GWのアルバム2 ついに観た!狩野一信の五百羅漢図

▽ 江戸博への道
  左の屋根は、国技館

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 5月1日(日)



 法然上人八百年御忌奉賛

 五百羅漢

  増上寺秘蔵の仏画
  幕末の絵師 狩野一信

    @ 江戸東京博物館

    ~平成23年7月3日まで

    * 東日本大震災による影響で、ずっと開催が未定でしたが、
      江戸博、連休前に見事に復旧し、
      日にちをずれこませて開催してくれました。




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  展覧会公式HP


  江戸博公式HP



 五百羅漢図 全百幅


 増上寺に伝わる五百羅漢図全百幅は、一幅に五人ずつ、実にさまざまな場面にわたって五百羅漢すべてを描きつくした、江戸中期以降に日本中で大流行した五百羅漢造営の頂点というべき作品。
 江戸末期の絵師狩野一信累世の超大作で、一信48年の生涯の最後の10年間のほとんどすべてを費やして制作された。
 96幅まで描いた時、一信は亡くなってしまうが、その後、妻と弟子たちの手によって百幅が完成し、無事増上寺に奉納された。

 それ以来、そのすべてが一堂に会して公開されるのは、おそらくは史上初めてとのこと。
 奇跡的にまったく無傷で空襲等を乗り越えた江戸末期の貴重な遺産の全貌を、ついに目の当たりにすることができた。


 うわさに違わぬ、そして想像以上のものすごさだった。

 極彩色の、一つとして同じ模様の無いと思えるほどに多種多様な、豪華絢爛極まりない衣を身に纏い、
 髪の毛の一本一本、ひげの一本一本にいたるまでびっしりと描きこまれた、
 あつくるしいほどに個性的、というか、一目見たら忘れないようなインパクトのある容貌の羅漢様たちが、
 大画面いっぱいに、画面から今にも飛び出さんばかりの迫力で、
 生き生きと、実に楽しそうに、あるいは力の限りいっしょうけんめいに、

 我々とほとんど変わらないような日常生活を送ったり、
 顔や腹をぺりぺりめくって仏の姿を見せ、またさまざまなビームを出しまくるなど、破天荒な超能力自慢をしたり、
 六道世界を飛び回って餓鬼やカッパや人々を助けまわったり、
 龍や鳳凰、白澤をはじめとする神獣たちをつかまえ、おしまいには龍にうちまたがって竜宮への大冒険旅行に出かけたり、
 鬼たちといっしょに巨大な伽藍を建築したり・・・・、

 ・・・・などなど、とにかくいろいろなことをしている。

 羅漢が描かれていない部分には、もうこの世界のありとあらゆるもの、さらには驚くべき創造力の産物である、この世界には絶対に存在しないような不思議なものや奇怪なものまでが、やはり総天然色、超細密な筆致でびっしりと描きこまれている。

 絵の一幅一幅だけ観てももちろんおもしろいが、
 それらの絵は、たいてい二幅一組で一つの場面や対となる場面を構成していて、さらにそのそれぞれの場面が、ところどころに設けられた大きなクライマックスに向けて、ドラマチックな物語性と絵の勢いにおいてどんどん盛り上がってゆく。
 観れば観るほど発見があり、驚きと感動があり、
 突っ込みどころ、作者にぜひ聞いてみたいところも続出、
 もう観ていて楽しくてしかたがない。

 また、ところどころで、極端な遠近法や陰影法など、時代の最先端を走っていた浮世絵師顔負けの実験を、大胆に行っているところも見どころ。


 ただ、
 80幅代以降くらいからか、
 あんなに暴れまくっていた羅漢様たちが、いつしか、森羅万象の世界から少し離れて、ただ静かに佇んで世界をながめるようになってゆく。
 上空の雲に乗って段々と画面の上のほうに移動してゆき、
 羅漢様たちの姿もそれとともにぼんやりと個性を失って小さくなってゆき、
 ついには空の彼方に消え入らんばかりになってしまって、
 気がつくと、あれほど濃密だった世界のあらゆるものも、すっかり精彩を失い、
 まるで羅漢様たちとともに、一信の命そのものが燃え尽き、空に還るその瞬間を目の当たりにするかのようで、たまらなくさびしくなってしまう。

