至福のブルックナー3番&「チェロスイート」~読響定期・カンブルランのブルックナー3番「ワーグナー」他

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 読売交響楽団 第559回定期

 ベルリオーズ 序曲 「宗教裁判官」

 デュティユー チェロ協奏曲 「遥かなる遠い世界へ」

 ブルックナー 交響曲第3番 「ワーグナー」

  シルヴァン・カンブルラン指揮、ジャン=ギアン・ケラス(チェロ)、読売交響楽団


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 カンブルランのブルックナー、「ワーグナー」


 先日のネゼ=セガンのブルックナーとともに、特別楽しみにしていたコンサート。
 わたしはグラン・モントリオ-ル・メトロポリタンOとの選集を聴いて、ネゼ=セガンのブルックナーにあこがれを抱くようになった。
 それとちょうど同じように、SWR交響楽団との選集を聴いて以来、カンブルランのブルックナーもわたしにとって特別大切な存在となっていたのだが、昨年の春、初めて実演を聴いて(7番)、その思いは決定的なものとなった。
 
 そんな昨年の7番に続いて、わたしにとっては2度目のカンブルランのブルックナー。
 こんなにすぐ、しかも3番を聴けるなんて、夢のよう。
 3番はわたしの「心の音楽」だし、選集の中でも特に鮮烈な、「カンブルランらしい」演奏だったのだ。
 前回の7番の記事の最後に、「こうなったら、何が何でも4番、5番、6番、8番など、聴いてみたい。ほんとは3番初稿が最も聴きたいところだが、なかなか難しいかな・・・・」と書いたが、まさか、次のブルックナーが、ほんとに3番になるとは!
 初稿ではなく、最終稿ではあったが、そんなぜいたくは言ってられない。
 (ちなみに、当初の発表だと第2稿使用とされていたが、結局晩年の最終稿・第3稿での演奏となった)


 ネゼ=セガン&フィラデルフィア管の「ロマンチック」に比べると、曲もオーケストラも「完全無欠で非の打ちどころが無い」とは言い難いかもしれない。
 しかし、まったく遜色無い至高のブルックナー体験を満喫することができた。


 第1楽章第1主題、華麗で颯爽としてはいるのだが、ものすごくオーソドックスな独墺風と言っていい響き。テンポもそんなに快速ではなく、落ち着き払っている。
 意表を突かれた感じだが、とても懐かしい。安心して音楽の響きに身を任せられる。
 
 しかしすぐに、カンブルラン&読響の唯一無二の個性が炸裂する。
 第2主題になっていきなり、しなやかで透明な弦を背景に、色彩感豊かで烈な木管が明滅し始め、キラキラときらめく響きが全開に!
 第1主題がどちらかというときっちりとして厳粛だっただけに、パーッと虹色の世界が広がったかのよう。
 もうこれだけで、聴きに来てよかった、と幸せな気分になる。

 そして、そんなカンブルラン&読響のキラキラとした特性が楽章の隅から隅にまで及んだ第2楽章・アダージョは、正に独壇場だった。
 特に、第2主題群。こんなに清々しくきらめく対旋律はかつて聴いたことがない。
 ブルックナーが書いた最も美しい音楽(の一つ、と一応つけ加えておくけど)の、最も色彩感あふれる美しい演奏。
 音楽を聴く幸福を心の底から感じる。これまでに見たさまざまな美しい情景までもが、次々と浮かび上がってくる。しかも、決してセピア色ではなく、極彩色で。
 これが第1稿だったらさらにすごいことになっただろうな、などと一瞬思ってしまったが、もうこのような次元の演奏になると、ほんとうにそんなことはどうでもよくなる。

 第2楽章の最後の音が、静かに、深い余韻とともに消え去った時、これ以上の音楽があるだろうか、などとしみじみ思ってしまったが、何と、真のクライマックスはこの後にあった。
 これまで曲の進行とともに輝きを増してきたカンブルラン&読響の色彩世界が、最高度に結晶化したのは、実にスケルツォのトリオにおいてだった。
 どこまでも透明で、きらきらときらめくさわやかな風!
 そんな風が舞台から会場に実際に吹き渡ってきたかのように感じた。
 余談になるが、最近わたしは、交響曲の楽章の中で、ブルックナー自身が最も好きで、得意としていたのは、他ならぬスケルツォなのではないか、とつくづく思っている。
 作曲する純粋な楽しさみたいなものをひしひしと感じるのだ。そして、肩の力を抜いて書いたトリオは、どれも皆、長大なアダージョに匹敵するほど美しい。
 そんな特別な「ブルックナーのトリオ」の、これまでで最高とも言える演奏を聴くことができた。

