聖金曜日に聴く二つのコラール~ヨハネの「コラールの王冠」とメンデルスゾーンの浪漫風コラール【復活節】

 今日(4月6日)は聖金曜日、
 今度の日曜日(4月8日)から3日間が、いよいよ復活節となります。

 今年は寒い冬がいつまでも続き、また、今週は季節はずれの台風みたいな暴風雨が日本中に大きな被害をもたらしたりと、あいかわらず異常気象ぎみですが、
 東京では、何とか桜の季節の復活節、ということになりそうです。
 春の訪れを喜び、気分も新たに、新しい季節を迎えたいと思います。


 復活節のカンタータについては、たくさんありますので、

 【復活節(イースター)・カンタータ一覧】

 をご参照ください。

 すべて名曲ぞろい、ぜひ、お気に入りの1曲を見つけてください。

 春の日に聴く復活節のカンタータはまた格別です。
 カンタータが季節の音楽であることを実感し、春の喜び、そしてバッハを聴く喜びに、全身を包まれることでしょう。


 その他の過去記事は、こちら。↓


 <復活節>

    お気に入りアリアその2(BWV134)
    春のよろこび~復活節 【復活節(イースター)・カンタータ一覧】
    お気に入りのアリア・復活節編 踊る双子の兄弟(姉妹?)~BWV134、66
    お気に入りのアリア・復活節編 春はたそがれ~BWV6、42ほか
    お帰りなさい、ファイターズ~日本ハム・東京ドーム初戦(BWV6)
      * コメント部分
    聖金曜日+復活節+マリアのお告げの祝日+「チュウリップの幻術」

 <復活節後第1日曜>

    「教会」コンチェルト・バッハの最高の協奏曲は・・・・?(BWV42ほか)
    桜・さくら・サクラPart 2~江戸絵画でバーチャルお花見+BWV67簡単解説



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 春と言えば、プロ野球も開幕し、いきなり連日熱戦がくりひろげられ、目が離せません。
 実は、先週の開幕試合、あの西武相手に開幕投手が佑ちゃん、ということで、あきれるやら、恐ろしいやらで、
 もうどうにでもなれ、こうなったら西武さんのファンにさせていただこうか、というやさぐれた?気持ちになって、TVも見ませんでした。埼玉、近いし。
 佑ちゃんと日ハムナインのみなさんのことを、一瞬でも、というか、二瞬も三瞬も疑ってしまい、心から反省ております。
 その後、あまり調子がいいとは言えない状況が続いていますが、心を入れ替え、力の限り応援させていただきます。
 中田先生も、ようやく冬眠から目覚めたようですし。たのむよ!


 フィギュアスケートの世界選手権大会も、見応えのあるすばらしい戦いがくりひろげられました。
 まずは、高橋成美&マーヴィン・トラン・ペア、歴史的な銅メダル、晴れの表彰台、おめでとうございます。
 昨年はショーなどで何度か実演を見ましたが、見るたびに演技が美しくなっていったので、これは、と思っていたら、ついにやってくれました。トラン君には心から感謝したいと思います。
 女子シングルは、不調でベストの演技ができなかった選手が多く、残念でしたが、表彰台に上ったコストナー選手、レオノワ選手、鈴木明子選手はさすがでした。
 特に、今季、ショスタコーヴィチとモーツァルトの両翼を得たコストナー選手は、もはや無敵。これまでの長い努力が見事実を結ぶ結果となりました。あと、レオノワ選手、完全に人格が変わってますが・・・・。果たしていつまで続くか。
 ただ、結局何だかんだ言っても、日本人選手は、3人全員が入賞!全員に拍手を送りたいと思います。
 中でも、やはり浅田選手。彼女にとっては公私ともに大変な年だったとは思いますが、よくここまでがんばれたものです。彼女のひたむきなアスリート魂には、どれだけ勇気をもらったことはわかりません。
 一方、そんな女子に対し、男子シングルの方は、とにかくすごかった!
 ここのところ、ジャンプはダメだけど楽しい演技にますます磨きがかかっていた、わたしの大好きなイタリアのコンテスティ選手が、ショートの例の指揮者プログラムを変更してくるなど、気合満点、フリーではどうしたことか完璧とも言える演技を見せ、大復活、観客もすごいもりあがりで、おーーっと思っていたら、続くほとんどの選手が次から次へとハイレヴェルの今季最高とも言えるような演技を連発、客席はもう興奮のるつぼ、ついこの前の欧州選手権では驚愕のいじけ発言まで出たジュベール選手までもが大復活して、えらいことになりました。
 そんな中、見事表彰台に並んだ、高橋大輔選手、羽生結弦選手はすごかった。おめでとうございます。
 わたしが一番好きなアボット選手は、やはり先の全米がピークだったようで、(この時がすごすぎだった)
 ジャンプの失敗が残念でしたが、その失敗にも動じることなく最後まで気合を貫きとおした魂のスケーティングと演技、他の誰よりも美しかったです。
 アイスダンスのリード姉弟はクリスのNHK杯でのケガの影響が続いているようですが、万全の状態で試合にのぞめるようになることを願っています。



