「マリア様」命、の芸術家たち~春に行った展覧会(エル・グレコ&円空)【マリアのお告げの祝日ほか】

 今度の日曜日(3月24日)は、棕櫚の日曜日。
 従って、今年は、聖週間中に受胎告知の祝日(3月25日)を迎えることになります。

 バッハの棕櫚の日曜日用のカンタータは、棕櫚の日曜日と受胎告知日が重なった時だけに書かれていますので、今年は一日ずれていますが、一緒にご紹介しておきます。


 初期の大名曲、BWV182

 そして、第2年巻、コラールカンタータの到達点にして最高峰、バッハのあらゆるカンタータの最高傑作のひとつでもある、BWV1


 長い長いレントを通りぬけ、これら、春の訪れを告げる名曲を聴いたあとは、いよいよ来週(3月31日~4月2日)、春本番の復活節。
 今年は、復活節も早いですが、桜の開花も早いので、春たけなわのすばらしい時期に復活節を迎えることになるようです。


 過去記事は、こちら。↓


 <マリアのお告げの祝日>

    マリアとバッハ~はじめて聴くカンタータ
    旅の終わりとあけの明星・終わりは始まり(BWV1)その1
    春の夜のダンス(BWV1)その2

 <棕櫚の日曜日>

    旅の終わりとあけの明星・終わりは始まり(BWV1)その1
    春の夜のダンス(BWV1)その2
    大きな大きな物語(BWV182)



 さて、今ご紹介したBWV1からもわかるように、バッハは、マリア関連の祝日になると、異様に気合を入れて作曲を行い、大名曲をたくさん書いています。

 バッハのカンタータを聴くなら、まずは全部で3日あるマリアの祝日のカンタータから、と言われるほどですが、

 今日は、美術の世界で、「マリア」と言って真っ先に名前が浮かぶ画家の展覧会の話、

 その他、最近出かけた展覧会について。

 バッハが、音による輝きに満ちた受胎告知の名作、BWV1を書いた100年以上前に、それまで誰も書かなかったような、ドラマチックな受胎告知の絵を描いた、エル・グレコの展覧会、他です。



 3月16日(土)



 エル・グレコ展 @ 東京都美術館


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 町の教会当局と激しく対立しながら、何百年も後の人々の心を鷲掴みにするような表現力と普遍性を持った絵を描きつづけた点、バッハとよく似ている。

 また、職場がスペインのカトリック教会なので当然と言えば当然なのだが、受胎告知やマリアのエリザベト訪問など、マリアがモチーフだと異様にはりきり、大作、傑作を残している点も、バッハとよく似ている。


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 無原罪の御宿り

 キャッチコピーに刺激され、みんな絵のすぐ前にしゃがみこんで観ていたが、
 この世のものならぬ光の渦が画面向かって左上から降りかかってくるように描かれているので、向かって右下から見上げるのが一番良かった。迫力、美しさがまったくちがう。
 そうして観ると、光が最もまぶしく、右下に描かれた天使の羽が、その強烈な光に透けてきらめく様が、夢のように美しい。


 この作品を始め、トレドの各教会に合わせ、祭壇も含めて総合プロデュースしたという巨大宗教画は、どれもエル・グレコ独特の力強さにあふれている。
 中でも、やはり特徴的なのは光の使い方で、鮮烈なばかりでなく、よくよく見ると物理的にはあり得ないような超自然的な光の当たり方にもなっていて、それがかえって息を飲むような迫力にもつながっているような気がする。
 上記「無原罪の御宿り」のうず巻くような光などその典型だと思うが、現代人の頭で考えながら見ると、なんじゃこりゃ?ということにもなりかねず、そういう意味では体験する絵画、身をゆだねる絵画と言えるだろう。
 もっとも、エル・グレコは、祭壇の高さはもちろん、各教会の明るさ、窓の位置、光の入り具合等もふまえてそれぞれの絵を描いたそうなので、本来あるべきところ、あるべき形で観てみないと、何とも言えない部分はあるのかもしれない。

 エル・グレコ自身は、自分の絵がまさか祭壇からはずされ、こんな遠い島国で展示されるなど、夢にも思わなかっただろう。


 その他、十二使徒ほかの肖像画も、すさまじかった。
 比喩ではなく、一枚一枚、まるでそこに生きている人物と向き合っているように感じられた。


 総じて、エル・グレコの作品は、どんなに暗い画面の絵でも、必ず美しい光がきらめいている部分があり、その部分の色彩は、時には南国風なまでに鮮やかだったりする。
 そのあたりが、見ていてとても気持ちがよく、気に入った。 



