岩手山との再会と「注文の多い料理店」誕生の地訪問~賢治の青春の街モリーオ市再訪記1日目

 宮沢賢治生誕120年記念。



▽ 宮沢賢治がその生涯に出版した2冊の本

  (国立科学博物館 「石の世界と宮沢賢治」展で撮影)

画像
画像



画像




 こちらの記事にすでに書いたように、 

 東日本大震災5年 NHK杯フィギュア スペシャルエキシビションを観るため、盛岡を訪れました。

 一番の目的は言うまでも無く、浅田真央さんがこのエキシビションのために、東北の子供たちといっしょに全身全霊を込めてつくりあげたシンプログラム「ジュピター」を観ることでしたが、
 せっかくなので2泊して、ゆっくりと盛岡に滞在。

 賢治の青春の街、モリーオ市。
 青春時代に賢治さんに深く傾倒していたわたしにとっても、青春の街です。

 その盛岡で過ごすのは、ほんとうに久しぶり。
 いまだに賢治さんの精神が息づくその空気に全身を包まれ、歴史的建築物が数多く残る魅力的な街を歩き、さらにはわたしが最も観たかった仏像の一つをついに観ることができました。

 まるで岩手の地に呼ばれたのではないか、と思えるような、かけがえのない体験の連続でした。



 それでは、いつもの通り、旅のしおり、行程の記録(ダイジェスト)。



 以前、東京での賢治の足跡を訪ねるという記事を書きましたが、一応その続編、盛岡編です。

 盛岡は何よりもイーハトーブの中心地、賢治が東京で書き溜めた膨大な童話が、一冊の本という形に結実したのがこの盛岡であり、また、盛岡中学、盛岡高等農林学校と、賢治が多感な青春時代を過ごしたのもこの盛岡。
 今回は、それらの足跡を中心に。



 1日目


 1月9日(土)



 列車が岩手に入ると、見覚えのある山が次々と車窓に現れる。

画像
画像



 新幹線が花巻に近づくと、「空いっぱいの光でできたパイプオルガン」が現れて、迎えてくれた。

画像
画像



画像



 昼頃、盛岡駅に到着。


画像



 すべてが懐かしい。これから、みんな、実物を撮る予定。

画像
画像




 ホテルは駅のすぐ近く。

 ホテルに向かう途中で昼食。

 おなじみ冷麺。盛岡三大麺。まず一つ目。

 こちらもおなじみぴょんぴょん舎。桑の葉冷麺。下は、温麺。

画像
画像


画像




 久しぶりに盛岡を訪れたわたしを真っ先に迎えてくれた、街のシンボル、岩手山、そして北上川


 ホテルの部屋から開運橋が見えたが、残念ながらちょうど岩手山の方角は死角に。

 河原には、巨大そばっちが。

画像


 北上川の反対側、下流、早池峰山等が見える方向。

画像




 夜のアイスショーまでの間、少し時間があるので、賢治ゆかりの地を、ゆっくりと散歩。



 まずは、岩手山に御挨拶。


 開運橋から見る岩手山が何と言っても名高いが、現在では、ビルや木立に山容の一部がかなり隠されてしまう。

 北上川の河原を旭橋の方へ。


 河原のそばっち。(ほか、わんこ兄弟)

画像
画像



 少し行くと、忘れもしない、向かって右側の美しい山すそが!

 進むにつれ、岩手山の姿が!

