CDご紹介・まずはバッハから。【三位一体節後4】

 今度の日曜日(7月17日)は三位一体節後第4日曜日。


 カンタータは、

 初期(1715年)のBWV185
 第1年巻の珠玉作、BWV24
 後期のコラール・カンタータ年巻補完の大傑作、BWV177

 の3曲です。


 過去記事はこちら


 <三位一体節後第4日曜>

    お気に入りのアリア5・ロマン風マリア(BWV24他)
    三位一体節後第4日曜(BWV177)



 華やかな祭日が続き、しばらくの間ちょっとあわただしかったですが、ようやく落ち着いて、
 今後は、坦々と、三位一体節後第○日曜日、というのが続くようにようになります。

 まあ、落ち着いた、とは言っても、音楽のグレードはさらなる高みに向かって、ますます上昇を続けるばかりですが。



 と、いうわけで、今後は、今年前半に書き溜めてアップできなかったCDの感想メモ等も、ちょこちょこ出していきたいと思います。
 少し古くなってしまった感想もありますが、ご了承ください。

 とりあえずはじめは、バッハの超本命盤から。



 受難曲の原点

 ヨハネ受難曲(第1稿)

    ピエルロ、リチェルカール・コンソート


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 今年のLFJ、テーマがテーマでしたし、震災の影響等もあってか、すっかりLFJの顔としておなじみのピエルロさん&リチェルカール・コンソートの演奏は、残念ながら聴く事ができませんでしたが、
 そのかわり、まったく思いがけず、とびっきりビッグな贈り物が届きました。


 ヨハネ受難曲のめずらしい第1稿の演奏。
 翌年に、偉大なるコラールカンタータ年巻の「最終曲」、始めと終わりをコラール楽曲で挟まれた超拡大コラールカンタータとして最構築され、しかもあの「マタイ」へと大きく接近した第2稿に対し、「ヨハネ」本来の姿とも言える第1稿。


 数年前に聞いたBCJ+小林義武先生のレクチャーによれば、
 ヨハネ受難曲には全部で4つの演奏稿があり、上記第2稿での大改訂の後は、バッハはなるべく第1稿の姿に戻そうと生涯にわたって改訂・演奏を繰り返し、
 現在一般的に演奏される自筆総譜も、1739年にバッハ自身によって途中まで、書き始められたが途中で放置、その後1749年に、弟子によって、第1稿を参考にして最終的にとりまとめられた、とのこと。
 そういう意味で、第1稿はかぎりなく重要な稿なのですが、反面、一般的に聴きなじみのある版と、それほど変わりが無いとも言えるわけです。
 ただ、時期が時期だけに、楽器編成等に関しては、だいぶちがっていた可能性があります。
 なぜ、「可能性がある」などという書き方をしたか、というと、残念ながら表紙等が欠落しているため、楽器が不明な場合が多く、
 それゆえに第1稿はなかなか演奏される機会がないらしい。

 そんな中で登場した、
 「マタイ」が存在していないこの時点においては、おそらく「史上最大の受難曲」にちがいなかったであろうこの曲の、生み出されたばかりの清新な息吹を、生き生きと伝えてくれる見事な演奏。
 
 楽器が特定できない、ということは、問題点でもあると同時に、どのような楽器を配するかによってはその演奏の最大のセールスポイントにもなりうるわけですが、今回の演奏、基本的には既存の編成と大きな違いは無いように思われます。
 少なくともリコーダーは使用していない。
 ただ、あの全曲のクライマックスの一つ、第19曲のバス・アリオーソ以外にも、
 全曲にわたってリュートがフューチャリングされており、これが夢のように美しいばかりか、颯爽としたbcのビートにも有機的につながり、
 そして、そのbcの圧倒的な推進力が、冒頭合唱から終結コラールに向かって一気呵成に吹き抜ける清々しい風のような、ちょっとこれまでには聴いたことが無いくらい鮮やかな演奏に結実しています。
 つまりは、前述した、今正にその音楽が生み出された瞬間を目の当たりにするかのような感動は、第1稿がどうのこうの、というよりもむしろ、鮮烈きわまりない演奏そのものによるところが大きい、と言うべきか。


 いずれにしても、この音楽が現実のものとして鳴り渡った時、ライプツィヒの人々はいったいどう思ったでしょう。
 そんなことをまざまざと想像させてくれるようなCD。
 ライプツィヒ1年目の春、バッハは、復活節のカンタータのほとんどを、ケーテン時代の曲を再利用してお茶をにごしたかわりに、(それはそれで、一般市民は大喜びだったでしょうけど)
 バッハは密かに、この曲に没頭していたわけですね。


