長いお別れ・その2歌舞伎座~何とか間に合った、歌舞伎鑑賞デビュー
かなり以前から、歌舞伎鑑賞デビューの機会をうかがっていましたが、
銀座・歌舞伎座建て替え計画のため、あの歌舞伎のシンボルとでも言うような現在の建物が、今年の4月いっぱいをもって閉館、取り壊しとなってしまうので、その前に何とか、ということで、まずは3月5日に行ってまいりました。
歌舞伎座さよなら公演
御名残三月大歌舞伎 at 歌舞伎座 (~3月28日(日)千穐楽・すでに終了)
始めは、夜の部の第3部を通しで見たのですが、一度行ったらおもしろくてしかたなくなり、
その後、3月14日、20日と、毎週のように1幕見席に行って、
結局、古典歌舞伎最大の傑作のひとつと言われる、「菅原伝授手習鑑」の、大序から二段目までの三幕をみんな見ることができました。
さらに、その続きで、最も人気が高いと言われる四段目の「寺子屋」が、現歌舞伎座最後の4月公演と新橋演舞場に舞台を移した5月公演の両方の演目となっているので、そのどちらかには行くつもり。
「寺子屋」は数ある歌舞伎演目の中でも屈指の名作との誉れ高く、江戸時代の人々にずっと愛され続けてきた舞台とのことですが、現代のわたしたちの感覚からすると、ちょっとぽかーん、となるような、ありえない部分もあるので、舞台で演じられるものが実際にどのようにうつるのか、楽しみ。
歌舞伎を実際に見てみて、一番意外だったのが、思ったより科白がわかる、ということ。
イヤホンガイドを聴きながら見たせいもあるかもしれませんが、(これは初心者にはありがたい。心にしみる?語り口、わかりやすく、おもしろいし、ためになる。必須アイテム)
やはり演技している役者さんの表情を生で見ながら聞くと、ものすごい迫力で伝わってくる。
あとは、コメディ的要素が多く、しかも洗練されていて、けっこう笑える、ということ。(もちろん、作品にもよるのでしょうけど)
「菅原伝授手習鑑」は、タイトルどおり、菅原道真公の大宰府流刑から天神となって都に戻るまでを描いた、さまざまな「別れ」をメインにしたけっこうシリアスな物語なのですが、
それでさえ、その発端となる「加茂堤」など、うららかな春の加茂堤を舞台に、登場人物が楽しいやりとりをくりひろげ、見ていて、こちらまでウキウキしてくる。
(もっとも、その後、登場人物たちには、悲しい運命が待っているのだが)
牛さんも登場、大活躍。
それ以外の幕のどんな深刻な話でも、必ずぶっとんだお笑い担当がいた。
たいてい、愛すべき?悪役。したがって、最後はこっぴどくやられることになり、ちょっとかわいそう。
それから、一番感動したのは、やはり、舞台の美しさ、しかけのすごさ。
「楼門五三桐」では、
定式幕が開くと、その後ろ一面に張られた浅黄幕の鮮やかさにまずびっくり。
浅黄幕を背景に、薩摩囃子の雄渾な演奏があって、さらにその浅黄幕が一気に引き落とされると、
桜が満開の、南禅寺山門の情景がぱーっと現われ、さらにびっくり。
春風に花びらが舞いちり、まるで、春の香りさえもが漂ってくるかのよう。
そして、色とりどりの装飾で飾られた山門の鮮やかさ、やがてその山門がせりあがって、世界がぐんと広がるしかけの大胆さ、
正に、「絶景かな」!
さらに、「筆法伝授」では、3場にわたって、舞台が次々と鮮やかに変わる回り舞台も体験。
どの舞台も、無駄なものがすべて削られ、極度に洗練、様式化されているため、見ていると、実際の風景や情景のイメージが広がって、それがどのような場面なのか手にとるようにわかるばかりか、さらにその場面の美しさやにぎやかさ、さびしさなどの、雰囲気や情感などまでが、正確に伝わるようになっている。
オペラなどは、抽象化された演出や現代風演出が主流になってきているようですが、
歌舞伎の場合は、完全に完成されていて、もはやほとんど変える必要がないのでは。
なーんて、見始めたばかりで、何もかもが新鮮だからなのかもしれないけど。
あとは、わたしなんかが特に感心したのは、やはり、音楽のすばらしさ、でしょうか。
舞台によっては、2時間近くもの間、(途中幾度か交代もしているようだが)時には渾身の節回しや息詰まる超絶技巧で場を盛り上げ、時にはゆるやかに、まるで空気か風のようにさりげなく、舞台に合わせて三味線を熱演し続け、
これもまた実に音楽的でわかりやすいレチタティーボ?との掛け合いも見事。
演目によっては、さまざまな効果音や、その他の楽器も活躍。
そして、さらには役者の歌あり、踊りあり、
歌舞伎とは、完成度の高い、実に見事な総合芸術なのでした。
以下、これまでに見た、細かい演目ごとの、かんたんなメモ。
菅原伝授手習鑑
大序
加茂堤
時の帝の弟君、斎世親王と、菅丞相(右大臣菅原道真)の養女、苅屋姫。
親王に仕える舎人の桜丸(主要登場人物である三つ子兄弟の内の末っ子)とその妻、八重。
