ヴェールの中から姿を現したロ短調ミサ曲~アーノンクールのライブ @ NHK音楽祭【宗教改革記念日】

 いつもロ短調ミサのことばかり書いているくせに、今さら何言ってんだ?というようなタイトルで恐縮ですが、

 まずは、カンタータのお知らせから。


 すでに前の記事でお知らせしたとおり、
 今度の日曜日、10月31日は、宗教改革記念日でもあります。


 カンタータは、

 おなじみの名作中の名作、BWV80
(コラール・カンタータですが、もともとは第1年巻であったのを、生涯に渡って、何度も改作)
 後期のBWV79、129

 すべてたいへんな大傑作。

 
 過去記事は、以下の通り。


  <宗教改革記念日>

    ルターへの思い・父子のきずな~宗教改革記念日(BWV80)その1
    ガーディナーの挑戦~宗教改革記念日(BWV80)その2



 今日は、バッハにとって特別なこの祝日にふさわしく、特別なコンサートについてのきわめて個人的な覚書。



 今年のNHK音楽祭のテーマは、「ドイツ3大B」。
 何ともなつかしいテーマですが、

 その開幕を告げるコンサートが、先週の日曜日に開催されました。

 曲は、「3大B」のはじめの巨人、われらが大バッハの代表曲、ロ短調ミサ曲。
 演奏は、アーノンクール&ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスほか、いつものおなじみのメンバー、。
 
 正に、「3大B」の音楽祭の始まりを飾るのにふさわしいコンサートであり、

 「音楽界の最先端を行く暴れん坊」のイメージで(なんだそりゃ)、若い若い、と思っていたアーノンクールも、すでに80歳を超え、今後はそんなに頻繁に日本には来られないだろうし、来られたとしてもこれだけの大曲はそうかんたんに演奏できるものでもない、
(もう日本に来るのも最後かも、というアーノンクールの発言があったようです)

 ということで、日本のバッハファン、音楽ファンにとっても、また他ならぬアーノンクール本人にとっても、スペシャルなコンサート。

 聴衆も演奏者も、そしてアーノンクール自身も、思いっきり気合いが入りまくり、演奏前からなんだか会場が一つになっていたことからも、それが伺えました。

 その特別感をさらに盛り上げる、花や垂れ幕で美しく飾られた舞台。

 アーノンクールのロ短調ミサのライブは、この後、さらに音の良いサントリーホールでも開催されましたが、この「音楽祭」の雰囲気を味わいたくて、この日にしたのです。



▽ 「音楽祭」らしい、華やいだ雰囲気。アーノンクール、思いっきり睨んでます。

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 ’10 NHK音楽祭 

 J.S.バッハ ミサ曲ロ短調

    ニコラス・アーノンクール指揮、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス、シェーンベルク合唱団 ほか

        @ NHKホール


 春にお知らせしていたコンサート。


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 さて、演奏ですが、それにふさわしい、正に、「特別」なものでした。


 前述の通りの、会場&演奏家は、異様なまでの熱気にわきかえっていましたが、

 たいていの方が、(FMで生放送されたので、お聴きになられた方も多いことと思いますが、)
 
 そんな熱気とは対極とも言える、
 ”「あの」(まったくこのお決まりの表現、いつまでついてまわるのか)アーノンクールが行きついた、
 円熟の静かな境地”


 というような感想を持たれたのではないでしょうか。


 わたしも、基本的に、というか、途中までは、そうでした。

 でも・・・・、今振り返ってみると、

 実際に目の前でくりひろげられた演奏は、

 とてもそんな生やさしいものではなく、もっととてつもないもの

 だったような気がしてなりません。

 
 わたしの感じたことが、どこまで確かなことなのか、
 また、そのことを、どこまで伝えられるか、はなはだ心許無いですが、
 感じたままのことを、ここできちんと書き留めておこうと思います。


 以下、ロ短調ミサの聴きどころもある程度つかめるような記事にしてみました。



  ☆    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆



 確かに、
 冒頭キリエから、
 静謐極まりない、
 まるで祈りが静かなさざなみとなって湧き起り、やがては見渡すかぎりの大海原にまで広がっていくような、精緻さとスケールの大きさを兼ね備えた、慈しみ深い、稀有の演奏でした。

