またまた登場、3番第1稿の大本命~今年前半聴いたCD・ブルックナー編【マリアの訪問の祝日ほか】

 今日(7月2日(水))は、おなじみのBWV147が登場、マリアのエリザベト訪問の祝日。


 初期の待降節用カンタータBWV147aを改作、ライプツィヒ1年目に初演したBWV147
 第2年巻(コラール・カンタータ年巻)の大傑作、ドイツ語マニフィカト、BWV10

 BWV147ももちろんいいですが、ぜひBWV10を聴いてみてください。
 第2曲アリアは、ひたむきな力強さを感じさせる、バッハが書いた最も美しいアリアの一つ。


 過去記事はこちら↓


 <マリアのエリサベト訪問の祝日>

    マリアとバッハ~はじめて聴くカンタータ
    アドヴェント・クランツのともしび(BWV36、61、62)
    クリスマスとバッハその2・風の中のマリア(BWV147、10)
    対位法とバッハ・その1?
    お気に入りのアリア5・ロマン風マリア(BWV10)



 さらに、今度の日曜日(7月5日、三位一体節後第5日曜日)のカンタータは、


 第2年巻(コラールカンタータ年巻)、いきなりコラールカンタータの究極の完成形がその姿があらわす、BWV93
 
 そして、後期のドラマティックなオペラ風、BWV88

 今週、来週と、早くも真夏本番、といった感じの、夏の名作カンタータが続きます。
 お聴き逃しなく!


 過去記事はこちら。↓


 <三位一体節後第5日曜>

    源流への旅11 古すぎて斬新!トロープスレチタティーボ(BWV93他)



 さて、これでようやくカンタータの暦も落ち着いたので、春にあまりアップできなかった、昨年~今年前半聴いて印象に残ったCDの感想を順次アップしていきたいと思います。



 まずは、「満を持して」ブルックナーのCDから。


 いまだヘンゲルブロック来日公演の興奮冷めやらぬ状態ですが、わたしの中では、ヘンゲルブロックと来れば、次に出てくるのはやはりネゼ=セガン、
 ヘンゲルブロック来日公演の記事では、ヘンゲルブロックのすごさを表現するのに、ついネゼ=セガンと比較する形で書いてしまいましたが、CDにおける完成度と言う点においては、ネゼ=セガンのものが、ちょっと他を寄せ付けないようなレヴェルを誇っているのも事実。
 そんなネゼ=セガンのCDの中でも、これまでの最高峰と言っていいような、究極の一枚が登場です。  



 ブルックナー 交響曲第3番(第1稿) 

  ネゼ=セガン指揮、グラン・モントリオール・メトロポリタン管弦楽団


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 第3番、今では初稿の魅力が広く浸透し、ごくごくふつうにリリースされるようになった。
 初稿ファンとしては、うれしい限り。
 インバルから始まった初稿のCD、今では単発リリースのCD数は、最終稿よりも多いのではないか。
 3番は、そもそも単発リリースのCDの数がそんなに多くはなかったので、全体の数も、初稿が最終稿にけっこう迫っているかも。
 ネゼ=セガンの全集シリーズの最新作である本CDも、特に大きく宣伝することなく、あたりまえのように初稿を使用している。 


 前作の6番は、昨年の来日公演にも通じる、力と輝きに満ち溢れたエネルギッシュな演奏だったけれども、
 もともとこの人のグラン・モンントリオール・メトロポリタン管弦楽団とのシリーズは、7~8番の後期交響曲で観られたような、どこまでも大きくてあたたか、やさしい微笑みに満ち溢れた演奏が一番の特色。
 3番初稿の長大な第1楽章において、その大らかで柔らかな響きが帰ってきた!
 音楽そのもの魅力とあいまって、あまりの懐かしさに涙がこぼれそうになる。
 しかもその響きには、まるでそよ風のようなさらさらとした透明感が加わり、ため息がでるほど美しいばかりか、ブルックナーの一番の魅力である対位法の見通しが驚くほどワイドになっている。


 その透明感は、続く第2楽章で、最高の形で結実する。
 第2主題のあの精緻な対位モチーフが、中間部のさまざまな素朴なモチーフがからみあうクリスマスの歌が、そしてその後の第1主題の1回目の回帰の時に奏される夢のように美しい対旋律が、これまでこんなにも澄みきった、この世のものとも思えぬような響きで鳴り響いたことがあっただろうか。
 この第1主題の1回目の回帰は、最終稿ではごっそりとカットされてしまった部分。
 正にこの部分があることが、わたしが3番は初稿でなくちゃ、と強力に思う大きな理由の一つ。
 従って、ここは、いつも特に注意深く聴くところなんだけど、この対旋律が、あたかも、きらきらとした微光を帯びた風のように、さーっと心を吹き抜けた時には、思わず息を飲んだ。


