黄金の輝きX’マスSP~筒美京平さんのこと、小泉今日子&薬師丸ひろ子他女性アイドルポップス名曲選付

 今さら、ですが、
 今年人気だったドラマ、「あまちゃん」。

 前半は、キョンキョン扮するお母さんが失われた自分自身を取り戻す物語だった、ということは以前書いたような気がするが、
 後半は、同じように、薬師丸ひろ子扮する「大物女優」が自分自身の原点に立ち返る物語だったように思う。
 (その中で、リアル社会のキョンキョンと薬師丸ひろ子のスタンスの違いまでもが容赦なく浮き彫りにされてしまい、ある意味シビアなドラマで、おもしろかった)


 それを受け、80年代アイドル歌謡ブームも再燃?したようだが、

 キョンキョンの歌でわたしが一番好きなのは、文句なしに「半分少女」、
 薬師丸ひろ子では、(大瀧詠一の「少しだけやさしく」とどちらにしようか少し迷うが)「あなたを・もっと・知りたくて」。

 どちらも、もちろん、筒美京平の作品。


 年末のスペシャル歌番組でも、80年代等のアイドル歌謡曲のコーナーが多くて、見ていると実に懐かしく、また往年の「アイドル」たちが現在もけっこう元気にがんばっているのでうれしくなるが、そのような中での筒美京平楽曲の登場頻度はやはりダントツだった。


 と、いうわけで、いい機会なので、筒美京平についての記事もアップしておこうと思う。
 
 もうかなり前のことになってしまいましたが、筒美京平についてのすごい番組を観たので、まずは、その番組の感想から。



 「稀代のヒットメーカー 作曲家 筒美京平」

    2011年 5月29日(日) BSプレミアムにてオンエア



 筒美京平さんは、ある意味、わたしにとっては、バッハやデュファイよりも大切な作曲家。
 (あまりこの名前は出したくないのだが、フィル・スペクターと同じくらい大切。)

 バッハとの本格的なつきあいは、一応、大人と言える年齢になってからのこと。 
 ところが、筒美京平の音楽は、何と言っても、物心ついたころから常に、まるで空気や水のようにごく身近な所に存在していたわけで、(一定の年齢以上の方だと誰もがそうだと思うが)
 かれこれもう40年以上もその音楽を聴き続けてきたことになる。
 そして、いつも聴いていた大好きな歌のほとんどすべてが、筒美京平というひとりの作曲家によってつくられたものだということがわかった時は、とても衝撃だったし、もちろん、それ以降は、常に熱烈なファンでありつづけてきた。 


 それなのに、動いてる筒美京平さんを見るのは、実はこれが初めてだった。
 従って、話を聞くのも初めて。

 さらには、ピアノ演奏やジャズセッションのシーンまで。
 伝説の人物が突然その姿をあらわした。

 橋本淳、松本隆という歴代の2大パートナー、
 80年代、自分ですべてのアレンジをやらなくなって以降、その手となり足となって多く筒美作品を手掛けたアレンジャーの船山基紀、
 エンジニアの内沼英二なども登場。
 これは、とんでもなく貴重な記録なのではないか。



 ある程度予想はしていたけれど、その予想をはるかに超えて、ものすごくクールで、即物的、無機質的な考え方、話し方をする人だった。
 物腰はやわらかいけれど、頑固で偏屈な数学教授か、建築家を思わせる。
 ちょっと古いけど、マンガの柳沢教授が近いか。


 「いい音楽」よりも「売れる音楽」が大切、というのが口癖だったそうだ。
 内外の新しい音楽は誰よりも敏感に吸収していた、とすべての人が口をそろえて称賛しているのに対しても、「新しい音楽」をつくるのなんかどうでもいいことで、「売れる音楽」をつくることが大事だった、と言い切る。
 伝説の「チョイ聴き」がそれを象徴している。