 お次の展覧会は、がらっと変わって。

 まあ、一応同じ宗教芸術、ということで、


 特別展 飛騨の円空 -千光寺とその周辺の足跡

  @ 東京国立博物館 本館特別5室


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 円空はちょっと苦手で、全部円空という展覧会はどうだろう、と思っていた。
 たくさんの中にいくつかある、というのならともかく。

 しかし、行ってみたら、なかなか見応えがあった。


 まず、板殿薬師堂の、薬師・阿弥陀・釈迦三尊像が、圧倒的にすばらしかった。
 特に阿弥陀如来の、かんたんながら、天につきぬけるほどにあっけらかんとした佇まい。
 ひときわ大きい中尊の薬師如来のいかにも頼りがいのある力強さ、その横で一人難しい顔をしているお釈迦様。
 飛騨の山のお堂に3人並んでいらしゃるところを、いつか拝みたいものだ。

 また、円空が村人たちのために彫って、今でもそれぞれの家で大切にされている、数センチほどの仏像群が、円空にしてはものすごくていねいなつくりで、見事だった。
 円空が、彫りあげた仏像を、山中から川に流すと、村人が食料を持ってきてくれたのだそうだ。

 その他、ふつうの仏像ではなかなか見られないような、神仏習合はもちろんのこと、それに樹木や山などに対する自然崇拝、土着信仰なども加味された珍しい像が多く、おもしろかった。
 ポスターに使われている両面宿儺などはその最たるもので、大迫力。


▽ 飛騨山中の木霊の宿る円空仏と、トーハク一の巨木、ユリノキちゃんのツーショット。

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 おっと、小川さん、誕生日でした。また1日過ぎてしまいました。(すっかり忘れてました)

 おめでとう。そして、いつも、ありがとう。



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この記事へのコメント

ANNA
2013年03月27日 18:43
Noraさん、こんばんは。
いつもカンタータをご案内くださってありがとうございます。

昨年のこの時期に聴きのがしてしまったBWV182のカンタータを聴いています。のどかな美しさを持った冒頭のソナタも気に入りましたが、第5曲リコーダーのオブリガードをともなったアルトのアリアも本当に美しいですね。
オブリガードのリコーダーの旋律が美しいなーとうっとり。繰り返し聴いてます。

カンタータを聴きはじめて日が浅い私ですけれど、カンタータの中にはいろいろな音楽表現、要素が散りばめられているんですね…声楽ひとつとっても、ソロ、デュエット、三重奏、多声部による合唱というふうにバリエーションに富んでいる。曲想も、楽器の取り合わせもさまざまで。バッハのカンタータってなんて魅力的な音楽なんだろう!って最近改めて思っているところなんですよー。Noraさんが、よくおっしゃってますけれど、こういう音楽を日常的に聴くことができたライプツィヒの人たちは、毎週の礼拝が楽しみだったと思いますし、なんと豊かな時間を持っていたのだろうとうらやましくなります。



2013年03月27日 22:40
 ANNAさん、こんばんは。

 後世のわたしたちは、バッハが書いた教会用機会音楽のうちの一部の大規模なもの以外を、勝手に「カンタータ」というジャンルでくくっていますが、バッハからしてみればそれらはすべて、単なる生活の中の日々の音楽で、当然、バッハは自分が書くことができるあらゆる音楽の要素をそこにつぎ込みました。つまり、正に何でもありだったわけですね。

 ですから、「カンタータ」を聴くということは、バッハのある特定のジャンルの音楽を聴くことではなく、バッハのあらゆるジャンルにわたる膨大な音楽群を聴くということ
なので、その意味でも、バッハという作曲家が、これほどすごい、すごいと言われながら、カンタータがそれほど一般的でないことが残念な気がするのです。
2013年03月27日 22:41
 続きです。

> 曲想も、楽器の取り合わせもさまざまで。バッハのカンタータってなんて魅力的な音楽なんだろう!

