ドビュッシーと秋の黄昏~「ドビュッシー、音楽と美術」展【三位一体後第17ほか】

 今度の日曜日(9月30日)は、三位一体節後第第17日曜日。


 カンタータは、
 おそらく第1年巻のBWV148
 第2年巻(コラールカンタータ)BWV114
 後期のBWV47
 の3曲。


 過去記事はこちら↓


 <三位一体節後第17日曜>

    涸れた谷川にて鹿が水を慕うように(BWV148他)
    三位一体節後第17日曜(BWV114他)



 なお、9月29日(土)は、大天使ミカエルの祝日となっています。お忘れなきよう。


 カンタータは、
 おそらく第1年巻のBWV50、(断片)
 第2年巻のBWV130
 後期のBWV19149
 です。


 過去記事はこちら↓


 <大天使ミカエルの祝日>

    大天使ミカエルの祝日(BWV149他)
    大天使ミカエルの祝日(BWV19他)



 ブリヂストン美術館開館60周年記念
 オルセー美術館、オランジュリー美術館共同企画

 ドビュッシー、音楽と美術

  @ ブリヂストン美術館

  ~10月14日(日)


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 印象派前後の絵画には、普段それほど親しんでいるわけではないが、ドビュッシーの音楽を軸にして、音楽とその他の芸術とを関連付けたコラボ展示してみました、というのがウリの、この展覧会、このような趣向の展覧会は、これまでありそうでなかったような気がして、興味を持って行ってみた。

 写真や、手紙、楽譜や舞台関連の美術資料など、「ドビュッシー展」としては、貴重な資料をよくこれだけ集めたな、と素直に感心する。
 なかなか見応えがあったが、反面、かんじんの美術作品および美術作品等とのコラボ、という点に関しては・・・・、

 このような展覧会の場合、展示物に関する情報の整理提供が最も大切だと思うが、全体的に、パネルの説明文がわかりにくく、(もしかして外国展の説明の直訳か?と思えるところも)
 結果的に、テーマに「合っていそうな」ものを、手近なところから集めて並べただけ、という感が否めなかった。
 そもそも、展示されている絵画等の美術作品の大部分は、その作品でなければならない理由がよくわからず、
 特に、ジャポニズム関連コーナーで展示されていた、ギメ国立東洋美術館からわざわざ持ってきたと思われる金銅仏や木造僧像等、片や五・六世紀の朝鮮半島の物、片や江戸彫刻で、ドビュッシーとどのような関係にあるのか、意味不明、まあ、実際に関係があったとも思えない。
 外国の展覧会で、仏像とはこのようなものだ、と展示するのなら、まあ、わかるが、日本開催の本展覧会でこれを出してもしかたないだろう。
 また、会場のそれぞれのコーナーで流されている音楽のタイトルなどの表示がなく、展示作品との関係性など、よくわからなかったのが残念。これでは、雰囲気だけでかけていると思われてもしかたない。
 そもそもこの時代の芸術は、「印象」重視でもやもやしたものなのだからかまわない、ということか。

 この展覧会でなんとなくわかったことは、ドビュッシーという人は、とにかく、新しいもの、はやったものにはかたっぱしから食いついて、それを器用に音楽にしていった、ということ。
 感受性豊かで、新しい潮流に敏感と言えば聞こえががいいが、いくらなんでも流行かぶれにも思えてしまう。
 
 交響詩「海」の楽譜の表紙には、ちょっと驚いてしまった。
 実物を初めて見たが、せめて北斎の作品の精巧な写しが使われているものとばかり思っていたら、実際に使われていたのは、「北斎の作品に触発された作者不詳の木版画」で、その北斎作品とはあまりにもかけ離れた稚拙さにはがっくり。
 まあ、なんせ現在のように情報がゆきとどいてはいない時代のこと、ドビュッシー周辺のサロン等に置かれてありがたがられていたジャポニズム趣味の作品には、所詮はこのような怪しげなものも多かったかもしれず、そういう意味で、「なんとなく関連がありそうなもの」が、もっともらしく展示されているこの展覧会のあり方も、的を射たことなのかもしれない。

