バッハファンの雅楽入門その1?霧の間に見え隠れする古の幻~源氏物語を通じて雅楽の多様な世界を体感する

 想思千十年・源氏物語ⅩⅠ ~須磨・明石の巻より~ 

  天理大学雅楽部平成23年度定期演奏会(第37回東京公演)

    @ 浅草公会堂


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 ポスターなどは、いかにも学生らしい手作り感満点のものだが、
 天理大学雅楽部と言えば、雅楽の解説書などを見ると、宮中関係や錚々たる寺社の団体に混ざって、必ず紹介されている、雅楽演奏の名門サークル。
 何と言っても、東大寺大仏殿昭和大修理落慶法要以降、記憶に新しい平城遷都1300年記念祭にいたるまで、失われた幻の古代芸能・伎楽をずっと演じ続けて、伎楽復興活動の一翼を担ってきたことで知られる。

 ※ 伎楽と、伎楽復元について詳しく紹介しているサイト「伎楽.info」 → こちら

 伎楽に関しては、これまでさまざまなところで、
 その独特の妖気をたたえたような、それでいてどこか素朴なユーモアをも感じさせる、正に遠い古代の幻が形をなしたかのような伎楽面の数々を目にして心打たれ、記事にもしてきたが、
 実際の伎楽の演技が時の彼方に完全に失われてしまった現在、はたしてそれがどのようなものであったかについては、残された面を見つめて想像するよリ他は無かった。
 それが、もちろん古(いにしえ)そのもののかたちではないにせよ、一つの試みとして実際に目に見え、耳に聴こえる形にしたものを、現実に目の当たりにすることができる喜びは、はかりしれない。


 今回の公演は、 
 源氏物語の須磨・明石の巻をテーマとして、
 お得意の伎楽から、管弦(器楽演奏)、謡物(歌)、そしておなじみの舞楽にいたる、雅楽の多種多様な形態のすべてを要領よく盛り込んだプログラム。
 衣装やライティングにこだわり、さらにはスモークまで焚きこんだ演出によって、一幕のエンンターティンメントとして仕上げられた舞台は、実に見応えがあり、おもしろかった。
 その上、現代にタイムスリップしてきた?語り部の紫式部さんが、それぞれの演目についてくわしく解説してくれるので、わたしのような初心者には、雅楽全般にわたる音楽や舞の特徴がとてもよくつかめてありがたかった。

 せっかくなので、紫式部さんが語ってくれたことを中心に、本日の演目の詳細を、復習のために、くわしく書いておくことにする。(下の方↓)


 何より、若者による溌剌とした演奏、舞は、力と勢いがある上に、凛とした爽やかさに満ちあふれていて、魅力的だった。
 3月10日の大阪公演の後、慰問公演で東北被災地を回り、この東京公演を迎えたとのことだったが、まったく疲れを感じさせない、気力の充実した舞台。
 多少荒削りかもしれないが、きびきびとして、まるで風を切るようにダイナミックな所作。
 そして、天を突きぬくかのごとく高らかに、力強く奏される管弦の音。
 雅楽は奥の深い伝統芸能であるが、決して堅苦しいものではない。
 源氏物語の例を出すまでもなく、かつては、美しい若者たちが、感興の命じるままに演じ奏でるものだった時期もあったではないか、
 そんなことを思いめぐらされてしまう舞台になった。


 なお、この定期演奏会においては、あらゆるところにさまざまな古代の雅楽がちりばめられている「音楽小説」でもある「源氏物語」の各巻を、順番にテーマにしているらしい。
 今回で11回目、もう須磨・明石のところまできてしまっているが、順番に聴いていけば、膨大な源氏物語自体の内容も、把握することもできるわけで、一石二鳥。
 今後はできる限り足を運び、源氏物語の世界に親しみ、それとともに復刻伎楽の展開も見守ってゆきたい。

 * 後から調べたら、決して順番にやってるわけではないみたい。
   でも、源氏物語の世界に親しめることには変わりないので、それでもなるべく行きます。 
   (後記)




 (後半、プログラム詳細メモ~バッハファンの雅楽入門?に続きます)



