人生の締め括りの正念場にまさかの大脱線?ブルックナー「最後の」大作、ヘルゴラント【三位一体節後13】

 今度の日曜日(8月29日)は、三位一体節後第13日曜日。

 カンタータは、

 第1年巻、BWV33
 第2年巻(コラール・カンタータ)、BWV77
 その翌年の、BWV164

 の3曲。


 いよいよ、夏休み最後の日曜日になりましたが、これらのカンタータを聴くと、夏ももう終わりかな、という気分になります。

 まだまだ暑いんで、気分だけですけどね。

 「夏の夢の終わり告げる」、さびしげなトランペット、

 下記記事をご覧の上、ぜひお聴きください。



 過去記事


  <三位一体節後第13日曜>
    三位一体節後第13日曜(BW33他)
    曲目解説・全集でしか聴けない曲~晩夏のジャズトランペット(BWV77他)



  *    *    *    *    *    *



 先月のヘンデルに続き、CD紹介シリーズの一環。
 今回は、夏休み最後のSPということで、またまたブルックナーについて。
 いつか書いたミサ曲同様、ブルックナーの「世俗カンタータ」の、すばらしいCDがリリースされ、(再リリースですが)今年前半、ずっと聴いていたので。

 

 以前こんなことを言ったものの、やはり、「宇宙」や「彼岸」を感じさせる響き、というのは、ブルックナーならではの魅力なわけで、
 今回は、ブルックナーが書いた、最も宇宙的、彼岸的な音楽から、話を始めます。



▽ 深遠なる大宇宙(撮影 by Nora)

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 (ウソです。撮影は確かにわたしですが、これは、失敗した花火の写真)



 ブルックナー9番のフィナーレ


 宇宙でも彼岸でも何でもいいと思いますが、とにかくこの地上のものとはとても思えない、異次元の気配を思いっきり漂わせた第1主題が始まると、あたりの風景までもが一変するかのようです。

 そもそも、この9番、第1楽章の冒頭からして、そういうところがあり、初めに聴いた時の衝撃、胸の高まりは今でも忘れられないくらいですが、この終楽章は、その比ではありません。さらに、すごい。

 続く、宇宙の辺境に忘れ去られた星の上を、トボトボと歩くような第2主題。
 天から厳かな光が降りそそいでくるかのような、大きくゆるやかな下降音型のコラール主題。
 その光の中に、決然と屹立するかのごとき、力あふれるフーガ主題。
 そして、その主題に基づく、壮大な建築物、というよりも、もっと有機的な巨大な植物を思わせるような、作曲家渾身の大フーガ。

 完成された3楽章までの、一般的な9番は、この世のものならぬ音楽、などと表現されることが多いようですが、
 それでさえも、このフィナーレの楽想の超絶ぶりに比べたら、単なる序章に過ぎないのでは。
 このフィナーレこそ、そこからさらに一段高い次元に一歩踏み出した音楽、ブルックナーが最後にたどりついた至高の境地に他なりません。

 ただ、気をつけなければならないのは、ブルックナーの場合、必ずしもそれが、よく言われるように、宗教的により高い境地に達した、ということではない、という点です。
 子どもの頃から筋金入りのカトリック信者であるブルックナーにとって、その信仰心は生涯にわたって不動のもので、呼吸をするのと同じくらいあたりまえのことでした。
 ですから、この「至高の境地」とは、彼の作曲技法、表現の手法における高み、に他なりません。
 (これは、以下に書くことの伏線にもなります)


 第9のフィナーレ、というと、いまだに、モーツァルトのレクイエムと同じような、後代の補完によるあまり信憑性の無い眉唾物の音楽、という風にお考えの方も多いですし、そういう部分も確かにあるのですが、
 実際には、さまざまな研究の積み重ねによって、コーダの直前までは、ほぼブルックナーが意図したとおりの音楽が復元されていて、最近になって、それら最新の成果に基づく何種類もの優れた演奏を聴くことができるようになったのは、実に幸せなことです。

 遠い遠い昔、FM放送のブルックナー特集のラストに、ブルックナー最後の音楽、ということで、第9フィナーレの各テーマをピアノで弾いてくれたことがありました。
 わたしは喜びの涙をちょちょぎらせながら、それをエアチェックし、(死語の世界)
 大切に大切に繰り返し聴いて、幻の音楽に思いを馳せたものでした。
 その頃に比べれば、何という時代の進歩でしょう!


