近代ロック・ついに響きわたる銀河鉄道の汽笛~あがた森魚の2010年代計画前半を総括・新たなる旅立ち篇
そして、青春のヴァージンVSが21世紀によみがえり、そこから銀河鉄道の幻影が立ち現れる!
(前の記事から続く)
まさかの記念碑的超大作、浦島3部作の余韻が残るうちに、
すぐに、銀河系からもディランからも卒業した新生?あがたさんの第1弾が早くもとどけられた。
近代ロック
または、「近代ロック g」?
これまでもいたるところに見え隠れしていたヴァージンVSの幻影が、ついにここに来て、完全なる実体を伴って大炸裂。
このヴァージンVSのまさかの復活を、まずは心から祝福し、歓迎したい。
ヴァージンVSは、やはりわたしの青春なのだ。
さらに、早くもこのアルバムから武川雅寛さんが復活!
しかも、美しさと凄味がさらに増して、完全にグレードアップ。始めにあの懐かしいヴァイオリンの音が聞こえた時には涙があふれてきた。
そして、フィル・スペクターやディラン、銀河系から別れを告げた?あがたさん自身も「復活」、ということなのだろう。
全編、旅の終わりと新たな旅立ちの気配に満ちた情感あふれる仕上がり。
今の季節にピッタリ。
このアルバムは、今年の3月という季節とともに、永遠にわたしの心の奥に刻み込まれることだろう。
内容的にも、ある意味この1枚だけで、前記3部作の超大作にも比肩するたいへんな作品だと思う。
これまた涙が出るほどキャッチーなロックンロールで、新しい「次元」に突入したあがたさんの新アルバムは幕を開ける。
「パーティはもうおしまい」
これまで時間と空間をびっしりと埋め尽くしていた濃密なサウンドはすっきりと整理され(プロデューサーは、15年ぶりとなる鈴木惣一郎)、音の塊はほぐれて突然見通しが良くなったけれど、その分それぞれの楽器の生の音、あがたさんの歌は力強く響き渡り、聴く者の心に直接突き刺さる。
それに加えて、「宇宙の港」を舞台にした香り立つ詩のロマン。ストレートなサビ。
「あ~あ~あ~あいあいしてる、だいだいだいだいだいすきですよ」
何だ、この直球ぶりは!
宇宙を目指す船の軋みのような音が力強いビートを刻むのも雰囲気満点。
また、大切な名曲が加わった。もうきりが無い。いったい聴く側はこの怒涛の「進撃」をどう受け取ったら良いのか。
それにしてもほんとうに気持ちが良い歌だ。
昔は、このような曲で幕を開け、聴く者の心を鷲掴みにし、そのままアーティストと聴く者が一つになってお終いまで駆け抜けてゆくような名ロックアルバムがたくさんあったものだ。
そんなことを思わず思い出す。
と、言っても、このアルバム、決してタイトル通りの「ロック」アルバムというわけではない。
初期のデビット・ボウイの宇宙ソングみたいな叙事詩や佐野元春ばりのラップなどは、ロックそのものと言っていいが、「猫の背中をなでている僕を信じられるかい?」や「夜明けのラジオ」などの、あがたさんの魂の叫びのような心に染み入るバラードや、とびっきりロマンチックな演奏をバックにした詩の朗読?まである。
ロックテイストの歌や演奏に満ち満ちてはいるが、全体のイメージとしては、バンドとあがたさんの声、コーラスが織りなす自由なコラージュ作品という感じ。
詩、音楽とも、宇宙の辺境を思わせるある種のさびしさに覆われているが、だからこそ、心と心が切実に求め合うリアルさが心に響く。
ライナーに載せられているボイジャー、ロゼッタとフィエラ(彗星探査船と彗星渓谷着陸船)、そしてはやぶさのエピソード。
みんな実際は鉄のかたまりに過ぎないが、ひたむきに自らの任務をこなす彼らの存在に接する時、人間に対するのと同じ、いやそれ以上の心の結びつきみたいなものが感じられる。
そんな、「リアル」な愛。
演奏に関しては、あがたさんの声が凄味を増しているのはもちろんとして(特に普通に?話している時のすごさ!)、各楽器、コーラス、一つ一つがすごい。
ヴァージンVSの見事な復活には、おなじみ山崎優子や登川花南さん他のコーラスの力の大きさもはかりしれない。声の種類こそひかるやリッツとは異なるものの、ヴァージンVS魂は完璧に引き継いでいる。