 さらに、
 「アイドルの歌は、とにかくその時々のキャッチーな音でどれだけ隙間を埋められるかが勝負」、
 「アーティストなんかになるよりも、「日本芸能協会株式会社」の中心としての役割をはたすべきだ」、(松本隆にかつて言ったという言葉)

 ・・・・などなど、過激発言続出。


 錚々たる大物歌手等からの、コメント、質問も。

 郷ひろみが、「デビュー当時僕は歌はまったくの初心者だったんですけど、それでも歌えるようにだいぶ苦労して作ってくださったんじゃないですか」と質問したのに対し、
 「郷くんは、だいぶ歌はうまくなったみたいだけど、あの頃は、今ではなくしてしまった声の面白さがあったからねえ・・・・」

 岩崎宏美が、「シンデレラ・ハネムーン」の現代にも通じるノリの良さを絶賛すると、
 「この人の歌唱力を生かすには、やはりしっとりした路線を貫いた方がよかったかもなあ・・・・」

 ・・・・などと、まったく鰾膠も無い。


 松本隆との対談では、
 せっかくの伝説の「超大物コンビ夢の対談」だというのに、
 「YMOはなんとなくわかってきたけど、はっぴいえんどはいまだにわからない」
 ・・・・と、わたしが最も嫌いな、「(音楽が)わかる、わからない」という言葉を多発。


 こうして書くと、何だかとんでもなくイヤなヤツみたい?

 だけど・・・・、
 わたしが、筒美さんのことが嫌いになってしまったか、というと、決してそんなことはなく、ある意味、ほんとうにわたしが思い描いていたとおり、
 その道一筋の大職人、としての姿が、改めて明らかになったわけです。

 常に平均点以上、というクオリティの作品群の中に、世紀の大傑作と、びっくりするほどつまらない曲が混じっている理由もこれでわかった。
 80年代、期待の大きい歌手に筒美京平が書く、という時は、あたりかはずれか、ドキドキしながらレコードの始めの音を聴いたことがなつかしい。


 さて、以上のような姿勢で作った歌だから、時の流れとともに、当然曲のイメージは古くなる。

 それが普遍的な「作品」足り得るのは、
 何よりも圧倒的なメロディーメーカーとしての資質と、
 その時代の歌手やアイドルの長所を見抜き、その存在感の強さを何倍にも増幅させ、インパクトを強烈なものにする、天性のプロデュース力のなのだろう。
 時代そのもの、すべてを刻印しているからこそ、時代を超える、というか。
 しかもその中核となるメロディーが、まごうことなき天才による、それこそ普遍的なものなのだ。

 筒美京平は、自身を厳しく職人と律しているが、
 実は、上記の2点において、彼は真の芸術家なのだ。しかも大天才。


 それにしても、筒美さんのメロディ、
 独特のしなやかで美しい音の流れが、心の奥の奥まで、しのびこんできて、
 聴き終わった後には、やさしくせつない余韻が残る、
 あの心にしみる、ワン・アンド・オンリー、かつナンバーワンなメロディ、
 このドキュメンタリーを見て、その秘密が何となくわかったような気がする。

 京平さんの語る自身の音楽遍歴を要約すると・・・・、

 たまたま入った霊南坂幼稚園で、「やしの実」の大中寅二の演奏に接し、
 (それからは度々訪れ、教会のオルガンを弾いていたという)
 音楽にあこがれ、自分からピアノを習いたい、と言い、ピアノを始める。
 小学校は、青山学院に進学、ここでは聖歌隊に入り、讃美歌を歌っていたが、やがてオルガンの伴奏を受け持つようになる。
 この頃、クラシックにどっぷりとはまり、一番のお気に入りは J.シュトラウス
 また、その一方で、華やかなものが好きだった母親の影響で、宝塚やアメリカン・ポップスにも親しみ、母に頼まれ、母が好きだったスコットランド民謡(アニー・ローリー)をよくピアノで聴かせていたとのこと。
 
