アバドのバッハ、晩年の声楽曲CD等(最新CD情報付)&ネゼ=セガン&ド・ビリーへの期待【昇天節他】

 今日(5月29日)は、昇天節。

 カンタータは、

 1年目の定型カンタータ、BWV37
 2年目、ツィーグラー・シリーズのBWV128
 3年目のBWV43
 おなじみ、昇天節オラトリオBWV11。 


 引き続き、今度の日曜日(6月1日)は、復活節後第6日曜日となり、

 カンタータは、

 カンタータは、
 1年目、最後の定型カンタータ、BWV44
 2年目、ツィーグラー・シリーズ、BWV183


 緑の清々しい季節。

 そんな今の季節ならでは、の、名作カンタータのオンパレード!


 過去記事は、こちら↓


 <昇天節>

    春にお別れ・ひび割れた名品(BWV37他)
    お気に入りのアリア 「夏への扉」(BWV128)
      * コメント部分
    ひび割れた名品、再び・ロ短調ミサと薬師寺大伽藍(BWV37、128)

 <復活節後第6日曜>

    復活節後第6日曜(BWV44他)



 アバドがわたしたちに残してくれた録音&映像は(特に最晩年のものは)、その一つ一つが正にかけがえのない宝物で、アバドが亡くなって以降、ますますそれらの演奏に耳を傾けることが多くなっています。
 そして、失ってしまったものの大きさを思い知らされる今日この頃です。

 これまで、ルツェルン音楽祭の定番だったブルックナーやマーラーのすばらしさについては、何度も書いてきましたが、今回、その幽玄の極みとも言える大きな流れがたどりついた究極の姿を記録したであろうCDが、満を持してリリースされるので、まずは、そのお知らせから。


 ついに、ついにこのCDがリリースされる・・・・!


 ブルックナー9番(’13 ルツェルン音楽祭、アバド最後のコンサートのライブ)

 タワレコ公式HP


 もちろん、これは、すでに時の彼方に消えて無くなってしまったものを、文明の力でむりやりこの地上に再現する、単なる記録(レコード)にすぎないけれど、あの日あの時、わたしたちが、耳にするはずだった音楽に、おそらく最も近い音楽。

 この最後の演奏会の1年前の1番のすごさは、これまで書きまくってきた通り。
 今度は、9番。

 わたしは、フィナーレ付でないと何となくしっくりこないのですが、巷では最高傑作と言われている9番。
 いったい、どのような音楽が響いていることか・・・・!
 もはや、想像もつきません。


 心して、リリースを待て! 



 さて、そんなわけで、アバドと言えば、いつもブルックナーやマーラーのことばかり書いていて、かんじんのバッハについてはこれまでほとんど取り上げることが無かったので、今回は、とっておきのバッハのCDを取り上げてみたいと思います。



 アバドのバッハ、それから晩年の声楽曲


  ~カンタータのかわりに~



 アバドのバッハを1枚選ぶとしたら・・・・、

 これ、かな。


 シェーンベルク「ワルシャワの生き残り」&ウェーベルン管弦楽集

  アバド&ウィーン・フィル


画像

 

 アバドには、晩年に腕利きの仲間たちと共演した、音楽の楽しみに満ち溢れたすばらしいブランデンブルク、直球ど真ん中の見事な正統的バッハ演奏もありますが、今回選んだのは、ちょっと変化球の一枚。

 ウェーベルンによるあまりにも有名な編曲もの。
 アバド自身の演奏も、才気活発、颯爽としたしなやかさも比類無い。
 ウィーンフィルの美しさもただ事ではない。
 よく言われる「現代のバッハ演奏」からすると、何もかもが変化球なんだけど、だからこそかえって、原曲の恐るべき普遍性がその真の姿を現しているような気がする。

 もちろん、メインのウェーベルンの管弦楽曲も、リリシズムあふれる名演。



 ただ、わたしとしては、ほんとうのところ、あの晩年の境地のアバドの、(カンタータは無理にしても)何かバッハの声楽曲を聴きたかった。

 晩年のアバドはバッハの声楽曲を残していないようなので、

 お次は、そのかわり?の一枚。


 モーツァルト 孤児院ミサ&シューベルトミサ曲第6番 (ブルーレイ)