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 冒頭にも書いたように、今日は早くも聖金曜日。

 だからと言って、わたしはクリスチャンでありませんし、基本的に長い曲が苦手なので、普段は受難曲を聴くこともないのですが、
 今年はちょうどANNAさんから、ヨハネ受難曲に関するコメントをいただいたので、ヨハネ受難曲を聴いてみました。


 ANNAさんによると、今年の1月に亡くなられたレオンハルトさんのオランダでの葬儀の際、最後にヨハネ受難曲の最終コラールが演奏されたとのこと。
 どうやら、レオンハルトさん、葬儀の際には、最後にこのコラールを演奏してほしいとご希望なさっていたようです。

 ヨハネ受難曲のこの最終コラールは、バッハの書いた最も晴れやかで美しいコラール編曲であり、わたしの最も愛するコラール編曲のひとつでもあります。
 ところが、このコラール、ヨハネ受難曲の最後のこの「あるべき場所」に落ち着くまでは、実に数奇な運命をたどっていて、わたしたちがこのコラールをこうして普通に聴くことができるのも、さまざまな偶然が重なり、そしてバッハが少しだけ長生きしてくれたおかげなのです。
 このコラールへの熱い思いと、その遍歴については、以前記事を書きました。こちら

 ヨハネ受難曲 「コラールの王冠」の帰還

 バッハは、生涯にわたって何度もヨハネ受難曲を演奏しましたが、驚いたことに、その都度手を加えて、特にエンデイングを変えています。
 そして、バッハの死の年の前年、最後のヨハネ受難曲上演において、すでにロ短調ミサ曲も形を成し、「我満ち足れり」の心境にいたっていたであろうバッハが、生涯最後の受難曲演奏の終曲として選択したのが、ヨハネ初稿の終曲だった、このコラールでした。

 レオンハルトさんが、自分の生涯をしめくくる音楽としてこの曲を選んだのに、このあたりの事情がどの程度からんでいるのかはわかりません。
 ただ、正にいろいろな意味で、「バッハの生まれ変わり」、レオンハルトさんにふさわしい、すばらしいコラールだと思います。


 というわけで、万感の思いとともに、ヨハネ受難曲を聴きました。
 レオンハルトさんが切り拓いてくださった、古楽演奏の道。
 現在その最先端を、しなやかに力強く疾走しているリチェルカール・コンソートの演奏
 最近、最も気に入っている演奏です。
 詳細は、こちらの記事


 このリチェルカール・コンソートの演奏、はじめから終わりまで美しさ、やさしさの極みなのですが、件の最終コラールが、特にこの世のものとも思えぬ美しさです。

 このコラールを最高に美しく表現するために、コラールカンタータ年巻前夜、生涯の創作力のピークにあったバッハが渾身の力で用意した4つの声部、4つの「歌」のすべてが、くっきりと鮮やかに歌われ、
 絶対的な明るさ、平安が伝わってくるのはもちろん、そのまばゆい明るさの中でも、実は虹色に輝くさまざまな光がきらきらと明滅しているのがはっきりとわかる。