 ただ、イマイチ一般的に普及しないのは、やはり、音楽の結論であるコーダがごそっと抜けているからでしょう。

 またちょっと極端なことを書きますが、わたしは、ブルックナーの交響曲のコーダが、それほど好きなわけではありません。
 4番、5番のフィナーレのコーダ、それから6番や7番の第1楽章のコーダなどは、けっこうしびれるものがありますが、それ以外は、何だか取ってつけたような感じだったり、技巧的にすぎたりで。
 その他の超一流の大作曲家のコーダのように、全曲がそこに向かって必然的に集約されている、という感じがあまりしない、という点は、古くから指摘されていることです。
 それに、例えば、8番のフィナーレのコーダ、最後の最後、あの4つの楽章の主要主題が同時に奏されるところなど、よっぽど特別な演奏でないと、すさまじい強奏が延々と続くだけになってしまい、ブルックナーが築きあげた対位法のすごさではなく、その音響的な迫力によって、聴く側も感銘を受ける、というようなことが多いのではないでしょうか。

 ですから、例えコーダが無くても、それまでの流れが盛りだくさんかつあまりにも魅力的なので、その途中の過程をゆっくり楽しめれば、もうそれで十分なのですが、
 やはり、一般的にはそうはいかないのでしょうね。

 つまり、十中八九はきちんと完成しているにもかかわらず、コーダがない、というだけで、演奏するに足りない未完成作とみなされてしまっているわけですね。
 他ならぬ作曲家自身が、最後までこの交響曲が4楽章型式のものであることを前提として、亡くなる直前までフィナーレを書き続けたにもかかわらず、また、その努力の末に九割方完成している音楽が実際に存在しているにもかかわらず、
 「3楽章だけで十分完成されている」という意見が、主流になってしまっている。
 まあ、その作品をどうとらえるかは、聴く人間の自由ですから、それはそれでいいのだけれど。


 さて、その問題の幻のコーダですが、
 まとまった楽譜そのものは存在しないようなのですが、楽譜の断片、ブルックナー自身や関係者の証言、ブルックナーの作曲パターンのl細かい検証等により、おそらくこんなものになったのでは、というある程度の概要については想定することが可能で、
 キャラガン版、フィリップ版等、これまでの補筆完成版は、その共通の想定に基づいています。

 すなわち、

 テ・デウム音型が果てしなく繰り返される中、
 ブルックナーが生涯にわたって使い続けてきた、アレルヤの上昇音型(わかりやすいところでは、8番スケルツォ楽章トリオの、ブルックナーの生涯初ハープのグリッサンドを誘導するテーマ)が力の限り奏される


 というもので、
 これは、ちょっと考えただけでもわくわくしますが、

 実は、ブルックナーの作品の中に、正にそのとおりのコーダを持つ作品が存在しています。
 お気づきの方もいらっしゃるでしょう。


 そうです。

 男声合唱と大オーケストラのための世俗カンタータ、ヘルゴラント WAB71。


 ご存知のとおり、この曲は、ブルックナーが完成させた最後の作品、ほとんど唯一の世俗的声楽曲。

 ちょうど作曲時期が重なるため、この作品と9番フィナーレ、特にコーダとの関連は古くから指摘されており、実際、フィナーレの補筆復元の際には、必ず参考にされてもいるわけです。


 ブルックナーは、おそらく8番の第1稿を完成させた直後には、ほとんど休むことなく、その生涯の締めくくりとなる仕事、9番の作曲にとりかかっています。
 これが1887年、63歳の時。
 つまり、1896年、72歳で亡くなるまでには、まだ10年近い時間が残されていたわけです。

 なんでまた、10年近くもあって、9番を完成させることができなかったのか?

