’10初秋?の京都紀行その3~東山南麓の巨大禅林塔頭の仏像達(お気に入りの仏像・京都駅周辺編、再び)

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 旅行記の最終回。
 今回は、「観仏三昧」。
 2年前にやった、お気に入りの仏像・京都駅周辺編の第2弾、みたいな内容です。


 京都駅からそれほど遠くないところに、こんなにも多くの驚くべき仏像が!
 ほんとに近いのですぐに行けます。ちょっと時間がある時、出張の合間や、帰りの新幹線までちょっと時間がある、という時に、ぜひ。



  9月13日(月) 京都第2日目~PM



 東山の南麓、JRの線路を越えてすぐ、閑静な住宅地の奥の谷間に、静かに佇む二つの巨大寺院、泉湧寺東福寺

 京都駅からJR奈良線に乗って一つ目、東福寺駅で下車。東福寺も泉湧寺も、そこから歩いて10分程度のところにあります。

 どちらも、それぞれの寺院自体、京都でも有数の大伽藍にあまたの文化財や美しい庭園を抱く名刹で、じっくりと観てまわると、この2つのお寺だけで一日を費やしてしまうほどですが、
 この2大寺院、数多くの塔頭を抱えていることでも知られ、
 実はその中にも、ちょっとすごい仏像を始めとするさまざまな文化財や庭園を有している塔頭が多く、それらを一般公開しているところもけっこうあるのです。

 これらは、京都駅から近い上に、気軽に短時間で拝観できるので、時間があまったときなどに、ちょっと拝観するのにぴったり。
 しかも、どの塔頭も、小さいながらも個性派ぞろいで、見応え、インパクトは、本山にも決して負けていません。


 今回の京都旅行、最終日の午後は、それらの中から、京都を代表するといってもいい、隠れた名作仏像がいらっしゃる3つの塔頭を訪ねました。



* 毎度毎度のお詫びと訂正です。

  タイトルでは、ひとまとめに「巨大禅林塔頭」としてしまいましたが、
  泉涌寺は、正確には真言宗寺院でした。

  本文にもあるように、今回泉涌寺自体は訪れていないのですが、
  資料で、仏殿、舎利殿等、宋風伽藍が建ち並ぶ境内の写真を見て、
  勝手に禅宗寺院と思いこんでいました。
  確かに、現在の寺院のもとになっているのは鎌倉時代に再興された四宗兼学の道場で、
  特に伽藍等には禅宗的要素が顕著なのですが、
  寺伝によれば、もともと空海創建と伝えられる、れっきとした真言宗大本山です。

  そう言えば、鎌倉浄光明寺(真言宗)の本山は、泉涌寺だったような気が・・・・。
  (楊貴妃観音の模造(石造)があった)




 泉湧寺道を登っていくと、総門のすぐ手前に、即成院は静かにたたずんでいる。
 皇族ゆかりの名刹中の名刹、泉湧寺。
 泉湧寺は、かつて一般市民は足を踏み入れることもできない「聖域」でしたが、
 そのかわりに、泉湧寺の総門のすぐ外で、一般市民に広く門を開き続けてきた「民衆の寺」が、
 塔頭・即成院


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 門の上にはりっぱな鳳凰像、扉にも透かし彫りの鳳凰が彫られ、水色のさわやかな「極楽浄土」の旗が風にはためいている。

 スケールは異なるものの、思わずあの平等院鳳凰堂を連想させるが、
 この小さな寺の本堂には、その鳳凰堂とも深くかかわりのある、しかも鳳凰堂の国宝仏にも比類し得る名作仏像が鎮座している。

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 本堂

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 このまったく何気ない本堂の中に、
 あの明るく輝きに満ちた阿弥陀如来来迎図の世界を、あまねく3D化した立体曼荼羅、
 本尊・阿弥陀如来坐像と25菩薩像が・・・・!

 正しく、天のオーケストラ。


 今回の旅は、昨日から、なぜか群像仏に縁がありますが、ここで、究極の群像仏が大登場。


 * 下は、お寺の前の看板。
   大きな写真が貼り付けてありますので、ぜひ、クリック+拡大してご覧ください。

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 きわめて素朴ながら、かの平等院の定朝の阿弥陀仏に比しても決して遜色のない美と威厳とを兼ねそろえた、堂々たる巨像、本尊・阿弥陀如来座像。
 オーケストラに例えるならば、さながら指揮者然として、ただひとり超然とした佇まいを見せる本尊に対して、
 そのまわりで、思い思いの楽器や荘厳具を手に、さまざまな表情、さまざまなポーズで、今にも動き出さん、いや、今にも踊りださんばかりの25菩薩の楽しさ、明るさ!

