ヘンゲルブロックリターンズ・NDR響サントリーホール&愛知県芸術劇場全記録~特別な初夏の日々2

 ヘンゲルブロック&NDR響来日公演


 いまや日本においてもすっかりメジャー指揮者の仲間入りを果たし、今回の来日公演でも音楽ファンの間で大きな反響を巻き起こしたようだから、もう細かいことはごちゃごちゃ書かない。
 率直な感想をちょこっとだけ。


 今回も、前回の来日の時と同じ、この上なく幸福な2日間を過ごすことができた。
 特に名古屋のベートーヴェンは、これまでわたしが聴いたあらゆる音楽のライブでも5本の指に入るようなものだったと思う。



 6月4日(木)


 東京公演 サントリーホール


 富士通コンサートシリーズ、ワールド・オーケストラ・シリーズ2015

 メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲

 マーラー 交響曲第1番 「巨人」 (1893年ハンブルク稿)

  ヘンゲルブロック指揮、ハンブルク北ドイツ放送交響楽団

  アラベラ・美歩・シュタインバッハー(Vn)


  @ サントリーホール


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 交響形式による音詩 「巨人」


 第1部 「青春の日々より」 花の絵、果実の絵、茨棘の絵

  Ⅰ 春、永遠に

  Ⅱ 花の章

  Ⅲ 順風満帆

 第2部 「人間喜劇」

  Ⅳ 座礁!(カロ風の葬送行進曲)

  Ⅴ 地獄から


 それほどマーラーに愛着があるわけでもなく(もっとも「巨人」はマーラーの中では好きな曲ではあるんだけど)、
 コンサート前は、正直「花の章」が付いていようがいまいがそんなことどうでもいいと思っていたのだが、
 いざ曲が終わってみると、ハンブルク稿、何ていい曲なんだーーーー!!!!と感激しながらスタオベしていた。(何て単純)

 上に書き記したような、長い長い波乱万丈の青春の旅を、無条件にたっぷりと満喫することができた。 

 簡単だが、これだけ。
 だけどこれで十分。このように曲の良さがストレートに伝わってくること。それが一番大切なこと。


 以下、いくつかのメモ。


 ヘンゲルブロック、今年は、指揮台に乗って指揮していた。大編成ゆえか。かなり窮屈そうではあった。

 がっしりして少し貫禄が増した。しかし、人なつっこい笑顔はそのまんま。
 頭の毛はさらに危なくなった。(わたしは真上から見下ろす位置だったので・・・・) 


 何もしないで立っている時間がさらに増えた。そういう時は、オケのメンバーまかせ。
 完全に一緒に音楽を楽しんでいる仲間、バンマス感覚。これは以前から変わらないどころか、絆が深まった分、顕著になった気がする。
 かんじんなところは全身で巨大な楽器を弾くように指揮するが、それでも音が響いた瞬間からは、楽団員、成行きまかせ。

 ヘンゲルブロックと同じく、やはりこのブログでずっと応援し続けてきたネゼ=セガンも、昨年来日した時、やはりマーラーの「巨人」を指揮した。
 この時、わたしが生で聴いたのはもう一つの「悲愴」のプロ。「巨人」はTVでの鑑賞だったし、そもそも版も異なるので単純な比較はすべきではないかもしれないが、ネゼ=セガンが一つ一つの音が消え去る瞬間までそのすべての責任を一身に負っていたのに対して、ヘンゲルブロックの場合は、もちろんあくまでも意識的なことではあるが、セッションの仲間の一員として自分も一緒に演奏しているような感覚が強いように感じられた。
 その結果、どちらもとびっきり見通しの良い、しかも情熱的あふれる演奏であるという点では変わりないのだが、ネゼ=セガンの音楽がエネルギーの塊のような3次元的な実体性(それは見上げるばかりに壮麗ではあるが!)を持つのに対し、ヘンゲルブロックの音楽はその外殻さえも突き抜けてしまったようなところがあって、クラシックでは稀有なほどの爽快感を伴う広がり、疾走感、ドライブ感を伴う演奏が現実のものとして目の前でくりひろげられた。


 なお、この時の演奏は、NHKによって収録されていた。

 TVでどこまで伝わるかは心許ないが、一人でも多くの方に、この「着き抜けた感じ」を体験してもらえたら、と思う。 


  (アンコール)