 健康上の問題、ということもあるのでしょうが、ブルックナー、意外と元気で、作曲に支障が出るほど健康が悪化したのは、最後の数年間だけのようです。

 それならばなぜ9番の作曲が進まなかった?

 一番の理由は、寄り道です。

 もはやブルックナーの性癖というか、習性、と言った方がいいでしょう。
 生涯の総決算の各交響曲の改訂。
 ブルックナー、この期に及んで、というか、「この期に及んだ」からこそか、
 これでもか、これでもか、とばかりに改訂をくりかえします。
 過去に人の意見を聞いて修正してしまったものを直したり、わたしたちからすると、取るに足りない、どうでもいいような調整から、場合によっては、新しい作曲と言えるほどの大改訂まで。
 若い頃の作品だけでなく、完成したばかりの8番にまで手を加え始める始末。
 まあ、これこそが、「ブルックナーは、生涯にわたって、たった一つの大交響曲を大切に大切に書き続けた」と言われるゆえんでもあり、これによって、わたしたちは、9曲という実体数をはるかに超える、たくさんの「未知の交響曲」の数々を楽しめのですが。

 そして、そんな寄り道の最大のものこそが、ヘルゴラントに他なりません。


 9番に集中すべき大切な時期、ただでさえ、他の交響曲改訂で集中できないでいるのに、
 振って湧いた「ヘルゴラント」作曲の話。

 実は、ブルックナー、大の合唱好き。
 特に男声合唱。おたく、というか、フェチといっていいほど。

 ついこの前のブルックナーのCDの記事にも書いたことですけど、 
 ブルックナーの作曲技法には、オルガン的な発想が見受けられる、ということはよく言われますが、
 それ以上に、合唱的な発想が明確に認められる、というか、その作品は、合唱曲の原理に支配されている、と言ってもいいくらいなのではないか、と、わたしは常々思っています。
 ほとんど指摘されることがありませんが。
 
 それに加えて、 
 ブルックナーが心からあこがれる、天下のウィーン男声合唱協会教会50周年記念、
 ヘルゴラント島返還直後の歴史的イベント、
 そして、皇帝列席の晴れ舞台!

 ワーグナー、国王、皇帝、はては「愛する神」・・・・、
 とにかく強く権威のある存在、頼りがいのある存在が大好きなブルックナー、
 はりきらないわけがありません。
 すべてを放り出し、大喜び、張り切ってヘルゴ作曲に取り組みます。


 そして、完成した、ヘルゴラント。
 聴衆を熱狂の渦に巻き込み、大成功。
 何人かの作曲家がイベントに参加したのですが、ブルックナーただ一人、皇帝に呼び出され、ねぎらいの言葉を受けます。

 しかし・・・・、

 ブルックナー、おそらくこれで、力の大部分を使い果たしてしまった、と思われます。
 これによって、第9の完成が限りなく遠のいてしまった。
 
 最もとりかえしのつかない失敗は、9番のフィナーレのためにずっと暖め続けてきた、取って置きの、かけがえのない、唯一無二の楽想を、調子にのって、思わず使ってしまった(と思われる)こと。
 もしかしたら、すでに存在していたスケッチか何かを、そのまま、転用してしまったのでは?

 このコーダのおかげもあって、ヘルゴラントは大成功。
 しかし、そうなると、評判になったヘルゴラントのコーダを、まさか9番に再び使うわけにいかない。
 ブルックナー、もともと、楽想が湯水のように湧いてくるタイプ、というわけではありません。
 この後も、ブルックナー、相変わらず他の曲の改訂等はかなり行っています。
 第9の未完成は、時間や体力の問題でなく、作曲そのものの行き詰まりだった?