 胸が高鳴る。大きい。記憶にある姿よりはるかに大きい。

画像



 旭橋に到着。


 どどーん。

 前方に見えているのは夕顔瀬橋


画像



 賢治さんが登った山。

 岩手山。これが旭橋からのながめ。

 再会できて、うれしかた。



 北上川の旭橋から夕顔瀬橋までの間、北上川の東岸に並行して伸びる道が、

 イーハトーブアベニュー


 上の岩手山の写真の向かって右側、川沿いから一本入った道。

 材木町を貫く商店街のメインストリート。

 
画像



 宮沢賢治がその生涯に出版したわずか2冊の本のうちの一つ、「注文の多い料理店」を出版した光原社(現在の社名)のあるストリート。


 ストリートは賢治関連のさまざまなものをモチーフにして整備されている。

 賢治ファンにはたまらないさまざまなオブジェを中心に、魅力的なお店も多く、また、古くからの寺町でもあるので、散策にはぴったり。



 まずは、通りの中心にある光原社へ。


 光原社


画像




 * 以下、ここで言う「注文の多い料理店」とは、単独の童話ではなく、
   宮沢賢治が存命中に出版された唯一の童話集としての「注文の多い料理店」をさす。



 賢治の処女童話集=生涯唯一の出版された童話集にして、最高傑作のひとつ、

 イーハトヴ童話「注文の多い料理店」

 を出版した会社。


 盛岡高等農林学校の賢治の二人の後輩が共同して営んでいた事業体、「東北農業研究所」および「杜陵出版部」を母体とする。
 一人は賢治の伝記等でよく知られる近森善一氏、もう一人はその友人だった及川四郎氏。
 害虫駆除剤の製造販売がもともとの目的で、そのパンフを発行していたのが「杜陵出版部」だった。
  
 近森氏は賢治を訪ねた際に、主に東京で書き上げられた膨大な(「トランク」いっぱいの)童話を見せられて大いに感銘を受け、及川氏に出版を持ちかけた。
 及川氏も原稿を一目見た途端、出版を決意。この出版計画に情熱を注ぎ、ここに賢治の処女童話集の出版が実現した。
 賢治自身も盛岡の「東北農業研究所」にはよく顔を出していたようで、出版社の名前として「光原社」を提案、従って、「注文の多い料理店」の出版社は、「杜陵出版部」と「東京光原社」の連名になっている。
 近森氏と及川氏、そして賢治、「注文の多い料理店」出版という共通の夢に向けて、3人でわいわい熱く語り合ったのだろう。
 「注文の多い料理店」には、惜しげもないアイディアと、そして惜しげもない資金とが注ぎ込まれた。
 世間があっと驚くような本を世に出してやろう、あわよくば次々と続編も。なにしろ原稿はそれこそ山のように存在するのだ。
 若さゆえの、ある意味無謀とも言える情熱。
 この「東京光原社」は、3人の若者の正に青春の場所だった。 


 かくして3人の念願はかなって、「注文の多い料理店」出版は実現したわけだが、懸命の宣伝活動にもかかわらずほとんど売れずに終わり、光原社による賢治作品の出版はこの1冊だけになってしまった。
 しかし、賢治絶頂期の最高峰作品を選りすぐったこの童話集は、上記したようにその編集・出版自体にも賢治自身が深く係っていることもあり、全体のコンセプト、それに沿った作品選択と配列、実に美しく味わい深い挿絵と装丁(藤原嘉藤治氏の友人だった菊池武雄氏による)も含めて、正に「総合芸術」とも言えるものもの。
 このかえがえのない「一冊の本」を、この世界に生み出した意義ははかりしれない。


 童話集「注文の多い料理店」は、

 全体で一つの完成された作品、

 一度でいいから、出版された童話集に収録された9編を、収録された順番で読むべきだと思う。

 全編を通じて、自然(時には機械文明)と人間のかかわりというテーマを、賢治の心から飛び出した鮮烈な言葉で歌い上げた童話集。
 リズムや旋律、色彩にあふれたその言葉は、もはや「詩」さえも飛び越え、音楽や美術そのものと言ってもいいような次元にまで到達している。
 賢治を知る多くの人の回想から、賢治は高次元の共感覚を有していたことと推測されている。賢治は風景から音楽を聴き、音楽から風景を見ることができたばかりか、風景や音楽から香りを感じることもできた。そんな賢治の、しかも絶頂期の賢治の心から湧き出た研ぎ澄まされた言葉だからこそ、その言葉は我々の五感全体に直接作用する。
 その言葉によって描かれた自然は、時に容赦無い恐ろしさを見せ、時に何よりもあたたかく、やさしい。
 そして、舞台は「どんぐりと山猫」の無邪気な子供の世界から始まり、やがて「鹿踊りのはじまり」の宇宙そのものとの交感の舞踏という大クライマックスにまで拡大する。

 近森氏と及川氏、そして賢治による出版が実現しなければ、「銀河鉄道の夜」にも匹敵する賢治の「大作」、童話集「注文の多い料理店」は、この世に存在しなかった。
 3人の「夢」は、ある意味時空を超え、そして3人がまったく想定しなかったようなスケールで、現実のものとなったのだ。


