初詣&初美術館 in 世田谷~世田谷観音と松本竣介展【顕現節後第1日曜日】

 <朝に就ての童話的構図> 宮澤賢治 

  (松本竣介夫妻が発行した雑誌「雑記帳」の創刊号巻頭に掲載された賢治の作品)


 霧が「ぽしゃぽしゃ」降ったり、「うすい乳色のけむり」に変って静かに漂ったりする、夜明けの「青く大きな羊歯の森」
 ミクロの不思議な森。

 昨日までは何もなかったところに、次々と「目的のわからない大きな工事」が始まり、ゆかいな巨大建造物が「ぷるぷるぷるぷる顫へ」ながら、ぐんぐん立ち上がっては、ひっくりかえったりする。(実はこれはいろいろな種類のきのこなど)

 はじめ緊張してその様子を見張っていた蟻の兵隊たちも、よくある何でもないことだから気にしなくてもいいと言われ、一安心。
 蟻のこどもたちも、いろいろな形のきのこたちが育ってゆくのを見て、「笑って笑って笑ひます。」・・・・


    * これは、わたしが書いた話のあらすじ。「  」内は原文からの引用。



 どうして気が付かなかったのだろう。

 この美しくも透き通った情景は、松本竣介の描くあの建物たちの世界そのものではないか!

 蟻の兵隊たちが、いちいち測量などする必要のない何でもないもの、と判断したもの、しかし、蟻のこどもたちは、大喜びで見守り続けたものを、竣介は、一つ一つていねいに記録していったのだった。



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 生誕100年 松本竣介展

  @ 世田谷美術館 ~1月14日



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 これまで、あちらこちらの美術館で数多くの松本竣介の作品を観てきて、ずいぶんとさまざまなジャンルの絵を、一定以上の水準で器用にこなしている人だなあ、と漠然と感じていたのだが、
 今回、短い生涯に生みだされた膨大な作品がきちんと系統だてて並べられているのを俯瞰してみて、
 ものすごく明確で必然的なドラマが、この人の創作人生にも確かに存在していた、という、考えてみれば当たり前なことを、はっきりとつかむことができた。

 例えばカンディンスキーやモンドリアンみたいな、壁につきあたってはそれを打ち破って予想もしなかった方向へと大きく発展するそのくりかえし、といった創作上の大きなドラマ。

 それをはっきりとつかむことができたことは、このような美術展ならではの大きな収穫で、その追体験は得難い体験となった。
 この美術展を企画、実現した方々に、心から感謝したい。



 実際、美術館の展示を順番に回ってゆくのは、ドラマチックな冒険以外の何物でもなかった。


 モディリアーニやルオーの影響の色濃い初期の習作の部屋を抜け、「郊外」ほかの青色の作品が並ぶ「蒼い面」のコーナーに足を踏み入れたとたん、そこにある空気そのものまでもが、青く青く透き通ってゆくのを全身で感じた時の衝撃、感動。
 しかも、そこにある異国、異郷のような風景は、竣介が住んでいた東京の「中井」あたりの風景だという。それを知った驚き。
 
 この「蒼」色こそ、少年時代のセザンヌみたいな盛岡の風景画の中にすでに認められ、将来、彼が愛して描き続けた建物や建造物たちをやさしく静かに包み込み、その後の竣介の絵の通奏低音となる「蒼」色なのだ。
 そして、この時すでに、「蒼」の中に、早くも「建物たち」が姿を現している。


 その後、建物群の中に、さまざまな人物をごちゃごちゃと配した、シャガールを思わせる「モンタージュ」の時期、さらにはそれこそカンディンスキーやクレーみたいな「構図」の時期を経て、

 それから先は、もう、建物画のオンパレード。

 人物画も数多く存在するのだが、やはり建物のインパクトが圧倒的。
 あの最高傑作の大作、「立てる像」も、ルソーみたいに、自画像の中に、竣介が最も愛した高田馬場の建物群を書き込んでいるわけで、突き詰めて言えば、「建物画」なのではないか、というような気さえしてきた。
 
 「何よりも建物が建ってゐるといふことが僕にとつて大きな魅惑なのだ。この当り前のことが何故かう僕を喜ばせるのか」
 すごい言葉だ。建物が建っている、ということがどんなに「当り前」ではないすばらしいことなのかを、彼は東京に来たとたんに直感したのだ。このことは、わたしが建物をこよなく愛する理由でもある。

 すさまじい量の建物の絵を観て、改めて確信したのは、史上最高の建物画家だということ。
 究極の静物画としての建物画。

 大戦で失われ、70年近い年月を経て昨年ようやく復元なったばかりの東京駅ドームの、もともとの在りし日の姿が、
 ニコライ堂のもう二度と観ることができない小聖堂の姿が、
 古い写真よりもはるかに強烈に、実在感を伴って目の前に立ち現れる感動を、どのように表現したらいいだろう。
 それらを取り囲む空気の、ある種の緊迫感と夢のような美しさまでもが、感じられる。