 大合唱による堂々たるコラールを聴きなれた方には、この演奏は、ちょっと聴いただけでは、いかにも軽くうすっぺらに聴こえるかもしれません。
 確かに大合唱には厳粛で壮麗な雰囲気があります。しかし、それは厳粛で壮麗な「雰囲気」であって、演奏者が大人数で気持ちを込めて歌えば歌うほど、音楽は、ごく普通の和音をともなって普通にコラールが歌われているようになります。
 ところが、バッハの書いた音符がすべてきちんと聴こえれば、物理的な側面では希薄だとしても、美しさが伝わってくるのはもちろん、音と音の不思議な組み合わせの力によって、無限の広がりを思わせるような壮大ささえもがそこに立ち現れるのです。

 おかしな例かもしれませんが、奈良の大仏は圧倒的な存在感で見るものの心をとらえます。
 ただ、時として、極限的な超絶技巧とひたむきな信仰心が投入された快慶の三尺阿弥陀の方に、仏の広大無辺な慈悲が感じられることがあるのです。

 レオンハルトさんが、切り拓いた道は、つまりはそういうことです。
 レオンハルトさんの演奏はほんとうにすごかった。ちょっと聴くとそっけないのですが、聴けば聴く程、無限の青空にポカーンと突き抜けていくような感覚が生じてくる。そしてこれこそが、他ならぬヨハン・セバスチャン・バッハその人の神髄なのです。
 今やほんの一握りを除いて、かつてのように学究的な姿勢で古楽演奏を行っているアーティストはほとんど存在せず、みんな、自分の信じる「表現のための手段」として、レオンハルトさんの意志を引き継ぎ、それぞれの道を突き進んでいます。
 
 ですから、ピリオドVSモダン、OVPP論争などは、もはや遠い昔の話で、
 わたしも、大合唱よりもOVPPの方がすぐれているとか、そういうことを言っているわけではありません
 何だかんだ言って、やはり、「雰囲気」も音楽の需要な要素です。そこに大きな価値を見出すことも、けっしておかしなことではありません。
 やっぱり、大仏もすごいのです。
 奈良の大仏のように巨大で、三尺阿弥陀のように精緻な仏像があれば、一番いいんでしょうけど。
 実は、快慶は巨大仏像もすごいんですが、それはまた別の話。 



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 さて、話は急に変わりますが、
 最近、たこすけさんからコメントをいただき、メンデルスゾーンの(バッハの?)コラールが登場する曲を教えていただきました。
 メンデルスゾーンは、ご存知のように、マタイ受難曲の恩人。こちらもタイムリーですし、何よりもこの曲がとびっきりすばらしかあったので、ちょっと感想等を書かせていただきます。


 メンデルスゾーン ピアノ三重奏曲第2番

 
 youtubeの演奏、聴きましたが、すごいです。
 特に、たこすけさんもお書きになってる、終盤のクライマックス、コラールが登場するところ。

 チャイコフスキーの大序曲「1812年」や「フィンランディア」などのクライマックスで、コラールが出てくるところみたいで、大迫力です。(もちろん良い意味!)
 音楽、演奏とも、とても3人でやっている音楽とは思えません。びっくりしました。

 この音楽、初めて聴いたと思いますが、ロマン派の先駆者、メンデルスゾーンの面目躍如。これは完全に、モーツァルトどころでなく、ベートーヴェンさえ超えたところに踏み込んでいます。

 そして、演奏してる皆さんの気合がすさまじい。
 クライマックスのコラールが出る前のためなど、思わず息を飲みます。
 そもそも、これ、たいへんな名演なのではないでしょうか。


 こちらのたこすけさんの記事で、youtubeの演奏を聴くことができます。
 まだ聴いたことが無い方は、ぜひお聴きになってみてください。


 (以下、たこすけさんがコメントでおたずねになったこと(こちらのコメント欄)へのお返事、というか、よくわからないいいわけみたいな内容になります。)