 第3楽章からフィナーレにかけては、演奏の熱が加速度的に上昇していき、いつもの、わたしたちが良く知っている現在の元気いっぱいなネゼ=セガン節炸裂となる。
 これはこれですばらしい。
 一応、音楽も、ブルックナーの若さあふれる野心作だし。(50歳近いけど)。
 フィナーレのコーダなど、物理的に極限とも言えるスピード。
 それでいて対位法的モチーフのすべてがべたっと音響的につぶれることなく、信じられない速さながらすべて明確かつ立体的に聴きとれるので、雄大な疾走感は満点。
 さながら、大空をまっすぐに突き抜けようとするロケット、といったところか。


 3番初稿については、昨秋レミ・バローのぶっとび演奏をご紹介したばかりだけど(わたしにとっては心の名演)、これは、誰にでも自信を持っておすすめできる堂々たる名演中の名演。
 あのシモーネ・ヤングの盤と双璧をなす録音だと思う。
 両方を聴き比べると、どちらも抜群!なんだけど、知らずに聴くと何だかヤング盤が男性の演奏、ネザ=セガン盤が女性の演奏みたいに聞こえるところがおもしろい??

 3番初稿を未聴の方には、ぜひ両方聴いていただきたいところ。



 お次に、これは、極私的名盤。


 ブルックナー 交響曲第8番

  レミ・バロー指揮、オーバーエスターライヒ青少年交響楽団


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 上に書いたばかりの3番初稿びっくり超名演でおなじみのレミ・バロー。

 またまた聖フローリアンでのライブ。今度は8番。またまた驚愕の100分越え。

 さらに今回は、何と青少年中心オケ。
 音楽に真剣に向き合い始めたばかりの若者たちが、心からの尊敬と驚き、そして感動とをもって、ブルックナーが書いたすべての音を、ていねいにていねいに心を込めて演奏しきっていて、たまらない。

 長い長い演奏時間中、一瞬たりとも魂がこもっていない瞬間が無い。
 青少年オケと言いながら、いや、青少年オケだからか、音の鳴り方が広々として透き通り、とても風通しがよい。
 テンポも速いところは早いので、音楽がもたれたり、重苦しく感じることはほとんど無い。

 聴いていると、自分で心からの歌を歌っているような気分になる。すると、誰かが遠くからやはり心からの対旋律を歌い、心と心が一つになる。そんな至上のブルックナー体験。
 この演奏に接して、わたしはブルックナーを聴いている時、いつも心の中で、いっしょに歌を歌っている、ということに改めて気づかされた。
 これは、かねてから言っているように、ブルックナーの交響曲が、極めてモテット的であるが故、愛すべき彼の小さなモテットの積み重なりであるが故のことだろう。
 だからこそ、例えば合唱において、技術的にそれほど高度でない子供たちの演奏でも深く心を打たれることがあるのと同じように、超一流のオケと比べればまだ技術的には及ばないかもしれない若者たちのオケの演奏が、こんなにも心に響くのだ。

 コーダにおける、感動ではちきれそうな音の重なり合いを聴いてしまうと、これまでのあらゆる名演が、何となくあざとく感じられてしまう。

 我が心のブルックナー。
 8番のあらゆるCDの中で、一番好きかも。現時点では。

 はっきり言って、あまりうまくないので、無条件にはお勧めしません。
 超一流のオケの技術、特定のオケの響きを愛する人には無縁の演奏かもしれません。
 ブルックナーの音楽そのものを、心から愛する方にだけ、聴いてほしい一枚。


 余談だが、

 鳥獣戯画展の待ち時間に、この長~~い長~~い演奏はぴったりだと思い、この演奏を聴きながら、いつ果てるともしれぬ列に並んだ。(こちらの記事)
 さすがのこの演奏でも足りずに、全曲聴き終えても、まだ1時間近く残っていたが、それでもだいぶ楽だった。
 会場内の待合スペースの、鳥獣戯画の楽しく美しい絵や映像が散りばめられた中で、この「明るく楽しい」ブルックナーを聴くのは、正に希有の経験となった。

 今でも、この演奏を聴くと、あの光きらめく理想郷の兎や猿やカエルたらの幸福そうな笑顔が頭に浮かんでくる。 



 たまには歴史的録音も。


 ブルックナー 交響曲第7番、モーツァルト 「プラハ」 

  シューリヒト指揮、ベルリン・フィル(1964年ザルツブルク・ライブ)(2CD)


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 たまにはこういうのも聴いておかないと。

 崇高な響き、自在に流動するテンポに、すさまじい迫力。

 ただ、録音のせいか、ブルックナーの書いた魅力的なフレーズのほとんどが、音のかたまりの中に埋もれてしまっているのが残念。





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