闇の中の閃光~顕現節後第2日曜(BWV13、3他)~カール・リヒター
今度の日曜日(1月14日)は、顕現節後第2日曜日。
該当する福音書章句は、婚礼の席で、マリアにたのまれたイエスが、水をぶどう酒に変えるエピソード。
イエスは、このように次々と奇跡をおこして、弟子を増やしていきます。
でも、現代のわたしたちにはちょっとピンと来ない話ではあります。
その点、該当する書簡章句の方は、ローマの信徒への手紙の有名な箇所で、
わたしたちの日常にも、十分かかわりのある内容です。
わたしはクリスチャンではありませんし、聖書にもくわしくないので、聖書の内容そのものに関する事がらは、なるべく必要最小限に留めようと思っているのですが、この部分はとりあえずそのまま書いておくことにします。
「愛に偽りがあってはなりません。
悪を憎み、善には親しみ、兄弟愛をもって互いに慈しみ、尊敬をもって相手を優れたものとみなしなさい。
熱心で、倦むことなく、霊に燃えて、主に仕え、
希望を抱いて喜び、患難に耐え、たゆまず祈りなさい。
貧しい聖徒を助け、旅人をもてなすよう努めなさい。
あなたがたを迫害する人を祝福しなさい。祝福するのであって、呪うのではありません。
喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。
互いに思いを一つにして、高ぶらず、かえって低い人たちと交わりなさい。自分を賢いと思い上がってはなりません。
誰に対しても、悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善をなしなさい。
あなたがたは、可能な限り、すべての人とともに、平和に暮らしなさい。」
うーん。一つ一つ、ほんとうにそうあるべきだと思います。
でも、難しい・・・・。
さて、カンタータは、
初期の、BWV155 「わが神よ、いつまで、ああいつまでか」
コラール・カンタータ(第2年巻?)の、BWV3 「ああ神よ、いかに多くの胸の悩み」
後期(3年目)の、BWV13 「わがため息、わが涙は」
です。
これらのタイトルを見ただけでもおわかりかと思いますが、
この日のカンタータは、現世における果てしのない苦悩や絶望を、切々と歌ったものばかりです。
上の言葉のように生きるのは、やはり困難がつきまとうのです。
ただやはり、バッハは、必ずその中に、救いを用意してくれています。
BWV155では、後半、実際にレチタティーボの歌詞に「ぶどう酒」が登場すると、それに続いて、突然、まるでスキップをしているようなリズムのアリアが歌われます。
(もう1つの第2曲、デュエットアリアは、ファゴットの超絶技巧で知られ、他の初期カンタータ同様、楽器やピッチの上で、たいへん興味深いのですが、これはまたの機会に)
コラール・カンタータのBWV3でも、全体的に厳しい詞と曲調の中に、
夢のように美しい冒頭合唱、
ソプラノ、アルトと器楽、通奏低音の4声部が、まるで室内楽のように親密に絡み合う、柔らかで美しいアリア、
などが、用意されています。
(BWV3については、名曲なので、また、あらためて書きます。)
そして、後期の、BWV13。
冒頭アリアは、リコーダーを始めとする管楽器と、テノールが織り成す涙のシチリアーノ。
嘆き悲しむかのようなため息音型(マタイ等でよく知られていますね)と半音階音型が、全曲を構成する、極限とも言えるほどに厳しい音楽です。
そして、後半のアリアでも、ため息音型による詠嘆は執拗に繰り返され、いつ果てるともしれません。
まるで、宇宙空間にたった一人放り出されてしまったような孤独感。
これはこれで、超絶的な、これ以上ないほどすぐれた音楽ではあるのですが、
ただ、ここには、救いは見当たりません。
でも、そのすさまじい音楽のど真ん中、3曲目に、
なんとバッハは、ただもうまぶしいばかりの、燦然と輝くコラールを置きました。
BWV147や、BWV140の、あのコラールたちを彷彿とさせるような、
きらめくように美しい弦楽のオブリガートを身にまとい、リコーダー等の管楽器とともに奏されるコラール!