 中でも、本尊の横で、前かがみにひざまずく観音菩薩のやさしさ、慈しみ深さ、
 列の前の方で、大笑いしながら、笛や笙、太鼓などの楽器を奏している菩薩たちの朗らかさは、いったい何に例えればいいのだろう。

 まず、この底抜けに楽しい大脇持群とあくまでも静謐な本尊とのコントラスト、対比こそが、この群像の、何とも言えない魅力にもなっている。
 例によって、もともと本尊と眷属とはセットじゃないのでは?という見解もあるようだが、そんなことは研究家の意見で、この仏像を拝観する上ではどうでもいいこと。
 例え別々に作られたものだとしても、こうして一つになったのは、必然。
 今や完全に、おたがい無くてはならない、本尊と眷属の関係になっているのだから。


 * 下は、「隠れた仏たち」(井上博道 写真・文、ピエ・ブックス)という本の、
   楽器を演奏しまくる菩薩たちの写真が載っているページ。
   (を猿が見ているところを撮ったスナップ)

   こんなにやさしく楽しそうな仏像は、他に見たことがない。
   ちなみに、この本は、よい仏像写真が満載。

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 もともとは、藤原頼通が造りあげた現世浄土、鳳凰堂へのあこがれから、その子橘俊綱の手によって作られた、豪華絢爛、贅の限りをつくした個人的な持仏だった。
 しかしながら、歴史のはからいからか、すぐに一般寺院に安置されることになり、以降1千年の長い間、ごくごくふつうの庶民の手によって、大切に大切に守られ続けてきた、他に類を見ないような仏像群。

 この由来こそ、広く一般衆生に救いの手をのべるという、本尊阿弥陀如来本来の精神にふさわしいものだと言える。 

 
 25菩薩のうちの約半分は、後代に大幅な補修が加えられたか、または補作されたものだとのこと。
 そのことからも、この一大群像がどれほどの困難を乗り越えて、ほぼ完全な形のまま現代にまで伝えられてきたかがわかる。
 くわしく説明してくださった寺の案内の方によると、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた時代には、菩薩像の一体一体をそれぞれ信者が持ち帰り、大切に守りとおしたという。
 なるほど、確かに本尊の両側の観音菩薩、勢至菩薩を見比べると、
 平安仏(しかも定朝その人がかかわっている可能性もある)の観音菩薩の方が、その全身、表情から無限とも言える慈悲が伝わってきて、あたかも今この瞬間に天から舞い降りてひざまずいたかのような、時間の経過さえも感じられるのに対し、
 おそらく江戸期の補作と思われる勢至菩薩の方は、いかにも素朴、動きに乏しいきらいがある。
 はじめはこのことが、ちょっと残念に感じたが、
 やがて、後代の補完作も、できるだけ古例にならい、真摯に、誠実に、この25菩薩群像を完全なものにしようという姿勢に貫かれていることが、ひしひしと感じられてきて、
 全体として観たとき、オリジナルも後代の補完作も、阿弥陀如来の巨像のもと、一つに溶け合って、圧倒的な高みの完成度を獲得していることに気がついた。


 いずれにしても、観ているうちに、こんなにまで「音楽」が聴こえてくる仏像は無い!

 今回の京都旅行では、清水寺、南禅寺と、群像仏と縁があったが、
 これこそ、最高の群像仏。

 必見!

 以前、わたしの愛する阿弥陀仏ベスト3というのを書きましたが、
 これは、一気に上位にランクイン!


 なお、この仏像群には、精緻な工芸品のような、美しい天蓋がついているのだが、(鎖や細かな装飾すべて、木彫りに金箔を施したもの)
 残念ながら、この天蓋は、地震等による被害をさけるため、仏像群の真上でなく、かなり前、お堂の中央あたりにかけられている。
 仏像群は、すぐ近くで拝観させていただけるのだが、少し離れて、お堂の正面から見ると、仏像群と天蓋とがいっしょに見えてすばらしいので、ぜひ試していただきたい。



 次は、泉湧寺総門をはいってすぐのところにある、戒光寺


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 堂内に入ったとたん、思わず息を飲む。
 朱と金色に燃え盛る炎を背負い、極彩色の法衣をまとった、高さ10メートルにも及ぶ巨像で、まるで観ている者の上に、津波のように覆いかぶってきそうなほどの迫力に満ちている。
 巨大な観音様はたくさん観てきたが、こんなにすさまじいお釈迦様は初めて。
 寺の縁起では、運慶・湛慶親子作となっているようだが、整った男前の顔は、あからさまな宋朝様で、泉湧寺の名高い楊貴妃観音にも通じる不思議な美しさをたたえている。
 誰の作であろうと、この像の美しさ、迫力に変わりは無い。


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 本山の泉湧寺(楊貴妃観音)は今回はパスして、東福寺の方へ。

 泉湧寺から、東福寺にぬける近道は、入り組んでいて、まるで迷路みたい。


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 同聚院


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 こちらは、東福寺の塔頭になります。

 今年は、高幡不動で、これまで見たこともないような大きさの、すさまじい不動明王の巨像を観たが、
 この小さなお寺にも、ほぼ同じ大きさの不動明王がいらっしゃると聞き、訪れた。

