現代においてオケゲムを演奏するということ~ミサ「ロム・アルメ」☆ヴォーカル・アンサンブル・カペラ定期

 ヴォーカル・アンサンブル・カペラ 2012/2013シーズン定期公演

 オケゲム ミサ「ロム・アルメ」

  グレゴリオ聖歌とルネサンス・ポリフォニーによるミサ形式の演奏会

  @ 聖アンセルモ・カトリック目黒教会



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 * もちろん演奏中は撮影禁止ですが、休憩中や終演後は撮影OKということで、
   実際に使用したコワイヤブックなども、展示しておいてくれました。

   従って、以下の堂内の写真はすべて、演奏時間以外に撮影したもの。



 もう10年も前だろうか、
 中世や初期ルネサンスのヨーロッパ音楽の魅力にどっぷりとはまっていたわたしは、日本にヴォーカル・アンサンブル・カペラのような本格的なフランドル楽派専門の声楽アンサンブルが登場したことがうれしくって、その大部分の演奏会やレクチャー・コンサート、講演会等に足しげく通っていた。
 音楽監督の花井哲郎さんは、その他にも精力的に、中世のシャンソンやバロック音楽のアンサンブル、さらには何とバッハのカンタータの連続演奏会なども主宰なさっていたので、その頃は、ほとんど毎週のようにお顔を拝見したものだ。

 今回定期で、有名な割に実際にはあまり聴く機会の無い、オケゲムの「ロム・アルメ」を取り上げるということだったので、ほんとうに久しぶりに演奏会に行ってみた。

 だいたい、オケゲムのミサ全曲を生演奏で聴く機会など、ただでさえ少なく、貴重な経験なのだ。



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 久しぶりに、ヴォーカル・アンサンブル・カペラの演奏を聴いて、一番感じたのは、10年という年月の重みである。


 中世・初期ルネサンスの音楽は、日本の古い音楽のように演奏の伝統がきちんと継承されていない。場合によっては完全に隔絶してしまっている部分さえある。(この点は何百年にわたって継承される方が特殊だと言えるのだが)
 従って、頼りになるのは文化財のように残されている楽譜だけだが、この古い楽譜というのがくせもので、近代の楽譜と異なり、ほとんど音楽のガイドラインだけ。細密で美しい絵や装飾で飾られているものが多いくせに、かんじんの演奏に必要な情報の大部分は始めから書かれていない。旋法(現代の調性にあたると考えてください)自体が不明という場合がほとんどで、そもそも「ムジカ・フィクタ」の問題は必ずつきまとう。そればかりか、楽譜が傷んでいたり、さらに問題を複雑にする後補や削除等の修正が加えられているものも多い。
 特にオケゲムの音楽は、いかなる旋法でも演奏できたり、アクロバティックとも言える超絶技法が楽譜の背後に隠されている場合が多いのでなおさらややこしい。
 (CDなどによって、演奏云々以前にまったく異なる音楽に聞こえるのはそのためで、古い演奏などでは、まったく別物のようになってしまっていることさえある。今回の演奏会でもらった、いつもながら詳しくわかりやすいプログラムの中で、花井さんも、ムジカ・フィクタの解決の困難さに、「ひょっとすると、この「ロム・アルメ」も多義的な作品なのかも」とおっしゃっている)

 では、どうしたら、中世や初期ルネサンスの音楽を演奏することができるか。
 これはもう、経験に頼るしか無いのだ。当時の同種の音楽を可能な限り研究し、演奏しまくって、当時の音楽の語法になれる。
 当時の音楽を体にしみこませる。
 その困難さを考えると、冗談ではなく、今は亡きレオンハルト先生やジャック・フィニイの小説の登場人物よろしく、周りの環境を可能な限りその時代に近づけ、生活からその時代に浸かってみる、というのも、有効な方法なのではないか、とさえ思えてくる。
 そして、その経験に基づいて、その時その時に最良と思われる選択をして、楽譜を実際の音にしてゆくしかない。
 こうして、現在における新しい伝統をつくりあげてゆくのだ。
 中世・初期ルネサンスの音楽は、専門の演奏家でなければ・・・・、などとよく言われる所以である。