 真っ先に、レオンハルトのことが思い出されました。
 ポカーンと突き抜けた、何でもないようでいて、唯一無二の演奏。
 もし、レオンハルトが今ロ短調ミサ曲を演奏したら、こんな感じだろうか、と、ずっと夢見続けていた演奏が、実際に響きわたっているような気さえした。

 しかし、このようなアーノンクールの「円熟」は、最近のカンタータ演奏のCDなどを聴いて、すでにわかっていたこと。
 今のアーノンクールならば、当然と言えることです。

 
 もっとも、アーノンクール、もちろん、その「静かな演奏」の中でも、いろいろなことをしています。

 凝りに凝ったアーティキュレーションを積み上げているのは、あいかわらずなのですが、
 今や、すべてのアーティキュレーションは、バッハが書いたすべての音を、確実に響かせる、ただそれだけのためのものとなっていて、まったく自然。
 すべては、ただ「陰影の深さ」、「懐の深さ」に、そしてバッハが書いた音楽の意味を表現することに通じている。

 また、さまざまな実験心、冒険心、も決して忘れていない。
 例えば、
 冒頭キリエの大フーガ、「天のコンチェルト」、グロリア後半のフーガ、などなど、
 対位法的に特に凝ったつくりの音楽においては、
 はじめの基本フーガ部は、ソロ歌手が歌い、それが次第に大合唱に受け継がれ、膨れ上がってゆく、という形をとっています。
 最近、OVPPのキリエのライブを聴いた、という話を聞いて心からうらやましく思い、記事にも書きましたが、これはそれをさらに突き詰めた形で、この方法によって、音楽の精緻さと壮大さが無理なく両立することになる。
 OVPPか、合唱か、などと喧々諤々としていたころがなつかしい。
 そのような次元をはるかに超えた、ただただ表現のための手法。

 さらに、目立ったのは、第2部グロリア後半の、絶妙なテンポ設定、「間」で、ところどころ、ぶっ続けで、はじめから一つの音楽であるかのように流す部分さえあった。
 これによって、一つ一つのアリアや合唱の美しさが堪能できるだけでなく、
 全体が、一つの大きなつながりのある音楽であることを、改めて気がつかせてくれる。
 アリアが合唱を呼び、合唱がさらに新しいアリアを呼ぶ、バッハの究極の寄せ集め結合の神業を、こんなにも堪能させてくれる演奏は、他に演奏は聴いたことない。
 これも、頭ではわかっていたけれど、言わば初めての体験。

 それにしても、バッハが書いたこの「アリアの花園」の美しさをいったい何に例えたらいいんだろう。
 どのアリアの旋律も、感傷的、情緒的になる一歩手前で踏みとどまっており、それでいて、いや、それだからこそ、この世のものとも思えぬほど美しく、その展開となると、これはもはや、天の領域の話となる。
 ソロ歌手&ウィーンの名手たちの演奏が、その美しさをさらに際立たせてくれた。
 最も心に残ったのは、最後のアリアの、コルノ・ダ・カッチャ&ファゴットとバスの掛け合いの楽しさ、

 この部分を始めとして、素朴な古楽器でないと、絶対にこの味は出せない、というところが何と多いことか。
 正に、アーノンンクールと仲間たちが切り拓いてきた古楽演奏が、ここで大きな花を咲かせた感があった。
 その点だけでも、アーノンクールに感謝!
(当日、1階席でこのライブを見たNackyさんのコメントによると、
 この前半終了時、観客の熱烈な拍手に応えながら、アーノンクールさんの目には光るものがあったそうです)


 以上のことは、すべて、これまで、アーノンクールを「あの暴れん坊」と位置づけてきた、さまざまなことでもあるのです。

 アーノンクールは、その挑戦をまったくやめてはいない。
 姿勢をまったく変えてはいない。

 ただ、ここではすべてが自然で必然性を持ったものへと昇華している。

 演奏者が、聴衆が、ようやくアーノンクールの表現に追いついた・・・・、
 このことは、BWV140のCDの時に書いたとおり。


 だから、これらすべてのことは、静かで穏やかな、「大いなる平和」とでも言うべき雰囲気の中で進められ、
 演奏は、永遠のスタンダードとでも言うべき、驚くほどの客観性、普遍性を獲得している、というわけです。

 従って、ここまでの演奏に関して言えば、冒頭に書いた、「円熟の静かな境地」ということは、決して的外れではありません。
 (アーノンクール自身は本質的にちっとも変っていないのだけど)