 大学に入ると、大ピアニスト、エロール・ガーナーの洗礼を受け、今度はジャズにはまり、ジャズバンド活動にのめりこむ。
 当時の仲間とは、今もたまにセッションをしているという。(その貴重映像も流れた)

 大学を卒業すると、ピアニストの夢はあきらめ、レコード会社のプロデューサーに。
 洋楽アーティストの発掘等をしていたがなかなか売れず、
 浜口庫之助等の影響を受け、それならば売れる音楽を自分で作ろう、と、作曲家に。

 ・・・・というのが、だいたいのところ。

 つまり、実に幅広い、ありとあらゆるジャンルの音楽を吸収し、(しかも、そのすべてのジャンルに夢中になって)
 それが奇跡的に融合して、筒美メロディができあがった、というわけ。

 そしてやはり、その中核をなすものは、
 大中寅二の唱歌、賛美歌、スコットランド民謡、など、

 いかにもなつかしく、心の最も奥の琴線に触れて郷愁を誘うような音楽なのだった。


 実は、このブログでも、何度か筒美京平さんについて触れていて、
 特に、中川翔子さんのシングルを何枚か紹介してきました。

 そのシングルについて、感激の言葉を伝えるしょこたんに対し、

 他のどの歌手にも増して、一番やさしく、うれしそうに受け答えしていたのが、最も、印象的でした。

 「奇麗ア・ラ・モード」、京平さん自身、尋常ならざる気合いが入っていたことが判明。

 しょこたんも本望だろう。



 最後に、

 (こんな名曲を作った、などと言われるより)
 旅に出たまったく知らない場所で、誰かが自分の歌を口ずさんでいるのを聞くのが、一番うれしい、

 と、おしゃっていたのが、何よりも京平さんの生き様を物語ってるように思え、感動した。



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 おまけ


 極私的・筒美京平ポップスベスト20~女性アイドル編


 時代とともにめまぐるしく移り変わる筒美サウンドの、それぞれの段階を代表する作品、
 または、あらたな局面を打ち開く契機となったという意味において、最も重要と思われる作品を、
 勝手にいくつかリストアップしておきます。

 筒美京平さん自身、もっともやりたいことがやれた、と思われる女性アイドルを中心に、年代順。

 ちょっと偏った部分もありますが、もちろん、どの曲を聴いても、とびっきりの、心にしみる筒美京平メロディが味わえます。


 西田佐知子 「くれないホテル」 (作詞:橋本淳) 1969年

  初期のムード歌謡風な色合いが未だ濃厚な作品だが、
  同時期の夜明けのスキャットやブルー・ライト・ヨコハマより、一応こちらを。
  ムーンライダーズのカバーがあまりにも印象的だったので。


 南沙織 「哀愁のページ」 (作詞:有馬三恵子) 1971年

  「17歳」、「潮風のメロディ」から「思い出通り」、「Ms」くらいまで、南沙織の曲はみんなすばらしい。
  この曲を選んだのは、とりあえず好み。


 平山みき 「真夏の出来事」 (作詞:橋本淳) 1971年

  ’71~’72年くらいの筒美京平の創作力は、とにかくすさまじい。
  ちなみに’71年は、「また逢う日まで」の年。


 麻丘めぐみ 「芽ばえ」 (作詞:千家和也) 1972年

  今改めて聞いてみると、かなりすごい歌。
  驚くほど重たい歌詞を、やわらかで美しいメロディが包み込んでいて、
  結局、聴いた後、やさしくさわやかな気持ちが残る。


 小林麻美 「初恋のメロディー」 (作詞:橋本淳) 1972年

  後年、森尾由美が衝撃のカバーをしてしまった名曲。


 浅田美代子 「ひとりっ子甘えっ子」 (作詞:小谷夏) 1973年

  元祖癒し系歌声?