 聴きどころ。
 前述のように、始めの音から終りの音まで、一瞬の隙もなく、
 全曲にわたってあいかわらず明朗な美しさの極み、なのですが、
 強いて最大の聴きどころということになると、やはりピエルロさんのガンバが表に立って大活躍する、
 第30曲、アルトアリアでしょう。
 悲しみが、そして静謐なる慰めが、やわらかに絶え間なく降り注いでくるかのような、情感あふれる夜の音楽。
 中間部の、一転してごうごうとうなりをあげるようなガンバもすごい。まるでロック。
 あのメナさんの美しい声も、音楽にぴったり。

 全編にわたって、コラール楽曲や合唱曲のしなやかさも特筆もの。
 それらの声と楽器とが一つになって、bcの疾走するリズムのもとに突き進む「音楽本来の力」を、まざまざと体感させてくれます。
 冒頭合唱のリズムからして驚かされる。ほんとうにすごい!
 ヨハネにおいては、マタイのように、これでもか、これでもか、というのでなく、ほどほどの分量だけ挿入されるアリアですが、これらのアリアの演奏もどれも夢のように美しく、よいアクセントになっている。

 それにしても、リチェルカール・コンソートの演奏を聴くといつも思うのですが、
 何が傑出している、というわけでもないのに、(もちろん歌手は粒ぞろい、上気したリュートやピエルロさんのガンバなど見事の一言ではありますけど)
 ピエルロさんのもとすべてが一つになった時に生じる音楽のうねり、生命力、美しさがすばらしい!
 何でもなかったものが、驚くべき高みにまで駆け登る。
 中庸のすごさ、底力。
 このCD、その特色が最も顕著に示されているのではないでしょうか。


 なお、「基本的に」第1稿の演奏ながら、なぜか、一部第2稿に準拠している部分があります。
 すなわち、
 第11曲、インスブルックのコラールの後に、ヴァイマール時代のバスとソプラノのアリオーソ「天よ裂けよ・・・・」がつけくわえられているのと、(第3稿以降は再び削除)
 第2稿でのみ終結コラールで使われたあの「神の子羊」(BWV23の終結コラール)が、なぜか本来の終結コラール(第1稿および第3稿以降はすべて同じ、「ああ、主よ、汝のやさしき天使に命じ」)の前に演奏されています。
 これは、子守唄の大合唱の後、コラールが2曲続くというのは何ともおさまりが悪いので、どちらか好きな方を聴け、ということでしょうか。

 くれぐれも、第1稿では、終結コラールは2曲もあったのか、あるいは、「神の子羊」が終結コラールだったのか、などとかんちがいなさらないよう。

 それともこれは、何らかの新しい研究の成果なのか。
 気になる方は、解説でも読んで、できれば教えてくださるとありがたい。



 なお、今日ご紹介したCDと深く関連する記事を、ちょうど2年前の七夕に書きました。

 ヨハネ受難曲各稿の、最終コラールをめぐる物語です。

 上記した今週のカンタータ、BWV177(これも、印象的なあのコラールが登場する「コラール・カンタータ」)の詳細についても書いていますので、併せてぜひごらんください。


 こちら。↓


 ちょっと早い七夕スペシャル、ヨハネ受難曲 「コラールの王冠」の帰還



そのほかの「記事目次」

「全体記事目次」

カンタータ日記・奥の院

浅田真央さん情報・最新版

宮沢賢治記事目次

カンタータ日記・大阪モダン建築図鑑

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この記事へのコメント

2011年07月18日 09:57
こんにちわ。暑いですね。
ヨハネのコラールの録音、2年前だったんだなあと我ながら・・・(笑)。
音程が悪くて申し訳ないです。昔の録音を聴くのは心臓によくないですね(苦笑)。
紹介していただいているヨハネのCD、魅力的ですね。聴いてみたいものです。
(Noraさんに紹介されるとみんな聴きたいと思ってしまうのはなんでだろう・・・)
2011年07月21日 00:41
 たこすけさん、こんにちは。
 台風のせいかどうかは知りませんが、夜になって、だいぶすずしくなってきました。すずしいのはいいですが、台風には早く海上に抜けてもらいたいですね。

 ヨハネ受難曲、改めて聴いてみましたが、やはり名曲です。
 特に、コラールが、どれもこれもすばらしいと思います。
 このCDは、そのコラールを、最も生き生きと、しかもていねいに歌った演奏と言っていいのではないでしょうか。

 冒頭の合唱曲などを聴くと、例えばリヒターのCDなどとは、まるで違う曲みたいでびっくりします。
 だけど、聴き終えた感銘は同じように大きく、どちらもバッハのヨハネ受難曲なんですね。

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