 少年時に聴力を失っていたため徴兵を免れた竣介は、戦争が激化しても一人東京に残り、黙々と「建物たち」を描き続ける。


 そして、

 終戦後、あれだけ描き続けた愛すべき建物たちの変わり果てた姿を、一通りスケッチした後、
 戦時中、防空壕に埋めて守り抜いたという赤と黒の絵の具で、竣介は、突然抽象的な作品を描き始める。

 そしてどぎつい赤色が徐々に薄れていき、透明度が増して、やがてお得意の透き通った深海のような青、蒼がよみがえり、画面にも明確に建物のモチーフが帰った来たところで、彼は突然、まったく突然亡くなってしまう。

 「蒼」に、建物に、帰っていった竣介。

 遺作であるこの上なく美しい建物画、その名も「建物」(1948年5月)が、東京展には出展されておらず、観られなかったことが、唯一の残念だったこと。



 その他、資料コーナーが大充実だったのも、竣介という人物をより身近に知る上で、ありがたかった。
 竣介が文章を書くのが大好きで、禎子夫人といっしょに、「美術のみならず文化芸術全般の総合」を目的とした「総合工房」を設立して、「雑記帳」という雑誌を出版していたりしていたことは、初めて知った。
 この「雑記帳」の全巻も実際に観ることができた。
 挿絵、表紙デザインはもちろん、割り付けまでも自分たちで手掛け、自らも毎号はりきってたくさんの文章を書いている。
 こういう活動が大好きだったのだ。
 
 その早すぎる最晩年に、真剣に詩人になろうとしていた、というのにはびっくりしたけれど。



 この点と関連して、以前から気になっていた、宮澤賢治との関係、強い結びつきがはっきりとわかったことも、大収穫だった。
 以前の記事で、もしかしたら、と、賢治との関連を勝手に想像したことがあった。残念ながら直接の関係は無かったようだが、実際、思った以上に、竣介の中で賢治の存在は大きいものだったようだ。

 まず、竣介の部屋の写真や映像には、書棚の真ん中にどどーんと賢治全集が並んでいるのが写っていた。
 この全集は、竣介が戦時中疎開先にやさしい絵手紙(これも展示されていた)を送り続けた愛息莞ボー(と言っても現在はりっぱな紳士だが)によって、現在も、その他の蔵書や仕事道具とともに大切に保存されている。
 (これは資料によると、賢治が亡くなった直後に出版された文圃堂版とされているが、より時代が後の映像を観ると、もっと大部の全集も写っていたような気もするので、十字屋書店版等の複数の全集を所有していたのではないか)

 また、驚くべきことに、上記「雑記帳」には、
 創刊号の巻頭に、この記事のはじめに記したように名作「朝に就ての童話的構図」が掲載されている他、
 第6号に「毒もみのすきな署長さん」、
 第10号に「ざしき童子(ぼっこ)の話」が、小難しいさまざまなエッセイ等にまじって収録されていた。(これらはぜひ挿絵が見たかった!)
 そして、さらに、最終巻には、わたしが最も苦手な賢治の説教臭の強い童話のオマージュみたいな、竣介自作の童話まで。
 「雑記帳」は、さまざまな分野からの寄稿原稿を中心に編集されていたとのことだったので、一瞬何も考えずに、もしや直接のかかわりが?と興奮してしまったが、「雑記帳」の発行は、昭和11~12年のこと、賢治は何年か前にすでに亡くなっている。
 ただ、竣介の実家は、盛岡に移る前花巻に居を構えていたことがあり、花巻では名家だった宮澤家と実家通しの結びつきはあった可能性は高いし、賢治の作品の中でも、「毒もみ」を選ぶあたり、かなりマニアックとも言えるほどの一方ならぬ賢治への傾倒ぶりがうかがえる。

 この記事のはじめに書いた「朝に就いいての童話的構図」の例からも明白なように、
 竣介の作品、そして人生そのものは、賢治という「同郷」の天才と深く深く結びついていた。



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 (追記)


 図録が、質・量とも力が入っていて、すばらしかった。
 松本竣介の絵はもうかなり見てきた、という方でも、これを手に入れるだけでも美術館に行く価値はあると思う。
 もう会期が明日までになってしまったけれど。
 以前手に入れた没後50年の時の松本竣介展図録と比べると、絵自体は以前のものの方が大きくて美しく、見やすいが、資料・解説等は当然今回の者の方が詳細・多岐にわたり、本の大半がそれに充てられていて、松本竣介という人の現在わかりうる人生の全貌が浮き上がってくるようになっている。

 上の展覧会観覧直後に書いた感想の中でも触れている、竣介と宮澤賢治との関係に関しても、現時点でもっとも詳しいと思われる解答をしてくれる、岩手県立美術館の原田光氏の論稿も掲載されています。



 おまけ。

 竣介の蔵書の中の、ルソーの本。

 アルス出版の足立源一郎著のものだが、タイトルが「ルッソオ」どころではなく、「ルウッソオ」とさらに気合が入った表記になっていた。
 これからは、わたしもそう表記したい?