 上でもちょっと触れた、第4楽章展開部で、満を持して登場する旋律、
 これはBWV668のコラールなのかどうか、そうでなかったら果たして何なのか、という点についてですが、
 まごうことなくコラールとして書かれているものだとは思いますが、コラールはよく似た旋律が多いので、BWV668のものかどうかは、断定できませんし、これを聴いた限りでは、旋律的には(冒頭以外は)明らかに異なっているような気がします。

 とは言え、このコラール、ご存知のように、バッハの作品では、BWV668やBWV431などで聴くことができますが、そもそもこの2つで旋律が異なります。
 BWV668のコラール旋律は(BWV641も同様)、バッハが思いっきり装飾を加えたものですし、BWV431のものも、シンプルですが、かなり古い形のものだそうです。
 そもそも、コラール旋律は歌われてゆくうちにどんどん変化するので、メンデルスゾーンの頃に、このコラールが一般的にどのような旋律で歌われていたのか、わたしにはよくわかりません。
 特に、ロマン派の作曲家がメロディを引用する際には、曲想に合わせてだいぶ変形させることが普通だったことを考慮すると、引用でない、とも言い切れない気もします。
 解説にBWV668のコラールの引用という記述があり、それが正しいという前提に立つなら、
 出だしの部分などは、おおもとのBWV431の旋律とだいたい同じような気もしますし、
 まあ、正確に書くとすれば、「BWV668のコラールの冒頭動機に基づく創作コラール」と言ったところでしょうか。
 もっとも、まったくちがう、何か有名なコラールを引用した可能性もあると思います。

 今はすぐに思いつくものがなく、ご期待にそえず残念ですが、もし今後カンタータやオルガン曲を聴いていて該当するものがあったら、必ずご報告しようと思います。

 ただ、いずれにしても、BWV668のものが、内面に深く沈みこむ趣があるのに対し、
 このコラールは、それを、明るく、一点の曇りも無く晴れ渡った空に大きく解き放たったような、気宇壮大なものになっていて、わたしは大好きです。
 そして、これこそが、あらゆる先入観を排してわたしが今感じている、メンデルスゾーンのイメージです。

 実は、この旋律を聴いて、真っ先に思い浮かんだのが、コラールよりも、ショパンの幻想即興曲の、あの憧れに満ちた中間部のメロディでした。
 この曲は、かつて浅田真央選手がフリーの曲として使用し、正に憧れにあふれた圧巻の演技を見せてくれたので、心に焼き付いていたのです。
 つまり、それほど、ロマンの香り高いメロディだということ。
 コラールとしては、やはりロマンの香り高いブルックナーのコラールを先取りしているかもしれない。


 あと、もう一つ、つけ付け加えておきたいのですが、
 メンデルスゾーンが、例えBWV668のコラールを使っていたにしても、「バッハの最後の作品」のコラールとしてこの作品を意識していたのかどうか、わたしにはわかりません。

 メンデルスゾーンはバッハのオルガン作品に精通していましたし、ライプツィヒコラール集、いわゆる17のコラール集(以前はBWV668も含めて「18のコラール集」だった)の中の何曲かも大好きで愛奏していたようですから、BWV668自体は知っていたにせよ、この曲が、20世紀になってから復活演奏され、「バッハの絶筆」の一つとして有名になった「フーガの技法」の最後に登場するいわくつきの曲(=BWV668a)だということに関しては、どの程度知っていたかはわかりません。
 (もっとも、「フーガの技法」は、バッハの作品にしてはめずらしく、BWV668のコラール&注釈付で出版されていましたから、当然知っていたのだとは思いますけど。)