 ・・・・と、何だかんだと勝手なことを書いてきたが、そうした背景の中で、インスピレーションを炸裂させ、あれだけの作品を残したドビュッシー、やはり天才なのだろう、というのが、結論です。

 結局、この展覧会の展示の中で、最も心に残ったのは、マネの海の絵の、窓枠風の凝った額装と、シャルル・ラコストの「影の手」という作品。
 この「影の手」は、浮世絵そのもののようなモチーフ、表現で、この作品を、なぜジャポニズムのコーナーに置かなかったのか、不思議。

 あと、仲良く並んだ、モンドリアン、カンディンスキー、クレーの三作品。
 もちろんいいのだが、こじんまりとした作品ばかりで、ちょっと、迫力不足で残念。


 その他、どうでもいい雑感。

 ドビュッシーのパトロンの一人だったというアンリ・ルロールという画家の作品、初めて見たが、扉の外から部屋の中を覗き込んだ絵が何点か展示されており、ハンマースホイの絵を彷彿とさせた。

 ドニの絵を見てつくづく思ったが、この人の画は、浮世絵などより、仏画の影響が大きいのでは、などと思ってしまった。前記したような当時の状況を鑑みると、質の良い仏画がパリに伝わっていたとは思えないが。



 本展示の後に続く最後の二部屋、コレクション展が意外とおもしろかった。(外国作品部屋と日本作品部屋に分かれている)


 もっとも、外国作品は、展覧会本展示の方に置かれていても、おかしくない作品ばかりで、本展示の続きみたい。
 
 その中では、デュフィの「オーケストラ」(1942年版)が圧巻。

 めちゃくちゃな配列で楽器が並ぶおかしなオケの絵。
 しかし、美術的には、色彩も線も、すべてが完璧な配置。
 オケが奏でる妙なる音楽はもちろん、観衆の咳ばらい、ざわざわとした音までが聴こえ、
 絵には描かれていない、ホールの装飾や、木目の一つ一つまでもが見えるよう。

 これに関しては、むしろなぜ本展示の方に置かなかったのか。
 デュフィには、そのものズバリ、ドビュッシーへのオマージュも何作品かあるはずだが、持ってこれなかったのだろうか。鎌倉の大谷記念美術館でもすばらしい作品を見た気がするけど、あれは、収蔵品ではなかったかな。


 日本作品は、ほとんどすべての作品が見応えがあった。日本の「洋画」はいい。日本の洋風建築的なおもしろさがある。
 
 山下新太郎 「供物」

 岡田三郎助 「婦人像」

 国吉康雄 「夢」

 佐伯祐三 「ガラージュ」

 岡鹿之助 「セーヌ湖畔」

 そして、藤島武二の「天平の面影」

 どの作品も、これまでいろいろなところで見てきた個性的な作家の、一目でこの人の作品だな、とわかるような作品ばかり。



 最後に、

 この展覧会、特に、「海」の楽譜の表紙や、きどったポートレートの背景に、浮世絵や仏像などがもっともらしく置かれているのを見て、改めて痛感したこと。

 西洋において、浮世絵が比較的よく保存されていること、また、名高い天才画家や作曲家たちのエピソードから、
 よく、「北斎や歌麿などの浮世絵のすごさを「発見」したのは西洋人である」というようなことがまことしやかに言われているが、
 結局、北斎たちの芸術のすごさを認め、愛することにかけては、やはり江戸っ子たちも負けてはいなかった、というか、西洋人は到底江戸っ子にはおよばなかったのではないか、ということ。
 ただ、西洋人と江戸っ子との間では、ものを恒久的に保存する、という願望・習慣のある無しという点で、決定的にちがっていた。
 江戸っ子は、浮世絵という芸術を愛するあまり、それを身近な生活の中に取り入れ、徹底的に消費しつくしたのだ。
 これもまた、ひとつの「愛」の形。



▽ 都心にある美術館。外観はごくふつうのビル。

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▽ すぐ近くのビルにいるキリンの王様。

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▽ 東京駅方面の夕映えをながめる。

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 ついでに、9月の夕焼け


 夕焼けの中の虹


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 こんなに絵みたいにきちんとした夕焼けチンダルは見たこと無い。
 前述のシャルル・ラコスト「影の手」に描かれていた空は、ちょうどこんな感じ。

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