 一応、収録された全作品を、収録順にメモしておきます。

 (序)
 「どんぐりと山猫」
 「狼森と笊森、盗森」
 「注文の多い料理店」
 「烏の北斗七星」
 「水仙月の四日」
 「山男の四月」
 「かしわばやしの夜」
 「月夜のでんしんばしら」
 「鹿踊りのはじまり」


▽ 挿絵等も忠実に収録された、角川文庫の復刻版「注文の多い料理店」

画像
画像



 それにしても出版された本が、「注文の多い料理店」を含め、2冊だけとは・・・・。
 膨大な作品数の割に極端に出版作品が少ないことは、バッハとも共通しているが、そのわずか2冊の作品が何と輝きを放っていることか!何というかけがえのない価値を有していることか!


 「注文の多い料理店」出版後、及川氏は出版業から漆器、鉄器等の製造販売商社へと業種変更するが、賢治の思い出からか、光原社の名前はそのまま引き継いだ。

 現在の光原社は、漆器、鉄器、陶器、全国の民芸品、雑貨等を幅広くまで販売するとともに、賢治を中心とした文化発信基地としての役割を担っている。
 
 広い敷地内には、メインの漆器、陶器類のお店の他、民芸雑貨店、賢治の展示コーナー、喫茶等がある。
 なお、光原社の場所は、当初「東北農業研究所」があった時から変わっておらず、従ってこの地こそが「注文の多い料理店」出版の地であり、それを記した石碑もある。


 これらの童話のほとんどが書かれたのは、こちらの記事に書いたように実は東京なのだが、記念すべき童話集「注文の多い料理店」が誕生したのは、この地なのだ。


 光原社の敷地には、賢治関連のオブジェ等、多し。

画像
画像


 暖かい喫茶コーナー。

画像




 イーハトーブアベニュー


 宮沢賢治をモチーフにした6つのモニュメント、「座 ZA」がある。


 絹座(左)と詩座(右)
 
 詩座には、詩、というか、賢治の短歌が書かれている。
 賢治の最も重要な詩や童話が作られたのは東京だったが、盛岡の若い賢治の心をとらえていたのは短歌だった。

画像
画像



 音座

 賢治さんが愛した「セロ」。

画像



 そして、石座

 何と、御本人登場!

画像



 このあたりは、寺町でもある。

 一番見応えがあったのが、このお寺。

 酒買地蔵尊で知られる永祥院

 装飾がすごい門。

画像


 笠地蔵、初めて本物を見た。

画像

 

 今も、街に息づく賢治さん。

画像




 そろそろアイスショーの時間も近づいてきたので、ホテルに戻る。


 帰り道、岩手山がまた異なる表情を見せてくれた。


 夕暮れ時


 大きい。途方もなく大きい。雲かと思ったら、岩手山だったりする。

画像



 わたしも若い頃何度か登ったことがあるが、こうして見ると、あんなところまで登ったのかと信じられない思い。一度などは、激しい風雨の中だった。

画像




 一度ホテルへ戻った後、臨時シャトルバスでアイスショーへ。


 NHK杯フィギュア スペシャルエキシビション (@ 盛岡市アイスアリーナ、第2回目 午後6時~)。


 アイスショーがすばらしかったのは、こちらの記事の通り。


 東日本大震災5年を迎え、真央さんが、全身全霊を込めて東北の子供たちといっしょにつくりあげた「ジュピター」。

 その衣装が、奇しくもちょうどこの日に再会を果たした、雪をかぶったたおやかな岩手山を思わせる色合いだった。



 盛岡駅点景

画像
画像


画像


画像
画像




 ちょっと遅い夕食。

 けっこう遅かったが、おいしい洋食屋さんが開いていた。

 老舗洋食店の金宝堂

 ぎりぎり間に合った。閉店間際に入店したにもかかわらず、とても親切に対応してくれた。

画像




そのほかの「記事目次」

「全体記事目次」

カンタータ日記・奥の院

浅田真央さん情報・最新版

宮沢賢治記事目次

カンタータ日記・大阪モダン建築図鑑

画像





この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

過去ログ

テーマ別記事