全ては純白の中に~ブルックナー最後の交響曲、アバドさん最後の録音~ルツェルン音楽祭のブルックナー9番

 * 7月24日、一部つけたし。



 すでに予約していたのだが、リリースを知らせるタワーレコードのツイートを見て、もういても立ってもいられず、CDショップに走ってしまった。
 こんなことは久しぶり。

 2枚所有することになってしまうが、聴きつぶし用と保存用にする。こんな気持ちになったのも久しぶりのこと。



 ブルックナー 交響曲第9番

  クラウディオ・アバド指揮、ルツェルン祝祭管弦楽団


画像




 それにしても、何という音楽だろう!
 
 音楽はここまで柔らかに、しなやかになれるのか。
 音楽はここまで静かに、透明になれるのか。
 そして、音楽はここまでやさしくなれるのか。

 基本的には、以前書いたルツェルンの5番の名演と同じ、壮大な部分は意外なくらいに豪快で輝かしく、美しい部分はどこまでも流麗、そして何よりも全編歌にあふれた大演奏、と言っていいだろう。

 ただ、

 音楽は、最初から得も言われぬほどに美しい微光を帯びている。
 それは進むにつれて、どんどん純度を増して透みわたり、楽器はもはや地上の楽器ではないかのように響いて、やがてすべては完全無欠な純白の世界の中に溶けてゆく。

 9番には、激しい宇宙の鳴動を思わせるような金管の咆哮が、世界の終わりのような不協和音があるだろう、と思われる方もいらっしゃるだろう。

 いやいや、ここでは、どんな不協和音も、金管の咆哮も、深い叡智と汲めどもつきせぬ滋味にあふれているのです。
 そのすべてが、あのロ短調ミサ曲にも通じるような、感謝に貫かれている。

 これが、ブルックナーの9番なのだ。何よりも、ブルックナーの9番という音楽が、そのような音楽だったのだ。

 このブログでは、これまで、第9番に関しては、さんざん悪口みたいな軽口を叩いてきました。
 ごめんなさい。ちょっと反省しています。

 ブルックナーには、生涯の最後にこのような音楽を書いてくれたことについて、心から感謝したい。
 そして、アバドさん、生涯の最後に、その音楽を、そのまんま、最高の形でわたしたちに届けてくれて、ほんとうにありがとう。


 とにかく待ちこがれてきたCDだ。

 何かもっと、きちっと感想を書かねばとも思うが、いざこのような演奏を前にしてしまうと、自分の表現能力の無さを思い知らされるし、これだけの演奏について細かいことをくどくど語ることに、果たしてどれほどの意味があるだろうか。
 だから、ここでは、極めて個人的な、しかも茫洋とした印象みたいなことをちょこっとだけ。

 これは初めて聴いた時からそうなのだが、わたしは、この演奏を聴くと、ある種独特な感情に心を満たされる。
 例えば最高の仏像を目の前にしているのと同じような種類の幸福感、と言うか。
 ちょっと突拍子も無い例えかもしれないが、ほんとうにそうなのだからしかたない。
 決して、最後の曲、最後の演奏だから、というわけではないし、宗教的、というようなことを言っているのではない。
 わたしが仏像を観て「最高」だと感じる基準としては、作品自体のとびぬけた芸術性、というのももちろんなのだが、どうやらそれ以上に、気の遠くなるような長い年月の間にその仏像に積み重なった人々の思いの大きさ、という点が大きいように思える。
 そのような、作品に込められた人間の思い、作品が背負っている人間の精神の強さ、大きさ、という点で、このブルックナーの演奏と仏像とは、限りなく近しいように感じられるのだ。

 確かにこの音楽はブルックナーという一人の人間が書き上げたものだが、ブルックナーは、自分自身以前の錚々たる大作曲家たちの精神を背負っているし、演奏しているアバドさんも、やはり錚々たる大演奏家たちの精神を背負っている。
 さらには、実際に演奏している若い芸術家たちの、ブルックナーに対する思い、アバドさんに対する思い。
 それらすべてが一つの大きな円となって結実し、このディスクにはしっかりと刻印されているような気がする。
 あたかも光る風のように流れゆく音楽のあちらこちらで、デュファイの、バッハの、ベートーヴェンの木霊が聞こえるし、ブルックナーを得意として演奏してきた大指揮者たちの思い出や、最新の古楽奏者たちのきらめきまでもが交錯する。そしてそれらのすべては、ただただブルックナーの音楽を表現している。すべてがブルックナーの音楽を核としてつながっている。
 作曲者その人の精神と、その作曲者を中心として過去と未来に綿々と続いてゆく人間の精神の連なり全体、その双方が、これほどまでに強烈に感じられる演奏は、滅多に無いのではないか。
 このことは、一人の人間の強烈な個性ではなく、たくさんの、しかしその一つ一つがかけがえの無い個性がぶつかり合い、やがては協調しあってともに作品をつくりあげてゆくという、アバドさんが生涯を通じて貫き通した演奏スタイルとも、鮮やかにリンクしているのだ。
 真に普遍的な力を獲得した芸術作品というのは、概してそのようなものだと思う。