 そのあまりにも大きな犠牲の代償?として残されたヘルゴラント。

 本来は、第9フィナーレに最も近い、という意味でも、限りなく重要な意味を持つ、ブルックナー最晩年の大傑作でありながら、昔も今も、ライブでも録音でも、
 ほとんど演奏されることがありません。

 確かに音楽はりっぱだが、
 「敬虔なクリスチャン」であるはずのブルックナーの作品にしては、
 北欧神話に基づく世俗曲で、妙に劇的、内容自体も、ある意味、蒙古襲来と神風みたいな話で、ちょっと、なんじゃこりゃ、という感じ?
 わたしは、こういうの、大好きだけど。

 しかも、これは、初演当初から、聴衆の熱狂に反して、専門スジからは酷評された部分ですが、何よりも、とんでもなく演奏が困難、というより普通に考えたらほとんど演奏不可能。
 ブルックナー、久しぶりの男声合唱曲作曲で、完全にカンを失っていたか、
 それとも、音楽的表現のために、男声合唱だということを忘れてしまった?


 だからと言って、この時期のブルックナーが全力で作曲したこの曲、
 聴かないのはあまりにももったいない大傑作です。

 攻め寄せるローマ軍の船団や嵐などの迫力ある描写は、交響曲ではちょっと聴けないものですし、
 異様なまでのファルセットで歌われる、清らかな?祈りの歌、第7番のあの冒頭のテーマを、エスニック風に、異国情緒満点に転調したかのような歌は、ブルクナーの書いた最も美しいメロディーのひとつと言っていいでしょう。

 そして、第9、というより、ブルックナーの全創作をしめくくるはずだった、(と思われる)壮麗極まりないコーダは、どの交響曲のコーダに比しても、決して負けることなく、圧倒的です。



 このヘルゴラント、上記のようにほとんど演奏されず、CDも極端に少ないのですが、
 幸い、バレンボイム&CSOによるすばらしいCDがあります。
 

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 バレンボイムは、これまで、2度にわたって、ブルックナーの交響曲全集を作っていますが、そのどちらにおいても、必ずヘルゴラントを録音しています。(大拍手!)

 特に30代の第1回目のものは、全体が見事に引き締まって、しなやかな美しさにあふれながら、大迫力のたいへんな名演だと思います。

 このヘルゴラントを含む交響曲全集、バレンボイムの青春の記念碑が、あのタワーレコード・ヴィンテージ・シリーズで、奇跡の復刻がなされ、誰でもかんたんに入手できるようになりました。
 これは、あのシャンソニエ・コルデフォルム全曲や、デュファイやオケゲムのシャンソン全集と並ぶ、タワレコの計り知れない功績の一つではないでしょうか。


 HMVのショップが、息も絶え絶えの状態に陥った現在、
 もはや、タワレコだけが頼みの綱。
 がんばれ、タワー・レコード! 


 この復刻CDセット、
 ヘルゴラント以外のシンフォニーに関しても、さすがに全曲すばらしい、というわけではありませんが、ヘルゴラント同様の名演も含まれています。黄金期のシカゴSOの熱演も、聴きもの。
 シカゴSOの機能全開、しかもちょっと古い録音ですから、この前、山形SO3番初稿の記事に書いたような室内楽的な魅力は望むべくもありませんが、意外なほどしなやかでフレッシュです。

 バレンボイムのブルックナー、というと、それだけでアレルギーを起こす方もいらっしゃると思いますが(特に日本においては)
 あのヨッフムと同じく、2度にわたって交響曲全集を録音している、バレンボイムのブルックナーへの愛を信じて、無心でその若き日の全力のチャレンジに、耳を傾けてみてはいかがでしょう。



▽ ブルックナーは、わたしにとっては、宇宙というより、やはり、楽しい花火のイメージ??