 その点、ヴォーカル・アンサンブル・カペラは、これまで、ただひたすら、フランドル楽派の音楽に取り組んできた。
 しかも、単なる「コンサート」でなく、本来それらの音楽が演奏された通り、教会という場所において、上のちらしのオケゲムの聖歌隊を描いた絵のまま、全員でコワイヤブックを取り囲む形で、しかもきちんとした典礼の中に位置付けて、それら、「失われた作品」を歌い続けてきた。
 この10年以上にわたる「経験」は、何ものにも替え難い武器である。
 花井さんは、フランドル楽派の音楽の演奏について、「現代のわたしたちが創造的に取り組んで、作曲家とともに作品を仕上げていくような楽しみ」があるとおっしゃっている。
 この言葉、簡単なようだが、実は、再現芸術である音楽の根幹にかかわるような大変重要な意味を持っていると思う。
 この言葉があるからこそ、わたしは、これが500年以上前の大作曲家、オケゲムの「ロム・アルメ」だ、と、心から安心し、音楽に耳を傾けることができるのだ。
 もちろん、それは、「可能な限り近い、現時点での最良の形」というだけで、花井さんも、「次回演奏される時には全く違っているかも」とおっしゃられているが、
 少なくとも、はるか昔に生きたオケゲムの心を間違いなく伝えるものだった、と、わたしは確信している。


 もちろん、ヴォーカル・アンサンブル・カペラの、演奏そのものの純度も、10年という時を経て、驚くほど高い次元に到達していることも、特筆すべき点。
 10年前に比べれば、それぞれの声の個性、華やかさはかなり落ち着いてきてはいるものの、かわりに、一つのアンサンブルとしてのまとまりは、もはや阿吽の呼吸×8で、それに加えて玄妙なまでの自由闊達さをさえ獲得しているように思う。
 まるで、全体が一人の人間(意志)の発する声、一つの楽器であるかのように、歌い出しなど、唐突なくらいさらりとしていながらもぴったりと呼吸が合っており、その後も、まるで川の流れのごとく自然に、音楽は進んでゆく。
 オケゲムの音楽は、とにかく各声部があらゆる束縛から解き放たれているかのように自由でいながら、実は大きな調和、揺るぎない美を形成している点が、その何よりの特徴なのだが、そんなオケゲムの音楽に、この類稀な「自由と自然さ」を獲得したアンサンブルは、何よりもふさわしいように感じられた。

 ある声部が、突然突風が巻き起こったかのように激しい歌を歌いだしたかと思うと、ある声部は、唐突に、高く高く舞い上がってゆく。その間中、ちがうある声部は、どっしりとした大地を思わせるような重厚な歌を、ただひたすら歌い続ける。
 また、ある声部同士が軽やかに追いかけっこを始めても、ある声部は、孤独なモノローグを決してやめようとはしない・・・・。
 オケゲムの音楽とは、かんたんに言うとそんな感じのくりかえしなのだが、
 それぞれの声部がまるでばらばらなことをやっているようでいながら、実は常に他のすべての声部のことを意識し、大切に思い、心が一つに結ばれていることによって、その音楽は初めて像を結び、真の姿を表す。
 今回の演奏会では、それが完全に目の前で繰り広げられているのを、確かに実感することができた。

 だからこそ、クレドの最後、全部の声部が、きらきらと、まばゆい光を巻き上げながら、一緒になって燃え上がるような部分などの迫力が圧倒的になる。
 ベネディクトゥスの繊細な語らいも、アニュス・デイの荘厳な祈りも、命を持って胸に迫ってくる。


 たゆまぬ継続に基づく経験によってのみ、演奏可能な、すばらしいオケゲムだった。



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 ミサ曲「ロム・アルメ」についても、かんたんに触れておこう。


 「ロム・アルメ」(ロマルメ。=戦士)という、不思議な、しかし何とも印象深い「歌」については、これまで何度も書いてきた。
 西洋音楽の歴史の中核を、まるで通奏低音のように貫いている、偉大なる俗謡「ロム・アルメ」。