武川さんが元気にVnを弾いているのもたまらなくうれしい。
「ケンタウルス祭の夜」は、このアルバムの要とも言える、前編(α星Ver 夜行列車の貴婦人)、後編(β星Ver はやぶさリターン)合わせると11分を超える大作。
武川さんのVnがここぞとばかりに大活躍するが、楽曲の骨格としてはシンプルな2種類のメロディが繰り返されるものなので、あがたさんの歌声コーラス(一部詩の朗読)&バンドをバックにした、2つのテーマによるVnコンチェルトと言ってもいい楽曲。
ここでの武川さんのVnの美しさはすさまじい。静謐さの中にあふれるばかりの情熱がこもっている。こんなすごいヴァイオリンは、クラシックを含めたあらゆるジャンルを通じて、数えるほどしか聴いたことが無い。
そんな武川さんのヴァイオリンもあってのことだと思うが、この曲全体を支配する不思議なまでの静けさ、穏やかさは何なんだろう。
たまらなくさびしいんだけど、何かが成し遂げられた満ち足りたやすらぎのようなものまでが感じられ、任務をすべて達成して地球に舞い戻ったはやぶさの「気持ち」ともリンクする。
深夜などに静かに耳を傾けていると、「遠い者へのはるかな憧れ」みたいなものに胸が張り裂けそうになった。
最後の「サンプルリターン」とくりかえされるはやぶさの声?が、例えようも無くせつない。
こんな気持ちはまた久しぶりだ。
そして、
全曲を聴いて心に巨大な像として浮かび上がるのは、やはり「銀河鉄道の夜」。
あの、例えようも無く美しい、別れと旅立ちの物語。
「空への船の汽笛の叫び」
「波の光の上で二人踊ろう」
「レールの上をどこまでも歩いてゆこう」
「夕焼けに燃えながら 銀河を駆け昇る」
「終着の駅めざして 峠の崖の駅のその上へ」
「宇宙飛行士に選ばれて 空を飛んでく君を見たくて
君が空に星をつくるのかなあと思って 誰にも似ていない後ろ姿 銀河一遠い旅人だな」
「天空一面にまで拡がる天空図鑑」
「スティールパン 空の屋根叩いて ウッドブロック 空の森中響かせ」
「たったさっき出た星の駅さえ 名前がこだまでまた遠ざかる」
「いつかきっと聞こえるだろう 夢の中を電車が走ってく音」
・・・・このアルバムの1~10曲目までに散りばめられた言葉のほんの一部。
そして、クライマックスとしてラスト2曲のナンバー、
そのものズバリ、銀河鉄道系歌詞満載の、
「ケンタウルス祭の夜」
「火星さそりボルケーノ」
が続く。
あの空の野を走る鉄道の汽笛が聞こえてこないだろうか。
その幻影が見えてこないだろうか。
このアルバムのニュースが届いた時、仮タイトルは「ケンタウルス祭の夜」だった。
当然期待に胸が高鳴ったが、期待を上回る深遠な、それでいて直球勝負の作品世界。
ラスト、「火星さそりボルケーノ」、
21世紀に鮮やかによみがえったヴァージンVSの圧倒的な音響世界をバックに、これまた21世紀に降臨したA児が、武川さんVnの超絶オブリガートを身に纏いながら、
まだ旅は始まったばかりなんだから!
と叫んでこのアルバムは終わる。
あがたさん、果たして一体どこに行くのか。どこにわたしたちを連れて行ってくれるのか。
あがたさん、ツイートによれば、今日も明日も、それこそ毎日のように、日本中のいたるところ、ありとあらゆる会場で、ライブをくりひろげていらっしゃる。
ニュー・アルバムを1年1枚発表するという「あがた森魚の2010年代計画」も、上記のような驚くべきクオリティで実行中だが、それもそのような生きたライブのためのものなのだ。
わたしもそろそろライブに行かなくては。
そして、果たして、2017年の一枚は??
新しい旅立ちの季節。
希望にあふれているが、少しばかり感傷的な気分にもなってしまう季節でもある。
あがたさんがいてくれて、ほんとうによかった。
フィル・スペクターにディラン、ヴァージンVSに銀河鉄道・・・・。
あがたさん、ありがとう!
この記事へのコメント