 まったくおっしゃるとおりで、楽曲構成、様式もそうですが、使われている楽器も非常に多岐にわたっていて、ほんとうに魅力的ですね。
 さらに聴き進めてゆくと、多岐にわたる中にも、作曲時期によってさまざまな傾向があることがわかってきて、よりおもしろくなります。
 BWV182は、ANNAさんもお書きになってるようにリコーダーが印象的ですが、リコーダーの活躍する曲は、BWV106に代表されるように、そのほとんどが初期に集中しています。しかも、とびっきり真摯で清浄な曲調のものが多い。
 また、以前ANNAさんがコメントに書いてくださったBWV180など、ヴィオロンチェロ・ピッコロが活躍する曲は、ライプツィヒ2年目から3年目のバッハの脂が乗りきった時期に集中して書かれていましたね。曲のスケールも大きくなっている。
 カンタータを聴いてゆくと、自然にバッハの生涯が浮かび上がってくるということも、大きな楽しみの一つです。
Nacky
2013年03月28日 23:44
Noraさま
大変ご無沙汰致しまして失礼を致しております。
2007年の3月のバッハ詣での直後に本ブログに巡り合い、
7年目迎えますが、その間に沢山のことを学ばせて
いただきまして改めて感謝申し上げます。
エル・グレコは20年以上も昔のことになりますが、
トレドに行ったことがありますので身近に感じます。
小林義武先生がご逝去されたことも本ブログで
知ったのですが、今頃、天国で私たちの熱い思いも
バッハに伝えて下さっているのでしょうね。
もうすぐ4月を迎えますが、皆様におかれましても
素晴らしい新年度の幕開けとなりますようお祈り
申し上げます。
ANNA
2013年03月29日 09:39
Noraさん、こんにちは。

いろいろと興味深いお話をお聞かせくださってありがとうございます。

>「カンタータ」を聴くということは、バッハのある特定のジャンルの音楽を
 聴くことではなく、バッハのあらゆるジャンルにわたる膨大な音楽群を聴く ということ

というお話、遅まきながら私も最近 うすぼんやりと(笑)そうなんじゃないかなーと思うようになりまして、バッハの言葉や音楽のアイディアがたくさん詰まったカンタータにより一層魅力を感じるようになりました。

それから作曲時期によって、さまざまな傾向があるというお話もまた興味深いものです。昨年は、お気に入りのカンタータやアリアを見つけるということを目標に聴き進めてきました。今年は?今回は、何かもうひとつ着眼点を持って聴いていきたいな~と思っているところです。Noraさんのお話を伺って「楽器」に注目するのもいいかな?と思ってます。
またいろいろと教えてくださいね。どうぞよろしくお願い致します。
2013年03月30日 18:06
 Nackyさん、こんにちは。
 年度の変わり目の節目に(しかも今年はちょうど復活節でもあります)、あたたかいコメントをいただき、ありがとうございます。
 Nackyさんにおかれましても、すばらしい新年度になりますよう。
 もう7年目になりますか。時々Nackyさんが書いてくださるコンサートの感想等を読んで、わたしも、どれだけバッハの素晴らしさを再確認させていただいたかわかりません。今後も末永くよろしくお願いいたします。

 小林先生のあまりにも早いご逝去は、ほんとうに残念でしたね。
 だけどバッハも、遠い島国の研究者が自分の研究にその生涯を捧げたことを知ったら、驚くとともに喜んでくれるのではないでしょうか。そして、そんな遠い島国の研究者が、世界のバッハ研究に大きな影響を与えているのは、とても誇らしいことです。

 トレドにも行かれましたか!
 エル・グレコの絵を実際目にしてその迫力を感じれば感じるほど、その絵が本来置かれていた状況ではさらにすごい迫力だったんだろうな、と想像せずにはいられませんでした。
 そのあたりは、バッハの音楽などとも同じような気がします。
2013年03月30日 18:31
 ANNAさん、バッハのカンタータと楽器、というのは、とてもおもしろく、奥深いテーマだと思います。
 カンタータに使われている楽器の傾向に着目すれば、その時のバッハの作曲上の興味や周囲をとりまく状況がわかりますし、気をつけて見ていくと、めずらしい楽器や、めずらしい楽器の組み合わせもたくさん登場します。
 さまざまな楽器による音楽象徴も得意技ですし、お気に入りの曲ですと、再演のたびに楽器を変えたりして、同じ曲をさまざまなオブリガート楽器で楽しめるケースもあります。
 また、これは以前にも何度か書いたことですが、bc(通奏低音)の無い曲には特に注目です。バッハのバセットヒェン・アリア(通奏低音を欠くアリア)は、そのほとんどすべてが傑作ですよ!

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