 解説や美術評等を見ると、一信の筆の衰えを残念がっているものがほとんどなのだが、
 むしろ、その命が燃え尽きる瞬間まで、この空前の大作を完成させようとした一信、そして、それをひきついで、何とか百幅すべてを完成させた一信の妻と弟子たちの信念が、ひしひしと伝わってきて、この全百幅のエンディングは感動的であるような気がする。

 いずれにしても、100幅まとめて観ることによって、
 絵の中の物語から、果ては一信の人生そのものまでをも含む、実にさまざまなドラマが、交錯し、重層的に折り重なって、壮大な一大交響楽を形成しているのを体全体で体感することができる。
 正に稀有の作品といっていいのではないだろうか。


 おまけとして、
 わたしが個人的に気に入った作品を何点かあげて置くと、
(どれもこれもすごいんで絞るのは一苦労なのだが)

 ☆ 第30幅 六道 畜生

 猿や鹿やらに、みんなで神通力を見せて、そろってどや顔をしている場面。

 ☆ 第50幅 十二頭蛇 露地常坐

 月の光の満ちているマングローブ林みたいな水辺で、みんなで座禅を組んでいる場面。
 西洋画風な不思議な陰影に彩られた、静謐な詩情あふれる情景。
 しかし、そのせっかくの詩情をぶち壊す、羅漢様たちのちょっとふざけたような顔。

 ☆ 第58幅 神通

 50幅番代の「神通」の絵はすべてすごいが、これらの作品を通じてずっと火の中で修行していた羅漢様が、ついに入定しようという場面が第58幅。
 鬼たちが、灰色に燃え尽きようとしている羅漢様のまわりに群がり、虫やらとかげやらでくすぐって、入定を妨げようとしている。
 中には、蜂の針でプスプス刺す鬼も。
 それを必死にやめさせようとする仲間の羅漢様たち。

 ☆ 第71・72幅 龍供

 龍をはじめ、えびやらたこやら、半魚どんみたいな魚やら、実にさまざまなものに乗って、大海原を竜宮に向かう羅漢様たち。
 大迫力。

 ☆ 第80幅 堂伽藍

 第77幅から、鬼たちと始めた巨大寺院建築。
 第80幅はそのクライマックス。完成間近。これも大迫力。

 以上、ハイライトを何点かあげましたが、このうちの何と3幅(確か50、58、72)は、かつて板橋美術館で観たことがあった。(こちらの記事
 見所中の見所を展示してくれていたのだ。
 さすが、板美。



 さて、この展覧会、それだけでは終わらなかった!

 そんな史上空前、唯一無二の五百羅漢図全百幅全体と比べても、決してひけをとらないのが、

 釈迦文殊普賢四天王十大弟子図、全一幅。


 正にこれから五百羅漢に挑戦しようという時期、一信全盛期の作。


 文字通り、釈迦三尊の周囲に四天王を配し、その下部両側に十大弟子を並べた極めて正統的な仏画だが、とにかく大きい。
 縦4メートル、横5メートルを裕に超えるだろうか。

 それが、会場の中心に置かれていて、どこからでも目につく。

 成田山不動堂の壁画だと聞いていたし、ぼんやりとした妙な微光を放っていたので、まさかレプリカか映像だろうと思っていたのだが、
 すぐ前で見てみたら、何と実物で、あまりの衝撃に動けなくなった。
 明治33年に建物の老朽化に伴い、軸装に仕立て直され、大切に保存されていたのだ!
 30年ぶりの展示、寺外での展示は史上初めてだという。


 その巨大さもさることながら、
 とにかくその筆致の迫力がすさまじい。
 これこそが壁画!というべき雄渾さ!

