の演奏から生じる幻想なのかもしれません。
        


 そして、

 ようやく登場、今回のオススメ盤。



 9つのドイツ語アリア集ほか

        リアル&オーストリアン・バロック・カンパニー




▽ 何と、またまた、茶色いシーツ状のものを身にまとってる。
  ヌリアちゃん、お前もか・・・・。
  (と、思ったら、ドレスをちゃんと着てて、これはその飾りみたい)
  それにしても、ヘンデルのCDジャケって、いったい・・・・。 

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 上記オジェーの名盤以外、ほとんどめぼしいCDが無いような状況が続いていた中、
 最近、なぜか、今をときめくヌリア・リアル嬢が、このびみょ~作品、もとい名品にチャレンジ。
 期待にたがわぬ熱演を聴かせてくれました。

 常におだやかな微光を帯びているかのようなオジェーの歌声に対して、
 この人の歌声は、やはりまぶしく輝く太陽そのもの。その一方で、しっとりゆっくりした歌では、おおらかなやさしさも感じさせる。
 そんな若く健康的な表現にも十分対応して、作品も鮮やかな輝きを放って引き立つのが、バッハと同様、ヘンデルの懐の深いところ。
 特にヘンデルはそういところが大きい。


 しかし、ここでの主役は、むしろ、伴奏のオーストリアン・バロック・カンパニーかもしれません。

 オジェー版と比較すると、遅い楽章はよりゆっくりと歌いこみ、速い楽章はより快速に飛ばしている。
 特にbcが特徴的で、テオルボなどの古雅な調べが綿々と続いたかと思うと、突如、激しいロック・ビートが噴出。
 しかも、それらが決してあざとくなく、すべてが自然で美しいのは、やはり独欧系グループならではの美質か。

 そして、このグループ主宰の、ミヒャエル・オーメンのリコーダーが、またすごい。

 一見にこやかなこのおじさん(お兄さん?)、
 楽器を手にするやミューズの化身と化して、(まるでとりつかれたように)
 何曲か受け持ったオブリガートでは、きらめくような輝きに満ちた歌から、情感あふれる歌まで、変幻自在に笛を響かせる他、
 カップリングの「花火の音楽」では、始めから終りまでソロを吹き倒して、鮮烈かつ美しさの限りをつくした音楽を聴かせてくれる。

 恥ずかしながら、この曲、はじめて全部きちんと聴いたのですが、
(メロディはさすがにほとんど知っていた)
 タイトルからして野外の機会音楽にちがいないので、よもやもともとはリコーダーのための音楽では無かろうとは思うのですが、このリコーダー(+鮮烈なストリングス&bc隊)の演奏を聴いて、心の底から良い曲だと痛感した。
 特に、Overture のフーガ主題や、各舞曲のテーマの歌わせ方など、颯爽として、夢見るように美しい。

 このグループ、わたしはまったく知りませんでしたが、この演奏を聴く限り、どうやらこのグループをフィーチャリング゙することこそがこのディスクの真の目的で、その看板にリアルを持ってきた、ということみたい。

 それにこの「ドイツ語」アリア集を選んだ、というのは、DHMの意地と誇りのあらわれかもしれない。



 以上、一応、今回のメインの部分は、これでおしまい。



 * これから先は、わたしのまったく個人的感想、というか、
   思い込みである可能性が限りなく高いので、あまり参考になさらないように。

 


 このリアル譲のCDがリリースされた折、ヘンデル・ブログのREIKOさんに、コメントにてお聴きになったかどうか伺ってみたところ、REIKOさんから、(まだ未聴だが)「こういうのはやはりドイツ人歌手のがいいなあ・・・と思うんですよね。」というお返事をいただきました。

 REIKOさんは、当然のことのように、さらっとおっしゃったようですが、この一言、ヘンデルという作曲家の特殊性を考えた場合、実はとても重た~い意味を持っているのではないか、という気がして、今回、ドイツ語アリア集について記事を書く契機になりました。