 なるほど、堂内を圧するかのような大きさ、迫力、
 光背の燃え盛る炎は、天井をつきやぶって燃えひろがんばかり。

 ただ、高幡不動に比べると、ずっと怒りを抑えた佇まい。
 静謐な迫力を内に秘めている、というか。

 定朝から運慶・快慶に連なる大仏師の系譜の開祖、康尚作が明らかな、ほとんど唯一の作品とのこと。
 そう言えば、以前広隆寺で見た、康尚作とも想定される千手観音坐像と、素朴でおおらかな迫力、という点で、共通している気もする。
 さらに言えば、この仏像、かの藤原道長の五大堂の本尊だったもの。
 とんでもなく由緒深いお不動様なのだ。


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 庭にあった石仏の不動明王像。
 本尊はもちろん撮影禁止なので、かわりに。意外と雰囲気が似ている。

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 帰りの新幹線まで、まだ時間があったので、

 最後に、大本山、東福寺にもお参り。


 一面のモミジの渓谷、洗玉澗のはるか上空に架けられた、東福寺3橋のうち、最も名高い通天橋遠景。
 まだまだ見渡す限り濃い緑だけど、この風景もなかなか。
 参道にある臥雲橋上からのながめ。臥雲橋自体、東福寺3橋一つで、洗玉澗の上に架かる。

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 京都でも有数のモミジの谷。洗玉澗点景。

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 国宝、三門。禅寺なのに、なぜか大仏様の壮大な門。

 「東福寺」という名称は、東大寺と興福寺から一時づつ取ったそうだが、それと関係あるんだろうか。

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 東福寺の大伽藍

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 方丈。ここにも洗玉澗をながめるバルコニー?が。
 ちょっと、これ、全部モミジなんだけど・・・・。

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 先ほど、下から見上げた通天橋を渡る。
 おお、ちょっと色づいてる。あまりの暑さに枯れてるだけ?

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 通天橋を渡りきった小高い丘の上に、奥の院的な開山堂(常楽庵)がある。
 写真正面の楼閣建築が伝衣閣で、京都5閣のうちの一つだが、あの飛雲閣にも匹敵するような、不思議な建築。
 横長8間の入母屋造り、ごく普通の質素なお堂の屋根の上に、無理やりきらびやかな楼閣を乗せたような、前代未聞の建築。
 しかも、中央でなく、ちょっと左にずれている。これ、ほんとに「取ってつけた」んじゃ。
 元祖屋上ハウスか?(by 雲じい)

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 建物も魅力的だが、前に広がる庭園がまた、何とも天上的ですばらしい。

 門をくぐり、左右に緑があふれる中、参道を少し進むと、

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 突然左が明るく開けて、純白の枯山水が広がる。

 実は、伝衣閣に向かって左側は、シンプルな市松模様の枯山水。右側は、濃密な緑と水とを配した書院風庭園になっている。。
 枯山水の門に近い部分には、築山が配されてそれが目隠しとなり、はじめは両側が鮮やかな緑の中を進んでゆくと、途中で左側ががらんと開けて、枯山水が現れるしかけ。


 下の写真は、伝衣閣前から、門の方向を見たところ。

 左上に写っているのが、門&参道。
 枯山水の最奥、門よりに、緑の築山が見える。

 右の縁は、普門院の建物の縁。ここに座って庭園を見ると、枯山水の向こうに、書院風庭園、さらには緑の山並みが望めてすばらしい。

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 伝衣閣や緑の山を背景にした、まったく異なる二つの庭の連なりをながめていると、思わず時を忘れてしまう。

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 一方、こちらは、方丈の有名な八相の庭。近代モダン庭園の傑作。

 非現実的な光景が次々と広がる。

 順番に一回り。

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 ちなみに、東福寺3橋のうちの残りの一つ、偃月橋は、さらに東奥にあり、竜吟庵という塔頭に続いている。
 門の中には入れないが、外から、重要文化財・方丈の美しい屋根がのぞめる。



 夕刻の東福寺境内を、美しい緑をながめながらぼんやりと歩いていると、季節遅れの蜩の声が山間にこだまするのが聞こえた。

 昨日、厳しい暑さの中を歩きながら、実は何か違和感みたいなものを感じていた。
 それが何か、よくわからなかったのだが、この時ようやく気がついた。
 真夏のように暑いのに、どこを歩いても、蝉の声がまったく聞こえなかったのだ。
 9月になってもうずいぶん経つ。真昼に元気よく鳴く蝉は、もうすっかり姿を消してしまったのだろう。
 それにもかかわらず、夏の暑さだけは、まだ続いている。

 あんなにうるさい蝉の声だけれど、暑い日には、やはり蝉の声がつきものなのだ。

 こんな些細なことも、季節がどんどんおかしくなってゆく表れの一つなのだろう。



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