 あくまでも外面的な部分に限ると、以前(はるか以前ですが)のアーノンクールの演奏と比べ、「刺激が少ない」というような見方もあるかもしれませんが、この演奏を聴いて、静かすぎる、だとか、おもしろくない、と感じる方は、もはやほとんどいないのではないでしょうか。
 ここまで徹底して、バッハの書いた音楽そのものを、高いレヴェルで現実の音として鳴り響かせられてしまうと、
 「おもしろくない」、と言うことは、そのままバッハの「ロ短調ミサ」に直接向けられた言葉になってしまう。

 あまりの演奏の水準の高さに、そんなことを思いながら、ふと隣の連れを見ると、安らかに爆睡していた。

 バッハ・・・・、ダメじゃん・・・・。

 だけど、まあ、気持ちよく眠られるのも、良い音楽の証拠?



 さて、休憩後にいよいよ開始された、
 この曲の最も大切、かつ演奏も難しい部分、
 第3部クレドにおいても、
 静かで穏やかな演奏の普遍性は、きわめて高い次元のテンションを保ったまま、持ちこされました。

 というか、クレドにおいて、その揺ぎ無い、超然とした姿勢は、さらに顕著なものになりました。


 音楽は、ついに、静かな蒼い微光を帯び始めた!
 これは、CDでは、レオンハルトの他ならぬロ短調、バドのピアノなどでは体験したことですが、
 実演では、ほとんど初めての体験。

 超絶古様式対位法と新しい時代の表現、
 最晩年のバッハのみが書きうる音楽と自身の若かりし頃の音楽、
 極限まで磨きぬかれた合唱によって、それぞれの交錯が鮮やかに描かれる。
 そして、2曲の特別なアリアの夢のような美しさ。

 静かに、格調高く奏される、キリストの誕生、受難、復活。
 復活の喜びも、大爆発するようなことはない、心の底で、深くかみしめるような喜び。

 そして・・・・、
 それらの行きつくところ、

 ミサ曲全体のクライマックス、核心とも言える部分がついにやってきます。

 第20曲、
 この大ミサ曲において、たった一度だけ、「コラール」がはっきりと登場する部分、
 バッハ最晩年の超絶技巧により、対位法の極致とも言うべき古様式のフーガが展開されるそのクライマックスに、
 何と、コラールが、バッハがその生涯を通じて高らかに「歌い」続けてきたコラールが、
 高らかに、誇らしく奏される。

 ここが実にすごかった。
 これまで、あらゆる実演やレコード、CDを通じて、一番すごかった。
 ここで、このコラールが、こんなにも、力強く、美しく、歌われたことは、かつて無かった!
 あたかも、この世界のさまざまな森羅万象のはるか上空に、悠々と流れるかのごとく。

 
 圧倒的な感動の中で、バッハの白鳥の歌、クレド終了。



 というわけで、一瞬たりとも緊張感の途絶えることのない、驚くべき高次元での「円熟の静かな境地」を示す演奏は、クレド終了まで、そのまま貫かれたわけです。

 もうこれだけでも、たいへんなこと。
 事実、こんなにすばらしいクレドは聴いたことは無かった。
 100%満足。
 何度も涙が止まらない瞬間が訪れた。

 ただ、これだけだったら、ちょっと聴いた感じ、「円熟の静かな境地」という表現だけでも、いいでしょう。

 それは、想像を絶する円熟であり、静けさではあるのですが。



 でも、ここから先がちょこっとちがっていた。・・・・ような気がする。


  
 わたしも、演奏についてはそのようなイメージを持ち、
 それはそれで、そこまでの演奏で、もうすっかり満ち足りた気持ちになり、

 さあ、あとは、最後の感謝の歌、平和の歌に向かって、音楽を楽しもう、と、
 少し緊張をといた時・・・・、


 何と、アーノンクールが、動きました。

 このコンサート、ほんとうの意味で、とんでもなかったのは、実は、これから先だった!