 わたしは、ドイツ語、フランス語、イタリア語はもちろんのこと、英語さえも、ほとんどしゃべることも聞き取ることもできません。

 音楽の場合、意味がわからないにしても、発音やアクセントは、音楽の根幹、例えばリズムや響き、雰囲気などに直接係わってくるため、ほんとうはもう少し勉強しないといけないところなのですが、
 たまに、コンサートなどに行って、歌手や合唱団の演奏に関して、○○のドイツ語の発音がどうのこうの、などと言ってるのを聞くと、持ち前のひがみ根性から、ほんとにドイツ語なんかわかるんかい、などとへらず口を叩き、
 そして、自分自身はというと、語学的なことは意識的にほとんど気にしないようにして、それはそれで、まあ、一応は音楽を楽しめてきたわけです。


 ただ、いつまでもこれでは困るわけで、
 せっかくの機会でもあるので、今回は、オジェー盤とリアル盤、この新旧両名盤をじっくりと聴きくらべてみることにしました。
 前述のとおり、二人とも声そのものがすでに高い次元で芸術的、音楽の上では文句のつけようのない名演だと思うので、わからないなりに、ドイツ語の発音や表現に主眼をおいて、ということ。


 オジェーは、確かアメリカ人だかカナダ人だかですが、(名前からもわかるように、フランス系)
 早くから東ドイツに身を投じて(?)勉強を続け、バッハを歌うためにその半生を捧げた、と言ってもいいくらいの、史上最高のバッハ唄いの一人です。
 このような状況からして、オジェーの場合は、ほとんど正確なドイツ語を発音していると考えていいように思えるので、とりあえずそう想定することにします。
(ここからすでにちがっていたら、ごめんなさい)
 
 従って、これに対して、スペイン生まれ、見た目からして完璧なラテン系の若いリアルが、はたしてどのように歌ってるか、という比較になったわけですが、
 実際に意識して聴き比べてみると、何も知らないわたしにも、あからさまに異なっていることがすぐにわかって、ちょっとびっくり。

 ご存じのように、ドイツ語は、ちょっと聴くと、激しく男性的とも言えるアクセントが特徴的。
 音を延ばした後で、「トゥッ」、「クゥッ」など、はげしくはねる語尾子音でしめる単語がやたら多いことも、その理由の一つだと思います。
 歌の場合、メロディにのせて、母音を長ーくのばして、ふつうならそれで終わるようなところに、さらに、「トゥッ」とか、「クゥッ」とかがつくわけです。

 オジェーの場合、当然はねる音をはっきりと発音しているわけですが、単語、さらにはセンテンスを完全にひとつのかたまりとして捉え、その中の一部として発音しているので、すごく自然なばかりか、美しいリズムとして快く響いてきます。
 考えてみれば、わたしは、バッハのカンタータですっかりそれになじんでしまっているわけで、その「ハネル音」に、時として例えようもないやさしさを感じることさえあります。

 一方、リアルの場合、やはり彼女も実にきちっと発音しているのですが、声そのものが美しすぎることもあり、すっきりとのばされた母音をうっとりと聴いていると、そのあとに、ちょっと切り離された感じで、(悪く言えば取ってつけたように)「トゥッ」、とか「クゥッ」という音が来る。
 リアル盤、はじめは、まったく気にもならずに、うっとりとその美声に浸っていたのですが、一度気になりだすと、なんだか妙に気になって、たまには、まるで舌打ちしてるみたいに聴こえる?

 ただ、これに関しては、よくポップスなどでも、息を吸い込むくせとか、気になりだすとどんどん気になってそればかり耳につくことがありますが、それと同じ可能性も高い。
 結局、わたしだけが気にしていることで、気にするこちらが悪い、というやつ。

 それとも、これは、ドイツ語歌詞の作曲に関して完全に経験不足な、帰国子女状態のヘンデルのせいか?
(ひ、ひどい言い様・・・・。
 でも、冗談みたいに言ってますが、ヘンデル、何しろ、ドイツ語作品の経験がまったく無いわけですから、十分考えられるんではないかと)


 いずれにしても、今後は、このような言葉の問題なども、きちんとふまえながら、聴いたり、感想を書いたりしていかないとないといけないな、ということを考えるとてもよい機会になりました。

 以上、語学知識がゼロのわたしが、思いつきで言ってることなので、これによって、リアル盤の価値が減じるものでは断じてない、ということを、最後に強く強く言っておきます。

 もちろん、実はオジェーの方が、フランス風の柔らかな発音で、リアルの方がきちっと発音している、ということも十分考えられる。その場合、言葉の上では正確でないオジェーの方が、音楽的には美しい、ということにもなってしまう。
 まあ、言葉がわからないわたしに限ってのことになるのでしょうけれど。