 また、現代のわたしたちは、このコラールを聴くと、すぐにバッハのBWV668を思い出しますが、このコラールはもともとルターによる名高い曲で、当時のライプツィヒではごく普通の歌われているものでした。
 これはクラシックに相当くわしい方でもよく勘違いなさってるのですが、メンデルスゾーンが件のコラールを引用していたとしても、それはバッハも使用したコラールを引用しているだけで、当然のことですが、バッハが作曲したコラール前奏曲を引用しているわけではありません。
 これは有名なアルバン・ベルクのVnコンチェルトでも同じことで、ベルクの場合はもちろん、バッハのカンタータを意識しての引用なのでしょうけれど、それでも「バッハのカンタータを引用」ということでは、決してないのです。


 以上、結局ははっきりわからない、ということをくどくどと書いてきましたが、
 このピアノトリオがメンデルスゾーン最晩年の作品であること、
 この作品の圧倒的な完成度や、その中でのこのコラールの、ただ事でない、意を決したような使われ方、
 さらに、展開部における、このコラールが登場した後の、印象的なフーガ風部分、
 などからすると、わたし個人としては、明らかにメンデルスゾーンは、バッハ絶筆としてのBWV668aを念頭に置いてこの終樂章を書いた、と言いたい気がします。 

 wikiを見ると、「J.B.バッハのコラール「汝の御座の前に」を用いて」と明記されていますので、もしかしたら、楽譜上に単なるコラールでなく、BWV688を引用したことを示す根拠か、メンデルスゾーン自身の証言か何かがあるのかもしれませんね。

 もし何かご存じの方がいらっしゃったら、ぜひ教えていただきたいと思います。



 神田神社の屋上庭園。

 ただ今、大都会の真ん中の春の園となってます。


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 今月の明ちゃん、現在「奥の院」で連載中。

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そのほかの「記事目次」

「全体記事目次」

カンタータ日記・奥の院

浅田真央さん情報・最新版

宮沢賢治記事目次

カンタータ日記・大阪モダン建築図鑑

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この記事へのコメント

ANNA
2012年04月07日 09:38
Noraさん、こんにちは。

ヨハネ受難曲「コラールの王冠」の帰還を拝見しました。
そして、レオンハルトさんが どうしてこの曲をご自身の葬儀の最後に流す曲として選ばれたのかということが、分かったような気がします。

バッハの演奏、研究に人生を捧げたレオンハルトさん。バッハが見たもの
見ようとしたものを同じように見ようとしたレオンハルトさんだからこそ
選ばれた曲だったのですね…教えてくださってありがとうございます。

リチェルカール・コンソートですが、以前Noraさんがご紹介されていたBWV82,152,202収録のCDを聴き、その音楽がとても気に入り愛聴盤となっています。

ヨハネ受難曲も録音していたのですね。しかも私にとって「心の歌」となっている(…大好きなんです)最終コラールが、特にすばらしいということですから、ぜひ聴いてみたいと思います。
2012年04月07日 21:27
こんにちは。
昨年一年、Noraさんにならって、教会暦でカンタータを聴いて、ブログ記事にするなんてことをやってみましたが、結構きつかったので(聴くことは楽しみなんですが、文章力がなくて、同じようなことばかりしか書けなかったんです。)、今年はカンタータはボチボチ聴いていこうと、教会暦のチェックを怠っていたら、もう聖金曜日→復活節なんですね。いやいや、まずいまずい。この週末に、とりあえず、マタイかヨハネか一組は聴いとかなきゃいかんです。
2012年04月09日 00:52
 ANNAさん、こんばんは。
 リチェルカール・コンソートのヨハネ受難曲ですが、ANNAさんもお好きな終結コラールを筆頭に、始めは、あまりにもあっさりしすぎてるのでは、と面食らうかもしれません。でも歌っている人一人ひとりの声がはっきりと聴こえるので、聴いているうちに、一人ひとりの一生懸命歌っている顔までもが見えてくるように思えてきて、すなわちそれこそが、バッハの書いた音符の一つひとつすべてが、しっかりと伝わってくることにつながっているような気がします。
 一応、初稿の演奏なのですが、バッハがライプツィヒで初めて受難曲に挑戦した時の清新な気概にふさわしい、さわやかな演奏と言っていいのではないでしょうか。
 ただ・・・・、
 指揮のピエルロさん、バッハがほんとに大好きで、他の稿の音楽も一部どうしても捨てきれなかったらしく併せて録音しているのですが、別に参考テイクとして収録すればいいのに、本編の中に組み入れてしまっているため、例えば、終結コラールについては、あの印象的な子守歌の後、第2稿の終結コラール(=BWV23終曲)があって、さらにその後に、おなじみのコラールがくる、というややこしいことになっています。
 知らないで聴く人は、しつこい曲だな、と思うのでは。(笑)
 お聴きになる場合はお気をつけください。
 