 華やかな記念撮影。

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 司会の紫式部さん(上の記念写真の真ん中)の文机。
 ライトは、自分でつけたり消したりする。

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 以下、忘れないための、全体のプログラム・メモ

 せっかく雅楽の全ジャンルにわたる公演なので、バッハや古楽のファンのみなさんにも、雅楽の種類、特徴がわかりやすいように書いてみました。
 何よりもこうすると、自分自身が理解しやすいので。



 紫式部さんのあいさつ。(以下、紫式部さんが司会、解説)


 伎楽:太孤父(たいこふ)

 まずは、十八番の伎楽。
 伎楽は、聖徳太子が大陸から輸入し、東大寺大仏殿の落慶供養でも演じられたという、幻の古代芸能。
 ここでは、能に対しての狂言のように、やや格式ばった側面を持つ舞楽に対してもっとわかりやすく素朴な踊りとして伎楽を位置づけており、面をかぶった演者が、音楽に乗せて演じるユーモラスなパントマイム。
 古代に実際に使われていた歴史的な伎楽面は、東大寺や法隆寺(トーハク法隆寺宝物館)などに現存する。
 今回使われていた面は、それらを模して作成したものなのだろう。
 「太孤父」は老人キャラクターで、その子(または従者)の「太孤児」とセットで演じられる。
 今回演じられたのは創作復元されたストーリーだと思うが、教訓話を面白くおかしく表現したものになっており、その宗教説話的な側面は、伎楽の当初の位置づけにも通じたものであるような気がする。 
 ふんわり感のある演者のマイムが、ほのぼのとした空気をかもしだしていた。
 音楽は、元宮内庁の楽師で、国立音大客演教授の芝祐靖氏の復曲(作曲)で、とても格調の高いもの。


 次の管弦と謡物は、貴族装束もあでやかな、光源氏以下数人の貴族の皆さんによって、演奏された。
 青く薄暗い舞台。スモークがたかれ、背後のスクリーンには、光の波が揺れている。
 幻想的で、なかなかやるな、と思っていたら、スクリーンの片隅に、思いっきり絵心のある?小さな京都大文字の絵がするすると降りてきて、ちょっとポカーンとしてしまったが、もしかしたら、はるかな京の都に思いを寄せていることを表現したか。


 管絃:盤渉調の音取(調子=前奏曲)に続き、竹林楽、蘇莫者破

 管弦は、音楽だけを演奏するもの。クラシックで言う、文字通りの管弦楽曲。
 雅楽の基本的なオケは、三管(笙、篳篥(ひちりき)、龍笛(りゅうてき)の3種の吹き物)、両舷(琵琶、箏の2種の弾き物)、三鼓(鉦鼓(しょうこ)、鞨鼓(かっこ)、太鼓(たいこ)の3種の打ち物)より構成される。

 竹林楽は、笛のさみしげなメロディーに、弦による、ポロポロポロン、という三連音の分散和音が続く主部がいつまでも繰り返されるのが印象的な美しい曲。
 ここでは、人生最大の挫折を味わい、須磨に流れ着いた傷心の源氏が、一人月光の元、琴を奏でるイメージ。
 曲想から、葬送曲として使われることもあり、大震災の犠牲者への哀悼の意味も込めたとのこと。

 蘇莫者破(そまくしゃのは)は、一転して軽快でキャッチーなメロディー。
 サマルカンド地方の雨乞いの踊りを起源とすると言われる。
 聴き覚えのある曲だな、と思ったら、2009年の秋に乃木神社の管弦祭で聴いていた。
 舞楽として舞われることが多いようだ。

 ※ 当時のブログ記事は → こちら

 なお、各調子の音取を全曲演奏したすさまじいCDについては、ついこの前ご紹介しました
   

 謡物:飛鳥井(あすかい)