 それに基づいて、たいていのフランドルやルネッサンスの作曲家は見事なミサ曲を残しているが、オケゲムもまた例外ではない。
 おそらく偉大なるデュファイの薫陶を受けながら、ビュノアなどと競い合うように作曲したのだろう。数あるミサ「ロム・アルメ」の中でも、最初期のものの一つで、名作の誉れ高い作品。


 「ロム・アルメ」に基づくミサは、不思議と、誰が書いても、美しい調和を持った作風になるのだが、オケゲムの場合もそう言ってしまっていいと思う。

 ただ、そこはオケゲム、この曲の場合は、いかにもルネッサンス的な均衡、というより、もっと原初的な力に満ちた、堂々たる、揺るぎなき安定。
 一方で、上記したような、オケゲム特有の、まるで風や波が絶えず変化するように、音楽の波動そのものが、大きく細かく、激しくやさしく、絶え間なくめまぐるしく変化してゆく魅力にもことかかない。

 今回、初めて実演でこの曲を聴いて、やはりオケゲムならではの傑作であると思った。

 それもまた、演奏の見事さのなせる結果。



 オケゲムの音楽は、決して消えることのない炎を思わせる。
 きらきらときらめきながら、あるいはぎらぎらと輝きながら、ゆらゆらと、あるいはごうごうと自由に燃え続ける炎。
 そして、その炎は、とてつもなく大きく、揺るぎない。絶えず揺らいではいるのだが、全体の存在感が、圧倒的で、揺るぎない。

 鮮やかに現代に生き続ける、オケゲムの音楽を目の当たりにし、あらためてそう思った。 
 
 くりかえしになるが、すばらしい、オケゲムだった。



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 その他、当日のプログラム等に関するメモ。


 オケゲムは、言うまでもなく、フランス国王直属の聖歌隊隊長、フランスで最高位の音楽家だったが、トゥールのサン・マルタン修道院にもかかわりがあった。(トゥールは、ついこの前の、ツール・ド・フランス第12ステージのゴールだった街だった)
 この修道院ゆかりの聖マルティヌスはキリスト教会の守護神としてまつられることが多いそうで、ミサ「ロム・アルメ」(=戦士)は、この聖マルティヌスの行事のために作曲されたのではないか、という説もあるらしい。

 それで、この日の演奏会は、聖マルティヌスのためのミサの再現、という形で、さまざまなグレゴリオ聖歌、祈祷、聖書朗読、アレルヤ唱などの中にオケゲムのミサ曲が組み込まれて演奏された。
 これが、いつものヴォーカル・アンサンブル・カペラのやり方。
 オケゲムの作曲したミサ自体は、おそらく3、40分程度の長さだと思うが、プログラム全体では、休憩を入れて2時間近くもかかった。

 かつてわたしがよく通っていたころ、お客さんは、広い教会の座席を半分埋めるかどうか、くらいだったが、この日は2階席までびっしりの超満員。

 しかし、見渡してみると、眠ってらっしゃる方が多かった。これはひとえに、この礼拝部分の長さ、単調さ、によるものと思われる。かくいうわたしも、オケゲムのミサの部分では、否が応にも神経が研ぎ澄まされるものの、それ以外の部分では実は何度かあぶない瞬間があった。

 しかし、安らかな眠りに誘われるのも、演奏会の楽しみ方の一つだし、前述のとおり、このやり方ありきの、ヴォーカル・アンサンブル・カペラなので、このまま、どこまでも突っ走っていただきたい。

 以上、信仰心のかけらも無い人間の勝手な感想。



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 最後に、教会の建築の見事さが、演奏をより印象的にしてくれたことにも、触れておきたい。

 この教会、外観自体は特に何の変哲もない箱型建築なのだが、内部の荘厳な雰囲気がすばらしい。
 そして、今回、自然現象の変化によってその荘厳な雰囲気がさらに高まり、そしてそれと相俟って演奏自体の感動もさらに高まるような、かけがえのない体験をした。