 この点に関しては、ドイツ語をお話しになる方のご意見などを、お聞きしたいところです。
 わたしが素直に感じたことなので、そのまま書いておきますが、場合によっては、そのまままるごと削除します。



 * レイネさんより、コメントで、
   リアル嬢は、確かにスペイン生まれではありますが、
   スイスののバーゼル(ドイツ語地域)で学び、それ以降もそこを活動拠点としていたため、
   発音自体にはそれほど問題無いのでは、という情報をいただきました。
   わたしも、 もし、発音上問題があったとしても、それは、
   ドイツで実際にドイツ語を話しているくらいのレヴェルの方でないかぎりは、
   まったく気にならないようなことのような気がします。

   と、いうわけで、
   わたしのまったく無責任な、その場でちょっと思っただけの感想に惑わされずに、
   みなさん、安心して、リアル盤を聴きましょう。


   (以下、蛇足)

   わたしたち日本人は、各小節が、母音を伸ばして終わる歌になれています。

   したがって、上の本文にもちょっと書きましたが、
   わたしなどは、言葉の意味がわからないゆえに、
   特に、リアルのように美しい声で、ヘンデルのおおらかなメロディが歌われるのを聴いてると、
   各小節の最後が、大きく弧を描いてのばされるところでもう陶然となってしまって、
   言葉の意味上発音上、その最後に当然必要な「はねる音」が、
   じゃまなものとして気になりだしてしまった、ということなのかもしれません。

   つまり、今回の「違和感」は、やはりわたし自身の勝手でいいかげんな感覚のせいか、

   あるいは、もしかすると、ドイツ語の歌詞に不慣れで、
   かんじんなところで「いつも通りに」作曲してしまったヘンデル自身のせい、
   ということになります。
   なぜなら、バッハでは、このようなことがあまり気になったことが無いからです。
   (まだ、言うか・・・・)

   この作品、ヘンデルがたまに書いたドイツ語作品なのに、めっちゃ評価が高い作品なので、
   (そしておそらくこのCDもかなり高く評価されると思われるので)
   バッハファンとして、ちょっとくやしいのかも・・・・。
   それでリアル嬢をやり玉にあげる形になってしまいました。リアルさん、ごめんなさい。




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そのほかの「記事目次」

「全体記事目次」

カンタータ日記・奥の院

浅田真央さん情報・最新版

宮沢賢治記事目次

カンタータ日記・大阪モダン建築図鑑

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この記事へのコメント

2009年11月02日 17:01
どちらのCDも未聴なんですが、ちょっとヌリアちゃんの弁護を。
彼女は、スペイン人ですが、スイスのバーゼル(ドイツ語地域)で学び、現在も多分そこを活動拠点としているのではないかと思います。若いうちに外国に出て音楽を学んだ人は、音楽家の耳を持つという利点からも、語学習得は一般の人より速くレヴェルも高くなるように、わたしは感じています。(<-ネイティブに近くなる。)だから、先月ドイツでTV放映されたエコー・クラシック受賞インタビューでも、しっかしりたドイツ語で受け答えしていたのだと思います。また、外国語の歌を録音する場合、その言語を母国語とする専門のコーチを付けることもあります。彼女のドイツ語の発音自体には、あまり問題はないのではないかと。それよりは、あくまでもわたしの想像ですが、歌い方のクセの問題かも知れません、Noraさんが、気になられたのは。
それより、このヌリアちゃんのCDとっても、気になります!ご紹介ありがとうございます。
2009年11月03日 14:48
こういうことは、日本人が西洋のクラシックを聴く場合に、重要・・・というよりも、微妙な問題だと思います。
ぶっちゃけ「(発音なんか)気にならない」のであれば、それに越したことはないと。
私は元々発音マニア?なのか、外国語の「音」に、すごく興味があるんです。
ドイツ語は、大学の第二外国語で嫌々ながらやっただけで、その後自主的な勉強はしてないので、すっかり忘れていますが、それでもリヒターのバッハ・カンタータでドイツ人歌手の歌をさんざん聴いたので、(子音の周波数が低いなど)「ヌルい発音」だとすぐに分かってしまうと思います。
どんなに勉強・トレーニングしても、母国語と習得語(←変な言い方ですが)は違うので。
スペイン人がドイツ語本来の響きで歌うのは、日本人のドイツ語同様、難しいだろうなと思います。
「スペイン語←→日本語」は、最も簡単なんですけど。
2009年11月03日 23:45
 レイネさん、いつも、貴重な情報、ありがとうございます。
 リアル嬢は、そのまぶしい歌声や容貌、(特に情熱的な瞳!)
 さらに、ラテン系のギタリストと組んだ、スペイン・ルネッサンス歌曲集などのイメージがあまりにも強くって、完全にラテン系のお姉さんだとばかり思いこんでおりました。
 バーゼルで学んだ、ということは、意外と、というか、けっこう独墺系素地も高いということになりますね。ラテン系にしては、ちょっと優等生っぽいところもあるな、と思ってもいたので、納得です。
 DHMが看板にしているのも、そのあたりに理由があるのでしょうか。
 一応、本文中にもリアル嬢を弁護するつけたしをしておきました。
 今後とも、いろいろと教えてくださるよう、よろしくお願いいたします。
2009年11月04日 00:18
 REIKOさん、こんばんは。

