春の文学散歩・東京での賢治の足跡を訪ねる~銀河鉄道の夜シリーズ特別編

 前回に引き続き、賢治関係の記事です。

 少し前に、東京における賢治の足跡をたずねた時の記録。



画像
画像





 賢治の最高の天才が刻印されている、「注文の多い料理店」の諸作品をはじめとする初期童話のほとんどすべて、
 いや、それどころか、賢治がその生涯に書き上げた全童話、おそらくは銀河鉄道や又三郎やグスコーブドリやポラーノの広場なども含めた全童話の、きらめく原石とも言える初期稿のほとんどすべてが書かれたのは、
 賢治が心から愛した岩手の風や光の中でではなく、
 他ならぬこの東京、当時はモダン建築が立ち並び、大正ロマンの香り色濃い東京においてであった。



画像




 以下、散策コース等に関しては、一部、次のサイトを参考にさせていただきました。


 ●児童文学散歩ミニガイド● 

 第1回 本郷・菊坂町の宮沢賢治の足跡をたどる

 (出版社・銀貨社のHP)



 <大正10年・東京における賢治の足跡を訪ねる>



 地下鉄丸ノ内線・本郷三丁目の駅から、賢治の下宿先へと向かおう。



 地上に出たら、春日通りを後楽園方向に進む。


 進行方向左側の歩道を少し行くと、石川啄木が下宿していた「床屋・喜之床跡」の前を通る。
 現在も名前はちがうが床屋さんで、床屋さんの壁に史跡標示板がかかっている。

画像
画像



 と、いうことは、賢治がこのあたりにいた時も床屋さんだったわけで、坊主頭にこだわりを持っていた?賢治がここを訪れた可能性もあるわけだ。


 この辺で横断歩道を渡る。

 横断歩道から春日通りの今来た方向を振り返ると・・・・、

 どどーーん。スカイツリー!

 賢治が見たら、何て言うだろうか。
 賢治とは長い付き合い?だが、こういうものが好きなのかどうか、よくわからない。

 この前、スカイツリーのふもとのプラネタリウムで、「銀河鉄道の夜」のすばらしいプラネタリウム作品を観てきたばかり。

画像



 春日通りをさらに少し先に行ったところ(「文京ふるさと歴史館」の道標がある角)を右折。


 少し行った左側には、文学関係の展示も充実した文京ふるさと歴史館がある。

画像




 炭団坂へ続く道。

 左、南方向。春日通り方向を振り返る。
 右、北方向(進行方向)。この先の炭団坂を下りたあたりが、賢治が下宿した本郷菊坂町の賢治が下宿していたところ。

画像
画像



 ちなみに、右上の写真の階段左側は、坪内逍遥旧居跡。

 この周辺は、ほんとうに文学関係の史跡が多いのだ。


 炭団坂の上から、賢治が下宿していたエリアを見渡す。

画像



 炭団坂

画像


 降りてから振り返って見上げる。

画像




 このあたり、実に下町らしい風景が点在する。

画像
画像




 炭団坂を下りきり、突き当たった道を少しだけ右(東)へ、

 すぐ左手に、この道から、一本上の菊坂に続く道へ上がる小さな階段があるが、その登り口、樹木に隠れるようにして、

 「宮沢賢治旧居跡」の史跡標示板がある。


画像



画像



 上から、階段を見下ろす。
 階段の左手、道路の手前側に標示板があるのだが、実際賢治が下宿していたのは、道路の向こう側、つきあたりのマンションのあるところ(2階部分)なので、要注意。

画像




 大正10年1月、盛岡高等農林学校研究生卒業後も一向に進むべき道が定まらず、父親と対立した賢治は、発作的に上京、
 本郷菊坂町に下宿し、謄写版刷りの筆耕や校正の仕事をして食いつなぎながら、多い時には1ヶ月に3000枚(一日300枚ってか?)というペースで、とりつかれたように、童話や詩歌の創作に没頭した。
 そもそもこの上京は、法華経への宗教的情熱によるものだったが、その抑えきれないエネルギーが、一気に創作の方向に炸裂したらしい。
 賢治は、のちに、(一番書いた時には)原稿用紙から字が飛びだして、そこらあたりを飛び回ったもんだ、と語ったというが、おそらくほんとうにそのように感じたのだろう。
 それほど、賢治の初期作は、霊感に満ちている。

