コラールカンタータの諸相(後編)+魅惑のミサ原曲カンタータ( BWV101、102)

 長くなったので、二つに分けました。続きです。

 前編をお読みでない方は、まず前編からご覧ください。こちら


 
 ~ 後編 ~



 さて、前編の2曲、BWV99、100を聴いたのは、冒頭に書いたように、そもそも、その後に続く番号ノカンタータ、BWV101を聴いたのがきっかけでした。

 この曲、実は、コラール・カンタータを語る上では最高のサンプルと言っていい曲。
 この曲を聴きこんでいたというのも、それが理由です。
 よい機会なので、BWV101についても、ちょこっと触れておきましょう。



 カンタータ第101番 「わたしたちより取り除きたまえ、主よ」 BWV101 


 第2年巻、もちろん、コラール・カンタータ。

 ほとんど目立たない、全集以外にはほとんどCDもないようなカンタータですが、バッハ生涯の絶頂期とも言えるコラール・カンタータの年の中でも、特に突き抜けた高みに達していた時期の作品だけに、大傑作であることはまちがいない。
 絶対に見過ごしてはなりません。

 特にこの曲は、前述の通り、この曲は、バッハがそのコラール展開技法のほとんどすべてを投入したかのような、バッハの「コラール展開図鑑」と言っていいような作品。
 バッハのコラール展開の教科書として、古くから知られています。、

 コラールカンタータは、たった1曲のコラールをもとに、そのコラールをさまざまに展開することによって、全曲が構成されているカンタータ。
 
 たった一粒の種子から、巨大な根や幹や葉が成長し、豊かな実をならせる大木にしばし例えられる、「コラール・カンタータ」の神髄に触れるには、まさにぴったりの1曲と言ってよいと思います。


 もとになる原コラール、M.モラーの「我らより取り去りたまえ」。
 これは、コラールの中には比較的多く見られる、ペスト大流行時に作られた祈りの歌。

 まず、先ほどのBWV99と同じく、歌詞のすべては、原コラール詩節をそのまま使用、もしくはパラフレーズして作られていますが、この曲の場合は、そのまま使用している楽章も多く、また、パラフレーズもずっと原詩に忠実に行われています。
 そして、この曲の場合は、歌詞ばかりでなく、音楽についても、全7曲のうち6曲までもが、コラールのメロディをそのまま登場させるか、あるいは素材として展開することで、作曲されている。
 すなわち、ずっと厳格なコラール・カンタータというわけ。

 この曲、
 すべての合唱やアリアが短調楽曲なのですが、コラールの使い方、展開の仕方が実にバラエティに富んで、多岐にわたっているので、単調な感じはまったくしません。
 むしろもとになるコラールの厳かな雰囲気があらゆる楽章のすみずみにまで及び、全曲を緊張感あふれる結晶体にまとめあげています。


 ここでは、このカンタータの中で、原コラールがどのように使われているかを、かんたんに見てみます。
 バッハのコラール・カンタータにおける、展開の多様性を実感してください。


 第1曲 冒頭大合唱

 フル・オーケストラによる壮大極まりない大合唱。
 BWV99などとは異なり、コラールを極限まで展開しつくした、手の込んだモテット風合唱が、全曲の骨子となっている。

 第2曲 テノール・アリア

 コラールが表立って使用されているのが、唯一認められない楽章。
 華麗なVnオブリガート付きコンチェルト風楽章。
 ちょっとここで息抜き。

 第3曲 ソプラノ・レチタティーヴォ(+コラール) 

 純度の高いコラールカンタータにおいては、レチタティーヴォにも、コラールが(メロディ、歌詞ともに)そのまま登場。
 すなわち、おなじみ、トロープス型レチタティーヴォ。(詳細は、こちら

 弟4曲 バス・アリア

 アリアの中にも、コラールが登場。
 ここでは、アリアの途中で、器楽によって旋律だけが浮かび上がる。
 もっとも、アリアの歌詞自体、コラールをパラフレーズしたものであることは言うまでもないが。

 第5曲 テノール・レチタティーボ(+コラール)

 第3曲と同じく、トロープス型レチタティーヴォ。

 第6曲 デュエット・アリア(S、A)

