年初に聴くCD・千年を生き抜いた音楽

 NHK、新春恒例の舞楽、今年は、左方唐樂の「承和楽」でした。

 くわしいことはよくわかっていないようですが、タイトル通り、承和年間(834年~848年)、宮中で行われた「黄菊の宴」の際に演奏されたもので、承和帝(仁明天皇)自らが作曲したという説もあるそうです。また、古くから伎楽との関連を示す記録が残されているようですが、いずれにしても、詳細は不明とのこと。(参考図書:「四天王寺聖霊会の舞楽」ほか)

 悠久を現すような打楽器群のリズムに乗って、わりとはっきりとしたメロディーが、幾重にも重なり、くりかえされながら、滔々と流れていく音楽で、デュファイやオケゲムのポリフォニーを思わせるところがあり、興味深いです。

 片肩袒の襲装束に鳥甲という姿で舞われる踊りは、あでやかな中にも厳かさが感じられ、新年にふさわしいものでした。



 せっかくなので、愛聴CDのご紹介、新年1枚目は、お正月らしく、雅楽のアルバムをとりあげます。

 1枚だけですが、他のどのCDといっしょにしたらいいものやらわからないので、記事を分けました。



 Breathinng Media ブレーシング・メディア ~調子~

    東野珠実


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 坂本龍一監修の”sonority of japan”シリーズの一枚。
 全曲東野珠実さんの笙のソロで、(一部多重録音あり)
 長い年月をかけてついに実体化した象牙の笙、正倉院復元楽器の竽を含む、全部で7つの楽器を使い分けている。


 唐樂を起源として平安貴族の間に広まった管弦は、6つの調子、すなわち、壱越調、平調、双調、黄鐘調、盤渉調、太食調、に分けられるが、
 「調子」とは、そもそも、演目に入る前に曲調を整えるために奏される曲のことで、通常はほんの数分程度しか奏されることはことはないが、実際には上の6種類について、それぞれ演奏するのに2、30分かかる大曲なのだそうだ。
 このCDは、その本来の意味での「調子」の全曲を、史上初めて録音したものだという。

 「練習曲」と「前奏曲」等の要素を併せ持っているとのことでは、バッハのインヴェンションみたいなものか。
 また、「曲調を整える」と言っても、楽器の音合わせというより、樂想、雰囲気などの精神的な部分のウェイトが大きいようだ。
 それぞれの「調子」は、季節、色彩など、五行に基づく色分けがなされ、
 その秘伝を伝える書物には、
 「水晶を板敷に打ちこぼす」ように、とか、
 「山の河水が石の間を通る」ように、とかの記述があるそうなので、
 そういう点でも、「指使いの技術よりも樂想、精神性重視」のインヴェンションに通じる。

 ただ、インヴェンションは、(内容的にはどれほど大きなものを含んでいようと)物理的な面では微小な曲集だが、
 こちらの「調子」の方は、全調子となると、たいへんな大曲。
 このアルバムも、たっぶりCD2枚にわたって収録されている。
 わたしは今年のはじめ、雅楽のロ短調ミサ曲、とでも言うべき大作、「蘇合香」を聴いたが、
 この「調子」もまた、ボリューム的な面、そして、五行のすべて、世界の事象の悉くを内含むと言う面で、やはりロ短調ミサ曲をおもわせる超大作、
 今年もまた、たいへんな作品であたらしい年をスタートさせることができた。


 以上、わたし自身よくわからないながら、バッハの作品に照らしながら曲の概要をご紹介してみたが、
 笙という楽器そのものが持つオルガン的な響き、
 樂曲が基本的にカノン的な奏法(「おめりぶき」というらしい)によって構成されることなど、
 音楽そのものにもバッハの音楽に通じる部分が多い。
 ここでは、各曲について細かく感想を書くことはしないが、
 その音楽は、バッハの音楽になじんだ耳には、実に自然に沁み入ってきたことを、特筆しておきたい。


 さて、このアルバムには、坂本龍一ミックスの「太食調」と、前記の通り、象牙の笙で演奏した「平調」とがおまけについている。
 坂本龍一の作品はともかく、この象牙の笙の演奏がすごい。

 このような雅楽を聴いて、やはり、思い浮かぶのは、阿弥陀来迎。
 もともと、日本語の「音楽」とは、阿弥陀来迎の道行きの際に菩薩たちによって奏される音曲のことを、特に限定して指していたらしい。
 つまり、生きている人間が誰も聴いたことがない音楽を、何とかこの世に響かせようとしてきたのが、日本の「音楽」の歴史だということ。
 このCDでは、一般の竹と象牙の二つの笙で聴き比べができるわけだが、竹の笙に対して、象牙の笙は、より硬質で透明な響きがし、さらに神秘的。
 象牙の笙は、おそらく何千年もの間、その時々の王侯貴族のあこがれだったもので、日本の制作者が、何年もの年月をかけてついに完成させたものとのこと。
 ここに実際に収められた象牙の笙の、この世のものならぬ響きを聴いていると、そもそものルーツである「来迎の音楽」という側面が、特別強く感じられる。
 聴いていくうちに、昨年訪れた、阿弥陀来迎立体オーケストラの寺院、即成院の、あの天のオーケストラの菩薩たちの笑顔が、心にはっきりと蘇ってきた。

 そして、
 聴き終えて、CDのライナーを見て、驚いた。
 この象牙の笙の「平調」のみ、かの即成院の天のオーケストラの前で録音されたのだという!
 正にあの菩薩たちが奏でる音楽はこのような音楽なのかもしれず、この音楽を奏するのに最もふさわしい場所は、あの堂のような気がする。
 
 そのような演奏場所の効果も吹含めて、この象牙の笙のヴァージョンは、アルバム全体の中でも白眉の1曲と言えるのではないだろか。



 (参考) 即成院 阿弥陀二十五菩薩来迎像、 天のオーケストラ。


 * この写真は、お寺の前の看板。
   大きな写真が貼り付けてありますので、ぜひ、クリック+拡大してご覧ください。

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 即成院、天のオーケストラについての詳しい記事は、こちら



 雅楽は、上記したような秘伝書をよりどころにしながらも、人から人へ、心から心へ、実に千年以上もの長い年月を、「生き抜いて」きた音楽である。
 わたしは、西洋音楽では、中世や初期ルネッサンスの音楽が大好きで、これまでもご紹介してきた。
 それらの音楽は、古い楽譜をさまざまなアイディアで現実の音にしてはいるものの、(舞楽と比べてまったく新しい音楽であるにもかかわらず)実際にはどのように演奏されていたか、つまりどのような音楽だったか、ほとんどわかっていないのが実情だという。
 ところが、わが国の場合、幸い千年をはるかに超える長きにわたり、宮中、寺社ほかの舞楽に携わる組織が綿々と存続し続けてきたことにより、奇跡的に古代の舞楽が生き続けてきた。

 最近、多くの災害や世界的な世情不安が続き、平安と言うにはほど遠い世の中になりつつあるけれど、昔はさらにひどい状況だったと思う。
 そんな中、千年もの長きにわたって生き続けてきた音楽。
 もちろん、雅楽の場合も、今実際に聴く音楽は、千年前のものそのものではないかもしれない。
 しかし、そのちがいはまた、長い歴史の中で、幾千もの人の魂がその音楽にかかわってきた証でもある。

 そのような魂の音楽をCDなどで聴くことができる喜び。
 そして、それはやはり、伝統の長短はあるにしても、クラシックでもジャズでもロックでも、基本的には同じだと思う。
 そんな喜びをかみしめ、感謝しながら、今年も暮らしていけたら、と思います。



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