 シュタインバッハー

  プロコフィエフ 無伴奏ヴァイオリンソナタ op.115~第1楽章

 ヘンゲルブロック&NDR響

  ワーグナー 歌劇 「ローリングエン」~第3幕への前奏曲

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 翌、6月5日(金)は、東京文化会館での公演。(都民劇場音楽サークルの定期)

 前にも書いたように、わたしは客層も含めて上野のホールの方が断然好きだし、以前聴いたメンデルスゾーンよりもシューマンのピアノコンチェルトの方が聴きたい気がしないでもなかった。
 従って、ほんとうはこの日も行きたかったのだが、どうしても名古屋でだけしかやらないベートーヴェンの7番が聴きたかったので、この日は泣く泣くパス。

 翌6月6日(土)の名古屋行きに備え、仕事にいそしむ。

 そして・・・・、 



 6月6日(土)


 名古屋公演 愛知県芸術劇場コンサートホール


 富士通コンサートシリーズ

 ドヴォルザーク 序曲「謝肉祭」 op.92

 メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲

 ベートーヴェン 交響曲第7番

  ヘンゲルブロック指揮、ハンブルク北ドイツ放送交響楽団

  アラベラ・美歩・シュタインバッハー(Vn)


  @ 愛知県芸術劇場コンサートホール


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 マーラーのプロのところでメモ書きしたようなヘンゲルブロックの神髄が、無条件に、そして最大限に発揮されてえらいことになったのが、ベートーヴェンの7番だった。
 
 せっかくの来日公演、マーラーと以前も聴いたことのあるメンデルスゾーンだけではなんだがさびしいと思い、はるばる名古屋まで追いかけていったのだが、よかった。ほんとによかった。
 これを聴き逃したら、たいへんな後悔をするところだった。


 第3楽章までは、とてもていねいにこの曲の持つ多種多様な魅力、そしてそれを貫くベートーヴェンの様式美を描いて見せてくれていた。
 前回のエロイカにも負けない充実度。
 しかし、ほんとうにすごいのはそれからだった。
 長い長い3楽章が終わった瞬間、これでジャパンツアーも最後、ということもあったのだろう、それまでためにためていたすべてが、一気に解き放たれ、炸裂した。

 これはもはや、以前クライバーが日本で見せてくれたような芸術的な煽りとも一線を画するものだ。
 指揮者&楽団員全員による、極限に向かって突き進むセッション。
 ティンパニは、ロックバンドのドラマーさながら、頭を、全体を激しくゆすって叩きまくっている。
 ホーンセクションは、指揮者や他の団員と激しくアイコンタクトしながら、決定的な時に決定的な咆哮を轟かせる。
 ストリングスは、椅子からほとんど飛び上がらんばかりの勢いで、がしがしとリズムを刻み、ギュルギュルとメロディの渦を巻き起こす。
 どこのロックバンドだ、と思わず突っ込みたくなるようなありさま。

 上記ネゼ=セガンの「巨人」では、最後のクライマックスでホーンセクションを立ち上がらせる演出によって絶大な効果をあげていたが、この演奏においてはとてもじゃないけどそんな余地は無いし、そんなことをする必要もまったく無い。
 そんな演出など無くても、すべての演奏者が心の底から音楽に没頭している。
 ほとんど、のりのりのロック、
 指揮者も、オケのメンバーも、そして(ほとんどの)お客さん、そこに居合わせたすべての人が、ほんとうに楽しそう、幸福そう。笑顔、また笑顔。

 最後の音がはじけ飛んだ瞬間、7~8割の入りだったにもかかわらず、超満員の巨大ドームが湧き上がったかのような熱狂。

 理屈ではない。このことが、ヘンゲルブロックの来日公演が、その演奏がどのようなものだったか、何よりも雄弁に物語っている。


 バリバリの古楽系指揮者で、本人自身けっこうややこしいことを言ったりやったりするので、いまだにどんなにセンセーショナルな演奏をするんだ、と妙な期待をしている方も多いことと思うが、
 この人、つきつめて言えば、ごくごくまっとうな、ある意味「中庸を得た」演奏をする人。
 7番の序奏で見せたようなアップボウや、作曲家が書いたすべての音をきちっと響かせるための「聴きなれないアクセント」や透明な(言いようによっては薄い)響き等も、すべては真摯な「表現」のための手段にすぎない。
 古楽演奏の真の黎明から半世紀以上が経ち、今や自分の信じる表現のためには古楽奏法も現代奏法も何でもアリ、今さら取り立てて騒ぐほどのことでもない。
 ヘンゲルブロック、結局は、心から心へ、ごくごくあたりまえのストレートな演奏をする人なのだ。
 まごうことなき直球勝負。ただ、その全力投球ぶりが、ただ事では無いだけ。
 全力投球し、どこまで会場が一つになって盛り上がるか。その一点にすべてをかけている。
 つまり、ロックと同じ。こちらも、ただただ無条件にそれにのるだけ。
 