  アバド&モーツァルト管、アルノルト・シェーンベルグ合唱団


画像



 こちら、アバド晩年の声楽曲の超名演。’12年のザルツブルク音楽祭ライブ。

 曲はバッハではないのが残念だけれど、負けず劣らず魅力的なシューベルトの最晩年の大傑作とモーツァルトの最初期のミサ曲。
 シューベルトのミサは、いつも聴いている間はこんな美しい音楽が他にあるだろうかと思ってしまうくらい大好きな作品。
 声を大にして言いたいが、この作品、ほんとうにすごい!
 シューベルトの晩年作品に特有の、聴いているうちに何だかやるせなくてせつない気持ちに胸がしめつけられるようになってしまういつ果てるともしれない旋律が、他ならぬ人間の声によって歌われるすさまじさ。
 シューベルトの場合、たまにアヴェ・マリアなんかを聴いていると、こんな天上に始めから存在しているような旋律を、よく人間が創り出すことができたもんだと改めて感心してしまうことがあるが、そういう類の旋律の宝庫でもある。
 モーツァルトも、まだ10代の少年時代の作品だが、何の汚れも無い、純白の音楽。わたしにとっては、レクイエムなんかよりはずっと聴きやすい。
 そして、それらの音楽を演奏するアバド指揮のオケの、柔らかな微光を発しているかのような音色、軽やかな浮遊感、そして颯爽たる疾走感。
 合唱団も研ぎ澄まされ、ごくたまに、人間が発している声なのか、他の何かの音なのか、わからない瞬間があるほど。

 アバド晩年のバッハの声楽曲が残されていない中で、このブルーレイは、その大きな穴を埋めて余りある大切な宝物。


 アバド最晩年の声楽曲では、’13年の、こちらはルツェルン音楽祭のグレの歌(間奏曲と山鳩の歌)もすごかった。(冒頭にあげたCDリリース情報のブルックナーは、この直後の演奏)

 全曲でないのが残念ですが、上記ブルーレイのシューベルトほかと双璧の大演奏だと思う。

 アバドの気迫あふれ、なおかつやわらかな指揮に、まったく衰えは見られない。

 いっしょに演奏されたエロイカ等も、天馬空をゆくような、しかも大空いっぱい思いっきり自由に飛び回るような、ちょっと他では聞けないような演奏。

 このライブのブルーレイも、リリースされたようだ。アバド最後のルツェルン音楽祭のかけがえのない記録が、また一つ、増えました。



 一応、こちらも。

 これが、アバド晩年のバッハだ。前にも、ご紹介した?


 ブランデンブルク協奏曲 (ブルーレイ)

  アバド&モーツァルト管+ソリスト


画像
  


 やはり、こういう曲は、映像の方が圧倒的に楽しい。
  
 生き生きとして楽興にあふれた演奏を聴くと、やはり、何でもいいから、晩年の境地におけるバッハの声楽曲が聴きたかった・・・・!



 <参考BD>


 アバドとは直接関係ありませんが、こちらは、最近聴いたバッハ声楽曲のとんでもない名演。参考に。

 あのフライブルク・バロック・オーケストラとビラーさん率いるトーマス・コアが共演した、ロ短調ミサ曲の注目盤、決定盤。(ブルーレイディスク)


画像


 
 おそらく新しいものと古いものの融合、などという方も多いと思う。一見その通りで決してまちがってはいないんだけど、そんななまやさしいものではない。
 もはや時代や様式という次元を超えた、まったく個性が異なる、というかまったく違う存在どおしがぶつかり合い、火花をちらして、その中から、奇跡的な調和に貫かれた一つの巨大な構造物が建ち上がってくるすさまじさ!
 もともとフライブルク・バロック・オーケストラの音造りがそういう感じだし、そもそもロ短調ミサという曲自体が、そのような音楽だったではないか。

 いずれじしても、現代最先端とも言えるバッハ演奏の音響空間の中核で、バッハ演奏の偉大なる伝統が、巨大な炎のようにしっかりと屹立しているのを目の当たりにした。やはりトーマス・カントル伝統は特別。