 これまでこの教会の演奏会には何度も足を運んだが、ほとんどが夜で、今回のような夏の夕方、陽が沈むような時間は初めてだった。

 以下、写真をからめてご説明します。


 <演奏会開始前の状況>

 柔らかな光が窓から入り込んでいる。すでに、十分美しいが・・・・。

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 <休憩時>

 窓から、差し込む夕日の光が、だんだんと長く、明るくなってきた。

 それにつれ、ステンドグラスも輝きを増してゆく。

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 <演奏会後半>(写真はナシ)

 窓から差し込む光は、音楽が佳境に進むにつれて、どんどん明るく、長くなってゆく。

 音楽に陶然としながら、光が、正面の十字架のある構造体にまで届けばいいのに、と、ぼんやりと思っていたら、最後のアニュス・デイに至って、光はついに構造体にまで到達し、構造体はきらきらと金色に輝き、十字架にはめ込まれた石は、様々な色にきらめいた。

 演奏会の最後に置かれた名曲、サルヴェ・レジーナ、そして、アンコールのアヴェ・マリアの頃には、堂内の正面に、何本もの光の柱が立ち上がっていた。

 サルヴェ・レジーナの、後のバッハのバセットヒェン楽曲を思わせる、透明な美しさをたたえた部分(むしろバッハがフィーチャリングした?)など、光の織りなす造形と一つになって、夢のような美しさだった。


 <終演後の状況>

 光の模様で、堂内はえらいことになっている。

 写真にはとらえられなかったが、画面の右側の方には、ステンドグラスの虹色の光がゆらゆらと揺れていた。

 オケゲムの音楽そのもの!

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 これが設計上、考慮されたことなのかどうかは定かではないが、すばらしいしかけだと思った。

 まだ行ったことのない、兵庫の浄土寺のことを、ふと思い描いた。



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 せっかくなので、聖アンセルモ・カトリック目黒教会の建築の外観もご紹介。


 ステンドグラスのある正面

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 側面。この窓の配列から、内部の荘厳な光の列が生み出される。

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 裏側。

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 事務棟。

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そのほかの「記事目次」

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カンタータ日記・大阪モダン建築図鑑

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この記事へのコメント

ANNA
2013年07月20日 23:02
Noraさん、こんばんは。

おお、なんとすばらしい演奏会におでかけになられたんですね。
これは、私も聴きたかったな。
実演で聴ける機会は、ほんとうに少ないですもの。
 私もオケゲムが大好きなのですが、音楽のなかに炎や風といった自然が持つ揺らぎというのかな...そういうものを感じながら聴いています。とても心地いいのです。オケゲムの音楽について綴られたNoraさんの文章に共感しながら読んでました。
 それから、こちらの教会がまたすばらしいですね。特にこの光の採り入れ方が、本当にすばらしいです。光の効果を考えた上で設計されたのでしょうか。
 ヴォーカル・アンサンブル・カペラ、年内は演奏会の予定が無いようですが今後、スケジュールをチェックして次回はぜひ聴いてみたいと思います。
2013年07月22日 21:15
 ANNAさん、こんばんは。
 オケゲム、いいですよね。この頃はよいCDがどんどんリリースされ、次々とその真の姿が明らかになってきたような気がします。

 この教会、ライトの弟子で、旧イタリア大使館日光別邸等で知られるレーモンドの事務所による設計です。窓がやたら多いのですが、すべて壁面にそのままではなく、少し傾けて、西を向くように取り付けられているので、(上の記事の中の外観・側面の写真参照)おそらく採光を考慮したうえでの設計だと思われます。
 教会の設計においては、やはり採光が重要なポイントになるというのを聞いたことがあります。
 レーモンドがらみの教会では、有名な軽井沢の聖パウロ教会や、東京女子大や新座立教学院のチャペルが思い出されますが、これらは、内部の採光がすばらしいばかりか外観も印象的ですね。

> ヴォーカル・アンサンブル・カペラ、年内は演奏会の予定が無いようですが

 秋から2013/2014シーズンが始まり、10月にジョスカン、来年1月にさまざまな作曲家のミサ断章、来夏には何と、ノートルダム・ミサを予定しているようです。マショーは、5、6年前にCDをリリースしているのですが、かなりちがうものになるのではないでしょうか。HPはまだ更新されていませんが、間もなく新しいスケジュールが出ると思いますので、チェックしてみてください。

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