二組の若いカップルを中心とした、さわやかなコメディのような一幕。
前述のとおり、舞台となる春のうららかな加茂堤の風景が、物語にさらに牧歌的な趣を添える。
そんな中、ただ一人、暗い影となって登場する、菅丞相失脚を狙う左大臣藤原時平の手下、三善清行。
「菅原伝授手習鑑」は、
雲上の存在、というか、ほとんどすでに生きながら神格化している菅丞相の周辺と、
その人たちに仕える、極めて人間くさい三つ子周辺の物語とが、重層的に展開していく物語だそうだが、
そういう意味では、いきなりしょっぱなから、その重層性が明確に打ち出されているわけで、実に見事。
物語のプロローグとして、ほんとうによくできている。
単なるつくりものだとばかり思っていた牛さんが、最後にいきなり大活躍でびっくり。
ずっと、じいっと待ってたのか。
筆法伝授
菅丞相の片岡仁左衛門さん、いよいよ登場。
何という美しさ、品の良さ。
前述のように、回り舞台も、初めて見ることができたのが、何といっても一番の収穫。
役者さんは常に舞台中央にいながら、ちゃんと長い廊下を通って、別の部屋に移動しているようすがわかる絶妙さ。
よくある手法なのでしょうが、さよなら公演でわたしのような初心者の方も多いのか、会場からは、お~~、という感嘆の声が。
全体としては、菅丞相が流罪の身となるシリアスな舞台なのだが、
たった一人、大爆笑をとって、会場をわかしてくれたのが、希世(中村東蔵さん)。
菅丞相から「筆法伝授」を受ける武部源蔵(中村梅玉さん)に、横からありとあらゆるちょっかいを出しまくり、最後には背中に机をくくりつけられる罰を受け、泣いて逃げてしまう。
子どもか、こいつは・・・・。
ニ段目
道明寺
太宰府に島流しになる菅丞相と、伯母の覚寿、その実娘で、菅丞相の養女の苅屋姫との今生の別れの場。(史実では流刑ではなく左遷)
菅丞相の姿をした木像の働きによって、時平一味の魔の手から、間一髪のところで丞相の命が救われるファンタジー活劇でもある。
一番のポイントになる覚寿は、あの坂東玉三郎さん。
初めて舞台の玉三郎さんを見るのが老け役となったが、なかなかの迫力。
ほとんど動かず、動いても木像役で、ロボットみたいな動きしかしなかった菅丞相、仁左衛門さんが、最後の最後に優雅に立ち上がり、たっぷりと苅屋姫との別れを演じて去って行く。
気品に満ちた佇まいはさらにも増して、もはやこの世のものとは思えぬ美しさ。
大阪・藤井寺市にある道明寺には、実際に、太宰府の道真公から覚寿に、形見として贈られた貴重な品物の数々が、国宝として大切に保存されている。
以下、菅原伝授手習鑑以外の、今回見た舞台。
楼門五三桐(さんもんごさんのきり)
「加茂堤」の次に続けて見た演目。
大長編の中の一場面だけが独立した15分ほどの短い舞台ですが、歌舞伎を代表するような名舞台中の名舞台とのことだったので、一幕見で、ここまで見た。
前述のように、今の季節にぴったりな、春爛漫な舞台の美しさに息を飲む。
石川五右衛門役の中村吉右衛門さんは、大ファンだったので、感激。
何といっても、鬼平で有名だが、大昔、NHKの歴史ドラマ「武蔵坊弁慶」を見て、大ファンになったのだ。
ほんとうは歌舞伎役者で、弁慶役が当たり役と知り、いつか見たいと思ってたので、夢がかなった。
弁慶役ではなかったけど、大迫力でした。
ただ、わたしは、四階の一幕見席で見たのですが、
山門がせりあがり、おーーっと、感動したのもつかの間、
何と、上部が死角になり、山門の2階にいる、かんじんの吉右衛門さんの顔が見えなくなってしまった。涙。
石橋(しゃっきょう)
(文殊菩薩花石橋)
「道明寺」の後にやった、短い踊りの舞台。
もともとは、能の踊りで、歌舞伎は何でも取り入れて、エンターティンメントとして、一般庶民に提供したのだ。
(そもそも「菅原-」も、もとは人形浄瑠璃)
中国・山深くの仙境、深い谷にかかる石橋が舞台。
満開の牡丹の中、文殊菩薩と獅子が踊り戯れる。
獅子の中村富十郎さんと、文殊菩薩の鷹之資君親子は、
昨年の秋にわたしも参拝して感動した、あの安倍文殊院を訪れ、インスピレーションを得た、とのこと。
松本幸四郎さんもちょこっと登場。
顔はよくわからなかったが、声がテレビのまんま。
さて、江戸情緒あふれる歌舞伎ですが、それも、現在のあの歌舞伎座の雰囲気による部分も大きいのでは、と思います。
3月の舞台も千穐楽を迎え、
4月からは、いよいよ最後の最後、御名残四月大歌舞伎。
銀座の真ん中にあたりまえのように立っていた、歌舞伎座。
そんな現歌舞伎座とも、あと一月でお別れ。
一応現在の歌舞伎座を記録に残すべく、写真をとりまくってまいりました。
奥の院に記事をアップしましたので、どうぞ、ご覧いただき、「御名残」惜しんでいただきますよう。
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