 そして、究極の楽章が、これ。
 ちょっと聴いただけでは、先ほど見た、BWV99の第5曲と同じ。
 すなわち、室内楽風デュエット・アリア。
 楽器編成も、ソプラノ、アルト、トラヴェルソ、オーボエと、同じ。
 実に美しいシチリアーノ風四重奏曲。

 違うのは、ただ一点。だけど、このちがいは決定的。

 器楽も、歌も、ほとんどすべてのフレーズが、コラールのメロディを素材としているのです。

 つまり、コラールを素材にしてていねいに織り上げられた、精緻極まりない工芸品、コラール・カンタータの核心、ともいうべき音楽なのです。

 第7曲 コラール編曲

 コラール・カンタータのお約束として、美しいコラール4声編曲が曲をしめくくるのは、他の曲と同じ。
 ただ、これまで、全曲のいたるところで、さまざまな形で見え隠れしてコラール断片が、ついにその全貌を現して、しかも大いなる安らぎに満ちた編曲で朗々と斉唱される効果は、例えようもない。
 しかも、ずうっと短調楽章が続いていた分、その安らぎ、慰めは大きい、ということ。
 


 以上、コラール・カンタータのさまざまな諸相を体感できるカンタータとして、BWV99101を見てきましたが、

 どうです、一口に、コラール・カンタータと言っても、まるでちがうでしょ。



▽ コラールというたった一粒の種子から、巨大な根や幹や葉が成長し、豊かな実をならせる大木、
  「コラール・カンタータ」。

  こちらは、「スカイツリー」という大木。関係者の一人一人の思いが積み上げられ、形となる大建築。

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 <おまけ>



 最後に、ついで、といっては何ですが、もう1曲、次の番号のカンタータ、BWV102もご紹介しておきます。


 カンタータ第102番 「主よ、あなたの目は信仰を顧みないのですか」 BWV102


 と言っても、これは、コラール・カンタータとはまったく異なる、後期のとびっきり自由なカンタータ。
(ルードルシュタット歌詞集による。くわしくは、こちら

 ほとんどすべての楽章が、後にミサ曲に転用された、最初から最後まで名曲ぞろいの大傑作です。


 カンタータと小ミサ曲のパロディ関係についての詳細は、こちら↓をごらんください。

  (参考資料) ルター派ミサ曲(小ミサ曲)について~原曲カンタータとのパロディ対照一覧


 その他、カンタータと小ミサ曲に関する記事としては、以下↓のものがあります。

  「小」ミサ聴き比べ
  ミサ曲・かけがえのないアルバム、原曲集中のミステリー


 以上をご参照の上、このBWV102に関しては、ぜひ、小ミサ曲との聴き比べをしていただきたいと思います。

 カンタータとミサ曲との聴き比べは、例えようもない知的楽しみです。
 ここでバッハが惜しげもなく投入している、バッハ晩年ならではの超絶技法には、正に息を飲むばかりです。
 ミサ曲が、単なる寄せ集めの転用曲でなく、「大いなる再創造」によるものだ、ということが実感できるでしょう。
 その頂点に燦然と輝いてるのが、ロ短調ミサ、というわけですね。



 今日ご紹介した4曲は、内容の割には意外と目立たない曲ばかりなので、CDは、ほとんど全集盤ばかりですが、
 どの演奏も、全集の中の目立たない曲だからといって適当に流してお茶を濁すようなことはなく、さすがに力の入った名演ばかりです。
 特に、純粋なコラール・カンタータ(BWV99、101など)におけるBCJの演奏の完成度には、ちょっとただごとでないものがある。

 またそんな中、
 BWV101に、アンセルメの、
 BWV102に、ブリテンの、
 すばらしい演奏がのこされているのは、実に幸福なことです。

 往年の大指揮者のカンタータ録音と言うのは、ほとんど残されていないので、それだけでも貴重ですが、
 アンセルメは、近現代音楽のスペシャリストとしての、
 ブリテンは、作曲家、さらには極めてヒューマンでスケール豊かな指揮者としての、
 それぞれの持ち味が十二分に生かされた大名演だと思います。

 往年の名歌手の歌も見事。

(どちらも、ロンドン原盤、アンセルメのBWV101は、最近ようやく復刻されましたが、残念ながら、抜粋演奏です)



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