 そういう意味で、名古屋の午後は、クラシックとロックとが限りなく一つになった、稀有の瞬間だったのではないかと思う。

 細かい「分析」もいいが、それを純粋に楽しまなければもったいない! 


 メモ。


 この日も指揮台の上に乗っていた。

 始めのドヴォルザークが大編成なので、そのせいかもしれないが、休憩時間にしまえばいいわけで、スタイルが変わったのかも。
 やはり指揮台に乗った方が、オケ全員から見えやすいということに今さらながら気づいたか。 


  (アンコール)

 シュタインバッハー

  クライスラー カプリチオ op6-1 レチタティーヴォとスケルツォ

 ヘンゲルブロック&NDR響

  ブラームス ハンガリー舞曲 第5番 

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 おそらくそう何度も行くことは無いと思われるので、ホールの写真を撮っておいた。

 木目を基調にした、ほどほどの大きさの良いホールだった。
 天井の意匠が、布がかけられている様子を模しているところなど、とても凝っている。
 わたしはあまり目が良くないので、はじめはほんとに布がかけられているのかと思い、掃除たいへんだろうな、と思った。
 なぜここまで徹底的に模す必要があるのかどうかはよくわからないけれど。

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 シュタインバッハーさんのVnについて。


 Vnを弾く時の凛とした佇まいが印象的だった。
 常に、背筋をまっすぐに伸ばした美しい姿勢、正面から音楽だけと向き合う真摯な表情を崩すことない。
 わたしは何の楽器にしても顔の表情やポーズがオーバーな演奏家は苦手なので(指揮者は置いといて)、それだけでとても好感が持てた。

 木綿のような肌触りの音。研ぎ澄まされた繊細さと言うよりも、何となくオーガニックな雰囲気の、悠々たる大きな歌いまわしが魅力的だった。
 このような包容力のあるVnだからこそ、カール・ライスターの、このオケの中では妙に浮き上がったところのあるクラリネットと見事な協奏をくりひろげることができたのかもしれない。

 サントリーホール、愛知県芸術劇場ともに、アンコールが圧倒的だった。

 そのままリサイタルにしてもおかしくないような曲、演奏。
 ものすごく得した気分!



 今年のサイン会は、どちらも前回に比べると、すごい列だった。
 しかし、鳥獣戯画展で鍛えられたわたしには、こんなの何でもない。
 また今回は写真撮影(記念写真も)×だったのも、残念。


 もう何枚目になるかよくわからないが、保存用ということで、ロ短調ミサのCDを購入し、他ならぬこのCDにサインを頂くという、10何年来の宿願?をついに果たすことができた。

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 ヘンゲルブロックさんに、「またあなたの音楽を聴くことができて幸せでした」と言うと、
 「わたしもほんとうにハッピー。日本のみんなは最高だからね」ととてもうれしそう。
 日本が大好きなのはほんとみたいだ。

 前回のサイン会の時と同じように、「また日本に帰ってきてください」と言うと、
 「幸運だったら、きっとまた来ることができるよ」と言って微笑んでくださった。
 握手した手をぶるんぶるん振って、もちろ~~ん、あははははは~、と言って笑っていた昨年とはだいぶトーンがちがったが、より真摯な感じは伝わってきた。

 ヘンゲルブロックさん、来日公演が終わった直後、パリ管の指揮者(ハーディングの次席)にも就任するというニュースが流れた。
 音楽の幅はさらにひろがり、日本に来てくれる機会も増えるだろう。本当に楽しみ。


 シュタインバッハーさんは、パンフに金色のマジックでサインしてくださったのだが、何だか目立たない、と言って盛んに気になさっていた。
 へたな英語で話しかけたのだが、普通の日本語で返事がかえってきて、思いっきり恥ずかしかった。  



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