 この年の8月、トシの病気の悪化のため、賢治は花巻に帰り、その後、とりあえずはおとなしく稗貫農学校の教師に就任する。
 花巻に帰った時、賢治の手には、ぎっしりと原稿のつまった巨きな巨きななトランクがさげられており、それら「童こさえる代わりに書いた」という膨大な作品群が、その後の賢治の全創作のかけがえのない礎となった。

 わずか8か月足らずの東京滞在だったが、この8か月は、賢治にとって、そしてわたしたち、その後の日本人にとって、あまりにも大きな、かけがえのない8か月となった。



 路傍の桜


画像



 遠い昔、わたしがまだ若く、賢治に熱烈に心酔していた頃にここを訪れた時、イーハトーヴォの風が吹きわたり、光がきらめくのをびしびし感じた(ような気がした)ものだが、今回は、案の定、特にそのようなものは感じなかった。
 やはり気のせいだったか。



 このあたり、ほんとうに坂が多い。賢治の下宿したところは、それらの坂のちょうど一番谷間にあたる。
 賢治は必ず毎日これらの坂を上り下りしていたのだ。

画像
画像



 これが菊坂

画像



 菊坂途中にある樋口一葉史跡の案内板。(大きな写真が貼り付けてあります。クリック+拡大してご覧ください)

 
画像



 この近くにあった、菊富士ホテルは、芥川龍之介、坂口安吾、石川淳!などが常宿としていた文士ホテルだった。

 正に、「文の京」。



 菊坂を上り、本郷通りへ。賢治の通ったであろう道をたどり、賢治の勤めていた文信社跡へと、足を延ばしてみよう。



 本郷通りに出て、少し北上。

 ちょうど東大赤門の本郷通りをはさんだ向かい側に、文信社があった。


 赤門前より、文信社があったあたりを眺める。

画像
画像



 さきほどの下宿からものすごく近い。

 快適な通勤環境。



 本郷通りには、今も当時の雰囲気を色濃く残す、出版社、古書店等が多い。

画像
画像


画像



 味のある喫茶店。

画像




 言問通りの方に北上すると、こんなお店も。


 その名も、山猫軒

 「とびどぐもたないでくなさい」の看板が。

画像
画像




 賢治はさらに、この先、上野の方にある、日蓮宗の国柱会、上野図書館(現国際子ども図書館)などに、足しげく通った。


上野公園の国際子ども図書館

画像




 以上、大正10年、賢治の「傑作の森」と言える時期における、東京での足跡をたどってみたが、

 活版所、図書館、床屋、などなど・・・・、

 賢治の童話の印象的な舞台としておなじみの場所が、この周辺にすべてそろっていることにお気づきだろう。


 こうしてみると、やっぱり・・・・、

 少し、いや、かなり、「風」を感じるな。



 付近には、その他歴史的な建築多し。散歩道として最高。


画像
画像




 さらに、付近には、古社寺等の史跡も多し。


 赤門のすぐ前にある法真寺

画像
画像




 付近のおすすめグルメ。


 いっしょもりていの太麺スープ焼きそば

 甘辛い超太麺のソース焼きそばとさっぱり醤油味スープのセット。

 そのままソース焼きそばとして食べる、つけ麺のようにして食べる、スープの中に入れてラーメンのようにして食べる、などなど、いろいろなバリエーションが楽しめ、それぞれ微妙に味、食感が変化して、なかなかおいしい。

 いつか作って、けっこう気に入った、黒石つゆ焼きそばに近いか。

画像
画像




そのほかの「記事目次」

「全体記事目次」

カンタータ日記・奥の院

浅田真央さん情報・最新版

宮沢賢治記事目次

カンタータ日記・大阪モダン建築図鑑

画像





この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

過去ログ

テーマ別記事