悲劇の歴史を包み込む清らかな森~頼朝自身の遺構をたずねる・鎌倉再訪記特別編その1

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 夥しい大寺院や国宝級の文化財が、ほぼ創建当初の姿を保ったまま、どど~~んと現存している京都・奈良に対して、鎌倉には、鎌倉時代当初の姿をそのままとどめているものは、ほんの一部しか現存していない。

 以前東京お江戸における歴史散策には想像力が必須ということを書いたことがあったが、鎌倉の歴史散策を楽しむにも、かなりの想像力が必要となる。
 すなわち、バーチャル歴史散歩。
 逆に言えば、バーチャル歴史散歩愛好者にとっては、涙が出るほどうれしい土地ということにもなる。


 この鎌倉、言うまでも無く、源頼朝によって造られた、日本史上初めての、武士による都。
 鎌倉と言うと、真っ先に頼朝の名が思い出される方がほとんどだろう。
しかしながら、鶴岡八幡宮とそれを中心にして建設された街並み以外は、幕府そのものはもちろんのこと、頼朝が創建した多くの寺院等も、そのほとんどが滅びてしまったか、まったく違う姿になってしまっている。
 つまり、鎌倉=頼朝と言うイメージが強烈なのに、頼朝自身の手によるものは、現在の鎌倉にはほとんど現存していないというのが実情なのだ。


 そこで、鎌倉において頼朝その人を偲ぶべく、わずかな石碑や遺跡を頼りに、頼朝自身による遺構を訪ねてみた。
一応、仙台に政宗自身の遺構を訪ねた旅の続き。

 これは、鎌倉という街の根幹を探訪する旅でもある。


 今回は、大塔宮(駅からバスで10分程度)を起点にして、永福寺→大倉幕府跡→勝長寿院と言う順序で史跡を回った。基本的には、今では何もない野原や、住宅地等を回ることになるが、これらの史跡の周囲は街並み自体が実に
鎌倉らしく、風情満点。
周辺に点在する大塔宮や瑞泉寺も回ったので、たっぷり半日がかりの充実した散策となった。





 列車の車窓から。

 列車が鎌倉に近づくと、いまだに胸が高まってくる。

 円覚寺総門前の紅葉が早くも色づき始めていた。

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 駅ビルで、昼ごはん。

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 バスの車窓から。

 ミニ建築探訪。

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 八幡宮

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 鎌倉宮(大塔宮)


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 南北朝時代の悲劇の皇子、護良親王を祀る神社。

 明治時代に、護良親王の遺徳をしのび、護良親王が処刑される前に幽閉されていたと伝えられる土牢(大きなやぐら)のある場所に創建された。


 参道と本殿

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 左、村上社の「撫で身代わり」像。
   護良親王の身代わりになって亡くなった忠臣村上義光の像。
   悲しく恐ろしい云われを伝える像だが、おだやかで頼りがいがありそう。
   ラグビーの五郎丸ポーズの仏像が話題だが、このポーズも似ている?
   台風で倒れた境内の欅の巨樹で造られた。

 右、土牢。こちらも恐ろしい伝承が伝えられている史跡。多くの人の心からの慰霊の言葉が捧げられている。 

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 凄惨極まりない歴史を持つ鎌倉宮が、わたしは昔あまり好きではなかったが、悲劇の皇子を祀る社殿を包み込む、やさしく清らかな森を見て、まったく考えが変わった。

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 見事な巨樹が立ち並ぶ。

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 美しく清浄な神苑

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 神苑の出口には、宝物殿、というか、宝物コーナーのようなところがある。

 護良親王の騎馬像が、大迫力。

 そのほか、いろいろな社宝が無造作に陳列されている。隅に方には、番いの鹿のはく製なども。
 よく探すと、他のさまざまな社宝の背後に、ものすごく小さな小鹿の頭も見える。これもはく製だろうか??
 


 向かって左は、覚園寺のある谷戸。

 覚園寺へ続く道。

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 正面の「岐れ道」にまっすぐ続く道。左は、古い普通のアパートの1階部分を改装した、門前のおしゃれ店舗。

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 右は、瑞泉寺のある谷戸。瑞泉寺へと続く道。

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 そして、この谷戸は、永福寺の壮麗な伽藍がその威容を誇っていた谷戸でもある。

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 永福寺跡


 仏教王国平泉の現世浄土を見て感動した頼朝が、中尊寺の大長寿院二階大堂を手本にし、藤原泰衡、義経ほか、奥州征伐のすべての犠牲者の鎮魂のため建立した巨大寺院。

 壮麗な二階堂を中心に、向かって右に薬師堂、左に阿弥陀堂を連結させた、全長130メートルの大伽藍に、それをはるかに超える長さの広大な池を配したその威容は、滅びた後も語り継がれ、二階堂の名は現在も地名として残っている。


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 鎌倉宮から瑞泉寺に向かう静かな谷戸の道の途中に、永福寺跡の史跡が広がっている。
 道沿いに石碑と入り口があるので、すぐわかる。

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 以前はただ石碑だけが立っている、薄に覆われた広大な野原だったが、現在、調査&整備が進んでいて、公園として一部中に入ることもできる。

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 これが永福寺跡だ。

 巨大な建物の礎石(左)と広大な池の跡(右)

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 昔の永福寺跡のイメージも、まだ場所によっては残っている。
 以前は、全体がこんな感じ、ススキの名所だった。

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 周辺の道。(獅子舞の谷を経て天園に至るハイキングコースへ続く道。少し登ってから振り返ったところ)
 
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 写真右は、道沿いにある鎌倉虚子立子記念館。

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 上の道と瑞泉寺へ続く道との合流地点。

 二つの川も合流している。紅葉も模様の欄干がかわいい。

 写真の正面が永福寺跡。

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 次は、鎌倉きっての花と庭の名刹、瑞泉寺に立ち寄る。



 瑞泉寺へ続いている道。(少し登ったところから、永福寺跡を振り返ったところ)

 蕎麦屋やおみやげ等の店もちらほらと。

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