 
2012年04月09日 01:21
 garjyuさん、どうも。

> 昨年一年、Noraさんにならって、

 わたしは、曲目を書いてお知らせしてるだけなで、きちんと感想を書いているわけではないので、楽なものです。5年もやってると、もうたいていのことは書いてしまってるので、曲の内容なども過去記事にリンクすればよく、結果的に、カンタータなどの季節ものは、ブログのテーマとして続けやすく、あっていたのではないかと思っています。

 garjyuさんが毎週カンタータの記事を書き始めたので、毎週楽しみに拝見しておりましたが、結局、そのまま1年間も続けられたのには、びっくりいたしました。
 ただでさえ、カンタータの各曲の感想というのは少なく、それが1年分もそろっているというのは、とても貴重なのではないでしょうか。
 今後、曲によってはリンクさせていただくこともあると思うので、おことわりしておきます。

 PS、
 今書いてらっしゃる、交響曲全曲シリーズ?も楽しみにしています。
 オネゲルなど、あまり聴いたこと無いので、参考にさせていただきます。
2012年04月09日 09:51
こんにちわ。
またまたこんなに読み応えのある記事で、いつもありがとうございます。
あれから僕も色々読み漁ったり調べたりしたのですが、結局正体は分からずです。楽譜もあたってみたのですが、印刷譜では表記はありませんでした。自筆譜ではひょっとしたらあるのかもしれませんが、自筆譜は一体どこに行けば見れるのやら・・・(苦笑)
メンデルスゾーン研究では第一人者の星野宏美さんの発言を見つけられたのが一番の収穫でした
 → http://linden.weblogs.jp/blog/2009/05/200-aa00.html
まあ気長に探します。こんなマニアックなネタにお付き合いいただき、毎度のことながらありがとうございますm(__)m

ちょっとそれますが、小学館の『バッハ全集』9巻にやはり星野さんの興味深い論考がありました。1840年8月に聖トーマス教会で開かれたメンデルスゾーンによるバッハオルガンコンサートの曲目を推定した内容です。

BWV552(変ホ長調) BWV654(装え、おお愛する魂よ) BWV543
BWV582(パッサカリア) BWV590(パストレラ) BWV565
メンデルスゾーンによる即興演奏(血潮コラールを使った)

であろうとのことです。すごいですよね。21世紀にやられているような演目そのものです。こうしてみるとメンデルスゾーンは19世紀のバッハであったとも言えそうです(極論^^;)。
2012年04月13日 00:07
 たこすけさん、結局わからない言い訳をづらづら書き連ねたみたいになってしまい、何だか申し訳ありません。
 この星野宏美さんという方もレクチャーでおっしゃられたようですが、結局わたしもメンンデルスゾーンの創作のような気がします。そう言えば、メンデルスゾーン、コラールや賛美歌づくりの天才でもありました。無言歌集の中にも、たくさんの美しい創作コラールや賛美歌が登場します。
 ただ、念頭に、バッハなどのコラールがあった可能性は十分にあると思いますが。
 でも、このようなレクチャーで話題になるくらいですから、けっこういろいろな説があるんでしょうね。

