二種類の「巨人」~今年前半をおさらいするディスク&TV放送その1【三位一体節後4】

 梅雨もなかなか明けず、全国的に雨の被害も多い上に、超大型台風までが全国を縦断中、心配です。


 そんな中、サッカーW杯ブラジル大会、いよいよクライマックスを迎えますが、
 一方で、今年もツール・ド・フランスが開幕、こちらは一足早く夏本番!

 序章と言うべき熱狂のイギリスステージのうち、第1、2ステージ、そしてフランスでのスタート、第4ステージは、Jcomでも観られるJスポ3で生放送してくれたので、臨場感満点の放送をずっと観ることがました。
 カヴェンディッシュやフルームの落車など、いきなり思いがけない事態が続出。(カヴェンディシュは第1戦でリタイヤ、ということになってしまった)
 そんな中、昨年さいたまで観てすっかり魅了されたキッテル&サガンが、今年もいかにもそれぞれらしい強さを見せつけてくれていて、またヴォクレールやニバリなども暴れまくっている。
 イギリスやフランスの美しい風景と合わせ、早くもさまざまなドラマが続出、やはり飛びぬけておもしろい。

 これからは、昨年同様、BSの「まいにちツール」&インターネットのストリーミング放送で、連日の熱戦を追っていきたいと思います。



 さて、今度の日曜日(7月13日・三位一体節後第4日曜日)のカンタータは、


 初期(1715年)のBWV185
 第1年巻の珠玉作、BWV24
 後期のコラール・カンタータ年巻補完の大傑作、BWV177

 の3曲です。


 第1年巻のBWV24は、バッハがライプツィヒデビューに際して気合入りまくりで超大作を連続して書き上げた後、ふっと力を抜いて、心のありのままを映しだしたかのような、小規模ながら真摯な、心にしみわたる名品中の名品です。特に第1曲アリアが絶品。

 一方、後期のBWV177
 コラール・カンタータですが、後期の年巻補完作なので、のびのびとした魅力にあふれ、いよいよ夏本番、という感じ。
 おおらかで雄大な冒頭大合唱。
 正に夏風が空を渡りゆくかのようなその響きに乗って、たどりついたのは、アリアの花園。
 アルト、ソプラノ、テノールと、至福のアリアが3曲も連なるぜいたく。後はただただ、その花園で憩うだけ。
 後期バッハならではの、「大人のカンタータ」です。


 過去記事は、こちら。↓


 <三位一体節後第4日曜>

    お気に入りのアリア5・ロマン風マリア(BWV24他)
    三位一体節後第4日曜(BWV177)


 <三位一体節後第3日曜>

    始まりはいつも Overture(BWV135他)
    (参考資料) コラールカンタータ年巻 「始まりの4曲」 一覧
    三位一体節後第3日曜(BWV21、135)



 最近、この春行ったコンサート等をおさらいするような、CDやブルーレイ、TVのライブ放送などをまとめて観たので、何回かにわけて感想を。



 記憶に新しいネゼ=セガンの来日公演、予想をはるかに上回るインパクトで、大満足。
 ネゼ=セガンという人の計り知れない才能を改めて思い知らされましたが、そうなると、唯一残念だった点は、マーラー「巨人」をメインとしたもう一つのプログラムを聴けなかったこと。
 多少無理をしてでも、やはり聴くべきだったか、などと、ぐちぐちと思っていたところ、
 何ともタイムリーなことに、今度はこの人の、「巨人」の新譜が届きました。


 ヘンゲルブロックの「巨人」


 マーラー 交響曲第1番「巨人」(1893年ハンブルグ稿・5楽章版)