  ☆    ☆    ☆



 世田谷美術館に行く途中(この日は1月5日だった)、初詣がてら、ずっと前から訪れたいと思っていた世田谷観音に立ち寄ったので、そのこともかんたんに。



 世田谷観音で初詣~祈りに満ちた仏像と建築のテーマパーク~



 世田谷観音は、知る人ぞ知る仏像と古建築のテーマパーク、ともいうべき寺院。


 戦後、日本各地から、取り壊されそうになった古建築や廃寺の仏像等を集めて作られた、さながら博物館、または三溪園や明治村を思わせるような性格の新しい寺院ながら、それらの文化財が、閑静な住宅地のまん中で、自然豊かな落ち着いた佇まいの中にしっかりと地に足をつけて溶け込んで、地域の人たちの庶民的な信仰の場として、すっかり定着しているところがすばらしい。
 そして何よりも、それらのめずらしい建築や第一級の価値を持つ仏像などのおびただしい文化財の数々と、身近に、ものすご~く気軽に接することができるのが、たまらなくうれしい。



 自然にあふれ、静かな佇まいの境内。

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 境内に入ると、たくさんの個性的な形態の堂宇が点在しているが、各堂の扉は閉ざされている。
 従って、堂の前で手を合わせ、参拝を済ませてしまう人も多いが、阿弥陀堂と本堂の観音堂については、誰でも堂内に上がって、すぐ目の前で、それぞれの堂の質・量ともに圧倒的とも言えるレベルの仏像群を拝観することができる。

 * ただし、お正月期間中、または休日限定の特別拝観だった可能性もあります。
   参拝前に、ご確認ください。




 特に以下の3つのお堂の仏像がすごい!


▽ 阿弥陀堂

 中野邸に移築される前は二条城にあったという奇妙な高楼建築。

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 内部の仏像空間が圧巻!
 この建物、妙に背が高い割に建築面積は狭く、従って1階の仏像が安置されている部屋も驚くほど狭い。
 正面の小さな格子戸を開いた瞬間、息を飲む。
 その狭い座敷の薄暗い空間の両側に、等身大の羅漢像(これらはもとはあの五百羅漢寺の羅漢様)がずらりと並び、「よくいらした」とばかりに迎えてくれる。わたしには、いっせいにこちらを向いたかのようにさえ感じられた。
 そして、正面の個性的な仏像群・・・・!
 中に入り、腰かけ、これらの仏像たちに圧倒的な近さで囲まれるすごさ!


▽ 本堂(観音堂)

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 本堂の内部に安置された、もと伊勢長島興昭寺の秘仏本尊だった、本尊の観音菩薩立像、南北朝時代の大ぶりで素朴な宋風仏の両脇時(日光月光菩薩像)、
 どちらも見ごたえあり。

 もちろん、こちらも、座敷に上がって間近に拝観できる。


 残る一つ、境内で最も奇妙な格好をした六角堂だけは、堂内に入ることはおろか、内部の拝観ができない。

▽ 六角堂

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 ここには、あのトーハクの文殊渡海五尊像でおなじみの、ジオラマ仏マイスター、康円(運慶の孫)による秘仏、

 不動明王および八大童子像

 が、めずらしくすべてそろって安置されており、(国重要文化財)
 毎月28日の縁日の時にだけ開扉開帳されるのだ。

 もちろん、この日も拝観できなかったが、お堂の前にあった写真を見る限り、何とも圧倒的な、すさまじいジオラマぶり。
 これは絶対に改めて訪れ、観なければ!

 しかも、この九尊像、あの内山永久寺に伝わっていたものだという。
 内山永久寺、どれだけすごい寺院だったのか!
 そして、なぜそれだけの寺院を破壊せねばならなかったのか。

 トーハクやこの世田谷観音などで、往時の一端を観ることができるのが、せめてもの慰め。
 そういう意味でも、このお寺、ほんとうにありがたい。



 境内から山門を振り返る。ここの仁王様もすごいのだ。

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 庭園の池に、巨大な夢違観音様がいらっしゃる。


▽ 夢違観音

 そっくりだが、何倍か大きい堂々たる見事なお姿。

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 この夢違観音様は、昨年末放送されていた日テレ系ドラマ「悪夢ちゃん」の最終回に大登場した。



 おかげさまで、おみくじ、大吉&吉がでました!



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 世田谷観音には、その他にも、見どころが盛りだくさん。



 * 世田谷観音の魅力的な建築や仏像に関しては、奥之院に詳しい記事を書きました。↓
   ぜひごらんください。すごいです。

   こちら




  ☆    ☆    ☆



 最後になってしまいましたが、明日(1月13日)は、顕現節後第1日曜日です。

 カンタータは、今週まで、年初に載せた、新年前後のカンタータ一覧表(一口コメントつき)をご参照ください。
 今週も驚くほどの名作揃い!



そのほかの「記事目次」

「全体記事目次」

カンタータ日記・奥の院

浅田真央さん情報・最新版

宮沢賢治記事目次

カンタータ日記・大阪モダン建築図鑑

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