 アーノンクール、ここで、いきなり、時間をかけて、合唱の配置転換を行います。

 通常通り、バスからソプラノまで順番に並んでいたのを、両翼に女声を配し、中央に男声を置く布陣。

 この布陣だと、対位法的精緻さは減退するかもしれませんが、この後の2重合唱等におけるステレオ的効果、迫力は、否が応でも増すことになる。


 そして、

 アーノンクールも、クレドを見事に演奏し終えて、気持ちが解放されたか、

 この後は、驚愕のド迫力演奏をくりひろげます。

 「暴れん坊」アーノンクールの面目躍如。
 しかしそれは、音楽の革新家、としての暴れ方ではなく、
 往年の大巨匠が現代によみがえったかのような、堂々とした大家の暴れっぷり。


 アーノンクール、踊ったり、飛び跳ねたり、
 ダンシング・タクト炸裂。80歳とはとても思えない。。

 こちら側、聴く側も、圧倒的な合唱の渦に巻き込まれる。

 わたしは、ちょうど2階席の真ん中あたりの席だったのですが、
 そのおかげで、このステレオ効果を体全体で体験することができました。
 この席でよかったー。
 

 トラヴェルソの響きが夢のように美しいテノールアリア、
 そして、宇宙の辺境の星で、唯一人、故郷を思って歌うかのようなアニュス・デイ、あのフィンクさんの名唱、(やはり、この曲は女声でないと!)

 めくるめく奔流となって、「音楽」は加速度的に推進し、

 やがて、あっという間に、これまで聴いたことのないような、圧倒的なスケールの終曲。



 アーノンクール、この人も、やはり、根っからの舞台人でした。

 このサンクトゥス以降の部分があったことで、
 音楽は、
 「祈り」ではなく、
 増してや、畏怖して距離を置き、ただ仰ぎ見るもの、でもない、
 演奏者と聴衆、そして作曲者が一つになって、一期一会の瞬間を生きて、炸裂する、
 本来の、真の意味での「音楽」
となった。

 それを可能にしたアーノンクール
 そして、その演奏によって、ついに真の姿を現した、バッハのロ短調ミサ曲、


 アーノンクールは、クレドまでの演奏で、この大バッハが生きたあかしである偉大な音楽を、考えうる最高の形で現実の音として響かせておいて、
 最後の最後、それをみんなが共有する身近なものとして、一気に、引き寄せてくれたような気がします。

 そういう意味で、この夜の演奏は、単なる名演というのを突き抜けて、実にとんでもないものだった。

 長い長い歴史の中で、この曲は、「西洋音楽史上最高の宗教曲」として、幾重にもわたるヴェールに飾られ、覆い隠されてきました。
 アーノンクールは、そうしたあらゆるヴェールをはぎとって、この曲の真の姿を見せてくれた、

 というより、

 この曲が、そのヴェールの奥から、こちら側に飛び出して来てくれた。

 そして、正に、ヴェールを取り除く、ということこそが、アーノンクールが生涯にわたって探求し続けてきた、古楽探求の道だった・・・・!



 ついにありのままの姿を見せた、ロ短調ミサ曲。
 バッハの音楽、アーノンクールの演奏、
 いずれも、若い!力に満ちている!

 最後の音楽、最後の演奏、などというありきたりな言葉は、まったく必要ないし、まったくあてはまらないっ!



 それがどこまで、放送で音だけ聴いた方に、または今後リリースされるかもしれないCDを聴く方に伝わるのか、
 それは、わかりません。
 わたしは、自分の目で見、耳で聴き、感じたことを、記録しただけです。


 ただ、いずれにしても、

 CD、実演通じて、考えうる限りの最高の演奏。

 史上最高の音楽の、史上最高の演奏家による、史上最高の演奏、と言ってもいいくらいの、
 そんな「特別な」演奏でした。



  ☆    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆



 50年以上前、自分の信じる、より良いバッハの演奏をめざし、古楽の扉をこじ開けた、
 アーノンクールとその仲間たち。

 ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスとの結びつきも、固定されたメンバーの常設オケではないとはいえ、50年を裕に超えます。

 半世紀以上にわたって、ただただ、バッハの音楽を追求し続け、
 それら史上初めてのカンタータ全集完成等、さまざまな業績の果てに、ついに到達した、この夜のロ短調ミサ曲。