  トーマス・ヘンゲルブロック指揮、北ドイツ放送交響楽団


画像



 北ドイツ放送交響楽団の音楽監督も、いよいよ3年目に突入し、ヘンゲルブロック、満を持しての、ソニー・クラシカルレーベルでは自身初?となる後期ロマン派録音。
 しかも、そこはこだわりマイスター・ヘンゲルブロック、ただの「巨人」ではなく、地元ゆかりのハンブルク稿、さらには、自身も編集にかかわったという、新全集版の世界初録音という凝りよう。
 マーラーのことなどよく知らないので、それがどんなにすごいのかはよくわからないが。

 これで、ブルックナーのCDリリースという夢に、また一歩近づいた。
 (もっとも、これで一気に現代にまで行っちゃいそうな気もするな)


 演奏は、再生装置から鮮烈な色彩が飛び出してきそうなほどに生き生きとしたもの。

 タイタンは、実にさまざまな要素が、これでもか、これでもか、と詰め込まれたおもちゃ箱みたいな曲だと思うが、それらのさまざまな要素が、それぞれ考え得る最高の表現で次から次へと展開されてゆき、聴いていると、まるで不思議な魔法の万華鏡でも観ているような感覚にとらわれる。
 ハンブルク稿ならではの楽しさとも言えるが、だからと言ってちぐはぐな印象は皆無で、全体はヘンゲルブロックならではの青春の息吹と深い英知で貫かれている。

 いずれにしても、このように、力と思考とを兼ね備えた堂々たる演奏を聴くと、やはり、ヘンゲルブロックは、ちょっと次元が違っているような気がしてくる。
 また、来ないかな。

 
 HMV公式HPより、収録内容。


 ・マーラー:交響曲第1番ニ長調『巨人』[1893年ハンブルク稿] [54:34]

 第1部『青春の日々より~花・果実・茨』
  第1楽章:春、そして終わることなく [14:22]
  第2楽章:花の章 [05:28]
  第3楽章:順風満帆 [06:10]

 第2部『人間喜劇』
  第4楽章:難破!~カロ風の葬送行進曲 [09:22]
  第5楽章:地獄から [19:12]



 こちらは、その「巨人」を聴き損ねた、ネゼ=セガン&フィラデルフィア管の最新CD。

 偉大なる「ファンタジア」・オーケストラの復活と言う記事を書いたばかりだが、

 そのものズバリの、「ファンタジア」・アルバム


 STRAVINSKY STOKOWSKI ストラヴィンスキー・ストコフスキー

 春の祭典&バッハ・トランスクリプションズ

  ヤニック・ネゼ=セガン指揮、フィラデルフィア管


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 「春の祭典」も、バッハのトランスクリプションも、どちらもどこまでもカラフルで、鮮やかな映像が目に浮かんでくるような演奏。正に「ファンタジア」!

 とにかく理屈ヌキで楽しい。


 また、わたしが行かなかった、ネゼ=セガン&フィラデルフィア管の来日公演の、モーツァルト&マーラーの方を、先日、NHK・Eテレのクラシック音楽館で放送してくれた。

 わたしはジュピターが苦手なのだが、こんなに美しくしなやかなジュピターなら大歓迎。
 颯爽とした、まるで清冽な水の流れのような快速調だが、随所で、さまざまな楽器のフレーズが、光がきらめくように浮かび上がる。特に木管が冴えわたっていて、おもしろいことこの上ない。
 また、「巨人」も、もともとバージョン自体が異なるのだからあたりまえだが、上記ヘンゲルブロッククとはまったくちがう種類の名演。どこまでもカラフルで劇的。常に起承転結がはっきりしていて、何か楽しい舞台でも観ているかのよう。個々のクライマックスに向かって、怒涛の進撃、一直線!それが積み重なった最後のクライマックスで金管がいっせいに立ち上がるのも、自然で堂に入っている。やっぱりこの人、根っからの舞台人なのだ。
 無理してでも、行っておけばよかったか。

 そしてこの日のアンコールは、上記CDにも収録されているフィラデルフィア管の十八番、ストコフスキーの編曲したバッハ。
 このような、どこまでもエンターティンメントを追求したバッハも、やはりまた、バッハなのだ。





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