 そして、この新旧バッハ演奏の最高峰どうしが融合した演奏、なぜか、上記ブルーレイ等に聴くアバドの声楽演奏、あるいはブランデンブルク等に、相通じるものを持っているのだ。

 外面的なことでなく、その根幹をなす精神とでもいうべき部分において。


 いずれ、くわしく感想を書くつもり。



 最近、とてもよく聴いているので、またこれものせておきます。

 アバドの残してくれた宝箱。

 
 アバド・シンフォニーBOX


画像



 各作曲家ごとのお手軽BOXも、リリースされたみたい。


 少しづつ聴き進めている。いつどこを聴いてもすばらしい。

 =栄光の独墺系交響曲の連なり、そのもののすばらしさ。

 有名交響曲に関しては、もうこのBOXがあればいいくらい。演奏者の「名人芸」を聴きたい方には物足りないのかもしれませんが、想像力を限る無く刺激してくれる真の芸術。



 そして・・・・。


 最後に、アバド亡き後、未来に大いなる希望を感じさせてくれる一枚。


 シューマン 交響曲全集

  ヤニック・ネゼ=セガン&ヨーロッパ室内管弦楽団


画像



 いよいよ、待ちに待ったフィラデルフィア管弦楽団を率いての来日公演

 来日公演の予習で、最近は、ずっとこれを聴いている。
 曲は、今回の来日公演曲目とぜんぜんちがうけど。


 上記アバドBOXには、たいていのメジャー作曲家の交響曲全集が含まれているのだが、シューマンの全集だけは欠けているので、迷わず購入したもの。



 ところで、ネゼ=セガンの今回の来日公演のプログラム、チャイコフスキー・ナイト(Vn協+悲愴)とモーツァルト&マーラー・ナイト(ジュピター+巨人)、どちらにするかさんざん迷った末、チャイコフスキーの方にした。

 「巨人」もネゼ=セガンにぴったりのような気がしてものすごく聴きたかったのだけれど、お金を払い、かしこまってジュピターを聴くのは何だがわたしにはがまんできないような気がしたので。

 だが、チケットを取った後になって、同じ日に、ベルトラン・ド・ビリー&東フィルの英雄ナイト(エロイカ+英雄の生涯!)があることを知った。
 こんなことなら、「巨人」の方にしておけばよかった。
 ネゼ=セガンとド・ビリー、これまでずっと注目してきた、今や大人気の二人の「オペラ指揮者」のホール・コンサートを、二夜連続で聴くことができたのに・・・・!


 ・・・・と、がっくりしつつ、2日連続だとさすがに疲れるからな、などとむりやりあきらめようとしていたところ、これもずっと行くかどうか迷っていた、同じくド・ビリーが指揮する新国立劇場の「アラベッラ」の平日公演が、前日になってもまだ席が残っていて発売中であることを確認。
 これさいわい、これも何かのおぼしめし?、と、昨日、突然意を決して、行ってまいりました。
 今年は、R・シュトラウス・イヤー。ちょうど、何か絶対にシュトラウスのオペラを観よう、と思っていたのだ。

 結果、ほんとうに行ってよかった。

 あまりにもおバカでトホホ・・・・、なストーリー。
 R.シュトラウスの豪華絢爛でゴージャスなイメージからすると、あまりにも精緻で、室内楽的な音楽の数々&ド・ビリーの指揮、などなど、
 もしかしたら一般的な評価は定まりにくい公演かもしれませんが、熱烈なR.シュトラウス・ファンとしては、これ以上ありえないほどの至福のひと時を過ごすことができました。

 ここでは本題からそれてしまうので、このくらいでやめておくことにして、このオペラ鑑賞に関しては、近日改めてきちっとした感想をアップします。


 いずれにしても、こうして、ド・ビリーの、最高とも言える芸術を堪能することができ、そして、この後は、数日を置いて、今度は、ネゼ=セガン、ほんとうに楽しみ。
 こちらも、コンサート後に、もちろん感想を書きます。 



 いずれにしても、アバドさんはもういないが、その後に続く才能が、次々と開化し始めている。

 そういう今のわたしたちと同じ時代を生きている演奏家の音楽に、今後もどんどん耳を傾けてゆきたいものだ。





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