 そして、スケルツォの勢いそのままに、一気にフィナーレ
 3番最終稿のフィナーレはすっきりと整理されすぎていて、あっという間に終わってしまうのだが、最後の最後、コーダでお楽しみが待っている。
 コーダ作曲家とも言われることがあるブルックナーのフィナーレ・コーダの中でも最高峰。最高の耳のぜいたく、「交響」の醍醐味。
 数々のすっごい演奏がある中で、カンブルランのSWR交響楽団盤はひときわすさまじいものだったが、この日も魂が震撼するような響きを会場いっぱいに鳴り渡らせてくれた。
 大満足。
 カンブルラン、最後の音が響き終えた後も、しばし手をあげたまま動かず。
 やがて力を使い果たしたかのように手を下すと、その時になってようやく大歓声が沸き起こったのだが、これもとてもよかった。


 ほんとうに楽しかった。

 これまで聴いたブルックナーのライブの中でまちがいなく最高の演奏の一つ。しかも曲が最も好きな3番なのだから、すなわち、トップ体験ということ。
 かけがえのない至高の時間を過ごすことができた。

 それにしても3番、全体として見た場合、やはりヘンテコ。
 何度も舞台に呼び戻されるカンブルラン、指揮台の柵にぐったりともたれがち。疲れ果てていた。この難曲だ、さもあらん。おつかれさま。
 曲としてのデキは悪い。だけど、随所にブルックナー最高の聴きどころが散りばめられている、大好きな曲。
 その聴きどころのすべてで、最高の演奏を聴かせてくれた。カンブルラン、ありがとう!



 さて、そんな至高の57分間に匹敵する、「至高の3分間」が、実はこのコンサートにはあった。

 今をときめくジャン=ギアン・ケラスの「チェロスイート」

 前半のデュティユーのコンチェルトのアンコール。
 ケラスさんの口から日本語で「無伴奏チェロ組曲第1番プレリュード」と告げられたとたん、会場が湧いた。

 その後の3分弱の演奏については、あまりのすごさゆえに、その感動をうまく文章に表現することができない。
 まちがいなく言えるのは、音楽といい、演奏といい、あらゆるものがぎっしりとつまった、めくるめく演奏だったこと。
 バッハも、ケラスも、ほとんど分散和音だけから成る音楽なのに、どうしたらこうなるのか??
 大事なことは、内容がいっぱいなのに、それでいてまったく重くは無いこと。
 さらさらさらさらと自然に流れてゆく。しかも波動の揺らぎのように一瞬一瞬絶え間なく変化し続ける。
 そよぐ風、明滅する光。こんなに自然な光と風を感じさせてくれる演奏は、CD、実演通じて聴いたことが無い。

 浅田真央さんの新しいエキシビションは、プレリュードでは無かったけれど、このような演奏を聴けたことはとても良い記念になった。
 さあ、次は浅田さんの奏でるチェロスイートだ!


 もちろん、デュティユーも良かった。
 ケラスさんのチェロは、まるで魔法のチェロ。
 そこから繰り出される音は、微かに震える高音から、地響きのような低音まで。
 奏法も、まるで不思議なギターのようなピチカートから、いくつもの楽器を演奏としているしか思えない重音まで、正に自由自在。
 その超絶的な技巧によって、ボードレールの詩に基づくただひたすら美しい世界が描かれてゆく。カンブルラン&読響も色彩感にあふれ、なおかつ繊細な表情でチェロに寄り添う。
 読響、どんどんうまくなってきた。ブルックナーでも感じたが、特に弦と木管。



 はじめのベルリオーズにも触れておかねば。
 ブルックナーの3番にも負けない異形の大作。そのようなところから選ばれたのかもしれない。
 「幻想交響曲」で聴きなれたメロディーが、キャッチーでわくわく。
 




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