> ぶっちゃけ「(発音なんか)気にならない」のであれば、それに越したことはないと。

 ぐちゃぐちゃ書いておきながら、なんですが、わたしも、おっしゃるとおりだと思います。
 どんなに日本語の勉強をした外国人の歌手が、どんなにうまく日本の歌曲を歌ったとしても、発音に限って言えば、わたしたち日本人が聴けば、どうしても少しおかしく感じると思います。でも、わたしたちはそれを聴いて感動することもあるでしょう。
 逆に、BCJがもう10年以上も歌ってきて、どんなにドイツ語の発音に磨きをかけたとしても、ドイツ人の方からすれば、やはりちょっとおかしいのだと思います。でも、BCJは、ヨーロッパ全土で高く評価されていると言います。
 というわけで、そんなにこだわることはまったくないとは思うのですが、バッハやヘンデルくらいになると、歌詞がそのまま音楽のリズムや響きと直結しているため、ちょっとやっかいですね。
 一人で聴いている分にはいいのですが、こうして何か書くにあたっては、そのようなことにも、もうちょっと目を向けねば、と思うようになりました。
 ありがとうございます。

 スペイン語と日本語は、響きが似ているんですか。おもしろいですね。
 そう言えば、意味はちがうけど、日本語と同じ言葉がいくつかあるというのを聞いたような気も・・・・。
 タベルナ、だとか。あまり関係ないか。(笑)
かげっち
2009年11月05日 12:24
お久しぶりです。私も外国語は苦手なんですが、ドイツ語の子音に特徴があるくらいはわかります。というか、それがドイツ音楽の(たとえ器楽でも)アーティキュレーションの基礎にあることは想像が付きます。その点はバッハのコラールを聴いていても痛感します。これがドイツ語でなかったら(つまりルター訳聖書がなかったら)この音楽は存在しないと。この春の「ラフォルジュルネ」でも誰かマイスターが、子音のタイミングがずれているとバッハは台無しになると語っていました。

ところで、同じドイツ語といっても地域によってかなり発音は違うようですので、上記二人の場合にもその影響はないのでしょうか。けっこう離れた地域で育ったように思います。
2009年11月06日 07:54
わたしも、ドイツ語能力は大学の一般教養の第二外国語どまりですから、たいしたことは言えません。ただ、ドイツ国境に近いオランダに20年以上住んでいて、ドイツでも仕事をしたり、ドイツ語のTV放送を見たり、ドイツ人の親戚や知り合いがいることから、発音には地域差が非常に大きい言語であると認識しています。ドイツで標準語というのは、TVアナウンサーや俳優にしか話されない架空に近い存在であるとも言われています。
また、語学を生業としているため、しゃべる際の発音にはどちらかというとうるさいほうなんですが、歌の場合には、発音はほとんど気にしません。そこが、Nora さんおよびREIKOさんとの大きな違いかもしれません。わたしの場合、歌で気になるのは、発声方法のほうです。例えば、チェチリア・バルトリのイタリア語の発音に、わたしがイチャモンつける筋合いは全くないけれど、彼女の息の吸い方や吐き方を含めた発声法が気になります。そのせいで彼女の歌い方が好きになれないんです。