> 21世紀にやられているような演目そのものです。

 もしかしたら、メンデルスゾーンがフィーチャーしたことから、現在も人気曲であり続けているのかもしれませんね。
 今回のピアノトリオなどを聴くと、メンデルスゾーンの早世が残念ですが、よく言われることかもしれないけど、バッハの受容史における損失も、はかり知れないものがあったんでしょうね。もっと長生きしていれば、今聴くことができるカンタータや受難曲、器楽曲などの数が決定的に増えていたかも。
 楽譜の散逸度もまだそれほどでもなかったでしょうし。
 いろいろ空想がふくらみますね。
2012年04月13日 23:28
こんばんわ。
mixiのコミュニティの記事である人が「これはコラール”Gelobet seist du, Jesu Christ”がもとで、それをアレンジしたものではないか」というコメントを載せていました。
BWV64やBWV91でも使われているクリスマスの有名なコラールです。
なるほど、それが正しいかも知れません。出だしは完全にこれです。

でも、それ以上に、Noraさんが一番最初に仰っていたショパンのスケルツォ3番が実は激似ですね。こうなるとショパンとメンデルスゾーンの関係が気になりますが、このピアノトリオ2番を作曲したのが1845年だそうですが、44年秋にメンデルスゾーンの方から「僕の妻に何か曲をひとつ書いてくれませんか」とのお願いがショパンにあり、それに対してショパンが45年の秋にピアノ曲をひとつ書いて贈っているようです。その贈った曲はもちろんスケルツォ3番ではないのですが、でもそんなやり取りとも関係があるのかなあ、などと妄想はふくらみます・・・。
いずれにせよ、メンデルスゾーンもショパンも、このクリスマスの名コラールが大好きだった、というような結論にどうやら至りそうな気がします。

ちなみに、このコラール、バッハのオルガン小曲集ではBWV604でした。なんだ、自分、録音しているじゃん、と思わず苦笑してしまいました^^;

2012年04月15日 00:02
 たこすけさん、おもしろくなってきましたね。

> なんだ、自分、録音しているじゃん、

 わたしもBWV91については、けっこういろいろ書いてきたんですけどね。(笑)
 このBWV91のコラールは、古い賛美歌をそのまま使ったルターのコラールで、わたしも一瞬疑いましたが、終結コラールもにぎやかなクリスマスアレンジであることもあって、なんだかピンときませんでした。
 でも、原曲のメロディをそのまま聴くことができるBWV64の第2曲やBWV314を聴くと、なるほどよく似ています。
 細部にはやはり差異があるものの、少なくともBWV668のコラールよりは似ていますね。
 オルガン編曲では、BWV604よりも、BWV722の方が、メンデルスゾーンの雰囲気により近いようです。
2012年04月15日 00:05
 (続きです)

 一方、ショパンのスケルツォの中間楽章は、こちらの方がかなり装飾音が多いのですが、基本的には幻想即興曲の中間部と同じメロディで、これは、ショパンのお気に入りのメロディだったようですね。そして、よく聴いてみると、問題のメンデルスゾーンのコラールと、激似、というか、ほとんど同じです。

 ここで気になるのは、ショパン&メンデルスゾーンが、例えばBWV314の賛美歌をもとに作曲したとするならば、何ゆえに原曲との差異が少なからずあるにもかかわらず、両者がそれぞれ別に作曲したはずのものがほとんど同じなのか、ということです。
 BWV314の賛美歌が当時そのようなメロディで歌われていたか、(バッハの時代から100年後のことなので、十分あり得る)
 あるいは、やはりまったく別のこのようなメロディの曲があったか。
 もし、そのいずれでもないとすると、ショパンとメンデルスゾーンの間に何か事情があって、同じメロディを使った、と考えるのが自然なような気もします。
 両者とも、ほとんど同じ時期に早世し、ショパンのスケルツォ、メンデルスゾーンのピアノトリオ、ともにその晩年に作曲されています。しかも、二人とも、バッハを心から崇拝していました。
 幻想即興曲の作曲はずっと早い時期なので、もとはショパンのオリジナルでしょうか。(この曲、出版は後になってからで、そのため、遺作となっています)
 わたしは、ショパンのこともメンデルスゾーンのこともほとんど何も知らず、それこそ伝記を読まないとならないくらいですが、あれこれ空想するのはほんとに楽しいですね。

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