 謡物は、管弦の演奏に、歌をのせたもの。つまり歌曲で、たいてい男声ユニゾンで歌われる。
 宮中の祭祀に用いられる御神楽、和舞をはじめ、さまざまな種類があるそうだが、
 中でも民間で広く歌われていた労働歌や童歌を取り入れた催馬楽(さいばら)が、平安時代から鎌倉時代にかけて大流行したとのこと。
 その点、民間の俗謡等を上流階級の遊びに取り入れることが多かった、ヨーロッパ中世の貴族の間で盛んだったブルゴーニュシャンソンなどと共通していておもしろい。

 この飛鳥井も、催馬楽の一つで、「催馬楽略譜」という資料をもとに、今回の上演のために、復曲したものだそうだ。

 須磨の源氏のもとに、三位中将(=源氏の親友「頭中将」)が訪ねてきたとき、遠く馬にカイバをあげる人をながめながら二人で歌うくだりがあるらしい。
 飛鳥井で休憩しよう。お水も冷たく、木陰もすずしい、というような内容。
 さっき、嘆き悲しんでいた光の君だが、どこであろうと、住めば都、というような気持ちを歌ったものか。

 なお、謡物は、修業の足りないわたしには、みんな 越天楽みたいに聴こえてしまうのだが、若くさわやかな声で颯爽と歌われたこの飛鳥井は、なかなか美しかった。


 舞楽:右方・延喜楽、左方・散手

 華麗な衣装や面でおなじみの舞りつきの、演目。雅楽の華。
 左方舞は、唐楽とも言われ中国大陸を径由して伝来したもの、西域やインド、ベトナムを起源とするものもある。つまり、シルクロードをたどってきた音楽。
 右方舞は、高麗楽とも言われ朝鮮半島を径由して伝来したもの、大陸北方のものも含む。
 また、それぞれの様式にならって、日本で作られたものも含まれる。(渡来人によるものも多いが)
 楽器編成等、さまざまな点で異なるが、繰り返し聴いていると、曲調そのものもなんとなくちがっているのがわかってくる。

 伎楽と異なり、衣装や踊りも含めて、千年を超える時を乗り越え、ほぼ原形通りに伝来されているという点で、
 世界的にみても希少な、奇跡的な音楽と言える。

 なお、基本的な楽章構成としては、
 「調子」(前奏曲)の後、「序」、「破」、「急」が演奏される。

 延喜楽は、お正月のお祝いによく使われるもので、穏やかな太平の世がいつまでも続くようにとの願いが込められた音楽でもある。
 半音階的なリフレインが繰り返され、耳に残る。
 今回は、舞のフォーメーションを通常より華やかにアレンジした特別バージョンだったようだ。

 華麗な衣装に身を包んだ、面をつけない4人の舞人が、入れかわり立ちかわり複雑なフォーメーションを組んで、美しい花のような形を描いてゆく。この日は一人、女性の踊人もいて、なかなかりりしかった。

 散手(さんじゅ)は、日本では猿田彦大明神の舞とされ、地鎮の舞の性格も有するという。

 面をつけた一人の武人によって舞われる。 

 今回は、「序」で入場、「破」で舞って、「調子」で退場するバージョンで、「序」での退吹き(カノン奏法)がすさまじかった。
 カノンといっても、バッハ以降のきっちりとしたものでなく、初期ルネッサンスや中世の原初模倣を思わせる混沌複雑なもの。



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 時空の霧の合間に見え隠れする、失われてしまった古の幻、
 そう、雅楽を聴くとき、ヨーロッパ中世のトルヴェールやブルゴーニュシャンソンを聴くのと同じ感覚にとらわれる。

 中世やルネッサンス音楽ファンの方、時には、日本の雅楽にも耳を傾けてみたら、いかがでしょうか。



 なお、参考までに、こまでに書いた雅楽関係の記事を、リンクしておきます。

 
 バッハ・カンタータ日記の雅楽の記事

 カンタータ日記・奥の院の雅楽の記事
 (こちらの方が多少詳しい記事が多くなっています。四天王寺聖霊会の記事もあります。)



そのほかの「記事目次」

「全体記事目次」

カンタータ日記・奥の院

浅田真央さん情報・最新版

宮沢賢治記事目次

カンタータ日記・大阪モダン建築図鑑

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