ほんとうに、シュープラーコラール集に入れてしまいたくなるような名コラール。
カンタータの中には、このようなコラール編曲がたくさんありますが、その中でも特に美しい1曲です。
このコラールは、歌詞自体は、よりいっそう厳しい内容で、本来の曲調もそれにふさわしいものです。
でも、バッハは、あえて曲調をそのように輝かしいものに変えてしまったわけです。
苦悩や絶望といっしょに、常に希望が存在する、ということなのでしょうか。
そして、全曲の最後に、バッハは、さらにもう1曲、他のコラールを置きました。
これは、もともとの歌詞には無いもので、わざわざ追加したものと思われます。
こちらは、単純な4声体コラールですが、イザークの有名な「インスブルック」に基づくと思われる、夢のように美しいコラール。
闇の中に垣間見えた希望が、最後に確信にいたる、というわけです。
BWV13、例によってあまり知られてはいませんが、名作中の名作だと思います。
このBWV13や、新年のところに書いたBWV171などの、隠れた名カンタータは、リヒターも録音してくれています。
それ以外には、ほとんど全集しか録音がありませんので、ほんとうにありがたいことです。
特にBWV13については、よほど曲調が合っているのか、類稀な名演だと思います。
短調アリアの切々とした表現、中間アリアの輝かしさ、最後のアリアのすべてが浄化される
ような感じ。
ところで、なんと、ここに来て初めて、タイトルにリヒターの名前が登場しました。
カンタータのブログだというのに・・・・。
該当する福音書章句は、婚礼の席で、マリアにたのまれたイエスが、水をぶどう酒に変えるエピソード。
イエスは、このように次々と奇跡をおこして、弟子を増やしていきます。
でも、現代のわたしたちにはちょっとピンと来ない話ではあります。
その点、該当する書簡章句の方は、ローマの信徒への手紙の有名な箇所で、
わたしたちの日常にも、十分かかわりのある内容です。
わたしはクリスチャンではありませんし、聖書にもくわしくないので、聖書の内容そのものに関する事がらは、なるべく必要最小限に留めようと思っているのですが、この部分はとりあえずそのまま書いておくことにします。
「愛に偽りがあってはなりません。
悪を憎み、善には親しみ、兄弟愛をもって互いに慈しみ、尊敬をもって相手を優れたものとみなしなさい。
熱心で、倦むことなく、霊に燃えて、主に仕え、
希望を抱いて喜び、患難に耐え、たゆまず祈りなさい。
貧しい聖徒を助け、旅人をもてなすよう努めなさい。
あなたがたを迫害する人を祝福しなさい。祝福するのであって、呪うのではありません。
喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。
互いに思いを一つにして、高ぶらず、かえって低い人たちと交わりなさい。自分を賢いと思い上がってはなりません。
誰に対しても、悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善をなしなさい。
あなたがたは、可能な限り、すべての人とともに、平和に暮らしなさい。」
うーん。一つ一つ、ほんとうにそうあるべきだと思います。
でも、難しい・・・・。
さて、カンタータは、
初期の、BWV155 「わが神よ、いつまで、ああいつまでか」
コラール・カンタータ(第2年巻?)の、BWV3 「ああ神よ、いかに多くの胸の悩み」
後期(3年目)の、BWV13 「わがため息、わが涙は」
です。
これらのタイトルを見ただけでもおわかりかと思いますが、
この日のカンタータは、現世における果てしのない苦悩や絶望を、切々と歌ったものばかりです。
上の言葉のように生きるのは、やはり困難がつきまとうのです。
ただやはり、バッハは、必ずその中に、救いを用意してくれています。
BWV155では、後半、実際にレチタティーボの歌詞に「ぶどう酒」が登場すると、それに続いて、突然、まるでスキップをしているようなリズムのアリアが歌われます。
(もう1つの第2曲、デュエットアリアは、ファゴットの超絶技巧で知られ、他の初期カンタータ同様、楽器やピッチの上で、たいへん興味深いのですが、これはまたの機会に)
コラール・カンタータのBWV3でも、全体的に厳しい詞と曲調の中に、
夢のように美しい冒頭合唱、
ソプラノ、アルトと器楽、通奏低音の4声部が、まるで室内楽のように親密に絡み合う、柔らかで美しいアリア、
などが、用意されています。
(BWV3については、名曲なので、また、あらためて書きます。)
そして、後期の、BWV13。
冒頭アリアは、リコーダーを始めとする管楽器と、テノールが織り成す涙のシチリアーノ。
嘆き悲しむかのようなため息音型(マタイ等でよく知られていますね)と半音階音型が、全曲を構成する、極限とも言えるほどに厳しい音楽です。
そして、後半のアリアでも、ため息音型による詠嘆は執拗に繰り返され、いつ果てるともしれません。
まるで、宇宙空間にたった一人放り出されてしまったような孤独感。
これはこれで、超絶的な、これ以上ないほどすぐれた音楽ではあるのですが、
ただ、ここには、救いは見当たりません。
でも、そのすさまじい音楽のど真ん中、3曲目に、
なんとバッハは、ただもうまぶしいばかりの、燦然と輝くコラールを置きました。
BWV147や、BWV140の、あのコラールたちを彷彿とさせるような、
きらめくように美しい弦楽のオブリガートを身にまとい、リコーダー等の管楽器とともに奏されるコラール!
ほんとうに、シュープラーコラール集に入れてしまいたくなるような名コラール。
カンタータの中には、このようなコラール編曲がたくさんありますが、その中でも特に美しい1曲です。
このコラールは、歌詞自体は、よりいっそう厳しい内容で、本来の曲調もそれにふさわしいものです。
でも、バッハは、あえて曲調をそのように輝かしいものに変えてしまったわけです。
苦悩や絶望といっしょに、常に希望が存在する、ということなのでしょうか。
そして、全曲の最後に、バッハは、さらにもう1曲、他のコラールを置きました。
これは、もともとの歌詞には無いもので、わざわざ追加したものと思われます。
こちらは、単純な4声体コラールですが、イザークの有名な「インスブルック」に基づくと思われる、夢のように美しいコラール。
闇の中に垣間見えた希望が、最後に確信にいたる、というわけです。
BWV13、例によってあまり知られてはいませんが、名作中の名作だと思います。
このBWV13や、新年のところに書いたBWV171などの、隠れた名カンタータは、リヒターも録音してくれています。
それ以外には、ほとんど全集しか録音がありませんので、ほんとうにありがたいことです。
特にBWV13については、よほど曲調が合っているのか、類稀な名演だと思います。
短調アリアの切々とした表現、中間アリアの輝かしさ、最後のアリアのすべてが浄化される
ような感じ。
ところで、なんと、ここに来て初めて、タイトルにリヒターの名前が登場しました。
カンタータのブログだというのに・・・・。
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