 岩崎宏美 「私たち」 (作詞:阿久悠) 1975年

  「ロマンス」のB面。後年のさまざまなアイドルに影響を与えた。
  A面に負けない隠れた大名曲。


 太田裕美 「しあわせ未満」 (作詞:松本隆) 1975年

  モニュメンタルな「木綿のハンカチーフ」、本格的ボサノバ「恋愛遊戯」など、
  太田裕美も名曲ぞろい。
  筒美京平の唯一の弱点は、ベタな短調曲が多いことだが、(特にアルバムの曲など)
  この曲などは、歌声のせいか、実に清々しく、美しい。

  (気合を入れて作った短調曲がどこかベタになり、
   何気ない長調曲が、時として悲しいまでに美しいあたり、
   どこかモーツァルトと共通する??)


 ジュディ・オング 「魅せられて」 (作詞:阿木燿子) 1979年

  いろいろな意味で、筒美京平を代表する名曲。
  決してアイドル、というわけではなかったけど。


 以下、いわゆる80年代アイドル~20世紀の終わりまで。

 ちなみに、よく知られていることですが、松田聖子、中森明菜へは(たぶん)曲を提供していません。


 小泉今日子 「半分少女」 (作詞:橋本淳) 1983年

  橋本淳との黄金コンビが突如復活!
  80年代アイドル歌謡を代表する名曲。(だとわたしは思う)

  キョンキョンは、「真っ赤な女の子」、「夏のタイムマシーン」、どれもすばらしい。


 早見優 「ラッキィ・リップス」 (作詞:三浦徳子) 1983年

  「夏色のナンシー」、「渚のライオン」、どれもすばらしい。


 松本伊代 「TVの国からキラキラ」 (作詞:糸井重里) 1983年

  実は松本伊代は、この後かなり長い期間にわたって、
  筒美作品ではないが、
  「時に愛は」、「悲しくてやりきれない」(カバー)、サヨナラ三部作など、
  印象的なシングルをリリースし続けている。


 斉藤由貴 「卒業」 (作詞:松本隆) 1985年

  筒美京平(&松本隆)の言わずと知れた最高傑作。
  当時の斉藤由貴の神がかった声によるところも大きい。
  「初戀」もいいが、やはり、こちらをあげないと。


 薬師丸ひろ子 「あなたを・もっと・知りたくて」 (作詞:松本隆) 1985年

  メロディ、歌詞、歌声、3拍子揃った大名曲だが、
  せりふがかなり恥ずかしい。  


 今井美樹 「野生の風」 (作詞:川村真澄) 1987年

  映画「漂流教室」のテーマでした。
  「漂流教室」を何よりも愛するわたしにとって、大切な歌。


 森高千里 「八月の恋」 (作詞:森高千里) 1991年

  「17才」のカバーが有名な森高千里ですが、
  オリジナルの京平ソングも歌っていて、なかなかいい曲です。歌詞もいい。


 NOKKO 「人魚」 (作詞:NOKKO) 1994年

  TVドラマ版「時をかける少女」のテーマでした。
  「時をかける少女」を何よりも愛するわたしにとって、大切な歌。


 内田有紀 「明日は明日の風が吹く」 (作詞:岩切修子) 1995年

  その「時をかける少女」主演の内田有紀が、
  (意外にも?)しっとりとした曲調にぴったりの味わい深い歌声を聴かせてくれた。


 21世紀になってから。

 超一流の職人魂、健在!


 安倍麻美 「卒業」 (作詞:安倍麻美) 2004年

  よくこのタイトルでシングルを出したな、と驚いたが、
  (始めはまさかカバーだろう、と思った)
  意外と心に響く、21世紀の「卒業」でした。安倍麻美も熱唱。


 中川翔子 「綺麗ア・ラ・モード」 (作詞:松本隆) 2008年

  これについては、以前記事まで書いてしまいました。




 
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