 たったひとつのことを全力で追究し続ければ、このようなことになる、ということ。

 この日見たアーノンクールは、すさまじいオーラに包まれていた。
 会場に登場したとたんに、空気も、何もかもが変わった。

 Nackyさんは、いただいたコメントの中で、アーノンクールの姿にバッハその人を見た、とまでおっしゃっています。

 バッハに関しては、幸い、たくさんのすばらしいアーティストがいるけれど、どんな天才でも、この人と比べれば、まだまだ、ということになってしまうでしょう。



 これまで、当ブログなどにおいて、丸5年間、毎週毎週バッハのカンタータの曲目のお知らせをしてきました。

 「死者略伝」の中で、バッハが残したとされるカンタータも5年分、ということですし、
 実は、そろそろ潮時かな、とも考えていたのですが、

 このアーノンクールのコンサートを目の当たりにして、
 わたしがやっているようなこんなつまらないことでも、継続していれば、何か実を結ぶかも、という気がしてきました。

 というわけで、今後もよろしくお願いします。
 これまで以上に脱線話題が多くなるとは思いますが。
 一応、日常を四季のカンタータに包まれて、それを聴きながら「生活」している人間の日記、ということで。



  ☆    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆



 最後に、蛇足。
 さらにプライヴェートな、鑑賞記。


 ミサの最後の最後、Dona Nobis Pacem。

 この最後の合唱、「パロディのパロディ」ということがとてつもなく重要な意味を持つこの音楽については、これまでいろいろなことを書いてきたけれど、

 (こちらなど)

 この時のアーノンクールの演奏ほど、
 Dona Nobis Pacem が、グロリアの Gratias Agimus と異なる音楽として響いたことは、かつて無かったのではないか。
 以前まとめたような、テンポや演奏時間の問題ではない。音楽の中身の話だ。
 これはもちろん、アーノンク-ル渾身の表現によるものだが、合唱配置を変えたことも、ここに来て、すさまじい効果をあげている。
 バッハがこの「一世一代のパロディ」に込めた思いが、バッハの願いが、ひしひしと伝わってくる。

 これでもう、この大曲も、終わり・・・・。


 上記記事に書いてきたことが、すべて真実であったことを雄弁に物語る演奏に、全身を包まれ、
 ただただ、ああ、なんていい「音楽」なんだ、と幸福感にひたりつつ、
 ふと、舞台に目をやると、
 合唱団の持つ開いた楽譜の上辺(こういう形→⌒⌒)が、いっせいに激しく揺れているのが、まるで、海鳥の群れみたいに見えた。
 おもしろいなあ、などとぼんやり考えていると、
 突然、あたりががらんと開けて、金色に輝く波がどこまでも続く大海原になり、
 その果てに、水平線と空とが交わる光の彼方に、
 バッハの顔をした大仏が、やさしく笑っているのが見えたような気がした。

 決してふざけているのではありません。

 音楽とは、つまりはそういうこと。
 それでいいんじゃないかと。

 このロ短調ミサ曲も、もちろん宗教曲ではありますが、宗教の宗派はもちろん、さらには、宗教そのものからも、
 つまりはありとあらゆる制約から、はじめっから解き放たれている。

 バッハは、そういう「音楽」を書いたんだと思う。


 Dona Nobis Pacem。

 すべての人の平安を願う歌であるとともに、バッハの感謝の歌。
 これまで聴いたことのないような、圧倒的なスケールの演奏、
 その全曲をしめくくる最後の音は、万感の思いを込めて、静かに静かに、まるで無限の虚空に溶け込むかのように結ばれました。



そのほかの「記事目次」

「全体記事目次」

カンタータ日記・奥の院

浅田真央さん情報・最新版

宮沢賢治記事目次

カンタータ日記・大阪モダン建築図鑑

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この記事へのコメント

2010年11月01日 07:47
Noraさん
おはようございます。
私もアーノンクールの「ロ短調ミサ」聞きました。
場所はNHKホールではなく、サントリーホールでしたが。

私は、ロ短調ミサ自体あまり聴かない曲なので、今回のNora
さんの記事を読んで、いろいろ学ぶことがありました。
演奏については本当に素晴らしいものでした。
私がこれまでの人生で聴いた実演の中で、3本の指に絶対入る
と思います。
Noraさんの仰る「一瞬たりとも緊張感の途絶えることのない、
驚くべき高次元での『円熟の静かな境地』」というのは、
全くの同感です。


2010年11月01日 23:38
 アルトゥールさん、こんばんは。
 コメント&トラックバック、ありがとうございます。
 アルトゥールさんも、アーノンクールのロ短調ミサ、お聴きになりましたか!
 サントリーホールも、すばらしい演奏だったようですね。記事を拝見してその感動が伝わってまいりました。
 わたしも当日の感動を少しでも記録しておきたかったのですが、だらだらと長くなった上に、何を言いたいのか、よくわからない文章になってしまいました。