 総天然色の五百羅漢に対し、こちらは墨と金泥のみで描かれているが、
 壮麗さ、表現力に関してはまったくの互角。
 しかもこちらは純仏画としての超然とした気配に全体が貫かれている。

 わたしが観た作品の中では、あの英一蝶の阿弥陀来迎図と並ぶ江戸の傑作仏画。
 釈迦如来の姿は、有名な相国寺の若冲の釈迦如来とよく似ているが、あちらがちょっと美しいおじさんの絵にしか見えないのに対して、こちらは、天平や平安、鎌倉の諸仏に通じるような、まごうことなき「仏像」。
 この作品、等伯の巨大仏涅槃図など、江戸以前のモニュメンタルな仏画と比べてもまったく遜色ないのではないか。

 江戸の仏画というと、ちょっと一段格下に見られる風潮があるようだが、それがまったくのあやまりであることを雄弁に語る一作。

 必見!



 連休2日目、展覧会が始まって2日目に行ったら、わりとゆったりと、一枚一枚目の前でじっくりと鑑賞することができた。
 これらの絵に限っては、時間をかけてじっくりと細部まで見尽くさないことには魅力は半減してしまう。
 また、細部を味わいつくしたら、少し離れて全体を見ると、類希な全体の構成力、二幅一対ならではの画面のつくりのおもしろさもわかってくる。
 これらを味わいつくすのは、何物にも代えがたい精神的な喜び。
 しかも、その喜びを知っている者は、史上まだ数えるほどしかいないのだ。
 なんという心のぜいたく。

 混まないうちにお早めに。



▽ 昨年、かなり早い段階で出ていた展覧会紹介のマンガ風ちらし

  (クリックの上、拡大してご覧ください)

  * 上記のとおり、会期は、平成23年4月29日~7月3日と、大幅にずれこんでいるので、要注意!  

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この記事へのコメント

2011年05月12日 17:28
Noraさん、ごぶさたしていました。

五百羅漢図というのはよく知らなくて、リンクされていた博物館のHPを見て、はじめてどういうようなものかがわかりました。
ものすごく迫力あるものですね。日本画とも思えないです。西洋の宗教画にも通ずるところがあるような気がします。

ところで、実はヘンデルのカンタータ関連のブログを新規に立てました(koh da saitama名義)。
Noraさんが「ヘンデル・カンタータ日記」をスタートさせてらっしゃるのに、類似のテーマでやってしまいました。申しわけありません、ご了解いただけますでしょうか。
2011年05月14日 00:20
 kohさん、こんばんは。
 五百羅漢、すごかったですよ。まだまだ日本にも、とんでもない画家が埋もれているものです。もし機会がありましたら、ぜひ。

 それはさておき、新ブログ開設、おめでとうございます!
 ご了解も何も、ヘンデルのカンタータを聴き進めていく上で、このようなものがあったらなあ、と、ずっと思ってたので、たいへん喜んでおります。
 特に、パロディ関係にも触れてくださってるので、こんなにうれしいことはありません。
 言い訳になりますが、わたしのヘンデル・カンタータ日記の記事がまったく増えないのは、ひとえに内容がまったくわからないからで、今後はぜひ参考にさせていただきたいと思います。
 第1回目の曲、なかなか魅力的な詞で、興味深い作品ですね。早速CDや録音を持ってないか、確認して、できれば一度耳にした上で、そちらにおじゃましたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
2011年05月24日 08:52
とうとう行かれたのですね。
聞きしにまさる迫力、その素晴らしさぶりが伝わって来ます。
Noraさんの鑑賞文がまた素敵で、逐一参考にさせていただきたいと思います。
本当に戦災で焼かれなくてよかったです。また普段見られないのが一堂に全部見られる贅沢さ、こんな機会は絶対に逃したくありませんね。
感謝です。
2011年05月27日 01:52
 tonaさん、
 待ちきれずに、始まって2日目に行ってしまいました。
 tonaさんも、すいているうちに、ぜひお出かけになってみてください。
 人によってはどぎつく感じて、こんなものをお寺に奉納するなんて、と思われるかもしれませんが、生涯をかけてとにかく森羅万象のすべてを描きつくす、というのが一信の信仰心の表れで、それを証明しているのが、一緒に展示されている釈迦図のような気がします。
 いずれにしても、幕末に生きた一人の芸術家の生涯と直接向き合うような、たいへんな展覧会だと思いました。

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