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カンタータ日記・奥の院

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カンタータ日記・大阪モダン建築図鑑

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この記事へのコメント

かげっち
2010年08月26日 12:35
ごぶさたしています。今夏はシベリウスやJ.シュトラウスのほうに寄り道していました。
空想というか戯言のレベルですが、ブルックナーのような音楽は終わらなくてもいいんじゃないか?(あるいは作者自身終わりたくなかったのじゃないか?)と思うこともあります。自分にとってはシューベルトの大交響曲なんかもそうですが「このまま終わらずに、自分が天国へ行ける日まで、ずっと続いてくれたら」と・・・(私が天国へ行ける人間かどうかはさておき)でも実際の演奏は、どこかで終わって落とし前をつけなければいけませんからね。
たこすけ
2010年08月27日 00:02
写真に感動しました。
”失敗写真”にはとても見えません。
2010年08月29日 20:34
> このまま終わらずに

 かげっちさん、確かに、聴く側としては、良い音楽を聴いていると、そう思うことがよくありますね。
 ただ、やはり作曲家としては、完結させたかったでしょう。
 バッハの場合はロ短調ミサを見事完成させましたが、ブルックナーの場合は永遠の未完成の音楽が残ってしまいました。
 もっとも、完結していようといまいと、どちらも宇宙的なスケールの音楽です。
2010年08月29日 20:45
 たこすけさん、ありがとうございます。
 ちょっとすごいでしょう。
 実はこの写真を使いたいがために、わざわざこりずにブルックナーの記事を書いたので、そう言っていただけると、書いたかいがあります。
 「成功」した写真が、それほどきれいでないので、ちょっと複雑な心境ですけど。
ANNA
2010年09月15日 16:30
Noraさん、こんにちは。

ブルックナーも好きなんです…と言いましても 聴き始めて2年に満たない初心者なのですけれど。それまで、ルネサンス・バロック期の宗教曲を好んで聴いてきた私にとって、ブルックナーは どちらかといえば遠い存在の音楽だと思っていました。聴いていくうちに、私がブルックナーの音楽に惹かれる理由がなんとなく…本当に なんとなくですが分かってきたのです。

きのうや今日ブルックナーに触れた私に、それを言葉で表現することはできないのですが、それは、Noraさんが記事の中でお書きになられている「合唱的な発想」が認められるというところであったり、過去の記事「ミサ曲へ短調」の中で述べらているブルックナーの交響曲にはどこかしらルネサンスの音楽に通じるところがあるというところ…なのかなと思っています。

ミサ曲やモテットには、私がブルックナーの交響曲から感じ取ったブルックナーのエキス??が ぎゅっと詰まっているように思います。




 
2010年09月17日 01:20
 ANNAさん、こんばんは。
 ブルックナーのミサやモテット、いいですよね。
 ブルックナーはオルガニストでしたから、もちろんオルガン曲も残されていますが、わたしは、オルガン曲よりも、ずっとモテットやミサの方が好きです。
 交響曲も、ちょっと聴くと、オルガニストとしての音づくりが目立つかもしれませんが、それはあくまでも音響上、フォーマット上の外面的なことにすぎず、根幹的にはとても声楽的で、わたしも、ブルックナーのそんなところが好きなのかもしれません。
 しかも、おせいじにも整っているとは言い難い、ルネッサンスでも初期のオケゲムなどにも通じるような不思議な対位法、リズムまでもがずれていて、かんたんには口ずさめないような本物のポリフォニーが続出するのがたまりません。
 そういう意味では、ここでとりあげたヘルゴラントなんかは、ブルックナーの本質的な魅力に通じるものではないのかもしれませんね。
 でも、こういうブルックナーも、わたしは好きです。
 ちょうど新しく、ブルックナーの8番のCDの記事を書いたところですが、あらためて聴いてみて、交響曲では、やはりこの8番あたりが、ブルックナーのあらゆる魅力がつまった代表曲なんだろうな、と思いました。

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