 アーノンクールは、演奏史上の功績という点ではもちろんのこと、純粋に演奏そのものからしても、まちがいなく歴史に残る音楽家だと思います。
 そのようなアーティストと同じ時代を生きて、このようなモニュメンタルなライブを聴くことができたのは、とても幸福なことだとしみじみ感じました。

 アーノンクールは、来日直前に、ウィーン樂友協会にてまったく同じメンバーでロ短調ミサを演奏して、大絶賛されたようですが、そのままの演奏を日本でも聴かせてくれたようです。
 そらにその少し前には、リンツとウィーンで、ウィーンフィルと3度にわたってブルックナーの第8番を演奏したそうで、これもすごく気になります。
 いずれも、CD化される可能性は高いと思いますので、楽しみに待ちたいと思います。
2010年11月05日 12:22
いつもお世話になっています。 日本公演すばらしかったようですね。 "リンツとウィーンで、ウィーンフィルと3度にわたってブルックナーの第8番を演奏"との情報有難うございます。
2010年11月05日 16:21
 タロッペいたばしさん、
 10月の初旬だったようです。
 これはぜひ、実際に聴いた方の感想が聴きたいものですね。
 アーノンクール、自身のレパートリーを総決算するような演奏会が続いてますね。
2010年11月06日 12:58
Nora様有難うございます。 今年の春のマーラー・シンポジウム(ウイーン)で、秋にアーノクールさんがオリジナル楽器でブルックナーを演奏するとの情報があったのですが、ウイーン・フィルなら現代楽器だったのでしょう。 

カトリックのウイーンではバッハの演奏は限られていました。 只一つあるプロテスタント教会以外では勿論やりませんし、ウイーン・フィルもバッハの演奏は限られていました。 しかし、アーノンクールさんはバッハの演奏でも秀逸なんですね。
2010年11月08日 11:50
> オリジナル楽器でブルックナーを演奏

 おそらく、ピリオド奏法で、という意味合いだったのではないでようか。

 アーノンクールさんは、ウィーンの人ですが、もともとはバッハなど古楽の専門家で、レオンハルトといっしょに、史上初めての古楽器によるバッハカンタータ全集を完成させた人です。
 今は、ロマン派音楽なども幅広くレパートリーに入れてらっしゃいますが、初めてブルックナーやヨハン・シュトラウスなどを指揮したときは、逆に、「あのバッハのアーノンクールが?」とけっこうな騒ぎになりましたよね。
ANNA
2010年11月19日 16:09
Noraさん、こんにちは。 おひさしぶりです!

アーノンクールの「ロ短調ミサ」、私もNHKホールで聴きました。
もう、ほんとうによかったですね。
すばらしい演奏の前で、私は無防備です。音楽がどんどん私の中に入ってきて、いつのまにか涙があふれていました。
いや~ほんとにすばらしかった!聴けてよかった!それだけです。

それからNoraさん、私はNoraさんの記事を通して、改めてカンタータを聴き(勉強し)直しているところなんですよ。まだまだいろいろなことを知りたいし、教えていただきたいのです。ご無理のない範囲でかまいませんので、これからも続けられてくださいね。よろしくお願いします。
2010年11月21日 00:38
 ANNAさんも行かれましたか。
 バッハを愛する方々が、一同に会して、こうして同じ演奏に感動できるというのは、とてもうれしいことですね!

> まだまだいろいろなことを知りたいし

 ありがとうございます。
 たかが4、5年でやめたらバッハやアーノンクールさんに申し訳ないので、できるだけ続けようとは思っています。
 ちょうど11月の終わりで、新しい暦が始まるので、またいっしょにカンタータを聴いていきましょう。
 といいつつ、また今日も関係の無い記事を書いてしまいました。
 こんな感じですが、どうか今後も、よろしくお願いいたします。

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  • アーノンクール/CMWの演奏会(10月26日)

    Excerpt: 10月26日(火)、東京・港区のサントリーホールで、二コラウス・アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス(以下、「CMW」と省略します)の演奏するJ.S.バッハ「ミサ曲ロ短調BWV232.. Weblog: クラシック音楽のある毎日 racked: 2010-11-01 07:56

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