つまり、問題となったり、気になったりするのは、発音というよりは発声の方なのでは、ということなんですが。まだ、ヌリアちゃんのこのCD聴いていないで、本来はコメントすべきじゃなかったのですが、つい言い出してしまったせいで波紋が広がり、失礼しました。なるべくはやく、CD聴いてみたいと思います。
2009年11月08日 01:03
 かげっちさん、こんばんは。
 おっしゃるとおり、バッハは、器楽曲まで、ドイツ語みたいですね。
 ヘンデルは、ドイツ人にもかかわらず、このドイツ語アリアなどほんの数曲しかドイツ語作品を書きませんでしたが、バッハは逆に、ほとんどすべてと言っていいほど、ドイツ語作品しか書きませんでした。
(ラテン語作品はけっこうありますが、その他はイタリア語作品がほんのわずかあるだけ)
 そんな初心者?のヘンデルに、ドイツ語作品のスペシャリスト・バッハに比肩するような作品が、ほんとうに書けたのか?という疑問が、この記事を書き始めた、そもそもの発端でした。要するに、ひがみ根性です。(笑)
2009年11月08日 01:38
 レイネさん、こんばんは。
 ていねいなコメントをいただき、ありがとうございます。

> そこが、Nora さんおよびREIKOさんとの大きな違いかもしれません。

 自慢ではないですが、わたしも、これまでは、発音などまったく気にすることなく、音楽を聴いてきました。
 今回の記事は、REIKOさんに触発され、少しはそういう語学的なことも自分なりに考えてみようと思い立ち、書いたものです。
 ですから、リアル嬢のCDのことを中心にして書きましたが、それは例としてあげたに過ぎず、このCDの演奏がどうのこうのというつもりは毛頭なかったのですが、わたしの書き方が、よくなかったかもしれません。
 本文にも書いたように、発音がどうであろうと、このCDの演奏がすばらしいことに違いはないと思いますので、ぜひお聴きになり、レイネさんの感想もお聞かせくださると、うれしいです。

> つい言い出してしまったせいで波紋が広がり、

 いえいえ。
 レイネさんやみなさんからいただいたコメントは、いろいろなことを考える契機になり、わたしにとって、上記したような当初の目的からしても大変有意義なものでした。
 心から感謝しております。
 発音と発声の話も、難しいですが、とても参考になりました。
 今後ともよろしくお願いいたします。
かげっち
2009年11月09日 19:44
わたしも勉強になりました。

ドイツ語の「標準語」は実質的にないのですか。なるほど、連邦制を採用しているだけのことはあります。昔の皇帝も自分の発音を押しつけたりしなかったのでしょうか?(日本だと戦時中の沖縄で方言が取り締まられた話など聞きますが)

私は管楽器人間なので、音の立ち上がり(アタック)に気を遣うというか、とても苦労します。そこを削った録音では楽器の種類さえ判別できなくなるくらい、アタックは演奏の命です。それはいろいろな要素で左右されますが、どういう子音でタンギングするかにも影響されます。しかも、アタックと、その後の発音(吹き方)とは密接に関係があります。

節のおしまいの子音を管楽器に譬えると、アーティキュレーションの収め方なのですが、音の強弱だけでなく、指の使い方(たとえば音孔を素早くふさぐかそっとふさぐか)にも影響されるような気がします。

歌の場合の「発音と発声」の関係と比較すると、似ている部分が大いにありますが、微妙な相違もありそうです。いずれにしてもやはり、器楽で演奏する場合でも、その音楽の背景にある言語文化を意識することは不可欠だと、再確認できました。
2009年11月13日 01:07
 かげっちさん、こんばんは。
 例えば、日本のオーケストラでも、そのオケの経歴や指揮者によって、ドイツ語風、フランス語風、などなどの、さまざまな性質の演奏をするみたいで、たまにかなりこだわる方もいらっしゃいます。
 だけど、器楽曲の場合は、まったく異なる雰囲気になって、意外とおもしろかったりして、思わぬ発見をしたりすることもあるので、わたし自身は、何でもあり、という感じでしょうか。

 声楽曲については言葉の問題ですから、発音のわかる方は、確かに気になるとは思いますが、わたしはもともと語学がまるでダメなので、基本的には、どんな発音であろうと、器楽と同じように楽しんでしまいます。(笑)

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