 アバドさんがこのような演奏に到達したのは、ある意味必然だったのかもしれない。

 何を書いているのか自分でもよくわからなくなりそうなので、もうやめよう。
 このような美を前にしてしまったら、ただただ沈黙するより他無いのかもしれない。


 いずれにしても、こうなると、ブルックナーがこの曲を完成できなかったこと、そして、昨年のアバドさんのこの曲の日本公演が中止になってしまったことがますます残念でならないが、
 このCDの存在は、その寂寥感、喪失感を補って余りあるものだ。

 ここに記録されているのは、あくまでもすでに永遠に失われてしまった音楽の幻影にすぎないけれど、それほど想像力を働かさなくとも、ブルックナーの心にあった「音楽」を、しっかりと心に受け止めることができるのだから。


 ちょうど1年前の、同じくルツェルン音楽祭のブルックナーの1番のライブを、あらゆるブルックナーのCDの中でも最高のCD、と書いた時には信じてくださらなかった方も、
 その1番と、そしてこの9番とが、「ブルックナーの最高のCD」、と書けば、きっと信じてくださるだろう。

 一人でも多くの方に聴いてほしい1枚。

 とにかく、ご自分の耳で、体験してください。



 7月24日追記


 聴いた直後はほとんど実のあることが書けなかったので、何度もくりかえし聴いた上での冷静な感想を少しだけ。
 
 とか言いながらも、結局は同じようなことのくりかえしになってしまうけれど、とにかく最も強く感じるのは、このアバドさんの演奏が、強烈な個性によってオケを統率しているようなものではなくて、ただ単に、オケのメンバー、一人一人の「アーティスト」に、ありったけの思いのこもったでき得る限りの演奏をさせているような種類のものだということ。
 ものすごくシンプルであたりまえのことなんだけれども、これこそが音楽の基本、原点なのではないだろうか。

 この結果、周知のとおりこの演奏はアバドさん最後のコンサートというある意味特殊な状況下のものなわけだが、よくあるような体調面での不安などは微塵も感じられず、すべてはプラスに、ただひたすら音楽の美しさへと、すさまじいエネルギーをもって集約されている。

 ブルックナー、ということに関してみてみれば、このことによって、筋金入りの合唱マニア・ブルックナーならではの、バッハ、さらに遡ってルネッサンスや中世に通じるような不思議な対位法が鮮やかに浮かび上がっている。
 始めからから終わりまで、ぞくぞくするような響きが続出。
 人によっては、「ブルックナーにしては」あまりにも流麗にすぎるのでは?と思う方もいらっしゃるかもしれないが、この綿々と絡み合いながらゆるやかに続く対位法の綾こそが、ブルックナーでわたしが最も好きなところの一つであり、他の何よりも魅力的な、かけがえのないブルックナーのキモなのではないだろうか。

 つまりは、アバドさんが生涯を賭けて追及し続けてきたことが、このブルックナーの驚くべき演奏に結び付いた、
 やはり、この一点につきる、ということ。





そのほかの「記事目次」

「全体記事目次」

カンタータ日記・奥の院

浅田真央さん情報・最新版

宮沢賢治記事目次

カンタータ日記・大阪モダン建築図鑑

画像





この記事へのコメント

ANNA
2014年07月22日 18:18
Noraさん、こんにちは。

昨年10月に予定されていたサントリーホールでの公演、私もチケットを求めてました。アバドさんのブルックナーを楽しみにしていた1人です。

今から20年近く前になるでしょうか。アバドさんがベルリン・フィル、スウェーデン放送合唱団、エリック・エリクソン室内合唱団を率いて来日し、その時の演目マーラーのシンフォニー2番をテレビで聴いて、とても感動しました。テレビに張り付くようにして聴いていたと思います。

Noraさんの記事を拝見して、先日、私もこのアルバムを求めました。
アバドさんの音楽に実演で接することは叶いませんでしたが、こうして今、思いがけずアバドさんから音楽の贈りものが届いたようで、胸がいっぱいです。
2014年07月24日 10:36
 ANNAさん、おはようございます。

> サントリーホールでの公演、私もチケットを求めてました。

 ANNAさんも、お聴きになる予定でしたか。 
 昨年のアバドさん&ルツェルン祝祭Oの来日公演は、特別な思いをもって楽しみにしていた方が大勢いらっしゃったようなので、来日中止とそれに続くアバドさん逝去による音楽会のショックは計り知れないほど大きかったのではないでしょうか。
 でも、このように最高とも言える瞬間がしっかりと記録された、さまざまな意味で理想的なCDを残してくれたことは、あらゆる音楽ファンにとって幸福なことだと思います。
 おっしゃるとおり、かけがえのない音楽の贈りものですね。

> マーラーのシンフォニー2番をテレビで聴いて、とても感動しました。

 わたしがアバドさんに傾倒するようになったのは、ものすごく遅くて、晩年のルツェルン音楽祭のライブを聴くようになってからです。
 以前記事にも書いたと思いますが、きっかけは、やはりマーラーだったと思います(3番)。どちらかというと苦手だったマーラーの音楽が、大好きなブルックナーと同じように心に染みこんできました。
 今BOXなどで、それ以前の録音等も聴いているところですが、かなり若い頃から晩年とほとんど同じような音造りをしていて驚かされます。
 ベルリンフィル常任の重圧等、計り知れない苦労もあったと思いますが、その中でまったくぶれずに自分の信じる音楽を貫いていることがよくわかり、感動的です。 

この記事へのトラックバック

過去ログ

テーマ別記事